第15話 人さえも買えてしまうレストラン


 カランカランッ――

 その音に吸い寄せられるように、俺は店の入口へとやって来た。

 すると、目の前に立つお客様に驚いて少々フリーズしてしまう。

 これでは駄目だと気持ちを立て直し、顔に営業スマイルを張り付けた。


「いらっしゃいませ、お連れ様はいらっしゃいますか?」

「…………見て分かるでしょ? 一人ですけど?」


 この上なく胡散臭いものでも見るような目で俺を見つめるお客様。


「いや、折角の休みにここに来てたら、休みにならなくないか?」

「うっさいわね、私はここの料理が好きなの!! 悪い?」

「いえいえ、そのようなことはございません。当店の料理を気に入っていただき、誠にありがとうございます」

「…………キモい」


 俺の接客態度を見て、お客様、……いや、本人にもそのつもりはなさそうなので、お客様ではなく、深山と表するべきか。

 その深山が口からこぼしたのは、そんな失礼な感想だった。


 俺が店の入り口に来てフリーズした理由、それはシフトに入っていないはずの深山が、何故が店に客としてやって来たからだった。


「べ、別にあんたの様子が気になって、見に来たとかそういんじゃないからね? 変な勘違いとしないでよね! もし妙なこと言ったら殺すから」


 深山はツンデレのステレオタイプみたいなことを言ってそっぽを向く。

 ここでツッコミを入れようものなら、宣言通りに殺されてしまうかも知れない。

 何事も命あっての物種なので、俺はこぼれそうになるツッコミを飲み込んで、営業スマイルを浮かべた。


「心得ております。ですから、そのような物騒な物言いはおやめ下さいませお客様」

「…………キショい」

「では、お席にご案内をいたします。私の後について来てください」


 深山は、俺の接客態度に終始「キモい」とか「キショい」とかを繰り返す。

 まぁ、俺はこういうとき、『理想の給仕係』を徹底的に装うので、普段を知る彼女としてはそういう感想を抱くのも分かるのだが……。

 やはり、気持ち悪がられていい気はしない。

 だが、これも仕事と割り切って、俺はそのまま接客を続けるのだった。


「では、ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンで何なりとお呼び付けください」

「分かったから、もうあっち行きなさいよ……キモいから」

「どうぞごゆっくりお寛ぎください」


 俺が恭しく礼をしてテーブルを去ろうとする姿を、深山は怪訝な表情で見つめていた。

 深山のテーブルからバックルームに向かって歩いていると、途中のテーブルのお客様のお子さんが、間違ってフォークを落としてしまう。

 俺は慌てて拾おうとするお客様を手で制して、


「こちらで片づけますのでお気になさらないでください。テーブルにまだフォークのストックはございますか?」


 と言って確認すると、お客様はすこし驚いた表情を浮かべて、「まだ一つあります」と教えてくれた。


「では、あとでこちらにフォークを、ナイフやスプーンと一緒に一応お持ちしますね。もしもお子様がまた落としてしまわれたときは、そのボタンでお知らせください」


 一礼してその場を去る俺を、八重咲さんが捕まえる。


「少年ってさ、どっかお高いレストランで働いてた経験とかあるの?」

「いえ? 何故そう思ったんですか?」

「いや、対応とか、口調とか? ……なんか執事っぽいって言うかさ、ファミレスのノリじゃないんだよね」

「ああ、なるほど……」


 さっき深山が気持ち悪がったのもそう言った理由があったのかも知れない。

 確かに、俺が頭に思い描いていた給仕係のイメージは、高級ホテルのレストランのスタッフだった。

 前にドラマで見た、ホテルマンの印象で接客をしていたから、店のスタンダードとのギャップに『気持ち悪さ』を覚えたのかも?


「けど、さっそくその接客にファンが付きつつあるのがすごいよね……少年って、マダムキラーなのかも?」

「??? どういうことですか?」

「少年がここ数日で接客したお客様の中でも特に、主婦層のお客様のリピート率が高いんだって……まぁ、店長が言ってたんだけどね。君のその丁寧な接客が、その層のお客様に刺さってるっぽいのよ」

