第38話 みんなが笑顔で戻るのを静かに待っているレストラン


 目の前には、深山の部屋の扉があった。

 一応、他にも心当たりを当たってみたが、やはりどこにも深山はいなかった。

 結局、人が何かから逃げるとき、逃げ込むのは自分のにおいが染みついた場所なのかも知れない。

 それが人によって異なるわけだが、どうやら深山は俺と同じで自室がそれだたようだ。


 思い返せば、実は俺と深山は良くも悪くも似ていると思う。

 本当に大切なものには素直になれないところとか、何もかも背負い込もうとしてしまうおこがましいところとか。

 だから、こうして追い詰められたときの行動が似てしまうのかも知れない。


 扉に耳を当てても、室内からは深山の息遣いは聞こえない。

 静まり返ったその部屋に深山がいるということが、俺には何故か確信できていた。


 さて、ここまで来てみたはいいが、実は俺には何のプランもなかった。

 深山にどんな言葉をかけていいのかすら分からない。


 ただ、この奥にいるのは、恐らくあの日の俺だ。

 現実に絶望して、悲しみの海に沈み、世界の全てを拒絶して塞ぎ込んで……。

 その先に死すら考えて、でも死ぬことも選べなくて、八方塞がりになっていたあの日の俺と同じだ。

 深山がいるのは、そんな救いのない絶望の底なのだ。


 あの夏の事故。

 あれは間違いなく、深山が引き金を引いていた。

 それが深山にも分かっているのだろう。

 だから、その責任という名の重圧は、計り知れないものだと思う。

 自分の失敗によって、三人の命が失われたのだ。

 自分のせいで、自分の命の恩人が命を落としたのだ。

 そして、そんな自分のせいで、一人の友人が不幸になったのだ。

 失われた命の責任も、身内を失った友人の苦しみの責任も……。

 年端も行かない深山が背負うには重すぎる重責だ。

 その重みに、押しつぶされても仕方がなかった。


 でも、俺は深山を恨んでいない。

 両親の死が、姉さんの死が、深山のせいだとは思っていない。

 でも、それを深山は知るわけもない。


 今、彼女を責め立てているのは、本当はありもしない糾弾の声なのだ。

 でも、彼女にはそんな声に対して、言い逃れが出来ない。

 状況的には、深山があの事故を引き起こしてしまったのは事実だから。


 ……俺の声は、深山に届くのだろうか。

 深山を苦しめているのは、俺への大きすぎる罪悪感なのだ。

 俺という存在が、今、深山の心を責め立てている。

 そんな俺に、深山を、いや、深山の心を救うことが出来るのだろうか?


