第29話 宴の後にホストをもてなすレストラン


 何度目かの繁忙期を乗り越えた頃、気が付けばもうお客様方がお帰りになる時間になっていた。

 「最後に一杯……」そう言ってカウンターに寄って下さる方も結構いて、バーコーナーは本日最後の賑わいを迎えていた。


 そんな忙しさの波が過ぎ、お客様の見送りを終えて片づけを始めようとか店長と話していた俺に、深山夫妻が揃って声をかけて来た。


「神越君、最後に私達にお酒を作って貰えないかな?」

「ええもちろんです。どうぞこちらへ」


 「また来る」と言ってくれたものの、お客様方の対応で全く来ることが出来なかったご夫妻のたっての希望を無下になど出来るわけもない。

 俺が二つ返事でそう答えると、夫妻は嬉しそうな顔をしてくれた。

 ただ、やはり、そんな二人の顔からは、不安げな雰囲気も感じる。

 何かを迷うような、そんな顔。

 俺がそんな二人を案内して歩きだしたとき、ふいに店長と目が合った。


「………………」


 店長も二人と同じように、不安そうな顔をしてこちらを見ていた。

 だが、店長は首をぶんぶん振ってから、何かを決意したような表情を浮かべて俺を見送るように少し苦しそうな顔で笑った。

 その顔が、記憶の中の姉の顔と重なって見えたとき、なんとなく、この三人の違和感の正体に気付いてしまう。

 もしかしたら……その程度の予感のような感覚。

 でも、きっと……これから俺は、と向き合う。

 そんな予感がしたのだった。





「では、そちらのお席にお座りください」

「ありがとう……」


 俺はバーカウンターの中に立ち、ご夫妻に席を案内する。

 すると、ご夫妻は笑顔を浮かべつつ、緊張の面持ちでその席に座った。


「いつも、娘が本当にお世話になって……ありがとう」


 そう言って笑う深山のお父様。


「あ、そうだわ。この前は、私が変にふざけてあなたの言葉を満月に伝えてしまってごめんなさいね」

「いえ、お気になさらないでください。満月さんと言い合いになるなんて、日常茶飯事なので……」

「……あの子が、誰かと言い合いをするなんて……あなたはあの子から、信頼されているのね」

「そうでしょうか? 彼女の中で最も信頼から遠いところにいるのが私だと思っていたんですが……」

「あの子が自分を偽らずに接することが出来るのは、もしかしたらあなただけかも知れないのよ? だとすれば、あなたがあの子に信頼されていないはずはないわ」

「なるほど……そうであったら嬉しいのですが……」


 俺と話しながら、そう言って笑う深山のお母様。

 それにしてもそうか。

 あの俺に対する態度が、俺を嫌ってのものでないのなら、そういう解釈になってもおかしくはないのか。

 気心の知れた相手……確かに、そういう相手に対しては配慮がなくなってキツイ応対になってしまうなんてこともある。

 深山のあれが、果たしてそれなのかどうかは判断が難しいが、もしかしたらそう言うことなのかも知れないな。

 なんて、他人事のように考える俺だった。


 ふと、深山のお母様の顔を見ると、深山が何かをやらかしたときの顔をしていた。

 恐らくは、思い付きで話をしてしまって、切り出そうと思っていた話を切り出しにくい空気にしてしまった……とか、そんなところだろう。

 だから俺、ご注文は頂いていなかったが、ひとつカクテルを用意することにした。

 そして、手際よく作ったそれを、俺はお二人の前に置いた。


「『カルーア・ミルク』です……まずはこちらをお飲みください」

「えっ? 我々はまだ注文はしていないんだが?」

「ご存じですか? 牛乳には人の心を落ち着かせる成分が含まれているそうです。ですので、悩みごとがあったりして眠れない夜は、ホットミルクを飲むといいなんて言われたりします」

「……何故、君はそんなメニューを我々に?」

「お二人が、ひどく悩んでいらっしゃるように見えましたので……」

「……ありがとう、頂くよ」


 ご夫妻は俺の差し出したカルーア・ミルクをゆっくりと飲んだ。

 そうやって、ほんの少しだけお二人の気持ちが落ち着いただろうことを確認してから、俺はもう一言付け加える。


「何か、お話があるようですね。……ご安心ください。私は大抵のことで驚きませんし、『そういうお話だ』と前置きをして下されば、心の準備も致します。ですから、お二人のお気持ちが決まりましたら、どうぞご遠慮なくお話しください」


