第32話 interlude ~Last Mail~ ②
/。
セミの声がうるさかった。
声というよりは、もうこれは大合唱だ。
クマゼミ、ミンミンゼミにアブラゼミだろうか?
「あっついなぁ……」
軽井沢。
このThe・避暑地に折角やって来たと言うのに、今朝の情報番組の天気予報ではこの辺りの気温も30℃を越えるという。
これではもう非・避暑地ではないか。
私のやって来た由芽崎と変わらない熱気に、軽いめまいを覚えた。
こっちでこの暑さだと、海の近い由芽崎の気温はもっと高いだろう。
「あの子、熱中症とかになってなきゃいいけど……」
自ら色々根回しをして、この家族旅行を回避して家に残った弟のことが気になってしまう。
部活の合宿だと言っていたが、この猛暑だ。
あれで根性だけはある方だとは思うが、この暑さは根性でどうか出来るものでもない。
それこそ、気合で乗り切ろうとして体調を壊していないとも限らないだろう。
「あとで、お土産何がいいかとか言って電話してみるか……」
心配だからと言って電話できない自分に、私は思わず苦笑いを浮かべる。
私はいつもそうだ。
あいつのことが大好きなのに、いつもあいつのことをからかってしまうのだ。
「はぁ……私は小学生の男子かよ……」
小さい頃からなんでも器用に人並み以上にこなせてしまう私は、色んな意味で目立つ存在だった。
学力にも運動神経にも恵まれて、色々な場面で一番ばかりを取って来た。
だから、弟であるあいつは常にそんな私と比較されて、たいそう生きづらい人生を追っているのだろうと思う。
成績は中の上、運動も平均を少し上回る程度。
あくまでも凡庸。平均値のステータスを持つ、優秀過ぎる姉を持つ弟。
それが周囲の評価だろう。
でも、実際はそんなことはない。
あいつは多分、私以上の素質を持っている。
その素質を燻ぶらせているのは、間違いなく私だった。
三年先を生きる私が、軒並み先に成果を出してしまっているから、あいつはどこかで「姉さんはすごい、俺なんて敵わない」なんて言う思い込みを持ってしまっているのだ。
あいつだって、真剣に打ち込めばもっとできるのに。
自分で制限を設けて、勝手に限界を感じているのだ。
それが、ものすごく勿体ないと思っていた。
まぁ、姉の贔屓目もあるとは思う。
でも、才能に溢れると言われる私の目から見て、あいつはそういう可能性を秘めていると思うのだ。
「おーい! 置いてくぞー」
お父さんもお母さんも、久々の旅行にはしゃいでいた。
普段ほとんど休まないお父さんが、珍しく休みを取ったのも、弟が福引で当てたこの軽井沢旅行があったからだ。
その旅行を引き当てた弟は、『家族でじゃれるのって何か格好悪い』とか言って、今頃は部活の合宿で学校のテニスコートでしごかれているだろう。
そんな弟には悪いが、私達は大いに旅行を楽しんでいた。
久々のお父さんのお休みと、初めての軽井沢。
いわゆる経済水準のお高い方々が、こぞって別荘を設ける高級避暑地への家族旅行は、私達家族のテンションを理由もなく上げてくれた。
スワンレイク、ショッピングプラザ、旧軽井沢銀座通り……。
軽井沢の観光スポットを特集するまとめサイトに載っているような、THE・観光地を巡っているだけなのに、私達はそれだけでもう充分に旅行を楽しめた。
「あいつも、来れればよかったのにな……」
思わずこぼれた本音。
きっと、あいつがいたらそれなりに口げんかもしただろうが、今よりもっと楽しかっただろうと思う。
合宿なら仕方ないし、本人が旅行への動向を嫌がっていたのもある。
でも、『そんなの関係ない!』と言って、あいつを無理やりこっちに連れて来ることも出来たはずだった。
「最近、あいつ部活で悩んでるみたいだったしなぁ……」
私の残した成績を上書きしようと、あいつが必死になっているのも知っていた。
それに、あいつの秘められた才能に目を付けて、期待している男子部の部長からも相談を受けていた。
だから、テニスを頑張ろうとするあいつの気持ちに水を差すのも憚られたのだった。
「……けど、やっぱり一緒に来たかったなぁ……」
それは間違いなく、私の本音だった。
でも、私はこの後、この旅行にあいつを連れて来なくて本当に良かったと心から思うのだった。
/。
群馬県警の軽井沢警察署にやって来た俺は、安置されていた遺体となった家族と対面した。
