第33話 interlude ~Last Mail~ ③
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目が覚めると、何故か下半身丸出しで家のトイレの便器に座っていた。
どうやら俺は、トイレで寝ていたらしい。
「おいおい、自分のこととはいえ……流石に引くわ」
流石にこのままでいるのはどうかと思った俺は、パンツとズボンを引き上げて、転がるようにトイレを出た。
必死に記憶を辿ると、用を足しに来て、便座に座ったところで記憶が途切れていた。
どうやら、そこで力尽きて意識を失ったようだ。
「色々ぶちまけなくて良かったな……」
誰がどう見ても、俺の身体は限界を迎えているのは明らかだった。
でも正直な話、俺にとってはもうそんなことどうでもいいことだった。
俺の家で、俺の生活の中心にいた姉はもう居ない。
「ははは、自分の弱さに悲しくなるよな」
居ないなんて言葉でしか表現できない自分に、俺は自嘲気味に笑う。
もう、ここに居ないとかそういう話ではなく、この世界のどこにもいないのに。
それを心の中の言葉ですらはっきりと言い切れない自分の弱さに呆れ果てる。
「もうどうでもいいとか言いながら、自殺も出来ないんだからな……」
こんな状況だ。
三文ドラマの主人公なら、駅のホームから電車の前に飛び出そうとかするようなシチュエーションなのに。
俺は、そんなことを実行しようとすることはおろか、そんなことを考えもしなかったのだ。
考えることすら億劫だったというのはある。
でも、今はもう身体がろくに動かないのだ。
その癖、しっかり寝たからなのか頭だけは妙に冴えていた。
だからだろう。
俺はいらないことを考えた。
自殺はしない。
痛いのも苦しいのも勘弁だ。
死ねば、姉さん達のところへ行けるだろうか?
まぁ、行けるのかも知れないが、会える保証もどこにもない。
それに、多分姉さんたちはそんなことを望まないだろう。
でも、このまま生きていて意味があるのかと問われると、それはそれで答えに困ってしまう。
もう本当に全てがどうでもいいと思っているのは事実なのだ。
目標にしていた人、認めて欲しかった人、いつか恩返しがしたかった人……それらを全部失ってしまった俺には、生きる意味が見当たらなった。
鬱陶しいとすら思っていたものが、この世で一番大切だったと気付くなんて。
そんな大切なものをいっぺんに奪われて、それを引き起こしたいわば怨敵も、死人と死人同然になってしまった。
誰かを恨むことも、何かを祈ることも出来ないのだ。
漫画とかゲームにありがちな、誰かへの復讐を生きる原動力にすることも出来ず。
寝たきりになった家族の回復のために、その生涯を捧げることも出来ない。
そんな分かりやすい、生きる理由すら、今の俺の目の前には見当たらない。
これまで俺は、どうやって生きて来たんだろう?
答えは簡単に出た。
俺の手を引いてくれる人がいた。
その人に手を引かれて、文句を言いながら引きずり回されるのが大好きだった。
でも、その人はもういない。
その優しい我儘な手は、もうこの世のどこにもない。
どうしてこんなことになってしまったんだろうか?
全てはあの事故が原因だ。
なら、事故を起こした運転手が諸悪の根源なのだろうか?
……いや、結局は事故だ。
そこには、いくつかの運転手のミスはあっただろうが、そいつが故意に俺の家族の命を奪ったわけではない。
過失致死というやつなのだろう。
つまり、言ってしまえば、俺の家族は運が悪かったのだ。
事故が起こる場所に、たまたま居合わせてしまったのだから……
そこまで考えて、俺は気付いてしまった。
俺の家族は、たまたま居合わせてしまったんじゃないことに。
「あ、あはは……マジか。なんで今まで気付かなかったんだろう……答えはすぐそこにあったのに……」
俺の家族をあの場所へ導いた奴なら、いたじゃないか。
「あはははは……そうか。俺じゃん。俺が……三人を……死刑台に導いたんじゃねぇか……俺の……せいじゃん…………」
そうだ。
あの福引で、軽井沢旅行を引き当てたのも、その日に軽井沢旅行に行くよう仕向けたのも、全部俺だったんじゃないか。
事故という偶然を、俺の家族の元に手繰り寄せた諸悪の根源……。
それは、他でもない俺自身だったのだ。
俺が、家族を、殺したんだ。
「あああぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫した。
もう、涙も出なかった。
廊下のフローリングに立てた爪が、ミシミシと音を立てて剥がれた。
けれど、俺は叫ぶことを止められなかった。
俺が、悪かったんだ。
それなのに、俺だけがのうのうと……。
姉さん、ごめん。
母さん、ごめん。
父さん、ごめん。
俺は、どうすればいいのだろう?
どうすれば、この罪を償えるのだろう?
