第16話 もはや関係なくなりつつあるレストラン


「んなぁっ!?」

「なに門の前で変な声出してるのよ? ほら、こっちよ」


 俺は、目の前の光景に開いた口が塞がらなかった。

 見上げるような高い門。

 門から続く真っ直ぐな石畳の通路の左右には、手入れの行き届いた綺麗な庭園が広がっている。

 そして、通路の途中には大きな噴水があり、その奥には『城』という表現が一番ぴっらり来そうな、大きなお屋敷が立っているのが見える。

 こんなお屋敷フィクションの中にしかないと思っていたが、それが突然目の前に現れたのだから、言葉を失う俺の気持ちも分かって欲しい。


「え? いやいやいや……マジか?」

「あによ?」

「……ここがお前の家なのか?」

「……うん、そうだけど?」


 あっさりと肯定されて、俺は再び言葉を失う。

 いや、待て。まずは落ち着くべきだろう。

 俺は深く息を吸って、その息をゆっくりと吐く。

 それを数回繰り返した。


 そう言えば、店でのやり取りでこいつは売り言葉に買い言葉で「一億出す」とか言ってたんだったな。

 冗談だとばかり思っていたが、この家がこいつの自宅だとすると、あれも冗談じゃなかったのかも知れない。


「……お前、確か店で『一億出す』とか言ってたって聞いたけど、そんな金、ポンと出せるもんなのか?」

「あ、あはは……誰から聞いたのよ、その話? そんな簡単にポンと出せる訳ないじゃない?」

「だよな? そうだよな?」


 そんな金額をポンと出せるなんて言われたら、流石に俺もドン引きだ。

 かの恋愛頭脳戦を繰り広げる大財閥のお嬢様でも、一億なんてポンとだすなんてしないだろう。

 まぁ、十年前くらいにやっていたアニメに出て来た、旋風のごとく音速で駆け抜ける貧乏執事を雇っていたお嬢様ならポンと払うのだろうが……。

 どっちもフィクションだ。引き合いに出すのもおかしな話だよな。


「流石に一億ともなると、私の預金を崩すだけじゃ少し足りないし、お父様に頭を下げる必要があるもの……あのときは、ちょっと頭に血が上っちゃったのよ」

「……て、え? そういう手順を踏まえれば、一億出せちゃうのか?」

「え? ……うん、まぁ……出せないことはないわよ?」


 深山は、俺の顔を覗き込んで『何言ってるのよ、出せると思ったからあんな話したんでしょうか』的な表情で俺を見つめていた。

 なるほど、そうか……出せちゃうのか……。

 なんと言うか、その発言でこの目の前にそびえる屋敷がやはり深山の自宅なのだということを実感させられた。

 しかし、そうか……深山の家がこんな大金持ちだったとは……。

 俺は、『深山』という名前に今更ながらピンときた。


「もしかして、お前のお父さんって、『MIYAMAグループ』の……?」

「ええ、一応会長やってるわ。まぁ、実際はまだお爺さまが健在で、色々口出ししてくるらしいから、実質的には会長補佐みたいな立場だってぼやいていたけど」

「……マジか……いや、マジか……」


 MIYAMAグループと言えば、日本でも三本の指に入る巨大企業グループだ。

 造船業に、自動車産業、情報通信事業に化粧品メーカー、そう言えば確か、トワライトガーデンの経営母体もMIYAMAグループの傘下だったんじゃなかったか?

 『ゆりかごから墓場まで』を地で行く大企業グループ、それがMIYAMAグループだ。

 もしも、時代が違えば『深山財閥』なんて呼ばれていただろう。


 深山がそんなMIYAMAのご令嬢だったとは……。

 そう考えると、ちょっと前に深山のクラスメイトのギャルたちが、彼女にたかっていたのも頷けた。

 どこにでも、金持ちに集まる寄生虫のような連中はいるということだろう。

 彼女が若干世間知らずだったりするのは、MIYAMAの箱入り娘だったからなんだな。

 なんだか、色々なことに一気に納得させられてしまった。


 しかし、本当に俺は深山のことを何も知らなかったのだな。


「あによ、その顔? なんか文句でもあるわけ?」

「いいや、お前の家が物凄い豪邸で、ちょっとびっくりしただけだよ」

「そ、そう? これくらい普通じゃない?」

「……まぁ、お前にとっては、これが普通なんだろうな……」


 この別世界のような景色が、彼女の日常なのだ。

 俺には一生縁のないような豪邸に住み、何不自由なく生活してきた彼女にとっては、これが普通の現実なのだ。


 ふと、自分自分なんかが彼女と共にいることが、間違いなのではないかという気持ちになった。

 住む世界があまりにも違い過ぎる。そう感じてしまった。


「俺にはとても、こんなお屋敷が普通には思えないよ……お前って物凄いお嬢様だったんだな……お前と俺とじゃ、住む世界がまるで違ったんだな。なんかこれまで俺、お前に散々失礼なことしてきちまった気がするよ。なんか色々悪かったな……」