痛々しい包帯姿で、ピクリとも動かない三人の顔を確認して、俺は「間違いありません、俺の両親と姉です」と事務的に答える。
すぐ後に『どっきり大成功』と書かれたプラカードを持って起き上がる家族を、ほんの少しだけ期待したが、そんなこと起きるわけもなかった。
こんな一般人の俺をドッキリにかける意味はないし、ここまで警察や大勢を巻き込んでやるドッキリなんて不謹慎にもほどがある。
……そんなことを冷静に考えているのは、この状況があまりにも現実感に欠けていたからだろう。
「打ちどころが本当に悪かったようです……救急隊員が駆け付けたときには、もう……」
俺は今、医師と思われる男性の説明を聞いていた。
何を聞いても、現実感なんて全然感じられない俺だったが、その医師が「三人とも痛みを感じる間もなく即死だったようだ」と語ったとき、ホッと胸を撫でおろしたのを覚えている。
こんなにも理不尽にその命を奪われたと言うのに、痛みで苦しんでいたとしたらもう何も救われなかったから。
「加害者の運転手ですが、一人は死亡、もう一人は昏睡状態から復帰していません」
俺の家族を奪った連中は、相応の罰を受けて一人は死に、一人は植物状態でいつ目を覚ますかも分からない状態なのだということだ。
それ以降、警察官や、医師、付き添いで来てくれた岩谷先生が何かを俺に言っていた気がするが、もうそんなの覚えていない。
いや、覚えていないというよりも、聞こえていなかった。
俺の耳には激しい耳鳴りが響き、世界は無音だった。
見える全てから色が失われて、白黒のモノクロ写真のような視界。
自分がここにいるという実感もまるで感じない。
本当にもう、何も感じない俺がそこにいた。
ゴスッ――
どうしてそうしたのかははっきり覚えていないが、思い切り壁に打ち付けた拳からは、刺すような痛みが走った。
拳を握ると出て来るでこぼこした部分から血が出ている。
ただ、痛いということは、これが夢ではなく現実であることを俺に教えてくれた。
涙があふれた。
夢じゃないのだ。
悪夢のようなこの世界は、間違いのない現実なのだ。
余りにも非情で、余りにも過酷で、余りにも残酷な……現実。
それが俺に突きつけられていた。
両親と姉が、俺にとっては肉親と呼べる存在だった。
つまり、俺はもう身内と呼べる存在を全て失った、『天涯孤独』の身の上になったわけだ。
まるで、漫画の主人公みたいだな……。
今どきそんな、冗談みたいな設定じゃ読者も受け入れてくれないぞ。
そんなことを考えてみたけれど、笑うことは出来なかった。
笑えるわけ、なかった。
家族の遺体のこと、葬儀のこと、俺が入る施設のこと……大人たちはいろいろなことを俺に聞いてきたが、それも全部無視をして、俺は自分で希望して岩谷先生の車で誰もいない自宅に帰った。
確か、大人達には『考える時間が欲しい』とか、そんなことを言い訳にした気がする。
でも、考える気力もなかった。
ただ、自分の部屋のベットに横たわって、天井を眺めて過ごしていた。
気が付けば、数日が過ぎていた。
一人でいたかったけれど、色々な手続きのために方々を駆け回った記憶はある。
様々な書類にサインをして、葬儀の段取りを業者に任せて、両親や姉にかかっていた生命保険の保険金を受け取るための手続きをした。
どうやら、家のローンは払い終わっており、この家は手放さなくても大丈夫らしい。
まぁ、ここから先の固定資産税やら何やらを払うとか、色々あるらしい。
でも、俺は施設に入ることを拒絶した。
茨の道だと大人たちは行ったけれど、俺は一人で生きて行くことを望んだ。
確か、何か偉い人が、数年様子を見て決めるとか、そんなことを言っていたと思う。
家族の保険金を切り崩せば、その数年は賄えるからという話だった気がするが、俺はその金に手を付ける気はなかった。
とにかく、あっという間の数日だった。
ぐぅ~……――
トイレに立ったり、水を飲んだ記憶はあるが、そう言えば何かを食べた覚えがない。
立ち上がろうとして、足に力が入らないことに気が付いた。
「なんか……食べないとな……」
俺は壁に手をついて、身体を引きずるようにして階段を降り台所へと辿り着く。
冷蔵庫には、様々なメモが貼られていた。
合宿が家族旅行より先に終わる予定だったので、一足先にこの家に戻る俺に宛てた、母と姉からのメッセージだった。
