第34話 interlude ~Last Mail~ ④
/。
夢を見た。
真っ白な世界だ。
そこには、俺しかいなかった。
「まるで、今の現実の俺と一緒だな……」
思ったことが、そのまま口からこぼれ出た。
ここはどこだろう?
見たことのない景色だ。
まぁ、こんな真っ白な世界、真冬の雪山でホワイトアウトでもしない限り見えないだろうから当然だ。
とにかく、本当に真っ白だった。
ふと、
自分の背後に、懐かしい気配を感じた。
「っ…………」
振り向くまでもない。
ずっと、大好きだったその気配に、俺の目からは何故か涙があふれ出た。
/。
さて、気が付けば、今度はいつの間にか真っ白な世界。
まぁ、何が起きても、もう私は驚くことはなかった。
もはや死んだ身だ。
何が起こっても、何の不思議はない。
見渡す限りの白。
こんな景色は、流石に一度も見た記憶がない。
雪山での遭難経験もないし、等質視野の実験被験者経験もない。
静かで、何もない。
でも、真っ白で優しい世界。
振り返って、目を見開いた。
そこには、大好きなあいつが、ボロボロと泣きながらそこに立っていた。
「―――――――――っ」
喋ろうとして、声が出ないことに気付く。
ただ、どうやら私の姿はキチンとあいつにも見えているらしかった。
「姉さん!!」
弟は、私に向かって駆け出して来た。
そして、飛びつくように抱きつこうとして、するりとすり抜けて真っ白な地面に顔を打ち付ける。
私は声は出せなかったけれど、そんな間抜けな弟の姿に腹を抱えて笑う。
その姿はまるで、いつもの弟の姿のようで。
私は、腹を抱えて涙が出るほど笑った。
本当に、涙が出るほど。
「姉さん……」
私を見上げる、悲しそうな弟の顔。
胸が痛んだ。
見えていても、会えていても、触れられないし、言葉も交わせない。
流石はこれほどの切望を私達姉弟にプレゼントしてくれた神様だ。
手放しの喜びをくれることは無いらしい。
私はジェスチャーで弟に声が出せないことを伝える。
すると、弟は一瞬寂しそうな顔をした後で、にこりと私に笑顔を向けた。
ああ、もう可愛いなぁ、こいつは。
思わずつられて微笑んでしまう私に、弟は哀しそうな笑顔で頷いた。
/。
なんだか、難しそうな顔をして苦笑いを浮かべる姉さんを目の前にしたら、俺は思わず抱きつきたくなって駆け出した。
恥ずかしいとか、そういう感情は無い。
もう、ただ会いたかったから。
でも……、
そんな姉さんの身体を、俺はするりとすり抜けてしまった。
そして、そのままつんのめって転んでしまう。
振り返ると、姉さんはそんな俺を見て腹を抱えて笑っていた。
でも、声は、聞こえない。
夢の世界なんだし、それくらい、抱きつくくらい許して欲しいものだったが、まぁそうだよな。
こんな過酷を押し付けてくる神様が、そんなに優しいわけがない。
そして、触れられない姉さんの懐かしいけど、苦しそうな笑顔を見て、俺は直感した。
姉さんは、もう居ないということを。
こみ上げる涙を堪え切れず、でも、涙を姉さんに見せるのはいけない気がして、俺は俯いてこぼれる涙を隠す。
なんとか気持ちを落ち着けて、姉さんの顔を見上げる。
すると、姉さんは身振り手振りで声が出せないことを俺に伝えてくれる。
言葉も交わせない。
触れ合えもしない。
そんなこの邂逅に、意味なんてあるのだろうか。
お真面目にそんなことを一瞬考えて、思わず笑ってしまう。
「ははは、バカだな、俺。これはしょせん、俺の都合の良い夢じゃないか」
自嘲気味に呟いた俺の言葉に、物言わぬ姉さんは首を横にふった。
『そうかないよ、バカ。あんたの都合のいい妄想なら、私はあんたを抱きしめ返してるでしょ?』
そんな声が聞こえた気がした。
理屈もない。
でも、この不思議な世界で見つめ合う、目の前の姉さんは、何の証拠の無いけど本もだと思えた。
「夢じゃ……ないのか?」
俺の言葉に、姉さんは微笑んだ。
その顔が言っていた。
『そんなの、どうでもいいでしょ?』
うん、姉さんの言う通りだった。
/。
しばらくの間、弟はまた俯いて、肩を微かに揺らしていた。
それが、こいつの泣いているときの癖だと私は知っている。
こいつはええかっこしい奴なので、例え相手が姉であっても、情けない姿を自ら晒すことは決してしないのだ。
その態度が、私はいつも、少しだけ嬉しかったっけ……
なんだが、自分をこいつが異性として意識しているような気に慣れたから。
「―――――――――」
依然として、声は出せない。
確認するまでもなく、触れられない。
つまり、ここで私にできることは、多分何もない。
でも、
こうして今、私はこいつの前の前に、私の姿を伴って立っている。
なら、この邂逅に、
私が意味を作らなければいけないんだと思う。
だから――。
/。
ぐっと涙を堪える。
思い出せ、姉さんを殺したのは誰なのかを。
俺はここで姉さんに泣きつくことなんて許されるわけがない。
きっと、俺だけが喋れるのはそう言うことだ。
俺はここで、姉さんに許されないとしても、心の底から謝罪をしなければならないんだ。
その命を終わらせてしまったことに。
死地へと無責任に送りだしてしまったことに。
そう固く誓った、俺は顔を上げた。
すると、
「おわぁっ!?」
眼前に、姉連の顔があった。
視界一杯に姉さんの顔。
それは、人生で初めて見る光景だった。
目の前の姉さんの顔。
それも初めて見る表情だった。
不思議と、胸がドキドキと脈を打った。
長いまつ毛、桃色の小さな形のいい唇。
大きな瞳、長い艶やかな黒髪。
俺の周りの男子の誰もが憧れた、完全無欠のミス由芽崎。
そんな姉さんの顔が、頬を真っ赤に染めて俺の眼前数センチの距離にあった。
今まで見た中で、多分一番綺麗な姉さんの顔だったと思う。
その顔が、ゆっくりと近づいてきた。
/。
言葉も伝わらない。
温もりすらも届かない。
そんな状況で、私はここで、こいつに何が出来るだろうか?
