第9話 色々あるけどいつも通りのレストラン
仕事を終えて店を出ると、言っていた通りに深山が俺のことを店の外で待っていた。
店から出て来た俺の姿を確認すると、深山は何も言わずに歩き出す。
……ついて来いということなのだろうか。
真っ暗な道を、俺は少し前を歩く深山の背中について歩く。
黙々と、どこか目的地があるのか、迷いのない足取りで歩いていく深山の背中。
それはどこか寂しそうで、何だか少し心配になる。
駅を通り越して、駅ビルの横の坂を上っていく。
確か、この坂の上には商店街があった。
そして、そのさらに上には図書館と児童公園があったはずだ。
坂を上りきり、商店街を抜けて、図書館に続く細い坂道を上って行く。
しばらく歩くと、ふと視界が開けた。
坂の上の児童公園に着いたのだった。
「……ここからの見晴らしが好きなの」
公園を突っ切るように歩き、由芽崎の街が見渡せる公園の端の展望スペースにあるベンチに、深山はちょこんと腰かけた。
そして、自分の横のスペースを、その右手でポンポンと叩く。
……座れということらしい。
「………………どうして、あんなことしたの?」
「言っただろ? あいつらがムカついたからって――」
「そうじゃなくて。……今日はあのカラオケ会館のバイトがない日だったんでしょ? 外で会ったお店の子に聞いたの」
どうやら、俺の余計な悪だくみが全てバレてしまったらしかった。
「もしかして、私のため……?」
そう言う深山の横顔からは、言葉の意図が読み取れなかった。
「……廊下で、あいつらに誘われてる深山を見て、ちょっと心配になってさ……もしかして、カラオケ会館だったら、俺たまにバイトしてるし、様子が確認できるかもって……ストーカーみたいで迷惑だったよな。悪かったよ……」
何故か、誤魔化すのがはばかられて、俺は正直に話をした。
いつになく真面目に、俺に言葉を投げかけてくれる深山に、そうしないと失礼な気がしたのだ。
「別に迷惑なんかじゃない。さっきも言ったけど、本当にすっきりしたの。今までもやもやダラダラしてたことが、綺麗さっぱり片付いて、清々してる……本当よ」
「なら、良かったけど……」
「……でも、それとは別に気になったの。なんであんたがあんたのことをしたんだろうって。あのときあんたが言ってたことは、本音なんだろうけど、全部じゃない気がしたから……」
本当に、珍しく素直に、真っ直ぐに、その気持ちを吐露してくれる深山。
そのまま、真っ直ぐ星空を見つめて、深山はとつとつと胸の内を続けて語った。
「店の前であんたを待ってたら、店から出て来た別の店員が、あんたが突然今日シフトに入りたいとか言い出して驚いた……とかなんとか言ってるのを聞いてびっくりしたのよ? 最初は偶然かと思ってたけど、それを聞いてもしかしたらって思った……もしかしたらあんたは、また、私を助けるために無茶してくれたんじゃないかって」
深山の“また”という言葉に、俺は違和感を覚えた。
俺の記憶の中には、深山を助けたなんて場面はこれまで一度もなかったからだ。
そんな俺の顔をちらりと横目で見て、深山は残念そうに溜息をついた。
「なんとなく、あんたは覚えてないだろうと思ってたけど……私があんたに助けられたのは、これで二度目なのよ」
そう言って、俺の方を向いて深山は悪戯っぽく笑う。
「いつ、どんな風にかは言わないから、あんたがいつか自力で思い出しなさいよね?」
そして、深山はベンチから立ち上がり、俺の前に立った。
何度か深呼吸をした後で、深山はこれまで一度も見たことのないような綺麗な姿勢で、俺に向かって深くお辞儀をした。
「ありがとう。また、私を助けてくれて。あんたに助けられてばかりで、こっちは悔しいけど……感謝はキチンと伝えるべきだと思うから……」
そう言って、ゆっくりと顔を上げた深山は、すぐに俺に背を向けて、そこから見える綺麗な由芽崎の夜景を眺めるように遠くを見つめる。
一瞬、深山が泣いているように見えたが、それは気のせいだったのかも知れない。
「要件はそれだけ。こんなところまで付き合わせて悪かったわね」
俺に背を向けたまま、深山は公園の出口に向かって歩き出す。
そんな深山の背中を、俺は慌てて追いかけた。
そこから、また、深山は一言も話さなかった。
ただ黙って、ゆっくりと細い坂道を下り、商店街を抜けて、駅まで続く長い坂を下っていく。
俺は、この坂を上ったときと同じように、深山の背中について歩いていた。
その背中は、やっぱりどこか寂しそうだった。
理由は、分からないけれど。
「私はこっちだから……」
「ああ、そうか。じゃあ、また明日だな」
俺がそう言うと、深山は少しだけ嫌そうな顔をした。
「……また店に来る気なの?」
「……そのつもりだが? ……迷惑か?」
