第6話 客と共に出勤する店員のいるレストラン
キーンコーンカーンコーン……
このチャイムがクラシック曲だと知っている学生は、この学校にはどれだけいるのだろうか?
本日の授業がすべて終わったことを知らせる鐘の音が響き渡ると、教室の生徒達は各々の準備に追われ始める。
部活に備えて腹ごしらえをする者、部活に直行する者、委員会活動のために移動する者、自習のために図書室へと向かう者……その動きは本当に十人十色だ。
「さて、先回りが必要だな」
俺はそんな独り言をつぶやくと、財布と洗濯のために持ち帰る体育着とジャージ以外入っていないカバンを担いで、一人いそいそと教室を後にした。
下駄箱に向かわずに、逆方向に向かって歩くと、すぐに目的地に辿り着く。
「まぁ、隣のクラスだしな」
教室の中を覗き込むと、すでにポニーの姿はなかった。
多分あいつは、生徒会の仕事があるから生徒会室に向かっているのだろう。
教室にはいくつかの集団が出来ていた。
運動部に所属する男子たちが、部活の始まる時間まで駄弁っている集団。
吹奏楽部の女子たちがたむろして雑談しているのも見える。
何人かは部活が休みだからと誘い合って、放課後遊びに行く算段を付けている様だ。
そんな中、一人いそいそと帰り支度をしている深山の姿を見つけた。
「最近気づいたんだが、あいつ学校だと一人のこと多いんだよな……」
まぁ、最近まで彼女に対して全く興味がなかったので知らなかっただけなのだが……。
ちなみに、自慢ではないが俺が深山について知っていることと言えば、隣のクラスだということと、トワイライトガーデンで働いているということくらいだ。
だから、彼女が何故、このクラスで若干浮いているのかなど、知る由もないのだ。
深山が荷物をまとめ終わり、席を立つのを確認して、俺はドアの陰に身を隠した。
そして……
「よう、それじゃあ行くか」
扉を出て来た深山に、俺はさも当然の様にそう声をかけてから、その横に並んで廊下を歩いてみた。
「行くって、どこよ?」
「え? そりゃトワイライトガーデン由芽崎店に決まってるだろ?」
「……ん? って、はぁ!? あんであんたが私の横にいんのよ!? ってか、あんで私があんたと店に行かなきゃいけないのよ!?」
どうにもすんなり会話が出来たと思ったら、深山はこちらも見ずに返答していたらしい。
顔を上げて、隣を歩くのが俺だと分かった瞬間、深山は真っ赤な顔をして俺に向かって怒鳴るように文句を言った。
「なんでって、目的地が一緒だからだろ?」
「ん? ……まぁそっか。…………ん? って何さも当然の様に言ってんのよ!? 危うく『あ、そっか』って納得しそうになったじゃない!!」
「いや、もう完全に納得してたろ? てか、しとけよ」
「しない!!」
俺の言葉に、店と同じテンションで返答する深山だが、そんな深山の声を聞いて、廊下を歩いていた深山のクラスの連中が驚いてこちらを振り返っていた。
こちらというよりは、どうやらみんな、深山のことを見ている様だ。
ああ、そうか。
深山はあまり、教室で、というか学校ではこうして声を荒げることなどほとんどないのだ。
しかも、今こちらを珍しそうに見ている練習は、あまりレストランでは見かけない顔ぶれだ。
多分、俗にいう『電車通学部活組』だな。
うちの学校は結構人気の高校なので、遠くから電車を使って通学する連中も多い。
そういう連中は、部活の後に駅前のレストランに立ち寄ったりはしないのだ。
「深山さんって、あんな風に大きな声出すことあるんだ……」なんて声が、遠くから微かに聞こえて来ていた。
連中からすれば、非常にレアな深山の姿を見たということになるのだろうが、今後はきっと、ちょくちょく目撃して頂くことになるのだろう。
「いや、でもさ。俺はこれから店に行って飯食うし、お前はバイトだろ? どの道行くんなら、別に一緒でも問題ないだろうが?」
「それはそうだけど……って、ちょっと待て、あんであんたが私のシフトを知ってんのよ!?」
「え? まぁ、愛?」
「はぁっっっ!?」
軽い冗談のつもりで言った言葉だったが、深山は先程よりもさらに真っ赤な顔をして、わなわなと肩を振るえさせ始めたので、俺はすぐに訂正にかかる。
この前のパンチは相当に効いたので、早々喰らいたくはないのだ。
「あはは、冗談だって……いや、もう常連だしな。情報通ってやつ?」
