第8話 狂信者の影


 かくして、高難易度ダンジョン――『アルテリオーレの奈落』に挑戦することが決定した。

 だが、いくら何でも着の身着のままでダンジョンに潜るわけにはいかない。

 今日のところは宿屋に泊まって休むことにして……明日からダンジョンに挑むことにする。


「さて……とりあえず、エアリスのことを拾いに行くか」


 公爵家の屋敷から出た俺は、エアリスがいるであろう療養所へと向かった。

 療養所に到着すると、そこには長蛇の列ができている。怪我をしているはずの人間が明るい表情で列に並んでいた。


「なあなあ! 聖女様が来ているってマジかよ!」


「本当だとも。ウチの親父が治療してもらったってよ! 間違いなく、王都で噂になっている『セントレアの聖女』だってよ!」


 どうやら、エアリスの噂は王国東部まで届いているらしい。

 列に並んでいる怪我人は『セントレアの聖女』の噂で持ちきりだった。


「魔物にやられて怪我をしたときにはどうなることかと思ったが……まさか聖女様に治療してもらえるだなんて、感動だぜ!」


「ああ! 『蒼穹教』に入信しておいて良かったなあ! 高い寄付を払った甲斐があるってもんだぜ!」


「ん……?」


 高い寄付? 蒼穹教?

 何やら不穏な会話を耳にして、俺は脚を止める。


「そういえば……知っているか? 蒼穹教に一定額以上の寄付を収めると、上級会員として認められて特別な『聖遺物』を与えられるそうだぜ?」


「特別な聖遺物……このブロマイド以上に価値のあるものなのか?」


「そりゃあ、上級会員の証だからなあ……って、お前さん、ブロマイドを持ってきたのか?」


「もちろんじゃねえか! 毎日、肌身離さず持ち歩いてるよ!」


「…………?」


 怪我人が懐からなにやら紙を取り出している。

 さりげなく背後に回り込んで覗き込んでみると……それはエアリスの似姿が描かれた似顔絵である。

 似顔絵はエアリスの胸から上が描かれており、特に盛り上がった胸部が強調されていた。


「まさか現実にエアリス様のお胸を拝むことができるだなんて……生き残って良かったなあ!」


「本当だな! これからも頑張って寄付を貯めて上級会員になろうぜ! 噂では上級会員になるとエアリス様を象ったフィギュア、おまけに服装は下着姿だって……」


「フンッ!」


 俺はエアリスのブロマイドを奪い取り、破り捨てた。


「ああっ!?」


「何しやが……ヒイッ!?」


「なあ……教えてくれないか? どこの馬鹿がこんなもんをバラまいてるんだ?」


 悪人顔に殺気をタップリ込めて訊ねると……怪我人二人がパクパクと口を開閉させる。


 俺は二人からタップリと話を聞き出し、そこで初めて知ることになった。

 世間には『蒼穹教』なる新興宗教が発足しており、彼らはエアリスの身体の一部……お胸を御神体として祭っているらしい。

 王都を中心に生まれた信仰は各地に広まっており、すでに信者の人数は千を越えているとのこと。


「人の婚約者の胸を勝手に神格化するなよ……」


 俺は本気で腹が立ち、バスカヴィル家のあらゆる力を行使してでも蒼穹教を潰すことを決めたのである。



     〇          〇          〇



「あら。どうされたんですか、ゼノン様? 随分と不機嫌になっていますけど……?」


「…………別に」


 療養所に入った俺に、怪我人の手当てをしていたエアリスが不思議そうに訊ねてきた。後ろにはウルザが立っていて、金棒を床について仁王立ちをしている。

 俺は憮然とした表情でそっけない返事をしながら療養所の内部を見回した。


「思ったよりも人が少ないな。表には列ができていたようだが……」


 療養所には無数のベッドが敷き詰められていたが、半分も埋まってはいない。

 表の通りには長蛇の列ができていたのだが……内部は意外なほどに閑散としている。


「はい。治療が終わった方々には帰ってもらいましたので。何故か怪我が治ってからも居座ろうとした人達がいるのには困りましたけど……」


「ウルザが追い払いましたの―。用のない奴は帰れですのー」


 ウルザが「ムンッ!」と腕に力こぶを作ってみせる。

 おそらく、居座ろうとしていたのはエアリスファンの野郎共だったのだろう。巨大な双丘を信仰している邪悪な男達がどうにかしてエアリスとお近づきになるため、チャンスを窺っていたに違いない。