そんなもの、分かるわけもなかった。
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「むぅ……」
私は携帯とにらめっこして唸り声を上げる。
画面には、コピー&ペーストしたメモ帳の文章。
それを眺めて、私は未だに送るか否かを迷っていた。
メッセージアプリで送るには、長すぎる長文だ。
送るとすれば、今どき少し古臭いがメールが妥当だと思う。
でも、送るとすると恥ずかしすぎる文面なのだ。
「そう言えば、仭はちゃんとご飯食べてるかしらね?」
「ん? 食べてるんじゃない? あいつ、あれで結構料理とか好きっぽいし。自分の好みのご飯とか作ってるんじゃないの?」
「……それはそれで、後片付けとかしてなさそうで心配だわ」
「それくらい目をつぶってやれよ、母さん。あいつは部活で疲れて帰って来ても、家で独りなんだぞ?」
「もちろん、怒ったりしませんけど……やっぱり心配でしょう?」
ここに居ないあいつの話で盛り上がる私達は、なんだかんだ言って、あいつのことが大好きだった。
私は物覚えが良かったのか、生まれたばかりのあいつのこともよく覚えている。
猿みたいな姿で生まれたあいつを一目見たときから、あいつが何よりも大切だった。大好きだった。
目に入れても居たくないとはこのことなのかと、少し大きくなって思ったくらいだ。
そんなあいつが、今一人で家にいるのだとしたら、ものすごく可愛そうなことをした気がしてくる。
部活に疲れて、家に帰っても一人。
たった一人の食卓なのだ。
いつもは四人で囲む食卓に一人と言うのは、想像するにものすごく寂しい風景だと思う。
やっぱり、あの文章を送ってやろうかな?
それであいつの寂しさが少しでもまぎれるなら、それもまたありな気がして来た。
私はメモ帳の文章を全選択してコピーすると、メーリングアプリを立ち上げてあいつ宛てのメールを作成する。
「……流石に、まじっぽ過ぎるから最後に一文足しておこうかな? いや、でも……」
そんなことを迷っているときだった。
劈くような悲鳴が、辺りに響き渡った。
「きゃあぁぁっ!! 満月っ!!」
金属の軋むような嫌な音。
車が急ブレーキをかけたときに聞こえる音が、響き渡る。
見れば、私とそう変わらなそうな女の子が道路で尻もちをついていて、そこに大きな車がツッコもうとしていた。
「え? ちょっとヤバくない!?」
私の口がそう言った瞬間、私の横に立っていたお父さんがものすごい勢いで道路へ飛び出して行った。
お父さん以外にその場で動けた人はいなかった。
まるでお父さんと迫る車以外の時間が止まったような景色。
私の身体も、金縛りにあったように動かなくて……。
直後、ものすごい音を立てて、お父さんにその大きな車がぶつかった。
お父さんは、紙きれのように数メートル吹き飛んで、頭から真っ赤な血を流して雨後来なくなってしまう。
「あ、あなたぁっ!!」
今度はお母さんの絶叫が響き渡る。
遠くから、車の走行音を聞いた気がして、私が周囲を見渡すと、お父さんを跳ねた大きな車の後ろから、信じられない速度で突っ込んでくる軽自動車が見えた。
「あ、あの人!?」
それは、お昼のレストランで見た、飲んだくれの青年の運転する車だった。
このままでは、あの車は停まっている大きな車にツッコむ!
