第84話 復活と破滅


「…………」


 仇である男の亡骸を見下ろして、ナギサは何とも言えない表情で黙り込んでいる。

 凛とした顔立ちの少女の顔に浮かぶのは、目的を果たしたことへの達成感だけではなく、どこか途方に暮れたような色があった。


「おめでとう……とか、言ってもいいのか?」


「我が師よ……」


 立ち尽くすナギサに声をかけると、縋るような弱々しい目で見つめてくる。いつも毅然としたナギサには珍しい顔だった。


「……助太刀、心から感謝する。おかげで仇敵を討ち取ることができた」


「そうか……それは何よりだ。よくやったな」


「…………」


 労ってやると、ナギサはどこか微妙な顔で再び黙り込む。

 俺はあえて言葉をかけることなく、ナギサの方から話し出すのを待った。


「私は……これから、どうすればいいのだろうか?」


 しばらくすると、ナギサはそんなことをポツリとつぶやいた。

 途方に暮れるナギサ。それはいわゆる、『燃え尽き症候群』などと呼ばれるものだろうか。

 大きな目的を達成したことで気が抜けてしまい、自分がどうしていいのかわからなくなってしまうというもの。

 復讐のために人生を捧げるはずだったのに、偶然にも仇と遭遇してあっさりと討ち果たしてしまった――そのことに逆に戸惑っているのだろう。


「我が師よ……どうかもう1つだけ御指南いただきたい。私はこれから、何をすればいいのだろうか?」


「おいおい……俺に聞くなよ。自分の人生だろうが」


 俺はあえてそっけない調子で返答する。

 目的を見失ったナギサの気持ちはわからないでもないが、その先のことは俺が決めることではない。ナギサが自分で決めなくてはいけないことだ。


「流派を復興するでもいい。剣の道を究めるでもいい。故郷に帰って父親や仲間を弔ってやるでもいい……お前の人生はお前で決めろよ」


「…………」


「目的を達成して気が抜けるのはわからなくもないが……人生ってのは夢や悲願を叶えてからのほうが長いんだ。お前の人生はまだまだこれからだろうが」


「そうか……自分で決めてもいいのか」


 ナギサはしばし考え込んでいたが、やがてはっきりと頷いた。

 そして……俺の前まで歩み寄ってきて、まっすぐな目で見上げてくる。


「我が師……いや、我が主よ。どうか改めて、臣下として貴方にお仕えすることをお許しいただきたい」


「…………」


「流派の復興、同胞の弔い――為さねばならぬことは多かれど、貴方には多大な恩義がある。どうか貴方の臣下として仕え、この身を尽くすことを許可して欲しい」


「…………そうかよ」


 実のところ、ナギサの反応は予想通りのものだった。

 ゲームでもナギサは仇であるシンヤ・クシナギを倒してから、主人公であるレオンに忠誠を誓っていた。

 その後で、お楽しみのご褒美シーンに入るのだが……父親を倒す日まで禁欲を課している俺にとっては、『生殺し』という名の拷問である。


「……絶対に抱いてやるから覚えてろよ。ドン引きするほどすっごいことしてやるからな」


「む……どうかしたのか、我が主よ」


「いや……ナギサ、お前の忠義は受け取った。これからも頼りにしている」


「ああ、存分に使ってくれ。1本の刀として……そして、1人の女として」


「…………」


 ナギサは清々しい笑顔を浮かべ、手を差し出してきた。

 俺は誘惑ともとられかねない言葉に何とも言えない顔になりながら、その手を掴もうと手を伸ばす。

 だが……ナギサの手を取る寸前、背筋を激しい怖気が撫で上げた。


「ナギサ!」


「むっ!」


 ナギサの手を取り、前方へと大きく跳ぶ。

 次の瞬間……先ほどまで俺達がいた場所へと刀が振り下ろされた。


「危ない! バスカヴィル!」


「遅えよ! 警告するならもっと早くしやがれ!」


 遅すぎる警告を発するレオンに怒鳴りながら、俺は襲撃者を睨みつけた。


「く、ククククッ……! 悲しいな、勝ったつもりで浮かれている貴様らの愚鈍さが悲しい……!」


「馬鹿な……! 何故、貴様が生きている!?」


 襲撃者の姿を見やり、ナギサが目を見開いて叫んだ。


 刀を振り下ろしてきたのは、先ほど首を刎ねられたはずのシンヤ・クシナギだった。

 流れる血によって全身を染めた姿は満身創痍。死にぞこないとしか言いようのない有様であったが、ナギサの刀で斬られたはずの首はしっかりとつながっている。