「はぁ? 私に聞かないでよ……」
俺の機転が良かったのか、深山の怒りは爆発させることなく鎮火に成功したらしい。
ちなみに、俺が深山の出勤日を知っていたのは、店長から無理やり今月のシフト表を押し付けられたからである。
店長が俺にそれを渡した理由については不明だ。
だが、お陰で俺は今日店に誰がいて誰がいないのかが手に取るように分かっているのだ。
確か今日は知った顔だと深山、藍澤さん、店長、ポニーが出勤予定のはずだな。
「さぁ、ダラダラしてても時間がもったいなしい、行こうぜ?」
「行かないって言ってるでしょ!!」
「マジかよ、サボりか?」
「サボらない!!」
「じゃあ、行くんだろ? それなら一緒に行こうぜ?」
「行かないってば!!」
「それじゃあやっぱりサボりじゃん?」
「だから、サボらないってば!!」
まるで禅問答のようだ。
いや、まぁそんな高尚なもんじゃないんだけどな。
堂々巡りのやり取りになって来たので、俺は一つ悪戯を試みる。
「……穿いてる?」
「穿いてない!! って、何言わせんのよ!! 穿いてるに決まってるでしょ!! 変なこと言わせないでよ変態!!」
拳が飛んでくるかと思ったら、鋭い回し蹴りが飛んできた。
攻撃が来ることは予想していた俺は、腕と持っていたカバンでそれをガードした。
カバンの中の衣類たちがけりの勢いをうまく殺してくれたので助かった。
「……ふむ、確かに穿いているようだな」
「………………ろす」
「ん?」
「ぶち殺すっ!!!!」
「あははっ! そう簡単には殺されてやるわけにはいかないなぁ~!」
一緒に店に行こうと思っただけだったのだが、うまくいかなかったので、別の方法で彼女を焚き付けることにしたのだが……少し煽りすぎたと反省する。
しかし、このまま捕まれば、恐らくただでは済まないので、俺は全速力で逃げることにした。
拳を振り上げて俺を追ってくる深山に捕まらないように、俺は廊下を駆け抜けて、下駄箱で外履きに履き替える。
「待ちなさい!! 絶対にそのふざけた顔に一発叩き込んでやるんだから!!」
運動神経にはそこそこ自信のある俺だったが、そんな俺に置いていかれることなく付いてくる深山。
見た目そんなに運動が得意そうには見えなかったが、どうやらかなりの運動神経の持ち主のようだ。
「すごいな、深山。かなりの健脚じゃないか? 男の俺が結構本気で走ってるのに……」
「とか言いながら……はぁ……あんたは全然息が……はぁ……はぁ……上がって……ないじゃない……?」
「けど、そんなんで俺に一発入れられるのか?」
「……はぁ……はぁ……うっさい……今……殺すわよ…………見てなさい……」
かなり息は上がっているが、俺につかず離れず付いて来ながら、会話までできるとは……なんて感心している俺をよそに、深山はその身体に急制動をかけた。
かと思えば、カバンに手を突っ込んで、その勢いを殺さないままに流麗な動きで俺に向かって何かを投擲する。
後頭部に嫌な気配を感じた俺は、首を横に倒して頭部をずらす。
すると、ブオンッと野球部のスラッガーがバットを振るような大きな風切り音が俺の顔数センチのところを通り抜けて行った。
どうやら深山は、俺の後頭部めがけて恐ろしいほど正確に何かを投擲したらしい。
次の瞬間、俺の進む先にあった壁に、ものすごい音を立てて何かがぶつかり水しぶきが上がる。
その勢いで破裂してしまったが、どうやらミネラルウォーターのペットボトルのようだ。
飛び散った水の量から言って、ほとんど新品のものを投げたことが分かる。
“ようだ”なんて推測になってしまっているのは、そのペットボトルらしきものが、まるで水風船のように爆ぜてしまったからだ。
あんなものが直撃していたら、彼女の宣言した通り俺は死んでいたかも知れない。
「っち!! 器用に避けたわね!!」
「こらこら、あんなのぶつけられたら死んじまうだろうが!」
「だから、殺すって言ってるでしょう!?」
「普通は言葉の綾だと思うんですけど!?」
これは、冗談抜きで本気で走らないと、本当に命が危ないかも知れない……。
「もう一発!!」
「あっぶねぇ!!」
「ああ、もう投げるものがない!!」
そんなことをやっている内に、なんとか俺達はトワイライトガーデンの前までやって来たのだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……ははは、計画通りだ……」
