第31話 interlude ~Last Mail~ ①
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「……ん?」
不意に姉さんの声が聞こえた気がした俺は、思わず周囲を確認してしまった。
勿論、こんなところにいるわけがない。
今頃姉さんは、俺の両親と一緒に家族旅行で軽井沢観光の真っ最中のはずだ。
「おい、どうした神越?」
「いや、何でもないっす。気のせいだと思いますんで」
明後日の方向を見つめてぼぉっとしていた俺に、先輩が声をかけてくれた。
少し心配そうに俺を見つめていた先輩も、俺の返答を聞いて安心したのか視線を俺から離して、テニスコートにいる俺を含めた一年生たちを見渡した。
「さぁ、もうワンセット行くぞ!! まだまだバテるんじゃないぞ!!」
先輩はそう言って、俺達一年に向かって、矢継ぎ早にテニスボールを打ち込んでくる。
右に左に振り回されながら、そのボールに必死に食らいつく俺達。
野球で言う千本ノックのような練習で、一年達はあっという間に膝をついてしまうのだった。
由芽崎高校のテニス部と言えば、地元でも有名な全国常連校だ。
俺は去年卒業した姉の背中を追うように、このテニス部に入部した。
ただ、強豪で有名なのは女子部の方で、男子部の方は毎年なかなか成果が出せず伸び悩んでいるのを俺は知らなかった。
しかも、全国優勝経験者である姉の弟として、必要以上に期待をかけられた俺は、他の一年以上に先輩たちから厳しいしごきを受けていた。
そんな状況に、俺はまだ一年の夏だと言うのに、この部を辞めたいと思い始めていたりする。
ただ、こんなにすぐ辞めてしまうのは恰好が悪いし、何より姉さんに何を言われるか分からないので、必死にその練習に食らいついているのだった。
高校も、部活も、姉の背を追っている俺。
周囲は俺を『シスコン』というが、俺はそんなんじゃないと思っている。
最も身近な、憧れの存在。
それが俺の姉だった。
有名進学校でもある由芽崎高校に首席で合格。
その後も三年間、学年一位を守り続け、高1の終わりから卒業まで、ずっと生徒会長を続けていた。
文化祭でのファッションショーを学校の年中行事にまで押し上げたり、三年間ずっとミスコンでミス由芽崎に選ばれ続けた。
さっきも言った通り、二年のときと三年のときに二度、高校テニスの全国大会で優勝もしている。
完全無欠の女子高校生、それが俺の姉だった。
そんな存在が身近にいれば、憧れるのも無理はないと思うのだ。
憧れると同時に、いつかその背中を追い抜きたいと思ってもいた。
その辺を総合して、もしあんたが俺を『シスコン』だと評するのなら、まぁそうなのだろうと受け入れる他ないだろう。
とにかく、そんなすごい姉さんに負けたくないという気持ち一つで、俺はこうして過酷極まるテニス部の夏合宿を耐え忍んでいるのだった。
「はぁ……昨日のメール送るんじゃなかったな……」
今日で三日目の地獄の夏合宿。
俺はその二日目に、一度派手に挫折しかけたのだ。
理由は簡単。
出来過ぎる姉と比較され、男子部部長との練習試合でボッコボコにされてラブゲームで負けたのだ。
『お前の姉は、こんなものじゃなかった。お前はあの人の足元にも及ばない。この程度が限界なら、もうテニスを諦めろ』
徹底的にプライドを叩きおられて、ぼろくそに言われた俺はこれ以上ないくらいに落ち込んで、弱音をメールで姉にぶちまけてしまったのだ。
いわゆる、深夜のテンションというやつだ。
朝起きて、送信済みのメールを見返して死にたくなったが『時既に遅し』。
送ったメールは取り消せない。
俺はそれを、ずっと後悔していた。
あんなメールを見たら、きっと姉さんは心配する。
折角の家族旅行の最中なのに、それはちょっと申し訳なかった。
ただでさえ、『家族仲良く旅行に行く』のが恥ずかしくて、敢えて部活の夏合宿の日程を隠し、その日に旅行がかぶるように仕向けてしまったからな……。
家族旅行の出鼻を挫いた俺が、今度はその中日に姉さんのテンションを下げてしまうとは……本当に何であんなメールを送ってしまったのか。
昨晩の自分をぶん殴ってやりたい気分だった。
「お前、まだメールのこと心配してるのか?」
「うっせ! 折角旅行を楽しんでるだろう姉さんに悪かったなとか、別に思ってねぇから!!」
「いや、メッチャ思ってんじゃん……ほんとお前はあれだよな」
「……『シスコン』とか言ったら、このラケットが壊れるくらいの力でお前を殴るからな」
「……こっわ」
同じ一年でクラスメイトの田中が俺をからかうので、口の端を吊り上げて警告すると青い顔をして俺から離れる。
「けど、本当にお前は『姉さん』至上主義だよな」
「……うっさいわ!」
ニヤニヤと笑みを浮かべて言う田中の言葉を、俺は否定しなかった。
何故ならそれは事実だから。
昔から、俺は姉に引きずり回されて生きて来た。
楽しいこと、面白いことを見つけるのが上手かった姉に、俺はいつも遊ばれていた。
それが心地よかったし、そんな毎日が大好きだった。
なんだかんだ言って、俺の生活は姉を中心に回っていた。
悔しいが、俺は姉が好きだった。もちろん、異性としてではなく、姉として。
「はぁ~……くそ! 明日の部内トーナメントで、絶対部長に一矢報いてやる!!」
「あはは、まぁ頑張れよ!! お前が本気になれば、結構いい線行くだろ、きっと……」
田中とそんなやり取りをしていたときだった。
「おい!! 神越!! 今すぐ来い!!」
顧問の岩谷先生が、血相を変えてそう叫びながらテニスコートへやって来た。
「おいおい、神越。また何かやらかしたのかよ?」
「いや、何もしてねぇよ! ……いや、あれか?」
「って、心当たりあるんじゃねぇか!!」
「とりあえず、行ってくるわ」
「おう」
俺は岩谷先生のあとに続いて、宿泊していたペンションに戻る。
すると、岩谷先生はすぐに自分の車に乗るように俺に言った。
「ど、どうしたんですか? なんか、雰囲気が――」
「いいか、神越。落ち着いて俺の話を聞いてくれ……」
大真面目な顔でそんなことを言う岩谷先生の様子が、あまりにも必死過ぎて俺は思わず吹き出しそうになるのを堪える。
でも、どうもそんな雰囲気ではないことが俺にも徐々に分かって来た。
岩谷先生だけじゃない。
大宮コーチも、女子部顧問の玉川先生も、みんな真っ青な顔をして俺のことを心配そうに見ているのに気付いたからだ。
「は、話ってなんですか?」
俺は、そんな不穏な空気を払拭したくて、少しおどけながら聞き返す。
すると、岩谷先生は苦悶の表情を浮かべて、絞り出すように言った。
「…………お前のご家族が、旅行先の軽井沢で事故に遭われたそうだ」
「…………は?」
聞き間違えか何かだと思った。
でも、先生達の表情がそれが事実だと物語っていた。
事故? マジか……。
なんだよ、この空気? もしかして、誰かが重傷とか?