「……ありえないな。コイツ、どうやって地獄から還ってきやがったんだ?」


 それはありえない光景だった。

 ゲームでもシンヤは最後、ナギサに首を刎ねられて倒されていた。当然、復活などしなかったはず。

 目の前の堕剣士がどのように蘇ったのか、全くわからなかった。


「無知だな……ああ、無知蒙昧な貴様らが我は悲しい……!」


 シンヤは狂気が宿った瞳を爛々と輝かせながら、懐から小さな球体を取り出した。

 二本の指に挟まれて出てきたのは、燃えるような紅蓮色の宝玉である。

 楕円を描く宝玉は卵のような形をしており、中央にクッキリと深いひび割れが入っていた。


「『不死鳥の卵』だと!? 何でテメエがそれを……!」


「ほう……知っていたか。やはりただの雑魚ではなかったようだな。真に警戒するべきは勇者でもナギサお嬢様でもなく、貴様だったようだな……!」


 シンヤがニヤリと醜悪な笑みを浮かべ、俺の言葉を肯定する。


『不死鳥の卵』はシナリオ後半で手に入る装備アイテムであり、『自動復活』の効果があるアクセサリーだった。

 このアイテムを装備していると敵にやられて戦闘不能に陥った際、体力20%の状態で復活することができるのだ。

 使用できるのは1度きりであり、使えば砕け散ってしまうのだが……一撃必殺の大ダメージ攻撃を放つ敵に対して非常に有効なアクセサリーだった。


 ユニークアイテムではないため、『火焔山』というダンジョンを訪れれば何度でも手に入るのだが……シンヤがそれを持っているのは完全に予想外だった。


「そりゃあ、反則だろう。ボスキャラが復活アイテムを装備するとか無理ゲー過ぎるじゃねえか……!」


 ボスキャラが『べ○マ』とか『ケア○ガ』とか回復魔法を使うだけでも腹が立つというのに、復活アイテムまで使いだしたらゲームバランスが崩れてしまう。

 苦労してダメージを与えて倒したボスが復活とか、興醒めもいいところである。


 とはいえ……考えてもみれば、これはそこまで驚くべきことではないのかもしれない。

 ゲームが現実となったことで、俺は様々な枷から解き放たれている。

 主人公のヒロインを奪い取ったり、死ぬはずだった人間を助けたり、序盤では倒せない敵を倒したり……ゲームでは不可能だったことをいくつもやってのけている。


 ならば……敵だって同じことが出来たとしても不自然ではない。

 装備しているはずがないアイテムを装備していたり、反則の復活アイテムを所持していたり……ゲームの枷がなくなったことにより、敵サイドもまた恩恵を受けているのだろう。


「鬱陶しいことだな……あのままナギサに殺されておけば清々しい最期だったってのに……空気を読めない三下だぜ!」


「クククク、餓鬼が、貴様の弁に従ってやるつもりはないわ。だが……」


 シンヤは俺とナギサ、少し離れた場所にいるレオン、エアリス、メーリア、シエルを順繰りに見やる。

 俺とナギサはほぼ無傷。レオンとメーリアは負傷していたが、エアリスによってすでに傷は治癒されていた。

 気を失っているシエル以外、まだまだ戦う余力を持っていた。

 対して……シンヤは復活こそできたのものの、不死鳥の卵の効果によって回復した体力は残り2割。千切れた『悪魔の右腕』も治ってはいないようである。


 この状況でシンヤがとる選択肢など、1つしかなかった。


「ダークブレット!」


 俺はシンヤに魔法を撃ち込むが……わずかに遅く、シンヤの身体が大きく上空に飛び上がった。

 シンヤは小高い岩山の上へと飛び乗り、俺達を頭上から見下ろしてくる。


「今日のところはその命、預けておいてやる。だが……次に会ったときは魂の欠片すらも残さず喰らい尽くしてやろう!」


「ふざけるな! 降りて来い!」


 ナギサが必死の形相で叫ぶが、シンヤは醜悪な笑みを顔に貼りつけたまま「やれやれ」と肩を竦める。


「悲しいな。仇を討ったつもりなのだろう? 父親を殺害した仇敵をあと少しで取り逃がしてしまうとは……本当に貴女は悲しい方だ」


「シンヤ……! 貴様に剣士の誇りはないのか!? 降りてきて私と戦え!」


「降りろと言われて従う義理などない。たとえ手負いであっても貴女に負けることはないだろうが……そちらの男は少し厄介なのでな。ここは退かせてもらおうか」


 シンヤは刀を肩に乗せ、憎しみを込めた烈火の瞳を俺に向けてくる。


