第20話 DF・ザフキエル

「これは……脳震盪のうしんとうですね。少しすれば目を覚ますでしょう」


 前線のキャンプに設置された医務室内の簡易ベッドの上で伸びている冬馬を尻目に高齢の医師はハートたちへ告げて、他の患者の元へと去っていった。


「ダメダメじゃん龍の王ザフキエル。知ってる? これから冬馬は、このバルカナッツォの拷問を受ける予定だったの。それが無意味」

「ハート、お前さっきはオレを褒めてたよな?」


 即座に視線を逸らして口笛を吹くハートにザフキエルは鼻をひくつかせる。


「こんの…ガキ……」

「…私の方が大きい」


 か細い声で早口のまま喋ったハートだが、ザフキエルは一字一句内容を聞き逃していなかった。目にも止まらぬ速さでハートに飛び掛かろうとしたその瞬間。彼女の小さな身体は背後に現れた礼服を身に包む青年に抱き上げられる。


「姉さん、ストップ。仮にも龍王なんだから、他国で暴れちゃ駄目でしょ」

「アズラエル! 弟のお前までオレを見放すのか!」


 現れたのは王弟『アズラエル』。龍王『ザフキエル』の弟で身長の件で引きこもった姉に代わり、王代理を務めている。冬馬が担ぎ込まれた際には、キャンプの奥に居たガンプに挨拶していたらしい。戻ってみれば医務室から姉の雄叫びを聞いて走ってきた。


「人聞きの悪い…ここ、病室だよ? まぁ、二人のお陰で彼は起きたみたいだけど……」


 アズラエルの視線の先には頭に包帯を巻いた冬馬がベッドの上で身体を起こしていた。


「死ぬかと思った…ほんの一瞬だけど三途の川が見えたよ」

「無事で何より冬馬。災厄の軍勢討伐お疲れ様。ところで…」


 何か言いたげなアズラエルの様子を見て察した冬馬は手を叩く。


「あぁ、『現実逃避』の副作用のこと?」

「そうだ。ハーちゃんや来訪者を巻き込んだ割には何も無かった事が驚きでさ」

「少し、いや大分かな…弄ったんだ『現実逃避』を」


 得意げな表情をする冬馬にアズラエルは興味を持ったのか、ザフキエルを放り投げて目を輝かせながら詰め寄る。


「ほうほう。それでそれで?」

「この話は…ガンプとかにもしたいし、作戦室でやらないか?」

「二度手間を省くのは賛成だ。それじゃ行こうか」


 アズラエルは冬馬に肩を貸して部屋からそそくさを立ち去っていった。ハートも無言で後をついていく。そして、部屋には風たちと、部屋の隅に放り投げられた龍王が残されていた。


「誰か、アレに話しかけろよ…」

「無理言わないでよ、龍王って…あの龍王でしょ……」


 風たちの護衛役であるこの世界の住人にとって、龍の民は近寄り難い存在らしい。事実、クラスメイト全員の護衛役を見ても龍の民は居た記憶がない。


「くそっ…」

「「「ヒッ…」」」


 起き上がるザフキエルに周りは一歩距離を取る。しかし、立ち上がった龍王の顔を見て、全員度肝を抜かれた。


「あの野郎…オレだって、オレだってなぁ…」


 先程まで、強く荒々しかった彼女の頬を涙が伝っていたのだ。龍王は両手で顔を覆う。


「うぅ…寂しい」


 この時、その場に居た全員が同じ事を思ったそうだ。


(か、可愛い…)


 しゅんと萎れた彼女の姿は、風たちに親心に似た何かを芽生えさせた。これを見れば、アズラエルがやけに可愛がるのも納得はする。放り投げたことに納得はしないが。


 そんな中、明美は恐ろしさと愛らしさを兼ね備えた龍の少女に、声をかける決心を固める。医務室に入る前に、ザフキエルが龍の国を治める国王の一人とは聞いている。また、先程もハートに少しでも目線を合わせようと爪先立ちする姿を見ていたので、触れてはならない話題も察していた。


