Tune the Restaurant. ~レストランの店員が俺にだけ冷たい件について~
はないとしのり
第1話 客を追い返す店員がいるレストラン
学校から家に帰る途中にある、ファミリレストラン『トワイライトガーデン』。
関東には数店舗しかない関西中心のチェーン店だと知ったのは、俺、
何故そのレストランを選んだのかと聞かれれば、たまたま目に入ったからと答える他ない。
ずっと気になってはいたのだが、訳あって独り暮らしをしている貧乏学生の俺には、ファミレスであろうと外食というのは少しだけ敷居が高かったのだ。
ただ、定期テスト明けのその日は、試験勉強に追われて週末に食材を買いに行けなかったので、家に帰っても晩御飯を何も作れないことが分かっていた。
もちろん、買い物をして帰ればいつも通り自炊は出来るのだが、試験地獄で疲れていた俺は、家に帰って料理をするのが少し億劫だったのだ。
今月の食費にはまだ少し余裕もあったはずだ。
そんな様々なことを考えた結果、俺はずっと気になっていたその店で、晩飯を食べることを決めたのだった。
カランカランッと、軽快な音を立ててドアベルが鳴った。
今どき自動ドアじゃないその入り口も、何だか雰囲気があっていいなと思った。
「いらっしゃいま――
お客様、そのまま回れ右をしてお進みください」
来客に気づいて出て来た給仕の女の子の表情が、俺の目の前で目まぐるしく変わったのが見えた。
最初は営業スマイル全開で、次の瞬間その笑顔を引き攣らせ、心なしか額に汗をかいたように見えたと思ったら、最後には笑っているはずなのにその目は全く笑っていない形容しがたい表情を浮かべ、さっきの言葉を俺に向かって吐き出したのだった。
「いや、そうするとこの店を出て行っちまうんだが?」
「ですから、出て行っていただきたいと申し上げております。ご理解いただけないでしょうか?」
その目が全く笑っていない営業スマイルで、俺にそう言った少女の顔には見覚えがあった。
確か……
「お前、もしかして深山か?」
「はて、誰のことでしょうか?
私はそんな名前ではございません」
いや、間違いなく隣のクラスの
あまりにもはっきりとしらばっくれられたので、自分の記憶違いを疑いそうになる。
「大変申し訳ありませんが、当店は今満席となっており――」
「深山ちゃんどしたん?
お客さんテーブルに案内しないの?
もしかしてやばい客?」
「……店員さん、
どうやら満席じゃないようですが?」
「……っち」
同僚らしき女性にも間違いなく『深山』と呼ばれた『深山満月ではない誰か』は、俺の指摘を聞いてあからさまに不機嫌そうに舌打ちをした。
「御一人様デスネ」
「そこは『おひとり様ですか?』じゃないのか?」
「禁煙席ヲ、ゴ希望デスネ」
「まぁ、確かに煙草は嗜まないが……」
「ソレデハ、オ席ヘゴ案内イタシマス」
『深山満月ではない誰か』は、そんなあからさまな棒読みの定型文を口にして、俺をしぶしぶ席へと案内するのだった。
バサッと音を立てて、店のメニューがテーブルに雑に置かれる。
「こちらメニューになります。
おススメは『何も頼まずにさっさと帰られること』でございます。
それでは、メニューが決まりましたら、
そちらのボタンでお呼びください」
俺といっさい目を合わせないようにして『深山満月ではない誰か』はそう言うと、足早にホールを歩いて店の奥へと消えて行った。
「なんだったんだ、あれ?」
およそ接客業に携わる人間の態度には思えない『深山満月ではない誰か』の接客に、俺は思わず首を傾げた。
あれはそういうサービスなのだろうか?
随分昔に『ツンデレカフェ』なるメイド喫茶から派生した店があると、ニュースで見た覚えがあるが、この店がそれなのだろうか?
