第12話 どんな事情の客も受け入れてくれるレストラン
放課後の廊下に、俺と深山の言い合う声が響くのも、最早この階の名物になりつつあった。
「あによ! 文句あるの!?」
「いや、別に文句なんてないんだが……」
「その『余裕しゃくしゃく』みたいな態度がさらにムカつくのよ!!」
「んなこと言われてもなぁ……」
どうやら、深山は学校でも猫を被るのをやめたらしく、俺の姿を見つけては所かまわず突っかかってくるようになったのだ。
俺としては別に気にしないのだが、こうして騒いでいると必然的に周囲の視線を集めてしまうので、深山に迷惑が掛からないかが心配だ。
「もう本当に、死ねばいいと思う!!」
「あはは、流石に死ぬのはちょっとな……」
深山の乱暴な口調や、キツイ態度に慣れている俺はいいのだが、深山のそんな姿を見慣れない周囲の連中も、最初こそ深山の変貌ぶりに驚いて止めようとしてくれていたが、そういう態度を取る相手が俺だけだと分かると、徐々にその視線は生暖かいものに変わっていった。
最早このやり取りを止めようとする人間は、俺の周囲にはいなくなっていた。
「まったく、あんたの親の顔が見てみたいわよ!!」
「あはは……」
しかし、深山がそう叫ぶのを聞いて、以前俺に深山のことを教えてくれた深山のクラスメイトが血相を変えて飛んできた。
「満月ちゃん!! それはダメ!! 言い過ぎだよ!!」
「へっ!? どうしたの、いずみ? そんな怖い顔して? 何で今のが『言い過ぎ』になる訳?」
いずみと呼ばれたクラスメイトに、深山がそう聞き返すと、廊下の空気が凍り付いてしまった。
「私、こいつには『死ね』とか『殺す』とかも言ってるのよ? そっちが『言い過ぎ』って言うなら分かるけど、なんであれがダメなの?」
「……ええと、満月ちゃん。もしかしてそれ、本気で言ってる?」
「え? ……う、うん。そうだけど……何? どゆこと? 私変なこと言ってる?」
正直な話、普通に考えれば深山の言う通りだ。
さっきの深山の言葉は、普段俺に投げかけられている暴言の数々に比べれば、可愛いものだろう。
俺も深山に同感だ。
でも、周囲はそう判断しなかった。
多分、この学校に通う多くの生徒が、“俺に家族の話題をふること”を禁忌にしているのだろう。
その気遣いは嬉しくもあり、同時に少し息苦しかった……。
「そっか……あの時期は満月ちゃんも色々あって、長い間学校を休んでたんだっけ……それなら、知らないのも無理はないか……」
いずみさんはそう言って一人納得する。
あの時期というのが指す時期は俺にはすぐに察しがついたが、その時期に深山にも色々あったらしいことと、深山が長期間休んでいたことは知らなかった。
というか、思わば俺は深山のことを何も知らないのだな……誕生日すら最近知ったくらいだし。
「そしたら、この件に関しては後で私が教えてあげるから、とりあえず今は神越君に謝った方がいいよ」
「だから何で私がこいつに謝らないといけないわけ?」
「いいから!!」
「…………わかった。えっと、ゴメンナサイ」
いずみさんに言われて、仕方なくといった感じで謝罪した深山は、釈然としないといった雰囲気のまま、いずみさんに連れられて廊下の向こうに消えて行くのだった。
「はぁ……」
いずみさん、それに廊下にいた生徒達の俺に対する気まずい空気だけが残っていた。
これについては少々説明が必要だろう。
けど、話しても聞いても気分のいい話ではないので、端的に説明すると……。
約一年前に、俺は突然の交通事故で両親と姉を同時に失ったのだ。
もともと少なかったそれ以外の親戚がみんな去っていたので、俺は結果的に天涯孤独になってしまった訳だ。
そんな俺を気の毒に思った学校は、奨学金補助制度を使って俺を補助してくれて、今も俺はこの学校に通えている。
結構センセーショナルな事件だったので、学校中にそのことが知られてしまい、俺は一躍有名人となり、先ほど言った『禁忌』が生徒内で暗黙のルールとなったわけだ。