「人の婚約者に邪念を持ちやがって……こんな町、滅んでしまえ」


 いや、大多数の住民に罪はないのだが。

 ともあれ、エアリスの活躍のおかげで療養所にいる怪我人がかなり片付いたようである。


「ゼノン様が留守の間も教会で奉仕作業をしていましたから。腕はきちんと磨いておきました」


 言いながら、エアリスが魔法を発動させた。エアリスの手から放たれた白い光が療養所にいた怪我人数人を包み込み、緑のエフェクトが生じて回復させた。

 広範囲治癒魔法――『エリアヒール』。一定範囲内にいる味方を一度に治癒することができる魔法である。

 効果が高い分だけ消費する魔力も大きいのだが……エアリスはとあるレアアイテムの指輪を装備しているため、魔力消費が半分となっていた。


「む……」


 俺はエアリスの左手――薬指に付けられた指輪を見て、複雑な心境になる。

 あのアイテムをエアリスに装備させたのは必要だったからであり、プロポーズ的な意味合いはなかったのだが……こうも当然のようにその指に付けられてしまうと返せとは言えなくなってしまう。

 一品物の貴重な装備アイテムなのだが……おそらく、俺の下に帰ってくることはあるまい。


「ほらほら、治ったらさっさと出て行くですの! そこにいたら邪魔ですの!」


「ああ……」


 手当てが終わるや、ウルザが金棒を振って治療院の中にいる人間を追い出した。

 大多数は素直に出て行くが……一部の男達は未練たらたらな様子でエアリスに目を向けている。エアリスにというか、その胸部にある二つの膨らみを見つめているようだが。


「そんなに居座りたいのなら魔法じゃ直せないくらいの怪我をさせてやろうか……まったく、人の嫁に邪視線を向けやがって」


 俺は顔をしかめながらも、首を振って気を取り直す。


「……それよりも紹介しておこう。こっちの娘がモニカ・ブレイブ。さっき偶然会ったレオンの妹だ」


「えっと……よろしくお願いします」


 後ろからちょこんと顔を出して、モニカがエアリスに頭を下げる。

 やや気後れした様子なのは、清楚でありながらスタイルも良く、完成された美女であるエアリスを前にしているからだろう。


「ブレイブさんの妹!? まさか、お兄さんを心配してここまで来たんですか!?」


「は、はい……」


「それはそれは……大変だったでしょう? ここに来るまで」


「ひゃあっ!」


 エアリスが労わるようにモニカを抱き寄せて抱擁する。

 大きな胸。深い谷間にモニカの頭部が埋め込まれた。


「辛かったでしょう? 不安だったでしょう? もう大丈夫です。これからは私達が……ゼノン様が貴女の力になってくれますから!」


「ふお、おお……」


 エアリスに慰められたモニカであったが……巨大な双丘の拘束を解かれると、ペタペタと両手で自分の胸に触れる。服の上から圧倒的な実力の差を確認すると……表情を暗くしてガックリと肩を落とす。


「私だって……私だっていつかは……」


「……やはりお兄さんが行方不明ということもあって、落ち込んでいる様子ですね。私達が力になってあげないと」


「……いや、お前のせいだろ」


「え? 何の話でしょうか?」


 エアリスが不思議そうに首を傾げた。

 持たざる者の気持ちは、持っている者には理解できない。人は生まれながらに平等ではないのだ。

 平坦な自分の胸を触りながらうつむいているモニカの姿に、俺はそんなことを考えたのであった。

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