そんな風に考えながら、何気なく店内を観察していると、さっきの『深山満月ではない誰か』が、別の客に弾けんばかりの笑顔で、給仕の見本のような満点の接客をしているのが見えた。
「あれは俺の幻覚かなんかだったのか?」
先程まで俺の目の前にいた人間が幻だったのではと思ってしまうような、『深山満月ではない誰か』の接客。
そうでなければ、彼女は俺に対してだけ、意図的にあんな接客をしていたということになるが、俺には彼女にそんなことをされる心当たりが全くなかった。
「……まぁいいか。それよりも俺は腹が減ってるんだ」
色々と考えてみたものの、よくよく考えれば俺には関係ないことだ。
そう結論付けて、俺はメニューを広げて本日のディナーを何にするのか考えることにした。
ふと、店に入った瞬間の『深山満月ではない誰か』の笑顔を思い出した。
「……まぁ、最初の笑顔は、ちょっとドキッとするくらい可愛かったよな」
思わずこぼれた本音と、俺の頭上から冷たい茶色い液体が降り注ぐのはほぼ同時だったと思う。
「うおっ!? 冷てぇ!!」
何かを頭から浴びせられたことに気付いた俺が、思わず顔を上げると、目の前には『やっちまった』と思っていそうな顔をした『深山満月ではない誰か』が前傾姿勢でお盆を掲げるようにして固まっていた。
「申し訳ありません。リブステーキAセットのアイスコーヒー……でした」
「まだ何も頼んでないとか、色々ツッコミたいところだけど、この状況で堂々とそんなこと言えるのには少し感心するよ」
やはり目まぐるしく表情を変えた後、平静を装って彼女が口にした言葉に、俺は思わずそんな言葉を返していた。
「だから、謝ってるじゃない!」
「いや、全然謝ってないと思うぞ?
どっちかというと誤ってると思うがね。
この場合、謝罪の謝じゃなくて、
誤解の誤の方ね」
「訳わからないこと言わないで!
そもそもあんたが変なこと言うから、
手元が狂ったんじゃない!?」
「……ん? 変なこと?」
「な、なんでもない!!」
彼女の言葉が、最初何を言っているのか分からなかった俺だが、コーヒーが降ってくる直前の記憶を回想して、彼女の言葉の意味を理解する。
もしかして、俺はとても恥ずかしいことを彼女に聞かれてしまったのかも知れない。
そんなことを考えていると、俺と彼女の間に見るからに責任者然とした女性が割って入って来た。
「申し訳ありませんお客様!!」
その女性は、俺に向かって深々と頭を下げた。
「いますぐおしぼりをお持ちしますので!
ほら、アナタもちゃんとお客様に謝りなさい!!
まったく、だからあの店長の店に
ヘルプで来たくなかったのよ……
店長病欠で来てみれば、
本当にトラブルばっかりじゃないこの店は」
その女性の疲れた表情を見る限り、この店でその女性が相当な苦労に見舞われたであろうことが読み取れた。
「アナタはまともだと思っていたのに、
お客様にコーヒーをかけて置いて謝らないだなんて……
そんなのありえないでしょう?
まったく最近の子は変な言い訳ばかりで……」
もしかすると『まったく』というのは、この女性の口癖なのかも知れない。
この女性の言い分は全面的に正しいのだが、本人が言う様に彼女の接客は見た限り俺以外は問題なかったように思う。
つまり、俺には覚えがないが、彼女がこういう態度を取ってしまった原因が俺の方にあるのだろうと考えることが出来た。
「あの、客の前でそういう風に言うのはちょっと違うんじゃないでしょうか?」
知った顔が目の前で説教じみたことを言われるのは、いい気分がしなかったというのもある。
何故だか、その女性に対して少しだけイラついてしまった俺は、そんなことを口にしてしまったのだった。
「それに、俺は気にしてませんよ。
そいつとは顔見知りなんです。
こうなったのも、
俺がイタズラ半分で彼女をからかったからなので――」
「知り合いかどうかは関係ありません、
お客様にお飲み物をかぶせるなんて
言語道断です!」
俺の態度が攻撃的だったのと、その女性自身がそれまででイライラを募らせていたせいもあって、怒りの矛先はどうやら俺に方に向いたらしかった。
女性は少し強い口調で俺にそう言うと、そのままの勢いでさらに『深山満月ではない誰か』に説教を続けようとした。
「あのさ、おばさん。
コーヒー被った俺がいいって言ってんのに、
まだそいつをいびる訳?
てか、おばさんの話じゃ、
今日そいつがミスしたのって
これが最初なんだろ?
たった一回のミスで、
そんなクドクド言うのはなんか違くない?