 俺の言葉を聞いて、ご夫妻は驚きで目を見開いていた。

 そして、その向こうで俺を心配そうに見ていた店長も……。







 長い沈黙のあと、深山のお父様は深く息を吸ってから、ゆっくりと語り出した。


「娘から君の名前を聞いたときから、私たちはこうして君と話さなければと思っていたんだ」


 その決意の表情。そして、その物言い。

 それだけで、もう彼らが何を話そうとしているのかは理解できた。


「今から我々が君に話すことは、きっと君を不快な気持ちに……いや、ともすればそれ以上の感情にさせてしまうかも知れません。でも、私たちがまず最初にするべきだったことなんです。……いや、これすらも我々のエゴなのかも知れない。でも、君には、いや、貴方だからこそ、我々はこのことを話さなければならないんです……」


 途中途中でつかえながら、言いにくそうに語る深山のお父様。

 俺は、そんな彼に笑顔を浮かべて言葉をかける。


「気にするな、というのはこの場面では相応しくないでしょうから言いませんが、そう言っていただければ覚悟が出来ました。大丈夫です。話してください」


 俺の言葉の頷いて、唇を震わせる深山ご夫妻。

 深山のお父様は、俺の方を見て、探るような口調で言葉を口にした。


?」


 それで、俺はご夫妻が話そうとする話が、一体どんな話なのか全て察しがついてしまった。


「いいえ、残念ながら……


 俺の返答を聞いて、深山夫妻はぎゅっと唇をかみしめる。


「どうやら、貴方はもう我々が何を話そうとするのか分かったようですね……」

「そうですね……先程のご質問、お二人はことをご存じの上でされているように聞こえました……違いますか?」


 俺の質問に、お二人は観念したようにゆっくりと頷いた。


 これから夫妻が語るのは、なんてことはない話だ。

 ある家族を襲った不幸な悲劇の出来事についてだ。


 そこに、この夫妻がどのように関わっているのかを、もちろん俺は知らない。

 ただ、きっとそれは俺の知らない物語で、俺の知るべき物語なのだと思う。


「……去年の夏のことでした」


 深山のお父様は、決意の顔で話し始めた。





「我々家族は毎年、夏になると軽井沢にある別荘に旅行に行くことにしているんです。避暑と娘との交流が主な目的で、仕事を抜きにして毎年遊び倒していました」


 軽井沢。

 それは俺が一年前に商店街の福引で引き当てた家族旅行の旅行先と同じ場所だ。


「去年の夏も、当然のように我々家族はその軽井沢の別荘に旅行に行きました」

「いいところだと、姉から聞いています」

「ええ、満月もその別荘が好きでね……旅行中はいつもはしゃぎまわっていたものです」


 目を細めながら語る深山のお父様。

 きっと、深山がはしゃいでいたのは、その別荘が好きなのではなく、両親と一緒に過ごすその旅行が楽しかったのだろう。

 あいつは素直じゃないから、そういうことを言えない。

 だから、その別荘が好きなのだと言い訳したに違いない。


「あの日は、本当に暑かった……うちのこいつも娘も、揃いの日傘をさして出かけたほどでした」

「ああ、確か避暑地でも30度を超える真夏日続きでしたからね……」

「ええ、本当に……ですが、その日傘がいけなかった」

「……満月さんは結構あれでうっかり者ですからね……その日傘が風に飛ばされでもしたんじゃないですか?」

「……本当に貴方は、娘のことをよく分かっているようだ。貴方の想像通りです。あの日あの子は、さしていた日傘を風に飛ばされてしまったんです……」


 そして、その先の想像は容易についてしまった。

 そうか。

 そう言うことだったのか……


「あの子はそのお気に入りの日傘を追いかけました。一つのことに集中すると、周りが見えなくなってしまうところが、あの子の短所の一つです……」


 深山のお父様の言葉で、その光景が容易に想像できてしまう。