「(絶対に身長に触れちゃいけない…)あの〜」


 見知らぬ人間に話しかけられたザフキエルは不機嫌な態度で明美の方を向く。目元を擦っているが、眼は真っ赤に充血していた。


「何だよ、来訪者。オレは泣いてねーからな! 別に弟にすら構われなくても悔しくないからなっ!」


 目元を真っ赤にしたザフキエルに対して、明美は探り探りの言葉遣いで視線をあっちこっちに動かしながら話す。


「いやっそうじゃなくて、その…私も向こうに弟が居て…昔は鬱陶しいくらい引っ付いてきたのに、最近全く話してくれなくて…逆に私が寂しいって感じ始めて……」

「お前、要点だけ言えよ…話長い」


 拙い喋り方に苛立ち、更にプレッシャーが増したザフキエル。明美にとって、地球にいた頃には一度も感じたことの無い恐怖に膝が震えていた。


「ご、ごめんなさい! それでですね。少しでも話すキッカケになればと、弟の趣味や好みを真似したら…何か、家で話しかけてもらえる機会が増えたんですよ…」

「……」


 ザフキエルは話し終えた後も、じっと明美を見つめる。獅子が獲物を狙うような視線で品定めしていた。緊張した空気の中、ザフキエルが口を開く。


「お前…」

「は、はい…」


 怖くなって目を瞑る明美だが、耳にはザフキエルの足音が聞こえていた。それが止まった時、目を開けると彼女は明美の目の前まで来ていた。彼女が両手で明美の両腕を掴んだ瞬間、終わった私の人生と悟り、再び目を瞑る。だが、龍王から出てきた言葉は予想外のものだった。


「頭、良いな!」

「はい?」

「オレからすれば、アズラエルの好きな事は良く解らん。が、逆もまた然り。先に分かってやれば、オレの寛容さに涙するに違いない!」


 そういう訳ではない、と言える空気でもなく、目の前で元気になったザフキエルに明美は何度も頷くことしか出来なかった。


「感謝、だ。名を聞いてやる来訪者」

「あ、東明美です」

「アズマだな。ザフキエルだ、お前が元の世界に帰るまで、オレの話し相手フレンドになれ」


 小柄な龍王少女と一般の日本少女が握手を交わし、友人関係ドラゴンフレンドに発展した事は人の国で一大ニュースになったのは、少し先の事。


「残るは冬馬から身長を返してもらうだけだ」

「身…長?」

「そうだ。為とはいえ、200年間持ち逃げしてるからな。返してもらわなければ」


 晴れやかな笑顔の龍王は、災厄の根源も消えて雲一つ無くなった晴天に向けて誓うように言った。


「良し、作戦室とやらに行くか。オレも冬馬にまだ聞きたいことがある」


 さて、その頃の冬馬とアズラエルはというと。ガンプの居る作戦室の前までたどり着いていた。


「良いのアズラエル? あんなやり方したら、ザフキエル絶対泣いてるよ? お前まで離れたら彼女の拠り所が無くなるだろ」


 冬馬もザフキエルとはそこそこの付き合いなので、あんな放置の仕方をすれば、彼女が泣く事は容易に想像出来た。

 実の弟であるアズラエルが、肩を貸す際に耳元で『考えがある。今回だけは姉さんを放置する』と言わなければ、スルーもしなかった。


「姉さんの為だよ。今の龍王は圧倒的に知名度が低い。ずっと引きこもっていたからね。連合会議に出ても発言力が無いかもしれない」


 連合会議とは、不定期に開催される大国の王が集う会議。次回は人の国でもうすぐ行われる予定だ。


「次の議題は来訪者が鍵になるのは間違いない。その時に初対面の王より、仲の良い王の意見に来訪者が味方しやすい」

「結局、姉貴の株を上げるための駒扱いかよ。えげつねぇなぁ…」

「因みに…姉さん泣かせた君も同罪だからな。姉さんに味方しろよ」


 アズラエルは、ドスの利いた低い声で脅すように言い放つ。巻き込んだのは向こうなのに、理不尽極まりないやり口だが、元から連合会議を支配するつもりで参加しにいく。


「とりあえず、龍の国には手札を見せるよ。俺もただ地球で待ってたわけじゃないから」




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