「ああ、だから店長は、店の雰囲気と合わない俺の接客スタイルにこれまで注意しなかったんですね……」

「いや、あの人基本的には、個人の裁量に任せるってスタイルだから注意しないだけでしょ? だって、君への満月の接客がOKだったんだし……」

「ああ、確かに……」


 八重咲さんの一言は、俺を納得させるに十分な言葉だった。


 ここで働くようになって感じたことだが、この八重咲さんも俺が逆らえないタイプの人間のような気がする。

 この数日で逆らえないと確信させられたのは、店長と深山だ。

 店長はあんなにいい加減なくせに、ものすごく仕事ができる。

 適材適所を振り分けるのが恐ろしく上手いのだ。

 彼女の采配があまりに完璧なため、結果的に店が稼働を始めると彼女の仕事がなくなってしまう。

 手を抜いて遊んでいるのではなく、彼女がキチンと仕事をした結果として、彼女が暇になっているのだった。

 いや、共に働いて、初めて分かった。

 あの人の下で働くことが、こんなにも安心できるものだとは……。

 ここで働いて、一番の驚きだった。


 まぁ、深山に逆らえないのは、言わずもがなだろう。


 ピンポーンッ――

 フロアに響く軽快な音。

 点灯している数字を見ると、21番だった。

 ……と言うことは、深山のテーブルだ。

 恐らくは、注文が決まったのだろう。

 いつものメニューなのだろうが、一応オーダーを取りに行くか。


 そんなことを考えながらフロアに出ようとしたら、俺を店長が手で制して止めた。


「あ、飛鳥。21番テーブルにオーダー」

「…………」


 店長に指示されて、藍澤さんがコクンと頷いてフロアへと出ていった。


「店長、あのテーブルは俺が――」

「時計」


 店長に言われて時計を確認すると、ちょうど俺の休憩に入る時間だった。


「休憩時間は守ろう。周りが休みにくくなるからね」

「分かりました。それでは、休憩を頂きます」

「はい、どうぞ召し上がれ」


 くだらないやり取りをして、俺は休憩と取るために休憩室へと向かうのだった。




 祇園寺さんお手製の賄いメニューは、店で出してもいいレベルの美味しさだった。

 毎回違うメニューなのも嬉しい。

 今日は特に、ハンバーグにかかっていたソースが絶品だった。

 それを伝えながら皿を戻すと、祇園寺さんは親指を立てて返事をしてくれた。

 なんと言うか、男の俺から見ても、あの人は群を抜いてかっこいいと思う。

 八重咲さんは素敵な恋人を射止めたものだ。


 腹も満たして、体力も回復した俺は、休憩を開けてバックルームに戻る。

 すると、事件が起きていた――。


「あっはっはっはっはっ!!」

「にゃっはっはっはっ!!」


 店長と八重咲さんが、腹を抱えて大爆笑をしている。


「ええと……どうかしたんですか?」

「にゃはは……いやぁ、面白んだよ、少年」


 俺の背中をバンバンと叩きながら、八重咲さんが爆笑の理由を説明してくれた。


 以下はその再現である。




 俺に代わって、深山のテーブルにオーダーを取りに行った藍澤さんに、深山は首を傾げた。


「……あれ? あいつは?」

「………………休憩」

「ああ、なるほどね」

「………………残念?」

「そ、そんなわけないでしょ!! ……で飛鳥、悪いんだけど店長呼んでくれる?」


 そう言って深山はテーブルに置かれたメニューに挟まっていた一枚の補助メニューを指さした。


「………………っ!?」


 それを見て、藍澤さんも少し驚いた後、深山の顔を見てコクリと頷き店長を呼びに行ったのだった。



「はいはい、どうした満月?」

「こ、こここここ……」


 例の補助メニューを指さして、言葉をつまらせる深山。


「ここはトワイライトガーデン由芽崎店だが? 君も知っているだろう?」

「じゃなくて、これはなんですか!?」


 店長がふざけてリアクションをすると、深山は補助メニューに手のひらを叩き付けながら少し怒鳴るように言った。


「なにって……この店の新しい企画だよ。なんか面白い企画出来ないかなぁ? なんて考えていたら、少年が主婦層の客に大人気だって分かってな。これは一つ、少年の周知のためにもいいんじゃないかなぁと思ってな」


