第12話 ブレイズ・フォール

 いつの頃だったか、あれはまだ冬馬が巫や秋と共に災厄の軍勢と戦っていた頃。冬馬は深妙な面持ちで資料を睨めっこしている巫に出会したことがある。当時の戦況は冬馬達の連合軍が優位のまま戦線を押し返している時期で、勝利も目前という状態だった。普段の巫なら周りを巻き込んで盛大に騒ぐ筈なのに、その日は静か過ぎて気味が悪いと思ってしまうほどだった。


「巫、何をそんなに悩んでいるんだ?」

「ん〜んん、んん、んんん…ん!」


 あいも変わらず適当な返事をする巫にほっと安心した冬馬は、彼女が腰を下ろす席の隣に椅子を持って行くと自身も腰を下ろした。そして、彼女が読んでいた資料を横から覗き込む。


「何々……『龍の国、最新の観光スポットランキング』? 」

「ん! んんんーん、んーんん!」

「何言ってるか分かんないから、ちゃんと喋りなさい」


 冬馬は巫の頭に弱めのチョップを入れる。


「痛いっ! 冬馬、女の子に手を出していいのは犯罪者と女の子だけなんだから」

「微妙にリアリティのあるコメントしないで、返しづらいから……そもそも『ん』だけで会話しようとするからこんな事に…」

「えへへ……ぶい!」


 砕けた表情で笑う彼女に冬馬は溜め息を吐く。この少女はいつもこうだ。


「で、何で観光地なんて調べてるの? 終わったら皆で行くつもり?」

「ん〜そうじゃないけど…そうしようかな」

「何だよ、間違ってるなら否定してよ」

「でも良い案だと思うから、勿体ないもん。いつか、冬馬がここに行く事は想定しよう。ふひひ…何仕込んでやろうかな」

「頼むから罠仕掛けるのはやめてよ? この前の罠で俺、腕骨折したからね? 全治二週間だからね? 俺には誰も回復してくれないんだからね?」


 マッドサイエンティストのような悪どい笑みなのに、何度も見た光景だからか少し可愛らしいと思ってしまう。冬馬は自然と彼女に釣られて笑ってしまっていた。

 今にして思えば、その時から巫は冬馬が龍の国へ訪れる日に向けた準備をしていたのかもしれない。


(そうゆう人間だ。未来が視えるわけじゃないのに、必要な準備を先に済ませてる子だった)


 時間は今に戻って現在。冬馬はハートと一人の教団員と共に三人で龍の国へ訪れていた。冬馬は教団員の方へと身体の向きを変えて尋ねる。その教団員は一度ならず二度も面識のある人物であった。


「ええと…ミーナ姫? この国に巫は兵器を隠したんだよね?」

「ミーナ姫ではありません。巫教団教団員です。人の国の姫とは他人の空似です」

「一国の姫がここに居て国は大丈夫? ロジュウもそうだけど貴方達、種族のトップに立ってる事自覚してる?」

「姫ではありませんハート様。私は一教団員であります」


 頑なに彼女は否定するが、頭巾の隙間から覗かせる小顔には見覚えしかない。


「冬馬、この人に殴られて気絶したって本当?」

「そ、その節は誠に申し訳ございません!」

「あーまぁ良いよ……本当に姫様なら、あれじゃ物足りないでしょ?」


 自分が王女であることを隠すのも忘れ、必死に頭を下げて謝る彼女に向かって冬馬はある事を確かめるつもりで尋ねた。


「冬馬、それ不要な言葉。人を特殊性癖扱いするのは良くない」

「あのねハート。そういう意味じゃなくて」

「分かっています冬馬様。本来の私の立場は貴方をですから…」


 萎れた花のように元気を失う彼女へ冬馬はそれ以上聞き出すことはなかった。虫のいいことに、自分から始めた罪悪感で言葉が出なくなっただけである。もしかしたら、心の底では転移して直ぐに殴られたことを少し根に持っていたのかもしれない。それでも、聞かれる方が何十倍も辛い事はある。


「……ごめん無神経だった。先を急ごう」

「はい。そうしましょう」

「マークハート何も分からない、理解不能」


 一人本気で何も分かっていないハートに二人は構うこと無く歩みを進める。それから、目的地に到着するまでこれといった会話はなかった。無論、ナイーブな話題を振って途中で遮った冬馬が悪いのだが。


(いつか、袴田とか助けたあの女子とか先生とかも異世界転移の原理を知るのかな…に心折れなきゃいいけど)


 目的地までは幾つかの街を経由して野宿含めて二週間かけて辿り着いた。到着した頃には、最初にしていた不穏な話題の空気などこれっぽっちも残っていない。もはや、苦楽をともに目的地へ向かった仲間の絆めいた物が芽生え始めていた。


「出発してから二週間…長かったですね」

「長かった。冬馬が街で予算尽きてミーナに泣き付く所は控えめに言って最高」

「ないから! そんなシーンないから!! 捏造するな!!」


 三人の旅路は本にすれば辞書並みに分厚いページで五冊は書ける濃い冒険譚だった。思い出に浸り彼方を眺めるハートを冬馬は物理的に揺すって現実に引き戻そうとする。そんな二人にミーナは頭巾の下からも見える程の大汗を手の甲で拭いながら声をかける。


「あ、あの…お二人とも…そろそろ渡らないと私達、溶けちゃいますよ?」


 現在、三人が居るのは『龍の国』。この国の国境は流れる炎の河で線を引かれており、内部はどこもかしこもマグマや炎で埋め尽くされた爆炎国家。そして、肝心の最終目的地は炎の河の、直径25キロの瀑炎布『ウィグア・フォール』を昇った先の龍魔殿。今三人が立っている所も国境から少し離れた位置とはいえ気温50度の灼熱地獄。


「あれ、200年前より燃えてない? 逆巻く火の粉で鉄が溶けそうな勢いなんだけど」

「むぅ、手持ちの凍結兵装だと流石に滝登りは困難かも」


 冬馬とハートの記憶にある龍の国は、穏やかな炎と龍が共生する渓谷で、国境付近にも龍が大勢居た。今の龍の国には見渡す限りの風景に龍が映っていない。最初は龍の一体にでも声をかけて知り合いの龍との繋ぎをしてもらう算段だったが、これでは作戦が成り立たない。冬馬が悩んでいると、ミーナが二人よりも一歩前に出る。


「ここはお任せを。流れる炎の滝に炎の河、自然の防壁に阻まれた龍の国は入国が困難とされています………表向きは」


 ミーナは懐から角笛を取り出す。それは赤い龍の鱗で装飾された小さな笛であった。彼女は大きく息を吸い込むと笛に吹き込む。更に指で穴を塞ぎ小さな角笛からは想像も出来ない程、低く重い音色を奏でた。その音色は河を超え、大地を駆け抜けて、炎の大陸から頭に角を生やした龍を呼ぶ。その龍は、城よりも大きな胴体と、背中から生えた横幅よりも大きな翼、極め付けは冬馬達を見下ろす獰猛な瑠璃色の眼を備えた黒き龍であった。炎の河を平然と跨ぎ、冬馬達の前に着地した龍は当たり前のように頭を垂れる。


「巫教団、、教団番号19410である。ここまでの御足労、感謝致す」

「巫教団、人民支部所属、教団番号317000です。案内よろしくお願いします」


 双方が挨拶している状況を後ろから眺めていた冬馬は思わず本音が溢れていた。


「三十一万って、巫教団ってほんと何人いるの…」

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