第7話 お客様も希望すれば働けるレストラン
空調の効いた店内は、いつもと同じはずなのに、どうしてかいつもと違って感じられた。
お客様たちの話す声に、厨房から聞こえる調理の音、そして配膳のために行き来する給仕のスタッフの声が入り乱れて、思った以上ににぎやかに感じられる店内。
基本的に、普段は座って見渡している店内の景色を立って眺めるだけで、こんなにも違って見えるのだから不思議なものだ。
カランカランッというドアベルの音も、普段なら「ああ、また新しい客が来たのか」程度にしか感じなかったのに、いざこうして違う立場になって見ると、違って聞こえて来る。
なんというのが相応しいのかは分からないが、あの音が聞こえると何かスイッチが入るというか……そんな感じがする音に聞こえるのだ。
「あ、俺が行くよ!」
「ありがとぉ、神越君」
俺はフロアにいたポニーにそう声をかけると、来店したお客様の応対をするために、入り口まで早足で向かった。
店の入り口で、応対に出て来る店員を待っていた女の子の姿を見て、俺は思わずにやけてしまう。
彼女は今、こちらを見ているようで見ていない。
俺もそうだけど、普通ファミレスに入ってすぐに声をかけてくる店員の顔なんて、ほとんどの人がちゃんと見ていないものだ。
だからこそ、これから自分が声をかけて、彼女が俺に気付いたときのリアクションを想像すると、思わず頬が緩んでしまうのだ。
「いらしゃいませ!」
「……ん? ……へ? は? え? えぇっ!?」
俺に声をかけられて、目まぐるしく表情を変える“お客様”。
「一名様ですか? それとも待ち合わせのお客様が既に店内にいらっしゃいますか?」
「ちょっと待って……え? どゆこと? え? え? 待って、理解が追い付かないんですけど……」
当たり前のように接客する俺に、目を白黒させているのは、この店の給仕スタッフの深山満月さん17歳だ。
「禁煙席と喫煙席ですと、どちらがご希望でしょうか?」
「禁煙席で……って、だから待って!! てか、待て!! あんであんたがそんな格好して、ここにいるのよ!? どゆこと? なんの冗談なの!?」
「お客様のおっしゃられることがよく分かりませんが?」
そう、いつもは俺が彼女に迎えらえる立場が、今日はそれが逆転しているのだ。
彼女が混乱しているのもそのためだった。
「よく分からないことはないでしょ!? そこは私の場所じゃない! あんたは客で、私が店員でしょ!?」
「普段はそうですが、本日は私も店員なんです。分かりやすくご説明するなら、臨時の日雇いバイトですね」
「はぁ!? バイト!? しかも日雇い!? どゆこと!?」
普段はここまでアホではないと思うのだが、混乱している為か状況が全く飲み込めない様子の深山は、気の毒なほどにパニックになっているようだった。
「とりあえず、お席にご案内いたしますので、こちらへどうぞ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
そう言いながらも素直についてくる深山は、本当に良い奴なんだと思う。
まぁ、こうして混乱してくれて、俺としては本望だ。
混乱をしている人がいては困るので、キチンと説明させて貰えば、なんということはない、深山にも言った通り、俺は今日だけ限定でこの店のフロアスタッフとしてアルバイトをしているのだ。
ことの始まりは、先週のことだ。
いつものように店に夕食を食べに行った俺に、珍しく店長が申し訳なさそうに頼みごとをしてきたのだ。
「少年、悪いんだが、来週一日だけ家でバイトをしてくれないか?」
「はい?」
突然の頼みに俺も思わず素っ頓狂な声を出してしまったが、なんでもこの日だけ休みを希望するスタッフが多くて、どうしても人手が足りないのだというのだ。
遅番は回るのだが、それまでの時間が厳しいと拝むように店長に頼み込まれた俺は、仕方なくそのお願いを聞き入れることにしたのだった。
そんな訳で、一日給仕スタッフになることになった俺だが、遅番で深山がシフトに入っていることを確認して、店長にこのサプライズを持ち掛けたのだ。
まぁ、サプライズと言っても、俺が代打スタッフであると深山に伏せて、遅番のときは必ずバイト前に客として食事をとる深山の接客を俺がやるというささやかなものだったのだが……。