カルシウム足りてないんじゃないの?」
やってしまった。
そう思ったときにはもう遅かった。
「そもそもさ……
コーヒーぶっかけられるより、
目の前で知った顔がいびられるの見る方が、
七兆倍腹立つんですけど?」
俺の言葉を聞いて、その女性の顔が真っ赤になるのを見て、俺は頬を叩かれるくらいのことは覚悟した。
でも――。
「も、申し訳ありませんでした!
私の不注意でお客様にご迷惑をおかけしてしまいました!
すぐに拭くものをお持ちします。
それとクリーニング代もお持ちしますので、
少々お待ちください!!」
その女性の怒りが爆発する前に、『深山満月ではない誰か』がそう言って俺に深々と頭を下げたのだった。
「店長代理、本当に申し訳ありませんでした。
このお客様のクリーニング代は、
私のお給料から引いておいて下さい。
よろしくお願いします」
「わ、分かったわ……
私も大人げなく色々言ってしまって
ごめんなさいね」
『深山満月ではない誰か』の勢いに飲まれる形で、冷静さを取り戻した店長代理と呼ばれた女性は、俺にも頭を下げていくつかの謝罪をしてから店の奥へと消えて行った。
それからすぐ後に、『深山満月ではない誰か』が大量のおしぼりを持って俺の前に戻って来た。
「申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げる『深山満月ではない誰か』に、俺は嘆息してから言葉をかけた。
「気にすんなよ。
誰にだってミスはあるし、
俺はこのくらい気にしない」
「ですが……」
「それに、俺なんかアイツ嫌いだ」
俺がそう言うと、『深山満月ではない誰か』は突然ふき出した。
「あはは、何それ、
そんな理由で私をかばったの?」
「……なんだよ、悪いかよ?」
「……ほんと、
そういうとこ変わらないんだから……」
「……ん? それってどういう――」
彼女の言葉の意味するところが分からなくて俺が聞き返そうとすると、彼女はその俺の言葉をかき消すように言った。
「ありがと、かばってくれて!」
「……お、おう」
コトッと小さな音を立てて、茶色い液体が入ったグラスがテーブルに置かれた。
「これ、今度こそセットのアイスコーヒー」
「いや、まだ俺何も注文してないんだが?」
「もう少しでリブステーキAセットできるから」
「いやだから……まぁいいか。
って、それ一番高いメニューじゃねぇか!」
俺の言葉が聞こえているだろうに、それをきっちり無視してスタスタと去っていく『深山満月ではない誰か』。
仕方がないので、もう観念してそのメニューを食べる覚悟を決める俺だった。
「……月末まで、もやし生活だな……」
残り数日とはいえ、極貧生活が決定してしまうが仕方がない。
何だったら、いつもの店で臨時のバイトをさせて貰うことも考えよう。
その後、『深山満月ではない誰か』は本当にリブステーキAセットを持って現れた。
鉄板の上で音を立てるステーキは、絶妙な焼き加減でびっくりするくらい旨かった。
二千円を超える値段も納得の味だ。
「まぁ、次来るときは
グリルチキン単品とかにするかな……」
なんと言うか、そこそこひどい目に遭ったわりに、俺がこの店を気に入ったのは、あの酷い接客態度の給仕のせいだろう。
伝票を持ってレジに行くと、やはり『深山満月ではない誰か』が俺の応対を文字通りの塩対応でしてくれた。
「お前、やっぱり深山だよな?」
最後に俺がもう一度そう質問すると、
「そうよ、悪い!?」
深山はそう言って俺を睨みつけた。
俺はそんな俺に噛みつきそうな顔をする深山に、口の端を吊り上げてこう言ってやった。
「いいや。
けど、お前って笑ってると
やっぱり可愛いな」
「ふえっ!?」
ボンッと音が聞こえてきそうなくらいに、一気に顔を真っ赤にして照れる深山。
接客態度は最悪だが、こいつはからかうと面白いということが分かって、俺はまたこの店に来ようと心に決めるのだった。
味もいい、立地もいい、メニューを選べば価格もいい。
良いこと尽くめのファミリーレストラン『トワイライトガーデン』を、俺は心底気に入った。
この店の唯一の欠点は、何故か俺にだけ冷たい店員がいることだ。
でも、俺はその店員のことが、どうやら気に入ってしまったようなのだった。
続く――。
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