夏の誤ち
砂塔ろうか
夏の誤ち
「おはよー」
その日の朝もいつも通り、学校でテキトーに駄弁って退屈な日々を過ごすはずだった。
服は夏服になったけど、やることは変わらない。
エミの彼氏がどーのこーのってグチを聞いて、赤点常連のしょーこに勉強教えてあげて、カタブツのミカをからかって遊ぶ――そんな日常が続く、はずだった。
「チカ、聞いた聞いた? 今日、てんこーせー来るんだって」
こういうことを一番はじめに話題に出すのはしょーこだ。大のウワサ好きで謎の情報網を持っている。
「転校生? 珍しいねこんな時期に」
「うん。なんかぁ、かてーのじじょーってやつらしいよ? ……キナくさいよね?」
いつもの下衆の勘繰りだ。「止めたほうがいいよ」ってエミが嗜める。
その時は私も、それに乗じた。事実、あまり品が良くないし、そんなことを続けていれば厄介事に巻き込まれるのは明白だから。
好奇心、猫を殺す。
ロクでもないことに首を突っこめば、ロクでもない結果しか招かない。
――ちょうど、昔の私達のように。
そしてこの日。私はそのロクでもない過去と対峙することになった。
「はじめまして。茨城から転校してきました。西野葵っていいます。みなさん、よろしくお願いします」
さらりと長い黒髪垂らして、葵は頭を下げた。
流麗な仕草はどこか、お嬢様めいて見える。
声はとても落ち着いたもので、小川のせせらぎのよう。
肌つやもとても綺麗で、マシュマロのようだ。
正しく、きっちりと着用された真新しい制服はまるで、彼女のためにあつらえられた特注品に見える。
クラスのみんなが目を奪われていた。クラスのみんなが耳を傾けていた。
だから私の呟きはきっと、誰のもとにも届くことなく虚空に吸い込まれる。
「……うそ」
このけたたましい心音すら、私以外の誰にも届かない。
――否。
たった一人、彼女だけはそれに気付いたのだ。
私を見つけて一瞬、びっくりしたあとでにこりと笑みを見せた転校生だけは。共犯者の彼女だけは、私を見ていた。
ああ、逃げられない。
諦観とともに、私は彼女の視線を受け止めるしかなかった。
◆◆◆
転校生、西野葵さんが来てからというもの、坂崎千夏さんの様子がおかしい。
メガネを拭きながら、私、榎木美佳はここ数日の違和感の正体を考えていた。
決して口には出さないけれど、たぶん、あの二人にはなにか関係がある。千夏さんは葵さんがこの学校に転校してくる前に、葵さんと出会っていたに違いない。
確証はないけど、確信していた。
「ねえ恵美さん、もしかして坂崎さんって茨城出身なの?」
「んー。どうだったかな……あ」
「なにか知ってるの?」
「いや、そういえば昔、茨城に母親の実家があるって言ってた……気がする。ただ、随分と昔の話だし、最近は帰省してないみたいだから……」
「帰省してない? お盆とかでも?」
「うん。家に一人で留守番してるみたい」
恵美さんは千夏さんの幼馴染だから、何か知ってるんじゃないかと思っていたけど、結局、それ以上のことは何も知らないらしい。
となるとほかに頼れそうなのは笑子さんだけど……あの人は口が軽いからなあ。それにこう、あんまり必要がない限りは話かけたくないし……。
まあ、仕方ない。
見て見ぬふりをすればいい。そうも思うのだけど……千夏さんは恩人だ。孤立するはずだった私をグループの輪に引き入れてくれた。その彼女が何かを抱えているのなら、私はそれを知っておきたい。
わがままだと分かっている。それでも、なにもしなかったら、後悔するから。
「笑子さん。聞きたいことが、あるのだけど」
◆◆◆
夏休みも終盤戦。ジキジキジキジキと鳴く声に彩度の高い、目が痛くなりそうなほどの青い空。
私、榎木美佳は駐輪場に自転車を止めて、その建物を見上げた。
「――高いなあ」
25階立ての高層マンション。その一室に、彼女、坂崎千夏さんは暮らしている。
マンションの入口に行くと、千夏さんが待っててくれた。
「こういうところ、初めてなんじゃないかと思って」
寒いくらいに冷房のきいたエレベーターの中は二人きりだった。
「前にも言ったけどお盆だからさ、両親は実家に帰省してるんだ」
「……はい。知ってます」
「にしても珍しいね。ミカの方から私んちに来たいなんて言うってさ」
「少し、お話しがあって」
「…………ほんと、らしくないよ。どうしちゃったの?」
チン。と音がしてエレベーターが開く。
私は一言だけ答えた。
「千夏さんの方が、先に変わっちゃったんじゃないですか」
◆◆◆
結局、下衆の勘繰りだったのだと思う。
よせばいいのに、私は興味本位で千夏さんの過去を調べはじめてしまった。しかも、よりによってこういうことが三度の飯より大好きな笑子さんと合流しちゃったから、歯止めがきかなくなっていた。推測、考察、調査。私はできることをなんでもやった。
その果てに、失望の二文字が待っているとも知らずに。