俺としては、気まずいことこの上ないし、変に気を使われる方が嫌なのだが、逆の立場で考えたときにはそう考えてしまう気持ちも分かるので、こう言う場面では乾いた笑みを浮かべて逃げ出す以外にリアクションの取りようが無かったりした。
逃げるように下駄箱にやって来た俺は、一人溜息を吐いた。
「これで深山にまで気を使われるようになったら、少し凹むなぁ……」
けれど、それは否めないだろう。
あれでいて、深山は良い奴だ。
これまでは、俺のそういう事情を知らなかったから、ああいう態度だったのかも知れない。
ああ、そうか。
だから俺は、深山と一緒に過ごす時間が好きだったのか。
あいつは俺を『可哀そうな奴』として扱わなかった。
俺をただ普通の高校生男子として扱ってくれていた。
だから、あんなにひどい態度でも、俺はあいつとのやり取りに不思議な癒しを感じていたのだ。
だが、知ってしまった以上、あいつはもう今まで通りの態度ではいてくれないだろう。
深山は不器用なやつだ。
知ればきっと、俺のことを周囲と同じように『可哀そうな奴』として見てしまうのだろう。
それはもう、仕方のないことなのだと思う。いや、そう思って割り切ろう。
そんな風に考えていた。
「ちょっと、待ちなさいよ!!」
そんなことを考えながら昇降口を出て行こうとする俺を、深山が大きな声で呼び止めた。
「ん? どうした、深山。なんか用か?」
どうしてだろうか。
俺はそのとき、深山の方に振り向くことが出来なかった。
「……怒ってるわよね、さっきの私は知らなかったとはいえデリカシーがなかったから」
やっぱりか。
そう思った。
やっぱり深山も、そうやって俺を気遣うのか……と。
「別に怒ってねぇよ。だから、さっきのことは気にするな。お前がデリカシーがないのはいつものことだろうが?」
「でも……」
「いいって、俺に家族がいないことを気にしてんなら、それこそ止めてくれ。そんな風に気を使われても嬉しくないんだよ」
俺は深山に背を向けたままそう言うと、昇降口の外へと歩き出す。
「だから、待ちなさいって言ってるでしょ!!」
深山はそんな俺の前に駆け足で回り込んで、両手を開いて通せんぼをするようにして俺の行く先を塞いだ。
「デリカシーがなかったって言うのはそのことよ。私はあなたの事情も知らずに、いずみに言われるままにあなたに謝っちゃったでしょ?」
深山のその言葉を聞いて、俺は初めて深山の顔を見た。
その顔は、俺を『可哀そうな奴』として見る、他の生徒とは違っていた。
「あのとき、あんたはいずみや周囲の反応を見て、すごく嫌そうな顔をしてた。それがずっと気になってたけど、いずみの話を聞いて分かったわ。あんたは『親のことをとやかく言われる』ことより、『それを気遣って腫物扱いされる』ことの方が嫌なんだって……」
俺は言葉を失った。
まさか、こいつがこんなことを言うなんて思ってなかったからだ。
「ご両親やお姉さまのことは気の毒に思うわ。けど、『親の顔が見たい』って言うことが、やっぱり私には言い過ぎだとは思えない。それなのに、私は何も考えずにその言葉についてあなたに詫びてしまった……そのことを謝らせて欲しいの」
こいつは、周囲の暗黙の空気ではなく、俺のことを見て考えてくれたのだ。
そして、あの場で俺に告げた言葉で、どの言葉が俺を不快にさせたのかを考えて、それについて頭を下げてくれた。
「ごめんなさい。考えなしに行動して、あなたに不快な思いをさせてしまったこと、本当にごめんなさい」
深々と頭を下げた深山は、俺が何かを言うのを待っているようだった。
けど、俺はすぐには言葉が見つからなかった。
あれからずっと、こんな風に俺に接してくれた奴は一人もいなかったから。
嬉しくて、だからこそ、俺に謝る深山に何て言ったらいいのか分からなかったのだ。
「…………ありがとう。俺の気持ちをちゃんと考えてくれて」
