番外編 エアリスの休日(後編)


「さすがは『セントレアの聖女』! たった1人であれだけの怪我人を治療するなんて見事な手際じゃないか。心から感服したよ!」


 アイスロットが両手を広げてエアリスの偉業を褒めたたえる。

 教会には大勢の神官が所属しているが、100人近い人間の治療ができるのはエアリスを除いて他にいない。アイテムによる補助があるとはいえ、それは「偉業」と呼んでも差し支えのないことだった。


「そんな……私は当然のことをしたまでです。20代の若さで司祭となったアイスロット様から称えられるほどのことではありませんわ」


 アイスロットの称賛に、エアリスが曖昧な笑みで謙遜する。

 エアリスは他人から褒められるのが好きではない。1人の神官としてとやるべきことをやっただけなのに、崇められたり敬われたりする資格はないと思っていた。

 もっとも……褒めてくれる対象が愛する男であったのならば、ここぞとばかりにご褒美をねだることだろう。

 頑張って社会奉仕をした報酬として、個人的な奉仕をさせてもらう・・・・・・という矛盾した願いを申し出るに違いない。


「それでは……私はこれで失礼いたします。もう日が暮れるので帰りますわ」


「あ! 待ってくれないか、セントレア嬢!」


「はい? 何か御用でしょうか?」


 教会から出ていこうとするところを呼び止められ、エアリスが小首を傾げる。


「よかったら、帰る前に教会の奥で食事でもどうかな? 信者から子羊の肉を分けてもらったばかりなんだ。今日の御礼にごちそうさせて欲しい」


「お気遣いはありがたいのですが……帰りが遅くなると家人が心配しますので」


「そんなツレナイことを言わないでくれたまえよ。今日は勤めている修道士が全員、用事があって外に出ていて寂しいんだ。食事に付き合ってくれるだけでいいからさ」


「…………」


 エアリスがピクリと眉を寄せる。

 アイスロットはこの教会の司祭で責任者。数人の修道士と一緒にここで生活をしている。

 部下の修道士が出かけていて物寂しいという気分は理解できなくもないのだが……まさか、若い女性を男1人の家に連れ込もうというのか。

 聖職者として、いや、ただの男として下心がありありとうかがえる誘いである。


「……申し訳ございません。アイスロット司祭様に良からぬ思いがないのはわかりますが、誤解を受けては困りますので。今日のところは遠慮させていただきます」


 エアリスはさりげなく左手を上げて、そこに付けられている指輪を見せつける。

 左手の薬指に嵌められた指輪は婚姻、あるいは婚約の証。すでに相手がいる女性を誘うだなんて不埒極まりないことだった。


「そうか……そうだったね。確かお相手はバスカヴィル侯爵家の嫡男だったかな?」


「もう嫡男ではありませんわ。私の婚約者は少し前に侯爵位を継いで当主になっていますので」


「……こんなことは言いたくはないが、君にバスカヴィル家の当主は相応しくない。結婚は思いなおすべきだ」


「はあ?」


 アイスロットがはっきりと口にした。エアリスは眉を寄せて怪訝そうに相手を睨みつける。


「どうしてアイスロット司祭様にそんなことを言われなくてはならないのですか? 他人である貴方に、私の婚姻について口出しをする権利があるとでも?」


「お願いだから怒らないで聞いて欲しい、セントレア嬢。優しい君は知らないかもしれないが……バスカヴィル家は本当に腐りきった家なんだ」


「…………」


 エアリスが口をつぐんだのを見て、アイスロットが饒舌に続ける。


「彼らはこの国が建国した時からずっと暗躍している。これはただの噂じゃない。奴らは本当に薬物や人身売買に手を染めており、大勢の人々を陰から苦しめているんだ。君のように美しく清らかな女性が、そんな悪の権化である男の妻になるだなんて神もお許しにならないだろう。お願いだから、婚姻を思い直すように枢機卿閣下を説得するべきだ。君にふさわしい男は邪悪の塊のような愚物ではない。信仰心が篤く、神の忠実なる臣下である者……たとえば、僕のような男に違いないんだよ!」


「…………」


「そうだ、知っているかい? 先日、バスカヴィル家の当主が代替わりしたのだって、ゼノンとかいう男が父親を殺害したという噂があるんだよ? 父殺しという大罪を犯すようなクズに聖女である君が……」


「もう結構ですわ。帰らせていただきます」


 エアリスがアイスロットの言葉を強引に断ち切り、そっけなく修道服の裾を翻した。


「へ?」


「悪魔というのは人の心の内側に潜むもの。司祭様も気を付けた方がよろしいですわ。自分でも知らないうちに嫉妬や欲望の悪魔に取りつかれているかもしませんから……それでは、失礼します」


「ちょ……セントレア嬢!?」


 エアリスは彼女にしては珍しく苛立ったような口調で言い捨て、スタスタと教会の入り口に向けて歩いていく。

 愛する男をなじられたことがよほど不愉快だったのだろう。普段は聖母のごとき慈愛に満ちた顔が能面のような無表情になっている。


「待って……待てよ!」


「キャッ!?」


 言い捨てて去っていこうとするエアリスの腕をアイスロットが力任せに掴んだ。

 教会に自分達しかいないことを良いことに、男の腕力任せに引き寄せる。


「どうしてあんな悪党に義理立てするんだよ! 君は神に選ばれた聖女のはずだろ!?」


「ッ……やめてください、離してください!」


「神に愛された君にふさわしいのは、同じく神に愛された男……つまり、僕以外にいないじゃないか! 僕は最年少で司祭に登り詰めた選ばれた人間。偉大なる女神の代行者として選ばれた存在なんだぞ!?」