そう考えて、私が思い浮かんだのは、やっぱり疑似的で、児戯的で、いかにも私らしいバカみたいな行動だった。
覚悟を決めた私は、ゆっくりと弟に近付いていく。
そして、うつむく弟の眼前数センチのところまでやって来る。
そっと、その顔を覗き込むと、そこには決意と悲しみと、他にも一杯の言葉にし辛い感情を乗せた顔をした弟がいた。
それは、初めて見る弟の表情。
その顔に思わず見惚れてしまう。
こんなにも息のかかりそうな距離にいるのに、気付かない。
それは、息がかからないから。
温もりが届かないから。
だから、
「おわぁっ!?」
弟は、顔を上げて初めて私の接近に気付く。
そして、真っ赤な顔をした。
きっと私も同じだ。ゆでだこのようになっていることだろう。
赤面症が、私の唯一のコンプレックスだった。
『頑張れ、私!」
自分を励まして、私は勇気を振り絞って、それを実行に移した。
言葉ではない感情表現。
きっと、拙い言葉より、もっと深い想いが伝わる方法だ。
そう、これはたぶん、最も原始的で、情熱的な、
真っ直ぐな、愛情表現。
私は、そっと、弟の唇に自分の唇を重ねたのだった。
驚きのあまり、弟がその目を白黒させていた。
バカ。
こういう時は目を瞑るものだろうが?
とか言いながら、私も片目を開けてそれを見ていたので人のことは言えない。
もちろん、お互いの唇が触れることはない。
だから、あくまで疑似的な、偽物のキス。
私にとっては、最初で最後のファーストキスだ。
こいつにとってはどうなのだろう?
結局、触れていないので、ノーカウントなのかも知れない。
でも、私はこの行為に、私の持つ全ての愛を込めたつもりだった。
温もりも、言葉も伝わらないけれど。
この『キス』は、『愛している』の意思表示。
私の持つ、愛以外の全ても、全部あげるつもりの……、
精一杯の愛の告白だ。
とうとう、やってしまった。
私の歪んだブラコン、ここに極まれりだ。
でも、後悔はない。
不思議と、後悔はなかった。
「姉さん、俺!!」
気のせいかも知れない。
でも、こいつの目にちょっとだけ、生気が宿った気がした。
『元気、出たか?』
声にならないけれど、私はそう言って弟の顔を見つめた。
「俺のせいで……俺が、軽井沢旅行なんて当てたせいで、姉さん達を……」
『バカ。あんたのせいじゃない。きっと誰のせいでもない。
だから、あんたは前を見て、真っ直ぐ
聞こえていないだろうけれど、そう言わずにはいられなかった。
そして、聞こえていないのをいいことに、私はもう一言呟いた。
『好きよ、大好き。私は貴方の事が、世界で一番大好きだったよ』
本当に最後の最期に、ずっと胸にしまっておいた言葉を吐き出した。
私は、もう満足だ。
そして、弟に背を向けて、空を見上げる。
『神様ありがとう。私はもう、思い残すことはない。
ただ、やっぱり許せない……
私から、命を奪ったこともそうだけど、
この子から笑顔を奪ったことは、
絶対に許せない。
だから神様、貴方にチャンスをあげる。
私は生き返らなくてもいい、
私の命は持っていっていい。
だから一つだけ、奇跡を下さい。
それは一瞬でいい。
私の最期に、一瞬の奇跡をください……
それが起こせたなら、
私は貴方を許してあげるから』
神様に、そう願いを伝えたのだった。
/。
ふと、長い夢を見た気がして、頭を振る。
じりじりと照りつける日差し。
手には携帯電話。
劈く悲鳴。
そして、
私は、はたと気づく。
「ああ、流石神様。望んだ以上の奇跡はくれないか…」
私は、帰ってきたのだと。
しかし、もう今更どうしようもない。
もう、お父さんは車に撥ねられて、
目の前には、あの憎たらしい飲んだくれの軽自動車が降ってきている。
その先にあるのは、確実に『死』だ。
これは、逃れ様がない。
でも、
「うん、ありがとう神様。許してあげる」
私は、この事故の回避を望んだ訳ではなかったから。
手の持った、携帯を見る。
うん。
これでいい。
携帯を持った手で、私はボタンをタップした。
「送信!っと」
私の望み。
それは…
あの日届けられなかった、私の言葉を、あいつに届ける事だった。
さぁ、後は野となれ、山となれ。
「頑張れよ」
私の意識は、
今度こそ、完全に、途切れたのだった。
続く――。
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