第10話 店を上げて誕生日を祝うレストラン
今日も今日とて、授業の終わりを告げるウエストミンスターの鐘を聞いて、俺は大きく伸びをする。
数日前の一件があって、深山が教室で浮いていたりしないか心配で、ここ数日はこっそり隣のクラスの様子を確認していたが、どうやら杞憂だったらしい。
まぁ、もともとあのギャル風の子達も、たまに深山にたかっていた程度だったようなので、然程大きな問題にはならなかったのだろう。
「どうしたの、神越君? 満月ちゃんなら、もうお店にいったよぉ?」
「いや、なんというか、最近の癖みたいなもんだから気にするな」
「あれ? 驚かせようと思って、わざと気付かれないように後ろに回り込んだのに……神越君気付いてたの?」
「ん? 驚きはしたが、お前の空気感のせいかなぁ? 『びっくり』よりも『まったり』が勝ってしまったんだ」
「うーん……よく分からないけど、ちょっと残念」
「まぁ、ポニーだからな。仕方ないさ」
実際は全く気配を感じられていなかったので、多分「わぁっ!」とか大きな声をかけられていれば、俺もポニーが期待したようなリアクションをしたのだろう。
だが、こいつはなんというか持ち前の気遣い力で、優しく声をかけて来たので、驚かず自然に応対が出来てしまったのだ。
多分、『驚かせてみたいけど、あんまりびっくりさせ過ぎても悪いから』とか考えたに違いない。
こいつの持つ根っからの優しさが招いた、悲しいすれ違いだった。
いや、別にそんな大げさなものでもないのだが……。
「それじゃあ、私はこれから生徒会のお仕事だから、行くね?」
「おう、頑張れよ」
「はぁ~い! じゃあね、神越君。またねぇ~!」
廊下を駆けていくポニーを見送って、俺は下駄箱に向かって歩き出す。
かくいう俺は今日はバイトだ。
給料日なので、ちょっとワクワクだった。
まぁ、その稼ぎのほとんどが、トワイライトガーデンに吸い込まれて行っているのだが……。
店に通うために、汗水たらしてお仕事とは、まるでキャバクラ通いのダメな奴のようだった。
「あ、あの小さな人影は……」
昇降口の方からこちらに歩いてくる小柄な女性を目が合って、俺は右手を上げる。
「どうも、藍澤さん。学校で会うなんて、なんか変な感じですね」
「………………」
俺の目の前で立ち止まると、藍澤さんはペコリとお辞儀をした。
そして、俺の質問にコクリと頷いて返事をしてくれる。
身長もあいまって、その丁寧な所作が逆に幼さを演出していた。
なんというか、ピアノの発表会で演奏をする小学生の様だった。
本人にそんなことを言ったら怒られそうだが。
「昇降口から戻って来たってことは、部活かなんかですか?」
藍澤さんはコクリと頷く。やはり部活のようだ。
そう言えば、彼女は何部なのだろうか?
なんとなく、文芸部とかな気がしたが、これは彼女の印象に引っ張られているだけだな。
不意に、俺の服の袖がクイクイと引っ張られる。
「ん? ああ、演劇部なんですね」
見ると、俺に向かって演劇の台本を見せてくれていた。
俺が彼女の部活が何部なのか、考えているのが見透かされていたようだ。
「副部長! 行きますよ、会議が始まっちゃいます!!」
俺の背後から、藍澤さんに向かってそう言いながら近づいてきたのは、藍澤さんに負けず劣らず小さな女の子だった。
制服のリボンから察するに、俺の後輩、一年生の様だ。
「……副部長、この方、お知合いですか?」
後輩の言葉に、藍澤さんはこくんと頷く。
「も、もしかして……彼氏ですか?」
今度はブンブカ首を横に振る藍澤さん。
「よ、よかったぁ~……副部長にこんな仏頂面の彼氏なんてできたら、私泣いちゃいますよ」
若干失礼な物言いの後輩に代わって、藍澤さんが申し訳なさそうに俺に向かって頭を下げていた。
その顔に、『この子悪い子じゃないんだけど』と書いているのが見えた。
藍澤さんを心配する、可愛い後輩と言ったところだろう。
微笑ましい光景だったので、俺は藍澤さんに『気にしないでください』の意味でウインクを飛ばしてみた。
「………………ッ!?」
すると、藍澤さんは真っ赤な顔になってうつむいてしまう。
「副部長!? どうしたんですか!? 大丈夫ですか!?」
そんな藍澤さんを心配して、その顔を覗き込む後輩に対して、コクコクと頷いて『大丈夫』だとアピールする藍澤さん。
なんだか悪いことをしてしまった気がするが、俺はウインクをしただけだしな……。
何がまずかったんだろうか? やっぱりアイドルでもないのにウインクとか気持ち悪すぎたのだろうか?