 きっとご両親から「風に飛ばされないように」と注意されていたのだろう。

 だが、きっとその三秒後、深山は突然の突風にその傘を取られて、飛ばされてしまったに違いない。

 そんな光景が、俺の目にも見えた気がした。


「そして、あの子は……」


 もう分かっていた。

 納得もしてしまっていた。

 全てを理解した上で、どうして俺の心はこんなにも落ち着いているのか。

それは俺自身も不思議で仕方がなかった……。


「車道に飛び出してしまったんです」


 そして、俺のよく知る悲劇につながったのだ。

 飛び出した少女に気付いた車が急ブレーキを踏んで、意図せず周囲に緊急事態を知らせた。

 突然の事故。

 誰もが固まって動けなくなるその瞬間に、その身体を勇気で押し動かした一人の勇敢な救急隊員がそこにいた。

 飛び出した少女を追うように車道に躍り出て、少女を抱えてブレーキで止まれなかった車から飛び退こうとしたのだろう。

 だが、咄嗟にそれでは間に合わないと気付いたその救急隊員は、少女だけを安全地帯に放り投げる選択をした。

 その結果、その救急隊員はその車に撥ねられて、運悪く打ちどころが悪かったために命を落としたのだ。

 そして、そこに不幸が重なった。

 その事故で急停車した後続車が、飲酒運転で判断を誤った。

 その前の段階で法廷制限速度を大きく超過していたのも問題だったが、酒で判断の鈍ったその運転手は前方の事故に気付くことが出来ていなかった。

 気付いたときには、停車していた事故車両に追突していた。

 そして、その勢いのまま車を空中を舞い、救急隊員の家族の上に落下した。

 救急隊員の死を間近で見て、放心状態だったその家族もまた、逃げることもままならずその降ってくる車に押しつぶされ、打ちどころが悪く即死してしまったのだ。

 不幸に不幸が重なった、悲劇の昼下がり……。

 その事故で命を落としたのは、救急隊員とその家族、そして、後続車両の運転手の四人だったという。

 その救急隊員が俺の父で、その家族が俺の母と姉だったのだ。


「気付いたときには、もうすべてが終わっていました」

「……交通事故は、時速数十キロの出来事です。本当に一瞬ですからね……」

「本当に、気付いたときには全て終わっていて……私は、ただ茫然と立ち尽くす事しか出来ませんでした……」

「誰だってそうですよ。父は職業柄、それが見過ごせなかった。そして、そんな状況で体を動かすことが出来る人間だった。それだけです」


 冷静に考えれば、おかしな光景だった。

 涙ながらに過去を語る深山夫妻。

 その話を、冷静に聞いている俺。


「そのとき、娘も軽く頭を打ってしまったらしく、事故のショックもあって意識を失ってしまっていました……誰かが呼んでくれた二台の救急車でやって来た救急隊員は、現場を走り回って、うちの娘と、事故車両の運転手を救急車に乗せて搬送すると言いました……明らかに娘を助けてくれた人と、その家族の方が重傷だったのに……」


 俺の聞いた話では、俺の家族は全員即死だったという。

 恐らく、その現場で必死の蘇生も施されたのだろう。

 だが、それだけの人数が怪我を負っていた状況で、救急車は二台。

 トリアージが行われて当然だった。


「私は、妻と娘の搬送に付き添い病院へと行かなくてはいけなかった……だから、救急隊員の方に、助けてくれた方をお願いしますと頼んでその場を離れました……」


 それは当然の判断だ。

 夫妻は、大事な一人娘が怪我を負っていたのだ。

 その心配をするのが当たり前だった。

 そこに、何も間違った判断はなかった。


「そのあとしばらくは、娘の検査やら何やらで病院に缶詰め状態で……娘の無事が確認されて、娘が目を覚ました頃、やっとその事故についての情報を耳にする余裕が出来ました……そして、その情報を知って愕然としました」