――今日、ここに来たのはこの失望が、私の思い過ごしであればいいと思ってのことだ。
つまりは確認。
事実と妄想の境界線を検めるために私はここにいる。
私たち以外誰もいない、千夏さんの家に。
「――7年前。茨城県××市で双子の少女が行方不明になった。少女の名は、西野葵、西野翠」
まず、事実から確認していくことにした。
テーブルの上に新聞記事のコピーを出す。
「どうして、それを」
千夏さんは顔を青くしている。
「翌日、葵さんは徒歩で交番まで歩いてきたところを無事に保護されている……けれど、千夏さん。その女の子は本当に、西野葵さんだったんですか?」
「………………っ!」
こんな千夏さんの顔、はじめて見た。
「な、な、なん、で…………ねぇ、なに、な、な、ん、なに、を……ねぇ!」
千夏さんが私の肩に掴みかかってくる。
明らかに動揺して、憔悴しきった顔。いつもの千夏さんとはまるで違う。
身体を揺さぶられながら、私は叫ぶ。
「落ち着いて! 千夏さん! 私が一人きりでここまで調べたとでも?」
「……っ」
まだ、そこまで頭を回すだけの理性が残っていて良かった。千夏さんは私の肩から手を放す。
「落ち着いて聞いてください。私は、あくまで下衆の勘繰りをしただけです。何も確証なんてないし、この話を拡散するつもりもない。あくまで、妄想だと思ってください」
それに、と私は付け加える。
「……私の憶測が正しければ、この話はもう終わってるんですから。今さら、どうにかなるというものでもないでしょう」
「…………うん」
「じゃあ、続けます」
◆◆◆
やはり頭がいいだけあるというかなんというか。ミカの憶測は概ね当たっていた。
ただ、少しだけ間違っているところもあって。
そのせいで私は思い出したくもないことを話すハメになってしまった。
「幽霊が出るってウワサを調べようってことで、近くの山で遊んでるとき、うっかり山の深いところに行っちゃってさ。私たちは遭難したんだ」
「いつの間にか、葵はスズメバチに刺されてた。お姉ちゃんだったけど、私はいつ刺されたのかも気付けなかった」
「で、意識が朦朧としはじめていた葵と翠を残して私は助けを呼びに行くために色々と歩き回った。同い年だったけど、私はお姉ちゃんだから。……今にして思えば、かなり無謀だったと思う。だけど運良く、奇跡的にね、私は山から出て、町に帰れたんだ」
「それで、大人を呼んで、私は山に戻った。大人は準備してから行こうって話をしてたんだけど、葵が心配で、いてもたってもいられなかったから私は大人の制止を振り切って山に戻った。来た道を戻るのに、不思議と苦労はなかったよ」
「……葵は、苦しんでた。意識が朦朧としていた。私は葵を立たせようとして、転んだ。葵はそのまま、山の斜面を滑り落ちて、どこかに消えてた」
「そう。つまり7年前のあの日、本物の西野葵は死んだ。遺体がどうなったかは、私も知らない」
「……しばらくして、大人たちがやってきた。私はパニックになって、翠を指差してこう言った」
「――葵が!って」
「それで大人達は翠を葵だと勘違いしちゃったんだよね。その日、二人は双子を利用して入れ替わっててさ、服も髪型も、葵になってたから」
「で、びっくりしたのか翠は逃げ出した」
「大人達は必死に捜索したけど、そのうち夜がきて、捜索は一時中止になった」
「あとは、新聞記事にある通り。翠は自力で山を下りて交番にかけこんだ。……西野葵として」
◆◆◆
ちりん、と風鈴の鳴く音がした。
私は全てを話してくれた先輩に感謝の言葉を告げて、部屋をあとにする。
「あーあ」
血が凍るかと思った。
「おねえちゃんと私だけの秘密だったのに」
全身を怖気が駆け抜ける。
西野葵――否、西野翠がそこにはいた。
「好奇心、猫を殺す。軽率だよ、あなた」
ゆらり、指揮棒のように振られた人差し指から目が放せない。身体の軸がブレる。
すんでのところで受け身をとった。
私は確信する。
「――そう、そういうことなの」
メガネを外す。
「つまり、私と同じ――」
翠の指に裂傷が入った。瞬く間に血まみれになる。
「――っ!?」
「この目は、異常の力を行使したものを刻む。そういう目です」
「なっ……」
「取引しましょう。私はもう、千夏さんに深入りしない。その代わり、あなたも私に危害を加えない――どうですか?」
「……」
「安い買い物だと思いますけど」
翠は、ゆっくりと頷いた。
「良かった」
◆◆◆
翌日。西野葵は死体で発見された。死因は失血死。全身を何か鋭利なもので切り刻まれたのだ。
ネットニュースの見だしを見て、私は「あーあ」とため息をつく。
でも、これで良かったのだ。時間はかかれどこれでまた、いつもの日常が返ってくるのだから。
夏の誤ち 砂塔ろうか @musmusbi
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