 深山がバンバンと叩いていた補助メニューには、俺の写真と共にこう書いてあった。


『お楽しみ企画! 店に入りたての新人給仕があなたの望むままに、全力でおもてなしします!』


 なんともいかがわしい雰囲気を感じさせるピンク色の背景が余計に怪しさを演出していた。


「店長はあいつに何させるつもりですか!?」

「何って、メイド喫茶とか、執事喫茶とかあるだろう? あんな感じのノリで、希望するお客さんに――」

「あ、『あなたの望むまま』って……しかも、全力で? ど、どんだけ!?」


 真っ赤な顔で、目をぐるぐる回している深山。

 どうやら、いけない方向に想像力を爆発させているらしかった。


「いや、満月。きみの想像するようなことをさせるつもりは……」

「み、みみみみみ認めません!! そんなのダメです!! 絶対に!!」

「いや、それは君が決めることではないだろうが――」

「なら、私が買います!」

「……はい?」

「要はこれもメニューなんですよね? なら私があいつを買います。いくらですか? こんなバカげた企画からあいつを守るためなら、私はいくらでも払いますよ!!」


 深山の勘違いを訂正しようとしていた店長の顔に、いけない感じの笑顔が張り付いた。

 『これは面白いことになったぞ』と、その顔に書いてある。


「いやいや、雇ったばかりの新人をそうやすやすと売るわけにはなぁ……」

「……一億でどうですか?」

「……一億って、満月。君は正気か? いや、間違いなく正気じゃないんだろうが……」

「大丈夫です。なんとかなります。いえ、します!! お父様に土下座すればそれくらい……」

「そんなプロ野球選手の年俸じゃあるまし……」

「足りませんか? なら――」

「いや、そこまで払われたら、この店ごと売らないとつり合わん……けど、そうか……君にとって少年は、そんな額を出しても厭わないほどの価値がねぇ……」

「とにかく買います!! だから、あいつを出してください!!」




「って、感じのやり取りがあってねぇ~……いやぁ、満月ちゃんも少年のためならあそこまで暴走するんだねぇ……」


 実に楽しそうな八重咲さんに背中を叩かれながら、俺は店長を睨んだ。


「店長、俺そんな話一切聞いてないんですけど?」

「そりゃね、言ってないからな」

「おい……ん? ってか、一億って……あいつそんなに金持ちなんですか!?」

「……ん? え? マジか……少年、君は……いや、もうここまで来たらそのままの方が面白いか」


 俺が深山の提示した金額に驚愕していると、店長は何やらブツブツ言って怪しい笑みを浮かべる。


「まぁ、そう言う訳だから。君は、満月にお買い上げいただいたんだ。今日はもう着替えて帰りの支度をしてくれ。……ああ、大丈夫だ。終業の打刻は定時でいつも通り切っておくから」

「いやいやいや、一億積まれたからって、人を売っちゃダメでしょ! 多分法律とか色々問題ですよ!!」

「大丈夫だって、その辺は上手くやっておくからさ」

「まさか、本気で一億を受け取った訳じゃないですよね?」

「そんなの受け取ってたら、私はこの店を辞めてるよ」

「いやいや、辞めるなよ!!」


 どうやら、店長は本気でこんな馬鹿な話をしているらしく、俺はそのまま控室へと連れて行かれてしまうのだった。



「あれだよ。売り言葉に買い言葉っていうか、満月も引くに引けなくなったのさ。私としても、これがどういう展開になるのか楽しみなんでね。彼女の意地と私の興味が合致した結果だ。君はまぁ、仕事の一環とでも思って観念してくれ」


 俺は店の制服から学校の制服に着替えつつ、控室の扉越しに店長の言葉を聞いていた。


「はぁ~……無茶苦茶なのはいつものことですけど、まさか身売りされるとは思いませんでしたよ。深山が意地を通したってことは、いくらか受け取ったんですよね?」

「ああ、今度返すつもりだが、結局彼女の財布の中に入っていた全額、五万四千円で君はお買い上げされたよ」

「……あいつの財布、予想以上に金が入ってるんだな……」

「……まぁ、あの子のことを知るいい機会だ。勉強するつもりで行ってくるといい」

「勉強って…………、わかりましたよ。せいぜい俺も楽しみますよ」


 学校の制服に着替え終えた俺は謎の覚悟を決めて、荷物を肩に担いで控室の扉を開けた。


「せいぜい驚いて来るんだな」

「……? 何に驚くって言うんですか?」

「それも含めて、『お楽しみ』だよ」


 最後に、店長は妙に意味深なことを言って、俺の背中を叩いて送り出した。





「い、行くわよ!!」

「あのさ……」

「あによ?」

「お前、引くに引けなくなっただけなんだろう? なかったことにしてもいいんだぞ?」

「そ、そんなことないわよ! 女に二言はないって言うでしょ?」

「……それを言うなら『男に二言はない』だけどな……」

「男女平等の社会で、男にだけそんなこと押し付けられないじゃない!!」

「もう、わけが分からんぞ?」


 なんだかとんでもない方向に、話がアクセル全開で進んでいる気がするのだが……。

 果たしてこれは、どうなってしまうのだろうか?

 全く先行きの見えない展開に、俺は天を仰いでから先を歩く深山の背中を追うのだった。



 続く――。

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