「餓鬼……いや、ゼノンと呼ばれていたな。貴様のことは他の魔族にも知らせておこう。これから先、全ての魔の眷族が貴様の敵だ。せいぜい震えて眠るがいい!」


「……派手な負け惜しみだな。本格的にザコっぽいぞ? 調子に乗っていてあっさりやられる小物の臭いがプンプンしやがるぜ」


「っ……!」


 挑発してやるも、シンヤは憎々しげに表情を歪めるだけで降りてはこなかった。


「チッ……!」


 俺は舌打ちをかまして、爪が掌に刺さるほど拳を握り締める。

 ナギサの家族を殺した仇を逃がしてしまう。殺せるはずだった敵を、あと1歩のところで取り逃がしてしまう。

 それは単なる敗北以上に屈辱的で、心が抉られるようだった。


「コイツはここで殺しておくべきだった。殺せたというのに……!」


 だが……すでにシンヤは手の届かない場所まで逃げてしまった。俺は奥歯を噛みしめて、岩山に立つシンヤを見上げる。

 シンヤもまた俺を憎々しげに見下ろしながら、そのまま去っていこうとしていた。


「その顔は決して忘れぬ……次に会った時が貴様の最後だ。覚えておくがいい!」


「…………」


「さらばだ!」


 シンヤはきびすを返して、去っていこうとしている。

 俺達は何もできずにそれを見送るしかできなかった。


「…………あ?」


「…………は?」


 だが……そこで俺達にとっても、シンヤにとっても、予想外の事態が発生した。

 背を向けて去っていこうとしていたシンヤだったが、振り返った先にいつの間にか回り込んでいる人物がいたのだ。


「お前は…………がはっ!?」


 シンヤは何事か言葉を発しようとすが……それを言い切るよりも先に、その人物が前方に手を突き出した。

 突き出した手刀がシンヤの胸に突き刺さり、心臓を貫いて背中まで貫通する。


「ばか、な……このわれ、が……!」


 シンヤの口から、血の泡と震える声が漏れ出した。

 こんな死に方は予想だにしていなかっただろう。格下であるはずの俺達に負けて、復活アイテムを使って生き延びて……そのまま逃げおおせたかと思ったら、何者かに心臓を貫かれてあっさり殺されるなどとは。


「がっ……」


 シンヤの身体が横に崩れ、岩山から転がり落ちていく。

 アクセサリーは1つずつしか装備できない。当然、不死鳥の卵もすでに使い切っている。

 どう足掻あがいたところで、もはや復活することなど不可能だった。


「…………おいおい、冗談だろ?」


 シンヤがやられたことで向こう側にいる人物の姿が露わになる。

 ゲームで何度も目にしたその人物の正体に気がつき、俺は引きつった声を発してしまう。


『ウー……アー……』


 うめき声のような声を漏らしながら、紫の空を背にして立っているのは黒いドレス姿の女性である。

 生気のない青白い肌。背中に流れる金色の髪。瞳はゾッとするほど寒々しい翡翠色。


「マルガリタ王妃……」


 それはこのダンジョンのボスキャラ。

 魔王軍四天王に匹敵する難敵である死霊の女王――マルガリタ王妃その人である。


 ドレス姿のマルガリタ王妃の右手には青白い球体が握られていた。

 アンデッド系モンスターが使う即死攻撃――【魂喰いソウルイート

 王妃の手にあるのは、体内からえぐり出されたシンヤ・クシナギの魂である。

 シンヤの魂は捕食者に捕らわれた生き物のように必死に藻掻いていたが……王妃はそれを躊躇うことなく口の中に放り込む。


『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


 マルガリタ王妃の口から身の毛もよだつような絶叫が放たれる。

 王妃の口から発せられた叫びは彼女のものではない。魂を食われたシンヤのものだった。

【魂喰い】によって戦闘不能に陥った者は、魂を奪ったアンデッドを倒さない限り戦闘不能状態を解くことができない。

 シンヤは天国にも地獄にも行くことはできず、何者かによってマルガリタ王妃が倒される日まで、その体内で永遠に苦しみ続けることになったのである。


『アー……』


 シンヤの魂を喰ったマルガリタ王妃は満足げに長い舌で唇を舐めて、こちらを一瞥すらすることなく背中を向けた。


「…………」


 峡谷の奥深くへ消えていくマルガリタ王妃を、俺達は茫然として見送るのであった。

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