第7話♯ お客様も希望すれば働けるレストラン
空調の効いた店内は、いつもと同じはずなのに、どうしてかいつもと違って感じられた。
お客様たちの話す声に、厨房から聞こえる調理の音、そして配膳のために行き来する給仕のスタッフの声が入り乱れて、思った以上ににぎやかに感じられる。
基本的に、普段は座って見渡している景色を立って眺めるだけで、こんなにも違って見えるのだから不思議なものだ。
カランカランッ――
ドアベルの音も、普段なら「ああ、また新しい客が来たのか」程度にしか感じなかったのに、いざこうして違う立場になって見ると、違って聞こえて来る。
なんというのが相応しいのかは分からないが、あの音が聞こえると何かスイッチが入るというか……そんな感じがする音に聞こえるのだ。
「あ、俺が行くよ!」
「ありがとぉ、神越君」
俺はフロアにいたポニーにそう声をかけると、来店したお客様の応対をするために、入り口まで早足で向かった。
店の入り口で、応対に出て来る店員を待っていた女の子の姿を見て、俺は驚いた。
彼女は今、こちらを見ているようで見ていない。
俺もそうだけど、普通ファミレスに入ってすぐに声をかけてくる店員の顔なんて、ほとんどの人がちゃんと見ていないものだ。
だから、これから自分が声をかけたときのリアクションを想像すると、なんだか楽しい気分になった。
「いらっしゃいませ、お客様はお一人でよろしいですか?」
「………………っ!?」
自分の対応をしたのが俺だと気付いて、目を白黒させる“お客様”。
「………………」
それでもなんとか状況を飲み込んで、俺のことを不思議そうに凝視しながらも、コクリと首を縦に振ってくれたのは、この店の給仕スタッフの藍澤飛鳥さん18歳だった。
「それでは、お席にご案内します。私について来て下さい」
そう言って歩く俺のあとについて歩く藍澤さんは、何だか親鳥のあとを必死についてくる雛鳥のようで可愛かった。
というか、この見た目で18歳っていうのは、少々信じられない数字だが……。
それは言わずに置くべきことだろう。
それにしても、店長から藍澤さんは夜シフトだからとしか聞いてなかったので、まさかお客様として来るとは思っていなかった。
内心、結構驚いていたのだが、そんなことはおくびにも出さずに俺は藍澤さんの接客を続けた。
「メニューはこちらです。お決まりになりました、こちらのボタンで何なりとお申し付けください」
俺の案内に対して、知っているであろうに律義に頷いてくれる藍澤さん。
突然の出来事に取っ散らかりそうになる思考を必死にまとめ上げて、俺は努めて冷静に一礼をして急ぎ足でバックルームへと戻るのだった。
「ん? 少年君どうかした? なんかちょっと焦ってない?」
「あはは……何故か藍澤さんがお客様としていらっしゃったので……」
「ああ、そだね。いつもこの曜日は部活から直接ここに来るから、シフトはいる前に夕飯を食べに来るんだよ、飛鳥ちゃん」
慌てる俺とは対照的に、ひときわ美人の給仕スタッフ、八重咲さんはさも当たり前のようにそう言ってお盆を俺に差し出してくれた。
この人は、厨房を任されている料理長の彼女さんとして有名な、ベテランスタッフさんで、今日の俺の給仕の教育係を引き受けてくれた短大生だ。
その物言いからして、この藍澤さんの登場はこの店では日常になっている出来事のようだ。
「俺、店長からそんなこと聞いてなかったんですが?」
「あはは、店長のことだから、少年君のことを脅かしたかったんじゃない?」
「なるほどぉ……」
だとすれば、店長の思惑通りになってしまったわけだ。
あとで、店長にはキチンと話を聞くとしよう。
ピンポンピンポン――
店内に響く呼び出しベルの音。
表示されている番号を確認して、八重咲さんは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「32番テーブルは、さっき少年君が飛鳥ちゃんを案内したテーブルだね。メニューもいつも通りだと思うから、言われる前に『クラブハウスサンドセット』と『アイスティー』、デザートに『抹茶アイス』かどうか確認してみ?」
「そこまで決まってるって分かってるなら、聞きに行く必要もないんじゃ?」
「いやいや、お仕事でしょうが。さ、行ってきなさいな、少年君!」
