第2話 追い返されに行く客が通うレストラン





 ドンッと音を立てて俺の目の前に置かれたグラスから、注がれていた水が少しこぼれる。


「……水」

「ああ、どうも……」

「ふんっ……」


 およそ店員とは思えない態度で接客(?)をして去っていく深山の背中を見送って、俺は溜息をつきながらソファーに深くもたれかかった。


 前に来てから約一週間後。

 俺は再び、あのトワイライトガーデンにやって来ていた。

 この一週間は色んな意味でしんどかった。

 まず、待ってもいないのに返ってくる定期テスト。

 まぁ、俺の場合はその結果に一喜一憂するのが基本的に自分だけなので、これは然程しんどくはなかったのだが……

 放課後の勤労は非常にハードだった。


「マスターほんと遠慮なく使うんだもんな……

 力仕事から接客までなんでもござれだし。

 ま、お陰でかなり稼げたけどさ」


 約束された極貧生活を回避するために、俺は知り合いのバーのマスターに頼み込んで、週7で働かせてもらったのだ。

 知り合いも来ないし、時給もいいし、賄いも付くので、俺的には最高のバイト先だったりする。

 問題点があるとすれば、マスターには俺のスキルが知られているので、文字通りなんでもやらされてしまうところだが……

 正直な話、それも望んでのことなので、問題点とは思わなかった。

 やっぱ、お金を貰うならしっかりこき使って貰わないと申し訳がない。

 前にマスターにそう言ったら、「大人になるまでにその考えは改めておけ」って言われたけど。


「けどまぁ、そのおかげで、

 ここにも通えるようになった訳だ……」

「あんた、さっきから何一人で

 ブツブツ言ってんの?

 キモいんだけど……」


 気が付くと、目の前には俺の頼んだチキングリルをお盆に乗せた深山が立っていた。


「……お待ちどうさま。

 これ食べてさっさと帰って下さいね

 大馬鹿野郎」


 チキングリルをテーブルに置いて、俺のことを睨みつけながら、そんな暴言を吐く給仕様。

 その顔には「お客様は神様だなんてクソ喰らえです」とでも書いていそうだ。


「ありがとう。まぁ、ゆっくりしていくよ」

「……ふんっ!!」


 こんな態度で接客されることが分かっていて、どうして俺はこの店に来たのかと聞かれると、どうしてなのかは自分でも説明が難しかった。

 敢えて理由をひねり出すなら、家に帰って一人寂しく食べる夕食より、深山にこうして喧しく文句を言われながら食べる夕食の方が美味しいからだと思う。

 まぁ、深山の賑やかな文句がなくても、この店の料理は俺が作る極貧メニューより美味しいのは言うまでもないのだが。


 それにしてもだ。


「いらっしゃいませ、おひとり様ですか?

 お席にご案内いたします!」

「本日のおすすめは、

『季節の彩りパスタ』セットになっております。

 私も賄いで食べましたけど、

 本当に美味しいんですよ!」

「コーヒーのおかわりですね!

 ただいまお持ちいたしますので、

 少々お待ちください!」


 あれは果たして、俺を接客していた給仕様と同じ方なのだろうか?


 水のときと同じく、ドンッと大きな音を立てて置かれる、注文した覚えのないパフェと、


「はい、デザートね……」


 スマイルのかけらもない接客をする給仕様。


「あによ?」


 これが同じ人間によるものだというのだから信じがたい。

 ある意味、ここまで徹底的に態度を使い分けられる彼女の器用さには、俺は感心すらしているのだ。


「別に……」

「それ食べたら、さっさと帰りなさいよ!」

「いや、頼んだ覚えがないんですが?」

「いいじゃない、折角だから食べなさいよ」

「そう言いながら、

 追加でオーダーした伝票を差すのは

 やめてくれません?」

「いいじゃない、

 ケチケチしないで払いなさいよ」

「この店は、

 客に料理を押し付けて金をとるのかよ?」

「馬鹿ね、

 そんなこと他の客にする訳ないじゃない?

 あんただけ特別よ」

「なにそのされてかけらも嬉しくない特別扱い……」

「ああ、もううっさいわね!