「はぁ……はぁ……はぁ……あにが計画通りなのよ? はぁ……はぁ……はぁ……」
「何って、俺は当初の目的通り、お前と一緒に店まで来れたんだからな!!」
「はぁ!? あんたもしかして、その為に私を挑発したわけ? はぁ……はぁ……はぁ……」
「もちろんそうだぞ?」
「……はぁ~~……ばっかじゃないの!? なんか一気に冷めたわ……もうどうでもいい……私は出勤するから」
「ああ、頑張れよ!」
「……バカ、死ね!」
深山は息を整えながら俺に悪態をついて、店の中へと消えて行った。
「ふぅ~……いやぁ、久々に良い運動したなぁ……」
額に汗などかいたのは本当に久しぶりだった。
俺はしばらく風に当たってから、息を整えてトワイライトガーデンのドアを押し開いた。
カランカランッと軽快にドアベルの音が響くと、少し駆け足で俺の目の前に藍澤さんがやって来た。
「………………」
ペコリと頭を下げる藍澤さん。
その視線は、深山がまだ来たばかりで準備が出来ていないことを俺に伝えているように感じた。
「大丈夫ですよ、藍澤さん。あいつとは一緒にここに来たんで知ってます」
俺がそう言うと、藍澤さんはホッと安心したように表情を緩めたあと、メニュー一式を手に持って、開いた手で進む方向を示してから俺の前を先導するように歩き出した。
その一連の動きから、『ではお席に案内します、どうぞこちらです』という言葉が聞こえて来るようだった。
席に着いた俺がメニューを受け取ると、藍澤さんは丁寧なお辞儀をした後に、その手でそっとボタンを示してから再度会釈をして去っていく。
差し詰め『メニューがお決まりになりましたら、そちらのボタンで何なりとお呼びください』と言ったところだろう。
「ありがとうございます、藍澤さん」
俺がそんな藍澤さんにお礼を告げると、藍澤さんは一度立ち止まって、俺にもう一度お辞儀をしてから店の奥へと消えて行った。
「ふむ、今日は何を食べますかね?」
俺がメニューを眺めていると、目の前にゴトンッと大きな音を立てて、水の入ったグラスがテーブルに叩き付けられた。
視線を上げると、そこには不機嫌そうな顔の深山が立っている。
「どうもありがとう、店員さん」
「お水です……それ飲んでとっとと帰って下さい、お客様」
もはやこれもいつものやり取り、言うなれば挨拶のようなものだろう。
いつもの不機嫌そうな深山の顔を見つめて、俺は一つ気付いたことを口にした。
「お前さ、教室にいるときより、この店にいるときの方が少しだけ柔らかい表情してるよな?」
「んなっ!?」
俺の言葉を聞いて驚いた顔をした深山は、それから顔をそむける。
「べ、別に……何も分からないわよ! 学校でも、ここでも……」
「そうか……なら勘違いかもな……」
俺の目には少なくともそう見えたのだが……
もしかするとそれは、俺の主観というか思い込みと、
「あによ?」
この可愛い制服のせいなのかも知れないな。
「こっち見てニヤニヤすんな! キモい!!」
「ん? ああ、いや可愛いと思ってな……」
「は、はぁっ!?」
「制服が」
「っ!! 死ね!! 絶対死ね!!」
そんなことを言いながら、俺のオーダーを素直に聞いて去っていく深山の背中を見送りながら、俺は思わず笑ってしまう。
旨い料理と、可愛い制服の女の子達……そして、素直じゃない可愛い女の子……
こんなに素敵なものが揃っているこの店を、俺は気に言っているのだなぁと自覚する。
うん、悪くないと思う。
女の子は砂糖とスパイス、それと素敵な何かで出来ているとマザーグースは言っていたそうだ。
俺もそれに同意する。
まぁ、ちなみに、男の子はカエルとカタツムリ、それと子犬の尻尾だとマザーグース先生は言っているらしいので、あの方の考え方に俺は全面的には同意しかねるのだが……
女の子については異論はないのだ。
そんな訳で、かなりお気に入りになったこの店だが……意地悪で下らない悪戯ではなく、いわゆるサプライズというものを仕掛けてみようと企み始める俺だった。
いや、そんな訳ってどんなわけなんだろうな?
それにもよく分からないけどさ。
とにかく、ちょっとおもしろいことを、日ごろの感謝も込めてしてみようと思うのだった。
続く――。
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