八重咲さんに背中を押されるようにして、俺は再びフロアへと踊り出た。
仕方がないので、そのままの足で藍澤さんのテーブルまでやって来る。
「お待たせしました。ご注文はお決まりですか?」
「………………」
俺の定型文の接客に、藍澤さんはコクンと頷いて答えてくれた。
そして、彼女がメニューを指差す前に、それを遮るように八重咲さんに聞いていたメニューを復唱してみる。
「承りました。『クラブハウスサンドセット』と『アイスティー』、デザートに『抹茶アイス』でよろしいですか?」
俺にオーダーの先を越されて、目を見開いて驚く藍澤さんは、いつもよりさらに幼く見えて愛らしかった。
「ちなみに、今のオーダーは八重咲さんに藍澤さんがいつも頼むメニューを聞いていたからです」
流石に驚かしてばかりでは申し訳ないので、俺がそう言って種明かしをすると、藍澤さんは安心しなようにコクコク頷いてくれた。
「それで、本日もこのメニューでよろしかったですか?」
俺がそう問いかけると、藍澤さんは再びコクコクと頷いてにっこりと笑う。
その笑顔がいちいち可愛すぎるもんだから、俺は顔が熱くなるのを感じた。
「そ、それでは、しばらくお待ちください」
俺は自分の顔が赤いのを藍澤さんに悟られないように早口でそう告げて、早足でバックルームに戻って来た。
「ほい、料理上がってるよ!」
すると、そう言ってお盆を俺に突き出し、悪戯っぽい笑みを浮かべる八重咲さん。
「ぬあっ!? さっきオーダー通したばかりですよ!?」
「いや、だっていつものメニューだったでしょ? メニュー分かってるんだから、用意して置くに決まってるじゃん」
言っていることは正しいが、この場合この速度でメニューが出てきたらまた藍澤さんが驚いてしまうと思うんだが……。
「ほらほら、待たせちゃ可哀そうだから、さっさと持ってってあげなって」
「分かりましたよ。……ったく、みんなして俺と藍澤さんで遊ばないで下さいよ……」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。全然遊んでなんかないよ? 一生懸命お仕事をしてるだけじゃん。ねぇ?」
八重咲さんがそう言って、このレストランの料理長である祇園寺さんに笑いかけると、祇園寺さんは何も言わず小首を傾げて肩を上げるのだった。
そんな訳で、ほぼとんぼ返りの状態で俺は料理を持って、再び藍澤さんのテーブルへと戻って来た。
コトッ――
「お待たせしました。クラブハウスサンドとアイスティーです」
「………………っ!?」
俺がそう言って運んできた料理をテーブルに置くと、藍澤さんは再び目を見開いて俺を見た。
それは同然だ。
普段から店で働いている彼女は、オーダーから料理が出来上がるまでの時間を知っているのだ。
こんな速さで料理が提供されれば、驚くに決まってる。
もはやほぼノータイムだったのだから……。
「八重咲さんが、藍澤さんを驚かせようとして、いつものオーダーを祇園寺さんに通しておいたんだそうです。正直、料理を渡された俺も驚きました」
俺の説明を聞いて、なるほどとでも言いだしそうな顔で、コクコク頷く藍澤さん。
「……なんだか、驚かせてばかりですみません」
俺が申し訳なくなってそう言うと、藍澤さんはその言葉を受けて少しだけ何かを考えるそぶりを見せた。
そして……、
「ううん、そうでもない。なんだかサプライズみたいで楽しかった」
そう、言って笑ってくれた。
俺は言葉を失う。
初めて聞いた彼女の声は、想像通りに、いや、想像以上に可愛くて、鈴を転がすような綺麗な声だった。
その藍澤さんの悪戯っぽい笑顔と相まって、不意打ちの藍澤さんの口撃に俺は頭が真っ白になってしまう。
自分の顔に、血液が集まっていくのを自覚する。
きっと、今俺は、今世紀最大に赤面しているに違いない。
「………………?」
俺の顔を見つめて、悪戯っぽい笑みを浮かべたまま可愛らしく小首を傾げる藍澤さん。
その表情を見れば分かる。
そう、この口撃こそが、彼女なりの俺への仕返しなのだろう。
なるほど。
流石は藍澤さんだ。
これは、ズルい。
こんな不意打ちは、流石の俺も何も出来ない。
成す術なく、藍澤さんの術中にはまってしまった俺は、しばらくの間その場で硬直してしまった。
俺のことを見つめる、藍澤さんの笑顔が本当に可愛くて、俺はその顔から目が離せなくなっていた。