 良いから食べなさいよ! いいわね?」


 最終的には、問答無用でパフェを押し付けて深山は去っていくのだった。


「……俺、あいつに何かしたんかね?」


 一人になって、思わず考えていたことが口からこぼれてしまう。

 長くなった独り暮らしの弊害だ。

 独り暮らしをするようになって、どうにも独り言が増えた自覚はある。


 深山の俺とそれ以外の客に対する態度の差。

 その原因を考えてみたのだが、俺にはどうしても心当たりがないのだ。

 本当に、俺は深山に何もしていない。

 深山とは隣のクラスで、交流は全くない。

 これまできっと、何度か廊下ですれ違ったこともあると思うのだが、そのときに挨拶を交わした記憶もない。

 お互いが学校ではなんとなく有名人なので、顔と名前は一致しているが本当に知り合いと呼べるほどの付き合いもないのだ。

 つまり、俺と深山の間の関係は、限りなくゼロに近いはずなのだ。

 だが、現状はどう見てもマイナス100くらいに感じられる。


「ここまで考えると、もう理由は単純に

 『嫌われているから』

 しか思いつかないんだよな……」


 けど、ほとんど交流のない相手から、初見に近い状態で嫌われてるって……

 結構ショックなんだが。


 そっか、俺、深山に嫌われてるのか。

 改めて考えてみたら、やっぱり結構ショックだ。

 俺以外の人間と彼女のやり取りを端から見るに、彼女が悪い人間でないことはなんとなく分かる。

 そんな人間に、ここまで嫌われるって……


「はぁ……」

「あによ、ため息なんてついちゃって……

 って、全然パフェ食べてないじゃない!

 せっかく作ってあげたのに……」

「いや、深山みたいないいやつに

 嫌われてるって思ったら、

 ちょっとショックでな」

「へ? はぁっ!?

 な、なに言っちゃってんの?

 キモい……ううん、キショいんですけど!!」


 考え事の最中に、不意打ちで話しかけられてしまったので、いつもの癖で考えていたことが思わず口からこぼれてしまった。

 自分でも少し気持ち悪いことを言った自覚はあったので、彼女のリアクションも当然だと思うのだが……


「気持ち悪いことを言って悪かったが、

 そこまで顔を真っ赤にして

 怒ることでもなくないか?」

「べ、別に怒ってなんかないし!

 驚いてびっくりしただけだし!!」


 いや、『驚く』と『びっくりする』って同じ意味だと思うんだけど……

 思わずこぼれそうになった言葉を飲み込んで、俺は自分の顔に苦笑いを張り付けた。

 余計なことを口走って、彼女の気分を害したくはなかったのだ。


「ん? そう言えばさっき、

 このパフェ深山が作ったって言わなかったか?」

「へ? な、なんのこと!?

 私そんなこと言ってないんだけど!!」


 はて?

 確かに彼女の口からそんな言葉を聞いた気がしたのだが、聞き間違いだったのだろうか。

 まぁ、彼女にここまではっきり否定されてしまうと、そうだったと思う他ないのだけれど。


「そうか、じゃあ俺の聞き間違いだな」


 俺はそう言って、パフェスプーンでソフトクリームをすくい上げ一口食べた。


「うまい。うまいぞ深山。サンキュウな」

「はぁっ!?

 あんであんたが、私にお礼を言うのよ?」

「さぁ? なんでだろうな?」


 きっとあの言葉は聞き間違いだが、俺はそう言ってお礼を彼女に伝えてから、『深山じゃない誰か』が作ったパフェを美味しくいただいたのだった。



 ドリンクバーで粘った後、いい加減家に帰るかと考えて席を立つ。

 ふとフロアに視線を巡らせると、深山は別の客の接客中だった。


「まぁ、別に俺専用の給仕様じゃないしな、

 当然か……」


 伝票を手に俺がレジまで歩いていくと、そこにいた店員が俺を見て驚いたような顔をした。


「あれ? 神越君、満月ちゃんは?」

「いや、深山ならあそこでお仕事中だ。

 深山がどうかしたのか?」

「あはは、いやいや、

 別になんでもないよぉ~……

 あ、お会計だね」


 俺の差し出した伝票を受け取って、そいつはテキパキと会計を済ませてくれた。


「それではお釣りをお返ししますねぇ。

 ありがとうございましたぁ。

 またのご来店をお待ちしておりまぁす!

 それにしても……

 神越君が外食なんて珍しいね?」

「そうか?