思いの外驚いて貰えて、俺はもう満足だった。
「メニューはこちらになります」
メニューを差し出して、水を入れたグラスをテーブルに置き、深山に声をかける。
「本日のおすすめは――」
「知ってるわよ、季節野菜のあったかクリームリゾットでしょ?」
「その通りでございます。それでは、ご注文がお決まりになりましたら――」
「このボタンで呼ぶわよ! だからさっさと消えてくれない?」
「それでは、お客様ごゆっくりおくつろぎください」
「ええ、せいぜい出勤までの間、ゆっくりさせていただくわよ!!」
流石は現役の給仕スタッフだ。
キチンとマニュアルを把握している為、俺の接客の先を行って潰しにかかってくる。
いつものいい加減な対応は、本当に俺だけ限定なのだな。
俺は、恭しく深山に一礼してから、バックルームに戻っていく。
「満月、真っ赤になって可愛いねぇ」
「あはは、あんなに怒られると、拳でも飛んでくるんじゃないかって冷や冷やしますけどね……」
「とか言いながら、少年だって絶対楽しんでるんだろ?」
「そりゃあもちろん」
店長と会話をしていると、さっそく深山の席のボタンが押される。
「おっと、じゃあ行ってきますね」
「ああ、いってらっしゃい」
待たせるとうるさいかも知れないので、俺は早足で深山の席に向かうのだった。
「チェンジで」
「お客様、そう言ったシステムは当店にはございませんので……」
「っち……」
俺の顔を見るなり、不機嫌そうにそう言って舌打ちをする深山。
俺はそんな深山の態度に物おじせず、そのまま接客を続けていく。
いつものやり取りで、この程度のプレッシャーには負けない俺だった。
「それでは、ご注文ですが――」
「はぁ、ええと――」
「パスタセットAコース、サラダのドレッシングはフレンチドレッシングでよろしいですね?」
「え? あ、はい……って、えぇ!?」
俺が注文するつもりだったメニューを先読みして答えると、深山は再び目を白黒させていた。
「何で私の頼むメニューが分かるのよ!? キモいんだけど!!」
「それは、愛でございます、お客様」
「は、はぁぁっ!?」
俺の冗談に、深山は顔を真っ赤にしてわななき出す。
「な、ななななななな、何言ってんのよ! あ、あああああ愛だにゃんて!!」
「というのは冗談で、いうもご注文なさるということですので、本日も同じものだろうと予想しただけでございます」
「わ、分かってたわよ、そんなこと! べ、別にドキッとなんてしてにゃいんだかりゃ!!」
動揺が隠し切れず、盛大に噛み倒す深山は、何だか可愛かった。
「食後のデザートは、いちごのサンデーでよろしいですね?」
「よ、よろしいけど……なんだか腑に落ちないんですけど!!」
「それでは、少々お待ちくださいませ」
「こら! 人の話を聞きなさいよ!!」
思わずにやけてしまう顔を隠すために、素早く背を向けてバックルームに戻って来た俺に、深山は大きな声で文句を叫んでいた。
戻って来ると、バックルームのスタッフたちも、俺達のやり取りを聞いていたのかニヤニヤしている人ばかりだった。
「ふふふ、お帰り少年君。もうあの子のメニューは出来てるけど?」
その中でも、ひときわ美人の給仕スタッフ、八重咲さんが誰よりもニヤニヤしながらそう言ってお盆を俺に差し出してくれた。
この人は、厨房を任されている料理長の彼女さんとして有名な、ベテランスタッフさんで、今日の俺の給仕の教育係を引き受けてくれた短大生だ。
「ありがとうございます、すぐにあいつのところに持っていきます!」
「ふふ、すぐに出てきたら、またあの子面白いリアクションしそうよね?」
「それにこうご期待ですね!」
料理長、通称シェフが作っておいてくれた出来立てのパスタセットAコースを持って、俺は再び、深山の待つテーブルへと舞い戻るのだった。
「お待たせしました、パスタセットAコース、ドレッシングはフレンチドレッシングになっております」
「……え!? 早くない!? ってか、早すぎない!? どゆこと!? え? え? あんたタイムマシンでも使ったの!? タイム風呂敷!? 何!? ドラえもんなの!?」
「それでは、また何かありましたら、そちらのボタンでお呼びください」