「………………あんまり見つめないで欲しい。照れるから」
そう言って、俺から顔を赤くして目をそむけた藍澤さんもまた可愛くて、俺は思わず「ああ、天使はここにいた」なんてアホなことを考えてしまうのだった。
「………………?」
一度バックルームに避難させてもらってから、藍澤さんのテーブルに舞い戻った俺の顔を見上げて、藍澤さんが小首を傾げる。
『大丈夫? 落ち着きましたか?』
いつものように、そのジェスチャーから俺の脳内では藍澤さんの言葉が自動再生されるわけだが、流石というかなんというか、俺の脳みそはその辺が優秀らしく、キチンと先程聞いたばかりの藍澤さんの声で再生されていた。
「先程は失礼しました」
『うん。……でも、どうしてあなたが?』
俺の顔を見つめて、藍澤さんが当然の疑問を聞いてきた。
だから、俺はネタバラシとばかりに、俺がこうしてトワイライトガーデンで給仕スタッフの制服を着込んでいる理由を説明した。
ことの始まりは、先週のことだ。
いつものように店に夕食を食べに行った俺に、珍しく店長が申し訳なさそうに頼みごとをしてきたのだ。
「少年、悪いんだが、来週一日だけ家でバイトをしてくれないか?」
「はい?」
突然の頼みに俺も思わず素っ頓狂な声を出してしまったが、なんでもこの日だけ休みを希望するスタッフが多くて、どうしても人手が足りないのだというのだ。
遅番は回るのだが、それまでの時間が厳しいと拝むように店長に頼み込まれた俺は、仕方なくそのお願いを聞き入れることにしたのだった。
「というわけで、店長に頼み込まれて臨時の日雇いスタッフとして、今日はここで働いているというわけです」
俺の説明を聞いて、藍澤さんはなるほどと頷いた。
「俺もまさか、藍澤さんがお客さんとして来るとは思ってなかったんで……驚いたんですけどね」
俺の言葉に、藍澤さんはうんうんと頷いていた。
『私も驚きました……』
「ですよね……って、これ食べて藍澤さんはこの後お仕事ですよね? すいません、なんか思わず話し込んじゃって……ゆっくりご飯食べられなくなっちゃいました?」
はたと気付いて、俺がそんなことを言うと、藍澤さんは首を左右にフルフルと振って笑ってくれた。
なんだか、今日の藍澤さんは良く笑ってくれる気がする。
「………………本当に、今日だけなんですか?」
「ええ、まぁ……やっぱり俺は、この店にはお客として来たいんで」
言った通りだ。
こうして働くのは確かに楽しいけれど、この店にはやっぱり従業員としてではなく、客として通う方が気楽でいい。
まぁ、賃金的な意味でも、仕事的な意味でも、俺は今のバイトを結構気に入っているので、よっぽどのことがない限りは変えるつもりはないのだ。
「………………そうですか」
そう言って残念そうにする藍澤さん。
いや、そんなここぞとばかりに寂しそうな顔をしてこっちを見ても、俺の決意は変わらない。
「………………残念です」
……変わらないぞ?
藍澤さんの天使の声による揺さぶりで、早速、その決意が揺らいでいる俺だった。
ちなみに、
「いらしゃいませ!」
「……ん? ……へ? は? え? えぇっ!?」
「一名様ですか? それとも待ち合わせのお客様が既に店内にいらっしゃいますか?」
「ちょっと待って……え? どゆこと? え? え? 待って、理解が追い付かないんですけど……」
「禁煙席と喫煙席ですと、どちらがご希望でしょうか?」
「禁煙席で……って、だから待って!! てか、待て!! あんであんたがそんな格好して、ここにいるのよ!? どゆこと? なんの冗談なの!?」
「お客様のおっしゃられることがよく分かりませんが?」
「よく分からないことはないでしょ!? そこは私の場所じゃない! あんたは客で、私が店員でしょ!?」
「普段はそうですが、本日は私も店員なんです。分かりやすくご説明するなら、臨時の日雇いバイトですね」
「はぁ!? バイト!? しかも日雇い!? どゆこと!?」
その後、藍澤さん同様に店に現れた深山のことは、俺が盛大にからかってやったのだった。
もちろん、その後キッチリ深山の拳を、俺は顔面に食らったが……。
まぁ、深山を驚かせることが出来て、大満足な俺なのだった。
続く――。
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