「……うん」
「ああいう風に、周りのやつらが俺に気を使ってくれることは、嬉しいけどそれ以上に心苦しかった……けど、向けられている感情は100%の善意だから……『そういうの、やめてくれ』なんて言うのも憚られて……ずっとなぁなぁにしてきちまったんだ」
「……うん」
「だから、きっとお前も、連中と同じように俺に気を遣うようになるんじゃないかって思ってた……けど、お前は俺のことを見て、俺の気持ちを考えてくれた……それが、すごく嬉しかったんだ」
気が付けば、俺は目に涙を溜めていた。
恥ずかしいところを見せたくなくて、それを必死でこらえながら俺は言葉を続けた。
「ほんと、ありがとな、深山」
「うん。……もしかして、あんたが色んなバイトをかけもってるのって、そんな家庭所事情が関係してるの?」
「へ? ま、まぁそうだな。奨学金とか援助金とかだけじゃ、流石に生活は厳しいけど、親の残した遺産や保険金には手を付けたくなくてさ……」
不意に深山が変な質問をして来たので、俺は喋らなくていいことまで喋ってしまう。
「そっか……大変ね。なんか困ったことがあったら、私のことを頼ってもいいわよ?」
「ははは、お気遣いどうも。けど、そういうのはいらねぇよ」
「まぁ、あんたはそうなんでしょうね……けど、そんな経済状況なら、レストランとかが半額になったら嬉しいんじゃない?」
「そんなことできるのか?」
「さぁ?」
「じゃあ何で言ったんだよ!?」
「何でかしらね? けど、大変ならそうやって周囲を頼った方がいいと思うわよ? あんたがそうやって遠慮してるから、周りも変に気を遣うんだから」
確かに、それは深山の言う通りかも知れない。
雅美山にそんなことを言われるとは思わなかったが、周囲と同じように、俺も周囲に変に気を使っていたのかも知れない部分は心当たりがありすぎた。
「と、とにかく、私は謝ったからね!! これでもうこの件はチャラ! それでいいでしょ!! いいわよね!!」
俺に言い聞かせるようにそう言うと、深山は逃げるようにして俺に背を向けて去っていくのだった。
「なんだありゃ?」
走り去る深山の背中を見送って、俺は首を傾げた。
けど、やっぱり嬉しかった。
依然と変わらない態度で、深山が俺に接してくれたことが。
「はぁ、俺も分かりやすいな……」
そう呟いて、俺は財布の中身を確認した。
「うぅ……正直シンドイか……この前の誕生日で、ちょっと金を使い過ぎたんだよなぁ……」
しかし、今日はどうしてもあの店で夕食を食べたい気分だった。
「仕方ない。近々がっつりバーで深夜まで働かせてもらおう。そうしよう」
俺は自分にそう言い訳をして、トワイライトガーデンに向かって、肩の鞄を背負い直してから歩き出すのだった。
「いらっしゃ……あんた、こんな通って大丈夫なわけ? 悪いけどまだ、びた一文まけてやらないわよ?」
「おいこら、気を使うなとは言ったが、俺をそんな貧乏人扱いするなよな!」
「だって、貧乏人でしょ、あんた?」
「ぐぬぬ……言い返せない自分が悔しい……」
ドアベルの音で俺の目の前に来た店員が、俺に対して遠慮のない態度で接してくる。
そんないつもの光景が、たまらなく嬉しい俺って、もしかしてマゾなのだろうか?
「じゃあ、案内するから付いて来なさいよ。メニューはお冷だけでいいわよね?」
「俺は飯を食いに来たんだよ! 水じゃ腹は膨れねぇだろうが!!」
「だって、あんた、お金ないでしょう?」
「あるから来たんだよ!! 良いからさっさと案内しろよ!!」
なんと言うか、今度は経済的にまで下に見られるようになった気がするのは気のせいじゃないはずだ。
まぁ、それすらも、嫌な気持ちはしないんだけどな……。
やっぱり俺は、マゾなのかも知れない。
いや、そうじゃないと思いたいんだが……。
続く――。
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