『冷蔵庫に入っている冷凍食品は好きなの食べて良いからね』
これは母さんの字だ。
日が開くので手作りじゃないのが、実に合理的な母さんらしかった。
『私のプリンは食べたら殺す。 ……あ、でも一個なら許す』
この不穏当な文面は姉さんだろう。
プリンごときで殺すとは、実に物騒な姉だった。
「…………っ!?」
一瞬、二人の声が聞こえた気がして振り返る。
でも、そこにはただ暗いリビングの景色が広がるだけだった。
誰もいない。
そう、いるわけがない。
母も姉も、もうこの世にはいないのだから……。
俺は冷蔵庫からプリンを出した。
三個パックになっているプッチンしたら皿に落ちるタイプのプリンだった。
賞味期限も近かったので、俺はそれを贅沢に三つ、大きめの皿の上にプッチンしてやった。
「ははは……三つとも食べても、姉さんに怒られることも、殺されることも……ない……」
勢いよく口にかき入れたプリンの味は、しなかった。
「ほら、姉さん。姉さんのプリン、全部食べてやったぜ? ……だから、俺を殺してくれよ……そっちに連れて行ってくれよ……なぁ、姉さん……」
気が付けば、また俺は泣いていた。
最近、涙腺が緩くて困る。
あんなに泣いたのに、まだ涙は枯れることはなかった。
そして、姉さんが俺を殺しに来る気配もなかった。
/。
旧軽井沢銀座通りで、私達は昼食を取ることにした。
お父さんが買った観光案内に載っていた、地元でも評判のレストラン。
そんな評判のレストランは、混雑のせいだろうか、はっきり言って味が非常に微妙だった。
「ちょっと、お客さん。いい加減飲み過ぎですよ!!」
「うるせぇなぁ……そんなの俺の勝手だろ? 金だって払ってるんだ、文句言うんじゃねぇよ!! ったくよぉ……こんなの飲まずにいられるかってんだよ!!」
何やら、酔っ払いと店員がもめている。
関わり合いになりたくなかったので、私がお父さんに目配せすると、両親とも同意見だったらしく、家族そろってそそくさと席を立つのだった。
「うーん、すまんな。まさかこんなことになるとは……」
店を出て、私に申し訳なさそうにそういうお父さん。
「まぁまぁ、きっと忙しくて大変だったんじゃない?」
そんなお父さんを、私はそう言ってフォローする。
もしもまた、軽井沢に来ることがあれば、この店には二度とこないようにしよう。
それだけを胸に近い、私はその店の前を家族と共に離れる。
一つ。
昼間からお酒をかっ食らう、私とさほど年の違わないあの男性のことが、ほんの少しだけ何故かは分からないが気になった。
……あ、気になったと言っても、気がかりという意味で、恋とかでは決してない。
私の好きな人は、ちゃんと別にいる。
まぁ、決して結ばれない相手だけれど。
「それにしても、本当に暑いなぁ……」
エアコンの効いていた店内から出て来たのもあるのだろうが、屋外の灼熱地獄っぷりには、もう溜息しか出なかった。
「お?」
時間を確認しようと思ってポケットから取り出した携帯には、メッセージアプリに未読メッセージがあると知らせる表示があった。
「ああ、そっか……」
昨晩届いていたあいつからの長文メッセージを、今朝未読のまま放置していたのを思い出す。
「ん? なんだ? なんか嬉しそうに携帯を眺めて?」
「あはは、別に何でもないけど?」
「ふふ、もしかして彼氏とか? あんたそういう相手全然いなかったから心配してたのよ」
「か、彼氏だと!!」
「お母さん、違うってば! 私には残念ながら彼氏は未だにいませんので」
「そ、そうか……それはそれで心配だが……」
「あなた。ブレブレですよ?」
「あはは……しかしな、母さん……」
私が弟からのメッセージを読みながら歩く横で、お父さんとお母さんはそんな微笑ましいやり取りを繰り広げていた。
「ふむふむ……悩める少年って感じか」
長文を全て読んだ私は、そんなことを呟いた。
簡単にまとめれば、先輩たちのいびりがきついから部活を辞めたいという内容だ。
しかしに、昔から男子テニス部は厳しい印象があった。
何でも伝統的に期待できる新人はトコトン苛め抜いて、反骨精神を煽って伸びしろを増やすとか……昭和のスポコンのような考え方の部だった気がする。
つまりは、いびられるということは、期待されているということか。
さて、どう返信したものか。
『期待されている証拠だから頑張れ』とか、言ったら、あいつは頑張れるのだろうか?