もしかしたら、ウインクが似合わな過ぎて、思わず吹き出しそうになったのを、必死に堪えたとかかも知れない。
「藍澤さん、俺のことは気にせず、行ってあげて下さい」
くだらない事を考えていた俺だったが、ふと俺のせいで彼女達を足止めしていることに気付いて、俺がそう言って促すと、藍澤さんはもう一度深々とお辞儀をしてから、後輩と一緒に歩き出した。
通り過ぎる二人を見送る俺に、藍澤さんは小さく手を振って挨拶してくれた。
そんな藍澤さんから、なんとなくだが『部活の後、お仕事に行くから……また後で』と聞こえて来た気がした。
去っていく二人の少女を見送って、俺はその姿に何か既視感を感じる。
なんだろうか? 何から失礼な何かと似ている気がしたのだが……。
少し考えて、その既視感の正体に思い至った。
なんかあの二人、小さいところとか、チョコチョコ動くところが、なんとなく『ハムスター』とか小型げっ歯類に似ているのだ。
これも、本人に言ったら怒りそうなので、俺はその想像をそっと胸の奥にしまうのだった。
「さて、お給料を貰いに……じゃなくて、お仕事をしに行きますか」
俺は下駄箱で外履きに履き替えて、いつものバイト先、駅から少し離れた飲み屋街の片隅にある、小さなバーを目指すのだった。
「で? 注文は?」
「ん? 嫌だから、クーポン利用でハンバーグセットAコースにドリンクバーって言わなかったか?」
「……かしこまりました。………………で? 他になんかないの?」
「んー……いや、デザートとかは特にいいかな?」
「……そ、じゃあごゆっくり」
結局、入ったばかりのバイト代を片手に、この店に来ている俺だった。
しかし、深山のこの様子は何なのだろうか?
さっき俺が来店して来たときは、ぱっと見でも分かるくらいに嬉しそうにしていたのに、今はその真逆で誰がどう見ても不機嫌にしか見えないご様子だ。
「ふんっ……」
そのまま、不機嫌そうに鼻を鳴らして店の奥へと消えてしまう深山。
「……何だったんだ、あれ?」
俺が思わずそう呟くのと、目の前のテーブルにコトンと小さな音を立てて、優しくお冷の入ったグラスが置かれたのはほぼ同時だった。
この優しい接客は……。
「どうぞ、お冷です」
「なぁポニー、深山は今日何かあったのか? えらく不機嫌じゃないか?」
「わぁっ!? 気付いてなさそうだったのに、いきなり話しかけないでよぉ、神越君。びっくりするでしょ?」
「ああ、悪い」
やはり、その空気感で見るまでもなくポニーだと分かった。
最近俺、この店の従業員達に対する理解力が、ものすごく上がっている気がする。
「ええと、満月ちゃんの不機嫌の理由だっけ? ……本当に分からないの?」
「え? なんだその感じ? これって俺が気付いてないのがおかしい系のやつなのか?」
「じゃあクイズ。今日は何の日でしょう?」
「…………え? まさか、今日ってあいつの誕生日なのか?」
「…………ん? あれ? もしかして、神越君知らなかった?」
俺とポニーは、しばしお互いの顔を見つめてフリーズする。
「あちゃあ……満月ちゃん、それは流石に無茶が過ぎるよぉ……」
ポニーはそう言って天を仰ぐ。
俺も、少し考えてこの状況を把握した。
つまり深山は、自分の誕生日だと言うのに俺が『おめでとう』の一言もないから怒っているということか。
確かに、誕生日を友人にスルーされるのはちょっと寂しいというのは分かる。
だがな深山。
考えて欲しい。お前は俺に自分の誕生日を教えていないぞ?