 先ほどまで紳士的な好青年を演じていた男が、感情をあらわにして怒鳴り散らす。

 奥歯を噛みしめて表情を歪め、思い通りにならない女性を力づくで言うことを聞かせようとする。


「そうだ……僕は神に選ばれた特別な人間なんだ! 悪をただすためには、時として法を犯すことだってやむを得ない。道を踏み外そうとする君を救い上げることこそが司祭である僕の……」


「煩いから黙りなさあい!」


「グギャッ!?」


 アイスロットの鼻面に何かが衝突し、派手に椅子を転がして吹き飛ばされた。あおむけに倒れた男は折れた鼻から血を流してピクピクと痙攣している。


「まったく……身勝手で自己中心的。鬱陶しくてしつこい。女に嫌われる要素を濃縮して詰め込んだようなダメ男ねえ」


「ルーフィーさん!」


 教会の入り口に立っていたのは、修道服を独特に着崩しミニスカートのようにして、ヘソも丸出しになった独特の格好をした女性。

 正統派主人公であるレオン・ブレイブのパーティーメンバーにして、【僧兵】という前衛兼ヒーラー職の女性――ルーフィー・アストグロウである。


「フンッ」


 灰髪の高身長の美女が鼻を鳴らしながら右肩を回す。

 ルーフィーは拳を武器にして戦うことに長けており、先ほどアイスロットが吹き飛ばされたのも彼女が「飛ぶ拳」を放ったからである。


「危ないところだったわあ。本当に……教会でシスターに手を出そうとするだなんて、とんでもない下種司祭ねえ」


 ルーフィーはタイツに包まれた長い脚でツカツカと歩み寄り、倒れたアイスロットの股間を踏み潰す。


「ギャウンッ!」


「ヤンチャな犬は虚勢をすると大人しくなるそうよお。試してみようかしらあ?」


「あ……ばばばばばばばばばばっ……」


「もう聞こえてないわねえ。つまらないわあ」


 間延びした声で吐き捨てて、ルーフィーは灰色の髪をかき上げる。

 男を軽蔑しきった顔から一変。コインが裏返るようにして、親しげな表情をエアリスに向ける。


「危なかったわねえ……と言いたいところだけど、余計なお世話だったかしらあ?」


 ルーフィーが愉快そうに肩を揺らす。

 性犯罪の被害を受けかけていたエアリスであったが、その右手には白く半透明の盾のようなものが浮かんでいた。

 エアリスが持つスキル――結界術による魔法である。ルーフィーが助けに入るのが遅ければ、魔力によって構築された盾がアイスロットに叩きつけられていたことだろう。


 ヒーラーとはいえ、いくつものダンジョンに潜って鍛えられたのだ。

 男とはいえただの神官でしかないアイスロットを打ち倒すことなど、容易なことである。


「馬車で待っていても来ないから迎えに来たわあ。もう帰るのよねえ?」


「はい、帰りましょう。ここにもう用事はありませんから」


 エアリスは怪我人を放置してキッパリと断言した。すでにアイスロットは救済するべき対象から外されているようである。


「待たせてしまって申し訳ありません。今日も私の事情に付き合わせてしまって……ルーフィーさんには本当に感謝しています」


 エアリスとルーフィーは幼い頃からの友人だったが、複雑ないきさつがあって疎遠になっていた。最近になって和解して友人関係に戻ったのだが……エアリスが教会で奉仕作業をするにあたって手伝いとして来てもらったのだ。

 彼女もまたヒーラーであるがエアリスには遠く及ばない。教会の外で列の整理をしたり、重症人を運ぶ手伝いをしていた。


「いいわよお、レオン君も出かけていて退屈してたから。エアリスさんに呼ばれてちょうど良かったわあ」


「ブレイブさんは今日も冒険ですか? 最近は随分と忙しくしているようですね?」


「ええ、魔王軍四天王の居場所をつかんだらしくて、シエルさん達を連れて出かけたわあ。私は相性が悪い相手だからお留守番。他の仲間を連れて行ったのよお」


 レオンは学園内では幼馴染のシエル・ウラヌス、クラスメイトのメーリア・スーとパーティーを組んでいたが、学外では彼女らの他にも仲間がいたりする。

 それは別におかしなことではない。エアリスやルーフィーは知る由もないことだが、ゲームにおいてダンジョンやボスに合わせて仲間を入れ替えながら攻略を進めるのがセオリーだった。

 ずっと同じパーティーメンバーでいくなど、よほど気に入っているキャラがいるのか、さもなければ縛りプレイとしてしか有りえないことである。


「そうですか……ルーフィーさんもお留守番なんですね?」


「そうよお……お互い、奔放な旦那様を持つと苦労するわね?」


「旦那様……」


 ルーフィーの言葉を受けて、エアリスは両手を頬に添えて真っ赤になる。その左手では薬指に嵌められた指輪がキラリと光っていた。


「フフッ……可愛いわねえ。本当に」


 そんな旧友を微笑ましげに見つめながら、ルーフィーは小さく笑い声を漏らしたのである。






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