そんな……まさか。
嫌な予感がした。
セミの声が、嫌に耳について離れなかった。
「か、家族は……無事なんですよね?」
俺は不安になりながら、すがるような思いで岩谷先生にそう質問した。
そんな俺の質問に、先生は顔を歪めた。
おい、待てって……なんだよその顔?
それじゃまるで、俺の家族が無事じゃないみたいじゃねぇか……。
やめてくれよ。
こんなときに、そういう冗談は笑えないんだよ。
なかなか口を開かない岩谷先生の言葉を待っている間に、俺はそんなことを考えて苛立ちを覚えた。
「ふぅ~……いいか、心を落ち着けて聞くんだぞ?」
そんな前置きをしてから、岩谷先生は声を震わせて言った。
「預かっていたお前の携帯に地元警察から連絡があった――
ご家族三人の遺体の確認のために、すぐに警察署まで来て欲しいそうだ」
「はぁ? ちょっと待ってよ先生。何言ってんだよ?」
……今、なんて言ったんだ?
いたい?
遺体って言ったのか?
ご家族三人の?
「おい! 答えろよ!! 今なんて言ったって聞いてんだよ!!」
俺は、目の前の人物が教師であることもすっかり忘れて、その胸倉をつかんで怒鳴りつける。
岩谷先生は、それを振り払うことはせず、俺の目を真っ直ぐ見つめて大きな声を出した。
「落ち着け、神越! 混乱するのも分かる。理不尽なことを告げられて、怒りに震える気持ちも……分かる。だから、よく聞いてくれ……遺体の確認をして欲しいと警察は言っているんだ。俺も詳しいことは分からないからそれ以上は何も言えない。もしかしたら違うかも知れないなんて無責任なことも言えない。お前が、そこに行って確認するしかないんだ……」
岩谷先生の言っていることは理解できた。
でも、認めるわけにはいかなかった。
「そうだ!! 先生、俺の携帯を返してください!!」
「……わかった」
俺がそう言うと、岩谷先生はすぐにポケットから俺の携帯を取り出して差し出してくれた。
受け取ってすぐに、俺は震える指である連絡先を探して通話ボタンを押した。
プルルルルルッ――
コール音が聞こえる。
長い長いコール音だった。
出なかったら……そんな不安に頭がいっぱいになりそうになったころ、電話が相手に繋がった。
「もしもし!! 姉さん?」
繋がったということは、姉さんは生きているということだ。
ほらな。
やっぱり。
何かの間違いだったんだよ。
俺の胸の不安が、スッと消えたそのとき、受話器越しに聞こえたのは姉さんの声じゃなかった。
「……もしもし、神越
「え? ……ちょっと待てよ、あんたは誰だ? それは俺の姉さんの携帯だろ? 何で姉さんの携帯をあんたが――」
「私は長野県警の赤石というものです……」
その瞬間。
俺の視界がぐにゃりと歪んだ気がした。
「あああ……ああああああああ…………」
「落ち着いて、仭君! 気を確かに持つんだ!!」
「神越!! おい! しっかりしろ!!」
まるで水の中にいるような奇妙な感覚だった。
俺に向かって呼び掛ける長野県警の赤石さんの声も、岩谷先生の声も、水の向こうから聞こえるような遠い音に聞こえる。
「あああああああああああああああ…………」
ずっと耳障りな叫び声が聞こえていて、うるさかった。
さっきまでうるさかったセミの声も、周囲の人たちの声も聞こえないくらいに。
目の奥が痛かった。
それと喉の奥が焼けるように痛かった。
鼻がツンとして、とめどなく涙があふれて来た。
それで気付いた。
叫んでいたのは、俺だった――。
「うそだぁああああああああああああああぁっ!!」
俺は、その場に膝から頽れて、文字通り説教していた。
自分の声がうるさすぎて、もう何も聞こえなかった。
その日、俺はかけがえのないものを失った。
手のひらからこぼれた大切なものが、
もう二度と手の届かないどこかへ消えてしまった。
続く――。
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