「え? ここはスルーなの!? こら待て! どゆこと!? 何でこんな早いのか説明しなさいよ!! ねぇ!! ……くそ、あんたがその気ならこっちにも考えがあるんだから!!」
予想通りの痛快なリアクションをくれた深山をスルーして、踵を返したのは例によって、にやける顔を隠すためだ。
すると、背後で深山はテーブルのボタンを乱打した。
店内に連続して響き渡る呼び出し音。これは流石に他のお客様にご迷惑だ。
「お客様、いかがいたしましたか?」
俺が慌てて振り返りそう聞くと、深山は今世紀最大のドヤ顔で俺を見て言った。
「どうしてこんなに早く料理を出せたのか、説明して」
こいつ、そんなことだけのためにボタンを乱打したのか……迷惑な奴め。
「オーダーがいつも通りのものだと分かっておりましたので、先に厨房に言って作ってい置いていただいただけです」
「…………あ、そっか。なるほどねぇ……」
俺に言われて、『その手があったか!?』的な顔をした後、深山は必死に平静を装って取り繕う。
まぁ、取り繕えてないんだが……。
「それでは、失礼いたします……」
俺が背を向けて立ち去ると、深山は嬉しそうにフォークを持ってパスタを食べ始めた。
ここの料理は本当に旨いので、深山があんな顔になるのも頷ける。
俺は、横目で美味しそうにパスタを頬張る深山の姿を見つめながら、バックルームに戻るのだった。
「いやぁ、『ドラえもんなの!?』は傑作だったねぇ……」
楽しそうにけらけら笑う八重咲さん。
「申し訳ないけど、可愛すぎて笑っちゃったよぉ」
そう言って目の端の涙を指で拭うのはポニーさんだ。
ってか、泣くほど笑うって、ツボりすぎだろポニー……。
「『……え!? 早くない!? ってか、早すぎない!? どゆこと!? え? え? あんたタイムマシンでも使ったの!? タイム風呂敷!? 何!? ドラえもんなの!?』」
「あはははははっ、満月ちゃん可愛い!! ……って、え? それ神越君がやってるの!? 声真似!? もう完全に満月ちゃんにしか聞こえない!! すごぉい!!」
ここぞとばかりに、俺は唯一の特技の声帯模写で深山の真似をすると、ポニーは爆笑しながら驚くという器用なリアクションを披露してくれた。
「さて、そろそろ満月の出勤時間も迫っているし、デザートを持って行ってやれ、少年」
「わかりました。これで俺は、お役御免ですね、店長」
「本当に今日だけなのか? なんなら――」
「はい、俺はやっぱり、客としてここに通う方が向いてますから」
「いや、様になっていたけどな、店員の方も……」
「まぁ、またどうしても必要なときは声かけて下さいよ」
「はいはい、そんときはよろしく頼むよ、少年」
店長とそんなやり取りをしてから、自分で盛り付けた俺はいちごのサンデーをお盆に乗せて、深山のテーブルへと向かった。
バイトをして初めて知ったのだが、パフェって給仕スタッフが自分で作って持っていくもんなんだな。ちょっと驚いた。
「こちら、いちごのサンデーになります。私が愛を込めて作りました」
「そ、そんなこと込めなくていいし、言わなくていいから!! 食べにくいじゃない!!」
からかう俺のお陰で、終始赤い顔をしていた深山だが、そんパフェも美味しそうに食べてくれたので俺は満足だった。
最後に、俺がパフェの器を下げに行くと、深山は俺の顔を見上げて、聞きにくそうに聞いてきた。
「あんた、今日からずっと、この店で働くの?」
「安心しろ、俺は今日だけの代打だ。言っただろ?」
「ずっと、働けばいいのに……」
「ん? 今何て言ったんだ?」
「べ、別に!! 何でもない!! 私もそろそろ出なきゃ出しね!!」
本当は聞こえていたが、深山の言葉を俺は聞き逃したフリをして、誤魔化した。
まだしばらくは、この店の客として通いたいと思ったから……。
「それじゃあ、今度は俺が客として、深山に接客してもらうかな?」
「絶対にしないから安心して!」
「……ふふふ、そうできたらいいな?」
「何それ、怖いんですけど!!」
そんな感じで、俺の臨時日雇いバイトは幕を閉じるのだった。
「はい、ご注文のチキングリルです……」
「さんきゅう、深山」
やっぱり俺は、この店に客としてテーブルに座る方が好きなのだ。
続く――。
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