 突然知ったあまりにも衝撃的すぎる現実に、俺は気後れしてしまったんだと思う。

 だから、そんなことを考えなしに口にしてしまったのだ。

 その言葉が、彼女をどんな気持ちにするかも考えずに……。


「あによそれ…………そっか、結局あんたも他の連中と一緒なのね……」

「……深山?」

「ごめん、もういい。帰って……てか、帰れ」

「おい、深山……どうしたんだよ、突然?」

「帰れって言ってるでしょ!! あんたは違うと思ってたのに……知らなかったってだけだったなんて、バカみたい……」


 俺に背を向けて、深山は突き放すような声でそう言った。

 背を向ける直前見えた深山の瞳に、涙が光っているのを俺は見逃さなかった。


「どいつもこいつもみんなそう……私がMIYAMAのご令嬢だって分かった途端に、その態度を変えちゃうのよ……突然すり寄ってくるようになる奴らが半分、そしてもう半分は、今のあんたみたいに突然私に気を遣うようになって他人行儀になるの……今までずっと、そうだった……あんただけは、違うと思ってたのに……」


 深山が語る言葉は、もう半分以上俺の耳には届いていなかった。


 彼女の涙を見て、俺は自分の愚かさを痛感していたからだ。

 俺は馬鹿だ。大馬鹿だ。

 何が済む世界が違うだ。

 何が散々失礼なことをしてきちまっただ。

 深山は何も変わってないのに、あいつが大金持ちのお嬢様だって知って、俺のあいつの見る目が変わっただけじゃないか。

 失礼なのは、俺のさっきの態度の方だ。

 そういう特別扱いみたいな気の使われ方、俺自身が一番嫌っていたのに……。

 あいつは、俺の特殊な境遇を知っても、特別扱いせずに変わらぬ態度で接してくれたのに……。

 俺の方が、彼女のことを少し知って、勝手に気後れして、彼女のことを自分が一番嫌いな特別扱いをして……。

 勝手に住む世界が違うなんて思い込んで、あいつに無粋なことを言って傷付けてしまったんだ。

 どこの世界に、自分を傷付ける相手と一緒にいたいと思うやつがいるんだ。

 そんな奴いるわけがない。

 だから深山は、俺に帰れって言ったんだ。

 彼女を無神経に傷つけてしまった俺には、彼女の隣にいる資格はない。

 そのとき、確かに俺はそう思った。

 

 でも……。


 確認しよう。

 これは、誰にって俺自身に言っているんだ。


 俺はこいつが大金持ちだと知って、それでこいつに対する態度を何か変えるのか?


 答えはNoだ。

 だって、金持ちかそうじゃないかなんて、深山満月という少女の一面でしかない。

 そもそも、俺は今の今までそのことを知らなかったのだ。

 俺にとって、深山は深山でしかない。

 金持ちだろうがそうじゃなかろうが、正直俺には何も関係がないじゃないか。


 だとしたら、俺のやるべきことは一つだった。


「すまん……いや、ごめんな深山。俺は今、本当に軽率なことを言った」


 俺は、俺に背を向けて泣いている女の子に、全力で頭を下げた。


「住む世界が違うなんて、勝手にお前を別世界の人間にして、勝手に気後れしてこれまでの無礼を詫びて……お前をこの上なく不快な気持ちにしちまった……」


 もう既に、決定的に嫌われてしまったかも知れないが、それでも俺は彼女に心からの謝罪を続けた。

 彼女のためというよりは、自分のためだ。

 でも、俺を特別扱いせずにいてくれた彼女に、俺はどうしてもこの罪を謝りたかったのだ。


「本当にどうかしてた。お前は何も変わっちゃいないのに、俺が勝手に俺の中のお前を変えて、お前を最低な特別扱いして傷付けたこと……本当に申し訳ないと思う」


 そこまで言って、俺は下げた頭を上げて深山の背中を見つめた。

 そして、その背中に懇願する。


「だから、名誉挽回の機会を俺にくれ。お前を傷付けてしまった分、お前の傷を癒すを俺にくれないか?」


 そう言って、その言葉が違ったように思えた俺は、言葉を言い直した。


「いや、僕にその機会を頂けませんでしょうか、お嬢様!!」

「は、はぁっ?! あんた突然何言ってんの!? その『お嬢様』っていうのは何? キモいんですけど!!」


 少し鼻声だけど、深山は俺の素っ頓狂な申し出に、いつもの調子で答えてくれた。


「俺は今日、お前に買われたんだろ? だったら俺は今、お前の所有物だ。いや、俺は物ではないから、隷属者ってわけだ。なら、分かりやすくお前に使える使用人として、お前に全身全霊でお仕えしようと思ってな」