そう思った瞬間、ものすごい轟音を響かせて軽自動車は私の想像通りに大きな車につっこんだ。
そのまま、その軽自動車は宙を舞った。
「あ、やば――」
思ったときには、もう遅かった。
大きな影が私とお母さんの上に覆いかぶさったと思った直後、その大きな鉄の塊はそのまま私達の上に降って来た。
私は叫んだ。
あいつの名前を。
そして祈った。
あいつの平穏を。
そして感謝した。
あいつの反抗期に。
ああ、あいつを置いてきて……本当に良かった。
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もう、声も出なかった。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
何日も経ったような気もするし、まだ数時間も経っていないような気もする。
とっくの昔に時間の感覚なんてマヒしていた。
真っ暗な部屋で、俺はベッドの上に蹲るように座り込んでいた。
何もする気が起きなかった。
食べることも、飲むことも、本当にもう何もしたくなかった。
食欲もないし、寝るのは怖かった。
眠って、家族の楽しかったころの夢を見たことがあった。
目を覚まして、目の前の現実に絶望した。
眠って、家族たちに「お前のせいだ」と責められる夢を見たこともあった。
逃れたくて目を覚ましたけれど、やっぱり目の前には絶望しかなかった。
だから、夢を見るのが怖かった。
きっと、家族は俺のことを恨んでいる。
俺が死地へ追いやったのだから間違いない。
だから、自分の都合の良い許しや癒しに満ちた夢を見るのも嫌だった。
だから、眠るのが怖かったのだ。
そう言えば、何回か学校の友人が来たこともあった気がする。
何度か呼び鈴を鳴らして帰る奴もいたし、諦めずに何かを叫んでいく奴もいた。
近所迷惑だしうるさいから辞めて欲しいとも思ったが、それを伝えるのも億劫だった。
眠りたくなかった。
でも、身体は正直だ。
疲れがピークに達すれば、自然と眠りに落ちてしまう。
だから、俺は必死に眠気と戦っていた。
目に力を入れて、必死に神経を研ぎ澄まして。
ただひたすら、目を開けていることにだけ集中していた。
それでも、やっぱり、眠りには抗えなかった。
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気が付くと、私は懐かしい場所にいた。
いや、私は気が付くはずがないのに。
あの速度、あの質量。
あの衝突で私が助かる可能性はない。
それに、仮に助かっていたとしても、ここでこうして目を覚ますのはおかしい。
そもそも、気付いたときには立っていたのだ、そこからしておかしかった。
こことはすなわち、私の自宅の自室だった。
ここに私がいることは、明らかに異常なことだと思う。
それに、私は確信している。
私はもう死んでいると。
「『私はもう、死んでいる』オワチャアッ!! なんつって……」
バカなことを言っても、それにツッコんでくれる相手はいない。
「えーと、要するに、私は死んじゃって、幽霊になってここに居る……って感じかな?」
その想像を確認するために、私はベッドの上のぬいぐるみに手を伸ばす。
すると、案の定それに触ることは出来ず、私の手はぬいぐるみをすり抜けてしまった。
「掴めない……か」
つまりはそう言うことなのだろう。
「んで、私の未練って何なんだろう?」
そう呟いてみたが、自分でもそれは分かっていた。
不意に、廊下から足音が聞こえて来た。
この家にいるのは、あいつしかいないだろう。
私はドアノブに手を伸ばして……、
「おっとっと……ってそうだったそうだった」
掴めずにドアをすり抜けてしまう。
「これ、なんか気持ち悪いな……」
摩訶不思議な感覚だった。
そこにあるドアに全く触れることなく、するりとすり抜けてしまう感覚。
ドアがあるのに、何もないのと同じだった。
「あれ? でも何で地面には立ててるんだろう?」
そう思って、思い切り地面を踏みしめたら、床もするりとすり抜けて、階下へと降りることが出来た。
「ああ、なるほど。浮いてたって感じなのか……」
今の自分の状況を、そんな風に確認していると、そこにあいつが現れた。
その姿に息を飲んだ。
頬はこけ、目の下には濃いクマが見える。
生気を失ったような目なのに、瞳は血走ったように赤くなっていた。
憔悴しきったその姿は、まるでもう別人だ。
その姿に、私は自然と涙があふれた。
何が置いてきて良かっただ。
遺されたこいつが、どれだけの悲しみに打ちひしがれるのか、私は考えてもいなかった。
泣きはらした顔のこいつに、私は何もできない。
励ましたくても、声は届かない。
抱きしめたくても、触れることも出来ない。
私は改めて、自分の死に絶望した。
目の前で苦しむ最愛の人に、何もしてあげることが出来ないのだ。
死とは、こんなにも残酷なものなのか。
「ほら、姉さん。姉さんのプリン、全部食べてやったぜ? ……だから、俺を殺してくれよ……そっちに連れて行ってくれよ……なぁ、姉さん……」
久々に聞いたこいつの声。
それは随分としゃがれてしまって、小さくなっていた。
「馬鹿!! あんたは生きなさいよ!! あんただけは……最高に幸せになりなさいよ!!」
私に殺せという弟を抱きしめるように飛びつく。
でも、触れられない。
すり抜けてしまって、寄り添うことも出来ない。
抱きしめることはおろか、福森も感じない。
私の目からこぼれる涙も、あいつの服を濡らすことも出来なかった。
泣きながら膝をつく弟に、私は何もできない。
その涙を拭ってあげることも、何も……。
「神様!! お願い!! 蘇らせてなんて、無茶なことは言わないから!!
せめて、あのときに私を戻して!!
届けられなかった私の想いを、この子に伝えさせて!!
そして、どうか……どうかお願いします。
この子に、どうか祝福を……
この子に、どうか救いの手を……
どうか、神様お願いです。この子に、私の大好きな人に……
明日を生きる、希望を与えてあげて下さい!!」
膝をついて泣き崩れる弟に何もできない私は、天を仰いで空に向かってそう叫んだ。
私の全てはもう捧げます。
神様、どうか……一握りの奇跡を、私にお与えください。
そう、祈りをささげた。
続く――。
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