第3話 異変


 無音となった画面を見つめ、俺は今起きた出来事を無意識で思い返していた。

 紫の小人に殺された……? いや、まずあんな生物見たことないし……。


 思い返していると、ついあの腸らしきものを生きたまま取り出されていた女性のことが頭に浮かび吐き気が込み上げてくる。


「うっ……おぇぇ……」


 急いでトイレに駆け込み、さっき食べた朝食を戻してしまう。全てを出してきっても胃がまだ何かを出そうとするおかげで中々吐き気がおさまらない。


「はぁはぁはぁ……あれ、なんなんだよ」


 今日は変なことばかりが起こる日だ。

 朝に機械みたいな声が聞こえるし、太陽が黒い霧に隠され、地震が起きて……それに加えて変な生物って……今日にたくさんイベント詰め込むじゃん。もういらないよ。


 トイレの便器と仲良く向き合いながら、俺はそんなことを思う。

 なぁ、そうだろう? これまで俺と苦楽を共にしてきたトイレの便器よ……。


「ふぅ、だんだん落ち着いてきた……」


 しょうもないことを色々考えているうちに、吐き気が収まってきた。

 今日もまた、このトイレの便器と苦難を乗り越えたぞ……!

 なんて考えていないと、色んなことが起きすぎて頭がどうにかなってしまいそうだ。


「いや、こんなことを考えてる時点で相当やばいな」


 そう呟いた時、外から何か重いものが落ちたような重い音が響いた。

 これ以上何も起きてほしくないんだけど……。


 何事もないことを祈りつつ、俺は外の様子がよく見える二階へと移動する。

 別に一階から見に行っても良かったが、玄関から外に出るのがただめんどくさかった。

 それにしても、廊下も収納棚からものが落ちて大変なことになってるな…


「それよりも、一体何が落ちたんだ……?」


 この辺に重くて落ちそうなものはないはずだから、予想をしようにも何も思い浮かばない。

 仕方なく、道路側に面している自分の部屋に行って窓から覗いてみることにした。


「あちゃ……俺の部屋もグッチャグチャだなぁ」


 自分の部屋に入ると、壁にかけていたものは全て落ちていて、棚に収納してあった学校の教科書も落ちている。

 一番ひどいのは、部屋の奥にあるベランダに通じる大きな窓が割れているのがひどい。


「窓ガラス危ないな……」


 部屋の奥にしまっていた箒が床に落ちていたので、それを手にガラスを端っこに寄せ、サンダルのガラスを払って外に出た。

 それにしても、なんだか外が騒がしい。


「一体外で何してんだ?」


 ベランダから外を覗く。

 家の目の前の道路には何故か大きな凹みができており、コンクリートが一点を中心にして放射状にひび割れていた。

 その痕は、まるで何かが落ちてきたようなものだが、肝心な落ちてきたものが何処にも見当たらない。


「キャァァァ! だ、誰か……! た、たすけて!」


 大きな凹みを見ていると、近くの家から女性が叫びながら部屋着のままで飛び出してきた。

 そちらを見てみると、良く見ると道路には無数の血が飛んだ跡があり、その跡を辿っていくと、男性のものと思われるスーツが血の海に沈んでいた。


「……は?」


 血の海を見てから、視線を女性に戻した。

 女性は、家から目の前の道路を走り助けを求めている。

 その着ている服は血に塗れており、明らかにおかしい。


「だ、誰かお願い! た、助けて──」


 女性の助けを求める声が聞こえる。

 俺は……あの動画を見てしまった。あの、人が残酷に殺されてしまう動画を。


 多分、あの動画を見ていなかったら俺はあの人を助けに行っていただろう。

 だが、見てしまった俺は助けに行くことはない。

 これであの紫の小人のような怪物が出てきたら、俺は到底敵いそうもないからだ。


 歯を、食いしばりながら女性を覗き見る。

 助けを求める声は変わらず響いており、それが俺の胸をやけに騒がせた。


 不意に、俺は思った。

 なんで、俺は助けようともせず、ただ眺めているのだろうと。

  

 そんな思いは、答えが出ないまま消え去ることになる。


「……は?」


 女性の頭が、爆ぜたのだ。


 その寸前まで助けを求め叫んでいた女性の頭は、一瞬にして血飛沫に変わり地面に真っ赤な染みを付け、俺の方にまで血生臭い臭いが漂ってくる。


 女性が逃げてきた家の方から何かが落ちる鈍い音が聞こえ、恐る恐るそちらの方に視線を向け、そこには──






──『鬼』がいた。



 正真正銘、日本の伝説に存在するあの『鬼』だ。

 

 現れたそいつは、全身筋肉質の赤黒い肌に遠目からでもわかるほど大きな……三メートルはあるのではないかというくらい大きな体躯。そして、その体躯でも地面に引き摺るようにして持っている鉄製の棍棒。

 何より、俺がそいつを『鬼』と認識した特徴は、額から伸びる二本の真っ白な角だ。


 そいつの足元には頭が無惨に潰され、性別がわからない死体が転がっている。


 意味が、わからない。


 なんで現実世界に『鬼』がいるんだ? 空想上の生物ではないのか?


 いろんな考えが、俺の頭の中を駆け巡る。

 けれど、答えは出ない。



 逃げよう。

 叶うわけない。

 見つかったら死んでしまう。

 どこか、安全なところに……。



 でも、一体どこに逃げればいいんだろう。

 あれみたいな怪物が、この辺に何体もいたら……。


 そう考えながら『鬼』を見ると、『鬼』が笑った……気がした。



 その瞬間身体中から汗が溢れ出て、鳥肌が一気に立つ。


 頭で考えるよりも先に、俺の身体はその笑みを見た瞬間に動き出していた。


 急いで部屋に戻り、動きやすい格好(ジャージ)に着替え、リュックにできるだけ必要そうなものを詰める。


 リュックに詰めたのは、一人用のキャンプで使うようなバーナーとそれに使うガス燃料を持てるだけ。そのほかに、お湯を沸かすための小さなヤカンとスキレットとコップ。それと小型のテーブルをつめた。

 そして、空いているスペースにはカップ麺などの長期保存が可能で、どこでも食べられる食料と箸などを入れる。


 これまでに十分もかかっていない。


 だが、あんな化け物がいる外に行こうとしているんだ。

 なんでもいい。とりあえず、手頃な武器が欲しい。

 ないよりは、何かしらあったほうがいいはずだ。


 そう思いながら家を探していると、キッチンにたどり着いた。

 流しの下の戸を開けると、そこからは全く使われず、新品同様に綺麗な包丁が。


 俺はその包丁を手に取ることに躊躇してしまう。


 それもそうだ。俺は──




 数年前の、『あの出来事』から刃物恐怖症なのだから。

 

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