俺の言葉に、少しだけ考えてから、深山は溜息と共に答える。
「はぁ~……迷惑だけど、いいわ。あんたの好きにしなさいよ」
これまで、頑なに俺を拒絶し続けた深山が、初めてそんなことを言ってくれたことが、嬉しかったからだろうか。
「あ、あによ? そんなににやけて、キモいんですけど!!」
「べ、別にいいだろ! 嬉しかったんだからさ!!」
俺は、恥ずかしながら、口の端が自然に上がるのを、どうしても抑えきれなかった。
間違いなく情けない顔をしているのだろうと思うのだが、どうしても我慢できなかった。
「……そっか、嬉しいんだ……そっかそっか」
「ん? なんか言ったか、深山?」
最後に、深山はボソボソと何か言っていたような気がしたが、あまりに小さな声過ぎて聞き取れなかった。
「じゃあ、また明日」
深山はそれにそう言うと、ひらひらと手を振って去っていく。
「ああ、また明日な!!」
俺は、そんな深山が見えなくなるまで手を振って、彼女を彼女の背中を見送るのだった。
翌日の放課後、俺はいつものようにトワイライトガーデンのドアを開けた。
カランカランッとドアベルが鳴り響き、それを聞いた給仕のスタッフが俺の前まで駆け足でやって来る。
「いらしゃいませ、お客様はお一人ですね」
不愛想だがそう言って、彼女はいつものように俺を追い返そうとはしなかった。
「不本意ながらお席にご案内しますので、出来るだけ距離を開けてからこちらへどうぞ」
俺に背を向けて、テーブルに向かって歩き出す深山の背中。
昨日の夜に、その背中に感じた寂しさはもう感じなかった。
言われた通りに距離を置いて、深山の背中について歩く俺に、ポニーが少し不思議そうに聞いてきた。
「ねぇ、神越君……満月ちゃんとなんかあった?」
「ん? いや、特には……」
「本当に? うーん、本当かなぁ?」
俺の顔を覗き込むように見上げて聞いてくるポニー。
その上目遣いは、悔しいが少し可愛くてドキッとしてしまう。
……ポニーのくせに、生意気な。
「何もないって……マジで」
「うーん……じゃあ、そういうことにしておくかぁ……後で満月ちゃんにも聞くけどね」
「ああ、好きにしてくれ。本当に何もないからな」
「……これは、本当に何もなかったのかなぁ……」
俺の顔をじっと見つめて首を傾げるポニーさん。
「まぁいいや。あ、そうだ。いらっしゃいませ、神越君」
「ああ、また邪魔するぞ、ポニー」
「うん、どうぞごゆっくり!」
俺に手を振ってから、ポニーは他の客の対応をするために、フロアに駆け出して行く。
ふと見ると、深山が俺が案内される予定の席の前で、俺の方を見ていた。
「悪い悪い……今日はこの席か」
「ふんっ……相変わらず、万里子と仲良さそうでなによりね」
「そうか? 俺はお前とも十分仲良しだと思ってるんだが……」
「は、はぁ? あに言ってるのよ、キショいんだけど?」
俺が席に座ると、深山はメニューを差し出して、マニュアル通りの案内をした。
「…………あによ? 珍しいものでも見るような顔して?」
「……いや、今日は『帰れ』って言わないんだなと思ってな」
「…………い、言わないわよ、お客様にそんなこと……」
どうやら俺は、彼女の中で『お客様』にカウントされるようになったらしい。
「そいつは良かった。やっと俺も、この店の客として認められたわけだな」
「はぁ? なにそんな嬉しそうにしてんのよ、キモ……」
昨晩に続いて、俺が嬉しくてにやけていると、深山はそんな俺に容赦なく『キモい』と言ってくる。
「あのな、深山。そんな風にしょっちゅう『キモい』と言われると、流石の俺も傷つくんだが?」
「え? あんた、自分がキモくないと思ってたの? キモッ!!」
俺に心無い暴言を吐いてくる店員は、心の底から楽しそうに笑って言った。
「本当に、キモいわよ、あんた」
そのまま、踵を返して店の奥へと去って行った深山は背中は、今までで一番楽しそうに見えたのだった。
その後、俺のテーブルには、例によって注文していないのにこの店で最高額のメニューが運ばれてきて、その分の料金をしっかり取られたのだった。
恐らくは、先日のドッキリの仕返し、いや意趣返しだったのだろう。
相変わらず大きな出費ではあったものの、昨日臨時バイトのお陰でお財布にダメージは通らなかったので、俺はそれをよしとするのだった。
帰り道、ふと、昨日の夜深山が言った言葉を思い出した。
『いつ、どんな風にかは言わないから、あんたがいつか自力で思い出しなさいよね?』
俺に助けられるのは、二度目だと言った深山。
果たして俺は、いつどこで、あいつを助けたというのだろう?
いくら思い出そうとしても、どうしても俺にはそれが思い出せなかった。
続く――。
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