 そんな不安が頭によぎって、俺は首を大きく左右に振った。


「救えるかじゃない。救うんだ」


 親父が命を賭して、深山を救おうとしたように。

 姉さんが、命を失ってまでも俺のことを救ってくれたように。


 俺も、己の全てを賭けて、深山を救わないといけないんだ。


 俺は深く深呼吸をする。


 大丈夫だ。

 俺も、深山も、決して一人じゃないんだから。

 頭に思い浮かぶのは、トワイライトガーデンの仲間の顔。

 付き合いはそれほど長くないのに、何故だろうか、思い浮かんだその顔触れに安心する俺がいた。

 どうやらすっかりあの店は、俺にとって大切なものになっているらしい。




 さぁ、始めよう。

 あの夏の、俺の忘れ物に決着を……。

 そして、今日の深山の心を救って、あの店に帰るための戦いだ。





 目の前の大きな扉を俺はゆっくりとノックした。


 コンコン――


 静まり返った廊下に、ノックの音が響き渡る。

 室内からの反応は、ない。


「深山、聞いてくれ。俺だ」


 室内にも聞こえるように、出来るだけ大きな声で呼びかける。

 その声も、やはり静かな廊下に響き渡るが、依然として室内からの反応は皆無だった。








 私の部屋に、彼の言葉が響き渡った。

 すぐに私は、布団を被って耳を塞いだ。


 彼が私に告げるのは、きっと怒りの言葉だ。

 そう思って、私はそんな彼の言葉から逃げるように目を瞑った。


 だって、許されるわけがない。

 だって、私なら許せない。

 すべて奪ったんだ。

 幸せも、家族も、安定も、笑顔も、安心も……何もかも。

 全部、私が奪ってしまったんだ。

 殺されたって、文句は言えない。

 それだけのことを私はした。


 許されるわけなんてないことは、分かっていた。

 でも、逃げてしまった。


 だって、怖かった。

 殺されることじゃない。

 責められることでもない。


「……嫌われた。絶対にもう嫌われちゃった」


 いや、それどころか、恨まれているだろう。

 私は彼からすべてを奪った、憎き仇なのだ。

 恨んでいないわけがない。


 それが、苦しかった。悲しかった。辛かった。


 彼に嫌われて、「お前なんてもう嫌いだ」と言われることが。

 殺されることよりも、罪を責め立てられることよりも、何よりも怖かった。


 でも、


 私は被っていた布団をはいで、ゆっくりと扉に近付いていった。


 胸を締め付ける恐怖を、決死の覚悟で抑え込み、私は扉の向こうの彼の言葉に耳を傾ける。

 だって、私が悪いのだ。

 全部私のせいなのだ。

 謝ったって許されるようなことじゃない。

 だったら、せめて彼の言葉を受け止めなければ。

 それが例え、聞くに堪えない罵倒だとしても。

 それが、私の罪に対する贖罪だ。

 死んだって、償えない。

 私が死んだって、彼の家族は戻らない。

 私の命を、彼に押し付けてもしょうがないのだ。

 だから、私は彼の言葉を、その罪を背負って生きるしかない。

 もし、彼が私の死を望むのなら、そのときは喜んで命を差し出そう。

 私は、そんな覚悟を決めて扉の前に立つのだった。








 俺の言葉に、深山からの反応はない。

 でも、俺は続ける。


「多分、お前が思っている通りだ。お前が聞いた話が現実だよ」


 声は平坦に、でも努めて優しく。

 俺は部屋に閉じこもっている深山に語り掛ける。


「今、お前の目の前にあるのは、紛れもない現実で、それは夢でも幻でもない」


 あのとき、絶望に膝を折った俺には、夢か幻か分からないけど、姉さんが現れた。

 その姉さんに、俺は救われた。

 俺は、あのときの姉さんが幻だとは思わない。

 そんなわけがないのは分かっているけれど、あのとき姉さんは確かに俺の前に現れてくれた。そう思ってる。


「そして、今ここでお前に語り掛ける俺も、紛れもない現実なんだ」


 だから、俺も深山を救うためにここに居る。

 例え、今は深山の心に声が届かなくても――。


「聞こえてるんだろ? 聞こえてないなら、聞こえるまで何度だって言ってやる」


 俺は、この声が深山に届くまで、叫び続けるつもりだ。


「お前は、お前の不注意であの事故を起こした。そして、その事故が俺の家族の命を奪った。それは、紛れもない事実だ」


 現実は曲げられない。

 深山がそう思っているのも間違いない。

 なら、全てはそれ前提に話をすすめなければだめだ。


「俺は、お前に家族を奪われた。それが、現実だ。だから、俺はお前を











「俺は、お前に家族を奪われた。それが、現実だ。だから、俺はお前を


 それは、いつもと同じ、優しい声で告げられた。

 だから余計に、その言葉に私は絶望する。

 微かに抱いていた、淡い期待がその言葉で全て打ち壊された。

 許されるはずなどないのに、少しでも期待した自分の愚かさを私は呪う。


 でも、それが正しい結末だ。

 優しい声は、彼のせめてもの優しさなのだ。

 罵倒しないことが、彼の気遣いなのだ。

 だって、私は罪人なのだから。


「――だから、深山。お前は……」


 私は次に彼が告げるであろう私への決別の言葉を、覚悟のもとに聞き届けようと、きつく目を瞑った。










「――だから、深山。お前は……俺の家族の分も、幸せにならないとからな!!」