 深山は、事故のショックが大きかったらしく、数週間眠り続けたのだそうだ。

 その頃には、事故に関する報道もなされていたらしい。

 深山夫妻は、テレビで自分の娘が引き起こした事故の顛末を知ったのだそうだ。


「あの事故で、私の娘を助けて下さった方と、その家族が命を落としたと……私たちはそのときになって初めて知ったんです……」


 それは、ご夫妻が抱え続けた罪の告白だった。

 自分の娘のせいで起きた事故。

 その事故で、命を落としたのが、娘を救ってくれた人間の家族だった。

 そして、その事実を知ったのは、本当にもう全てが終わった後だったのだ。

 亡くなった一家の葬式も、とっくの昔に終わっていた。


 

「本当に、どうやって償えばいいのか分かりません。ですが、貴方の家族を奪ったのは、私達だったんです。事故のあと、すぐにご家族のお墓に手を合わせに行きました。ですが、愚かなことに、私たちは貴方の存在を知らなかった……あの方に遺族がいると知ったのは、それからもっと後でした……」


 その事故で亡くなった一家にたった一人遺族がいたことは、プライバシー保護の観点から、報道では伏せられていたのだ。

 夫妻はてっきり、一家全員が命を落としたとばかり思っていたらしい。

 そう、深山夫妻は、俺の存在をその事故の事実を知った当時全く知らなかったのだそうだ。


「私たちはすぐに、遺族の方への援助を申し出ました。ですが、それは弁護士を通じて断られてしまった……」


 あの頃の記憶は、俺もあまり定かではない。

 だけど、おぼろげながらそんな連絡が来ていたことを覚えている。

 あの頃はもう、全てがどうでもよくて、そんな援助の話なんて必要ないと突っぱねたのだと思う。


「『そんなお金を頂いても、死んだ家族が戻るわけではありませんから』……弁護士を通じて、そうお返事を頂いたとき、私達にはもう何も出来なくなってしまいました……」


 今思えば、それを受けていれば良かったのかも知れないと思った。

 俺がその援助を拒絶したために、深山夫妻はこうして今日まで、この罪を抱え続けて来なければならなかったのだろう。


 気を逸してしまった謝罪は、本当に難しい。

 相手から拒絶されれば、もう謝る側に出来ることは何もないし。

 無理に押し付ければ、それが相手を傷付けることになるかも知れない。

 しばらくして、相手の気持ちが整理されてしまっていれば、蒸し返すことになる。

 相手の気持ちが整理できていなければ、それは追い打ちになってしまうかも知れない。

 葬儀のタイミングも、そうして援助を申し出たタイミングも逃してしまった深山夫妻は、結果的に、その罪を抱えてずっと苦しんで来たのだろう。



 あの事故で、俺は本当に悲しんだ。それは事実だ。

 まぁ、家族を失って悲しまないやつがいるのなら見てみたいが……。

 でも、色々あって、俺はそんな過去を乗り越えた。


 きっかけは確かに、深山かも知れない。

 でも、飛び出した深山を救おうとしたのは、俺の父だ。

 父は自分の決意で、深山を救おうとして、その結果命を落とした。

 父は、人に誇れることをしたのだ。

 命がけで、一人の少女の命を助けた。それは、誇るべき行為だと思う。

 それが、本当の意味で命がけになってしまったのは、確かに悲しいけれど。


 そして、母と姉は、運が悪かった。

 そうとしか言いようがない。

 恨むべき相手がいるとすれば、後続車の飲酒運転野郎だが、そいつももう死んでしまった。

 少々納得がいかないが、痛み分けと言うことだ。


 でも、それで誰かを恨み続けることを、俺の家族が俺に望むわけがない。

 俺はそれを、ある『奇跡』に教えられた。

 だから、俺はもう誰も恨んじゃいないのだ。


 あの夏の出来事は、以前深山にも言ったが、俺にとってはもう過去の出来事になっていた。

 悲しかったし、苦しかった。

 けど、それを何とか乗り越えたのだ。


 しかし、深山夫妻にとっては、あの夏の出来事は未だに終わっていなかった。

 今なお続く、の苦しみだったのだ。

 それは、彼らの援助を無下にした、俺にも責任があると思った。


 だから……、


「お客様、このカウンターが、こんなにぶ厚い一枚板なのは、何故だと思いますか?」


 俺は、そんな突拍子もないことを、夫妻の前で突然語り出すのだった。




 続く――。

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