「は、はぁ? バカなの? 帰れって言ったのに……ほんとバカ」

「というわけで、さっきはあんなことを言ったけど、今この瞬間から、僕はお嬢様お嬢様の下僕で、お嬢様は僕のご主人様です」

「……あにそれ、ちょっといいかも……って、本当にあんたは何言ってるのよ? 頭大丈夫?」


 俺自身、無茶苦茶なことを言っている自覚はある。

 でも、とにかく、何が何でも深山には笑顔になって欲しかったのだ。


「お嬢様! お願いします、僕をあなたの下僕として、今日一日お仕えさせて下さい!!」


 やっとこっちを振り向いてくれた深山に、俺は再び深々と頭を下げて懇願する。


「お願いします! 必ずお役に立って見せます!! お嬢様に決して損はさせません!!」

「はぁ……分かったわよ。あんたが他の連中と同じように、私のことを知って態度を変えたときは、本気でショックだったけど……よく考えれば私も、金持ち風をビュービュー吹かせて、あんたをお金で買いたたいて物扱いしてもんね……お互い様だったのよね……」


 そう言って、深山はクスクスと笑い出した。


「あんたって本当に馬鹿よね? お詫びにお仕えさせて下さいって、結局私のこと思いっきり特別扱いしてるじゃないの? ……いいわ。そこまで言うなら、私も全力でお嬢様してやろうじゃない。男に二言はないのよ。その言葉、もう撤回させないからね?」

「望むところです。僕は全身全霊をかけて、お嬢様にご奉仕いたします」

「ただ、勘違いしないでよね? 私は別に、あんたにご奉仕されたいとか思ってないんだからね!!」

「そうです!! それでこそ満月お嬢様です!!」


 完全なる主従関係の形ではあるが、俺と深山はいつものような馬鹿なやり取りをして笑い合った。


 そうだ。

 俺と深山の関係は、きっといつまでも、どこまで言っても、こんなふざけた間柄なのだろう。


 それこそ、こんな関係が分かることがあるとすれば……


「いやいや、ないないない……」


 一瞬、頭の片隅でウエディングベルが聞こえた気がして、俺は思わず頭を振った。

 そんなことを考えるのは、まだずっと先でいい。


「それじゃあ、あんたがどれだけできるか、私が見定めてやろうじゃないの!」

「お任せください! お嬢様に僕が最高の下僕であると、必ず認めさせてみせますよ!!」


 深山の言葉に、全力の熱量で答えると、深山は真っ赤な顔をして俺に訂正を求めて来た。


「……その下僕って言うのはやめてくれない? そうね……執事。あんたは私の最高の執事として認められるために頑張る……これで行きましょう」

「分かりました、満月お嬢様! 僕は必ず、お嬢様に最高の執事と認めて頂けるように、全身全霊を持ってあなたにご奉仕させていただきます!!」


 俺としては下僕も執事も大差ないと思うのだが、お嬢様がそう言うのだから俺はそれをそのまま受け入れるだけだ。


「……『下僕』って言葉を『執事』に変えても、『ご奉仕します』って言う言葉の破壊力がヤバすぎない、これ? 今ちょっと、鼻から逆流してきた液体が血の味がしたんだけど……乙女として、こんなバカみたいな理由で鼻血なんて、絶対に流すわけにはいかないわ……気を確かに持つのよ、満月……あいつは馬鹿、あいつはいつもの馬鹿……」


 なんだか、お嬢様が遠くを見つめながらブツブツとつぶやいていた。

 っていうか、俺達はこんなお屋敷の門の前で、何をバカなことをやっているのだろうか?


 視界の端に監視カメラらしき機械を見つけて、俺は少し恥ずかしくなった。


 もうこれは、悪ふざけ以外のなにものでもないのは、俺自身十分に理解している。

 でも、せっかくこんなお屋敷で、本物のお嬢様相手に執事の真似事が出来るのだ。

 こんなチャンス、俺の人生の中で絶対にもう二度とないことは間違いない。

 だったら、全力で楽しむしかない。

 もちろん、俺は執事として、深山を全力で楽しませる。

 そして、こいつから『これからずっと、あんたに執事を頼みたい』という言葉を引き出せれば、俺の勝ちだ。

 こうなったら俺は、何が何でもこいつにそう言わせて見せる。


 俺はそう、固く誓うのだった。


 それが、どんなことを意味するかも深く考えずに……。



 続く――。

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