 親父が命を懸けて救った命だ。

 親父が望むのは、いつだってその人の助けられた人の笑顔だった。


 だから、俺は深山にも笑顔になって欲しいんだ。


「だから、笑ってくれ。深山」


 俺は扉に向かって、心の限り叫んだ。


「俺は、お前のことを恨んでも、憎んでもいないから……」


 そのとき、部屋の中で何かが動く気配がした。




 トンッ――


 ドアのすぐ前に深山の気配を感じた。


「………………嘘」


 それは消え入りそうな、でもはっきりと聞こえた深山の声。


「………………嘘だよ、そんなの。私だったら、許せないもの。大切なものを根こそぎ奪ったんだよ? そんな相手を許せるわけないじゃない!!」


 悲鳴にも似た、叫び声。

 深山の精一杯の心の叫び。


「あなたの言葉は、私には信じられない!」


 それは明確な拒絶の言葉。


 でも、言葉は届いた。

 届いてくれた。


 でも、俺の想いはまだ届いていない。


「信じて貰えるまで、俺は何度だって言ってやる。俺はお前を恨まない。憎まない。俺はお前を許したいと思ってるんだ」


 だったら、俺はこの思いが届くまで、この声を張り続けるだけだ。


「俺はもう、泣いて泣いて泣きはらして、もう現実を受け入れたんだ。悲しかったし、辛かったけど、あれは事故だったんだ。ただの不幸な事故だったんだよ。そう思って俺は割り切った。受け入れたんだよ。だって、誰も望むわけがないだろ? 俺が誰かを恨んで、憎んで、ずっとそれを抱えて生きていくことなんて……俺だってそうだ。そんな悲しい人生、望んでないよ」


 だから、深山。

 お前はそんなこと気にしなくていいんだ。

 誰もお前の絶望なんて、望んでないんだ。

 父さんも、母さんも、姉さんも……俺だってそうだ。


「俺は誰も恨まないって決めたんだよ! お前が父さんを殺したのか? 違うだろ。お前はそのきっかけを不注意で作っただけだ。その状況で、車の前に飛び込んだのも父さんだった。それで死んだのは、父さんのせいでもあるんだ。母さんも姉さんも死んだ。そのきっかけは確かにお前だ。でも、それだって飲酒運転の運転手の方がもっと悪いだろ? そいつも事故で死んじまってる。それはある意味ズルいけど、そいつも相応の対価は払ったって思うしかないだろ?」

「違う! 私のせい! 私が殺した!! それが現実。それ以上もそれ以下もない!! 私は許されない!! 許されていいはずがないのよ!!」


 それはもはや、俺への言葉ではなくなっていた。

 深山自身を責め立てる言葉。

 俺が深山を責めないから、深山は自分で自分を責めているのだろう。


「きっと、誰かが悪いなんてないんだよ、深山。お前の、父さんの、運転手の、色んな人の小さなミスが重なって、あれだけの大きな事故になったんだ。けど、今そこに戻って、あの事故をなかったことには出来ない。出来ないんだよ……俺はそう思ってる。何が悪いのか、もしそれを突き詰めるなら、んだ……そうだろ?」

「違う!! 私が!! 私が悪いんだ!!」


 こんな簡単に許されていいはずがない。

 そんな深山の思い込みを、ぶち壊さなきゃダメなのだ。


「何度だっていうぞ、深山。俺は、お前を許したい。お前を責める声なんてないんだ。だってそうだろ? お前を糾弾するはずの俺が、お前を許すって言ってるんだから!!」

「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」

「嘘じゃない!!」


 だから俺は、全ての想いを込めて、深山に向かって叫ぶんだ。


「だから、深山。頼むよ……この扉を開けてくれ。笑ってくれ……俺は、お前の笑顔が見たいんだ」


 俺の想いが届くまで、何度でも。

 何度だって……。


「深山……頼む……俺の話を、聞いてくれ……」


 扉の向こうの深山は、それからしばらく黙り込んだ。

 物音一つしない静寂が、俺のいる廊下を包む。

 俺はただ、扉の向こうの深山の反応を待った。


 すると……


 カチャッ――


 目の前の扉から、その扉の鍵が開く音が聞こえた。


 入って来いってことなのだろうか?

 深山の意図することが読み取れない俺は、その状況にただ戸惑ってしまう。


 でも、思い返せばいつだってそうだった。

 俺はいつでも、手探りで、戸惑いながら迷いながら、ただひたすに前に向かって進んで来たのだ。

 そんな自分が正しいなんて思わない。

 だから、ここで何をするのが正解なのか……分からなくて戸惑うばかりだ。


 俺はドアのノブに手をかけて、そっとその扉を開く。


 深山の部屋は、真っ暗だった。

 雨戸を閉めているのだろうか?

 それとも、遮光性の高いカーテンが閉められているのか。

 月明かりも入らない、真っ暗闇が俺の目の前には広がっている。


 ドアのすぐ近くにいたはずの深山の姿も見えない。


「深山? どこにいるんだ?」


 俺の呼びかけに、部屋の中にいるはずの深山は答えない。


 少しだけ考えてから、俺はゆっくりとその室内へと足を進めることにした。


 不気味な暗闇と静寂が俺の声も、俺自身も全て飲み込んでしまいそうだった。




 続く――。

 

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