知らないものを、祝えと言われても困る。
まぁ、その辺も含めて、何だか深山らしいと言えば深山らしいミスだった。
とにかく、どうやら彼女は、自分の誕生日を祝って欲しいらしい。
それが分かったら、俺がやることは一つだった。
「神越君、私が満月ちゃんに神越君は誕生日を知らなかったこと伝えようか?」
そんな風に小声で言ってくれるポニー、マジ良い奴。
でも、俺はそれを右手を差し出して制する。
「いや、むしろシークレットでシェフにオーダーをお願いしたい。深山好みのバースデーケーキに、チョコプレートに『Happy Birthday 満月』のメッセージ付きでだ」
「えぇっ!? い、一応言ってみるけど……」
シェフというのは、このレストランの厨房責任者の愛称だ。
見た目は金髪で顎髭の強面さんだが、とても優しく腕も一流の気のいいあんちゃんなのだ。
先日の臨時バイトで仲良くなったが、彼ならきっとやってくれる。
それに確か、この店ではデザートのケーキをホールで作っているはずだ。
それを切らずに使えば、バースデーケーキもいけるだろう。
全て把握済みなのだ。
「もしかして、これからサプライズを準備する気なの?」
「ああ、任せておいてくれ、そういうのは得意だ。……あ、あとでポニーの誕生日も教えておいてくれ、そのときも盛大にサプライズを企画してやるから!」
「それを聞いたらもうサプライズにならないでしょ……」
「ふ、バカなな、ポニー……あると知っていても驚くレベルのものを企画してやるって言ってるんだよ」
「……それ、すごくハードル上がってるけど、大丈夫? 私期待しちゃうよ?」
「任せておけ。驚くって言っても、期待を越えるとは言ってないからな……」
「突然不安になって来たんだけど……分かった。楽しみにしておくね」
俺はポニーに、合図をしたら一緒に深山のサプライズに参加してくれるように頼んでから、次の準備に取り掛かる。
嬉しいことに、ポニーも深山にバレないように、従業員側にも声をかけてくれるそうだ。
実に頼りになるポニーである。
俺はスマホを取り出し、知り合いのフラワー便にLINEを入れる。
超速注文
女子が喜びそうなこじゃれた花束
『誕生日おめでとう深山さん』のメッセージ付き
トワイライトガーデン由芽崎店まで
メッセージを送ると、すぐに返事が返って来た。
「高いよ?」
実に簡素で残酷な返信だ。
しかし、今の俺には入ったばかりの給料という最強の武器がある。
諭吉一人まででお願いします
俺がそう返信すると、すぐさま「かしこま」と返事が来た。
「よし、これで一応プレゼントの体裁は整ったな……あとは……」
俺はそれから、LINEを通じて声をかけられるだけの深山と面識のある友人に連絡を入れた。
内容は大体以下の通りだ。
深山の誕生日を盛大に祝って驚かせたい。
駅前のトワイライトガーデンってレストランでサプライズを仕掛ける。
なるだけ人を集めたいので、来れる奴はなんかプレゼントを持って集合せよ。
今から一時間後くらいに決行予定。
至急対応されたし。
すると、何らかの予定が入っている奴以外は、大体協力をOKしてくれた。
流石は俺の友人達だ。
フットワークの軽さと、ノリの良さには感謝しかない。
「神越君、例のぶつ準備始めたよ」
「おお、八重咲さん。ご連絡感謝っす!」
「うちらこう言うの大好きだからね! あの人もノリノリで作ってたよ!!」
言われて、ケーキを作るシェフの姿が目に浮かんだ。
……とんでもないサイズのものにならないことを祈ろう。
それにしても、八重咲さんとシェフ……実に仲睦まじいカップルだな。
さて、ケーキの用意も進んでいて、人もこれから集まってくるはずだ。
一応花束の用意は出来たが、あとは本命のプレゼントをどうやって手に入れるかだな……。
「はい。餌よ。食べなさい、駄犬」
「わんわん! ありがとうご主人様!!」
「っ!? 例の猫の件も、まだ全部は許してないんだからね!!」
不機嫌な深山を和ませようと、可愛い犬の声を声帯模写で出したら、火に油だった。
参ったな……これ、サプライズ成功するのか?
俺は、深山が運んできてくれた料理を食べながら、プレゼントをどうするかを必死に考えるのだった。
「やっぱり、これから集まってくれる誰かに、代わりに買って来てもらうしかないかぁ……」
俺は、呼び寄せたメンバーの中でも、まとまった金を持っていそうなやつに目星をつけて、申し訳ないとは思いつつもパシリのように使ってしまうのだった。
食事を食べ終わり、ドリンクバーのおかわりで居座る俺を、迷惑そうに睨む深山の視線に耐えること数十分。
俺のスマホに、LINEの着信が入る。
画面にタッチして、テーブルのソファに少し身を隠しながら、通話に応じると「花束おまちどぉ」とやる気のなさそうな声が聞こえて来た。
「ちょっと待っててくれ、すぐに行くから」
スマホをポケットにしまってフロアを見渡すと、バックルームから出て来たポニーが俺に向かって親指を立てる。
どうやらケーキの準備も出来たようだ。
さっき来店した友人から、頼んでおいたプレゼントも受け取って何枚かの野口さんと別れを告げてある。
店を見渡せば、いつの間にか知った顔ばかり。
これは準備万端という感じだ。
俺はトイレに行くふりをして、外に出るとフラワー便の
「ついでだから、お前も参加してけよ、羽南谷」
「はぁ~……そう言われると思って、プレゼント用意して来たし」
「流石~」
こいつも俺のノリのいい友人の一人なのだ。
羽南谷を伴って店内に戻り、羽南谷の案内を藍澤さんに任せて席に戻る。
さぁ、作戦決行の頃合いだろう。
俺は、作戦決行の合図として伝えておいた、テーブルのボタンに指を伸ばす。
「さぁ、ミッションスタートだ……」
そう小さく呟いて、俺はそのボタンを押した。
ピンポーン
店内に給仕スタッフを呼ぶ軽快な音が響き渡る。
「あによ? やっと追加オーダー?」
とても接客する気があるとは思えない、給仕スタッフが現れたところで、俺は準備していた作戦を実行に移すのだった。
続く――。
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