でも、私がそんな素直な物言いで励ましても、気味悪がられるだけかも知れない。
「うーん……」
弟からのメッセージは、いつも嬉しい。
でも、返答にはいつも悩むのだ。
どう返答すればいいのか、それが分からない。
変に素直に返信すれば、気持ち悪いと思われるかも知れない。
逆に素直にならなければ、あいつを怒らせてしまうかも知れない。
普段は周囲の人間関係をそつなくこなしている私なのに、あいつの相手だけは全然うまく立ち回れないのだ。
我ながら、重度のブラコンだという自覚はある。
それが恥ずかしくて、余計にあいつに素直になれないのだ。
本当にどうしようもない、ダメ姉だった。
弟は私が『筆不精』だと思っているようだが、あいつ以外の連絡には私はすぐに返事をしている。
つまり、あいつに対してだけ、限定で『筆不精』になる私なのだった。
そう、お気づきの方もいるかも知れないが、そう言うことだ。
私は、少し、いや、かなり歪んだ恋に悩んでいる、乙女なのである。
「んん~……」
とか考えながら、メッセージの文面を再び全消去する。
これで通算四回目。
いつもの平均は五回なので、まだまだ返事の文面作成には時間がかかりそうだ。
「こ、これは流石に無いか……」
全消去に次ぐ全消去を繰り返し、私は一応返信の文面を完成させる。
「これは送れない。送れるわけがないわ」
読み返して激しく後悔する。
恥ずかしすぎる。
こんな文面を送ってしまったら、帰ってあいつと顔を合わせられない。
そんなことを考えて、その文面を全消去しようとした手を私は止めた。
「これはこれで、私の本音だもんね」
そして、全選択からのメモ帳へコピーという暴挙に出た。
まぁ、絶対に送らないし、絶対に見せないからいいのだ。
でも、普段全然素直になれない私が、バカンスの効果かめずらしく素直になったのだ。
反省の意味も込めて、私はその文面を保存していくことにした。
結局、無難な文章を返信して、私は携帯をポケットへと押し込む。
「あ、そっか。思い出した」
唐突に、レストランで飲んだくれていた男性のことが気にかかった理由が分かって、私は思わず声を出してしまう。
「あの人、カウンターに車のキーを置いてたんだ……」
恐らくは運転手のはずだ。
なのに、あんなにお酒を飲んでいたのが気になったのだ。
「お酒を飲んだら、運転はしちゃだめだぞぉ~」
でも、結局は他人事だ。
私は胸につかえていた何かがほどけてスッキリした。
それだけだった。
彼がもしその結果事故を起こしたとしても自業自得だ。
せめて、誰も巻き込むことの無いように……そう祈って私はそのことを忘れていった。
そう、ここでその事実に気付いたとして、何も変わらない。
変わるわけがない。
もしも、この後の運命を知る誰かがいたら、こう叫んだだろう。
『その男から、そのカギを取り上げろ』と。
しかし、未来を知らない私には、そんなこと分かるはずもない。
誰だって、誰かの起こす事故に自分が巻き込まれるなんて考えない。
例え、未知のウイルスが世に蔓延ったとして、『自分だけは大丈夫』などと考えてしまうのが人間なのだから。
でも、運命のときは、刻一刻と私の背中に迫っていたのだった。
続く――。
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