 俺だってたまには外食くらいするさ……

 えーと……ポニー」


 確か目の前のこいつも、深山と同じクラスだったと思うのだが、失礼ながら名前が出てこなかった。

 流石にそれは申し訳なかったので、俺はその場で即席のあだ名を用意したのだった。


「あはは……酷いなぁ。

 初対面って訳じゃないのに。

 しょうがないなぁ。

 サービスで自己紹介してあげるね。

 私は馬堀万里子だよ。よろしくね、神越君」

「ああ、よろしくなポニー」

「あ、その呼び名でごり押しするんだ!?」

「いや、なんか俺の中でしっくり来たんだ。

 その髪型。愛くるしい目。

 ホンワカする空気感……

 まさにポニーって感じがするだろう?」

「あはは、確かにこの髪型にしてから長いし、

 印象強いかも知れないけど……

 名前の方もちゃんと覚えてくれたら嬉しいなぁ……」


 どうしてだろうか、この少女とは驚くほどに話しやすかった。

 空気感というかなんというのが正しいのか分からないが。

 会話のキャッチボールが驚くほどスムーズで、思わずくだらないことまで喋ってしまった気さえする。


「馬堀万里子だろ。覚えたよ。

 でも、お前はもう俺の中ではポニーだ。

 それは揺るがない」

「揺るがないんだ!?」

「何だったら、

 お前自身もポニーを名乗っていいぞ。

 俺が許可しよう」

「いや、私は別に――」

「いい名じゃないか、ポニー」

「えっと、だから――」

「……可愛いあだ名だと思ったんだが。

 ……いやだったか?」

「え?

 べ、別に嫌ってことはないけどぉ……」

「なら、ポニーで決まりだな!!」

「いやいや、勝手に決めないでよぉ~!

 って、ひぃっ!?」

「ん? どうしたポニー?」


 軽快に弾む会話が楽しくて、思わず馬鹿みたいにポニーに絡んでいたら、ポニーは俺の背後に視線を固定して身を固くしていた。


「どうしたポニー、

 そんなライオンに睨まれたみたいな顔して。

 俺の後ろに何か……」

「へぇ……ポニーかぁ……

 いいあだ名じゃない、万里子」


 振り返ると、そこには深山ライオンがいた。


「どうわぁっ!? 何で顔してんだ深山!!

 一瞬お前の背後に

 リアルなライオンが見えたじゃないか!!」

「み、満月ちゃん!

 これは、その……ちがくて……」


 俺とポニーは、ライオンの檻に放り込まれたウサギのように、深山の放つプレッシャーに震え上がった。


「違うって、何が?

 良いあだ名じゃない。ポニーちゃん。

 私も使おうかしら……

 ねぇ、ポニーちゃん?」

「だからね、満月ちゃん! 誤解だよ!!」

「ふーん……

 あんたポニーちゃんとは仲がいいのねぇ……

 知らなかったわ」

「まぁ、少なくとも、

 お前とよりは仲はいいかもな」

「どうして神越君は、

 よりによってそんな風に言っちゃうかな!? 

 バカなのかな!?」


 俺のことを睨みつける深山に返した俺の返答を聞いて、ポニーは珍しくそんな鋭いツッコミを俺に入れた。


「あ、そう! じゃあ、

 ずっと二人で仲良くしてるといいわ!!

 私仕事あるから!!」


 鬼の形相でそういうと、深山はそのままノッシノッシと店の奥に消えて行った。


「あはは……

 これは後で誤解解くのが大変そうだなぁ」

「なんだったんだ、今のは?」

「神越君は

 もう少しだけ満月ちゃんの気持ちを

 考えてみるといいんじゃないかな?」


 俺の質問に、ポニーはそんな意味深な言葉を返すと、


「それじゃあ、

 私もお仕事があるからそろそろ行くね。

 神越君。これに懲りずにまた来てね」


 そう言って、深山の後を追う様に、店の奥へと消えるのだった。


「なんて言うか、

 変わった従業員の多い店だな」


 もしもこの言葉を聞いていたら、ポニーは「神越君も十分変わってると思うけどねぇ」とか言いそうだな。


「また来てね、か……そうだな。

 飯も旨いし、面白い奴も多いし……

 また来るのも悪くはないだろうな」


 もう、心は決まっているくせに、俺はそんなことを言いいながら、お気に入りの店『トワイライトガーデン』を後にするのだった。


 ポニーの言葉。


『神越君は

 もう少しだけ満月ちゃんの気持ちを

 考えてみるといいんじゃないかな?』


 が、どうにも気になって仕方ない俺なのだった。





 続く――。


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