第12話 自己犠牲の聖女


「さて……」


 ダンジョン内に入った俺は、入口付近をざっと見まわした。

 チュートリアルダンジョン『賢人の遊び場』は洞窟のような構造をしているが、床には下層につながる石材の床が張られて道標になっており、左右には大理石の柱が立っている。壁には松明がかけられているため光源には困らない。

 すでにクラスメイト39人が通り過ぎた後のため、道中の宝箱などは取り尽くされている。現れるのは時間経過によってポップするモンスターぐらいか。


「闇魔法――シャドウエッジ」


「ピキイッ!?」


 目の前に現れたスライム状のモンスターに魔法を放つ。手の平から放たれた黒い刃に斬り裂かれて、スライムはドロドロに溶けて地面を流れていく。残されたのは水色の小さな石――素材アイテム『スライム核』だ。


「ダンジョンの構造もドロップアイテムも、ゲームそのまま……楽勝だな」


 チュートリアルだけあって、ここには強力なモンスターもトラップも存在しない。ソロでも余裕で攻略できるレベルのダンジョンだ。俺はすぐに2層につながる階段を発見して、次の階層に降りていく。

 途中で何度かモンスターと遭遇したものの、ゼノンは仮にもレオンに次ぐ実力者である。このダンジョンでエンカウントするモンスターに苦戦するような強敵はいない。

 少なくとも――最下層にいる『あのモンスター』を除いて。


「むっ……ケガをしているクラスメイトが増えてきたな」


 余裕綽々とダンジョンを進んで行く俺であったが、他の生徒にとってはそうでもないらしい。2層、3層と下のフロアに進んで行くと、道の端にケガをして休んでいるクラスメイトがちらほらと現れた。

 ほとんどが軽傷で命に障るようなケガではなさそうで、無事なクラスメイトがポーションや治癒魔法で応急手当をしている。


「雑魚を相手に情けない……いや、初めてダンジョンに潜る素人だから仕方がないのか?」


 俺はゲームの知識があり、さらにゼノン・バスカヴィルというハイスペックなキャラクターの身体を使っている。しかし、他の生徒の大部分はモンスターと戦った経験もない完全な初心者だ。初めての実戦にヘマをしてしまうことだってあるだろう。


「……そういえば、ゲームでも初回に最下層までたどり着けたのはレオンとナギサ、シエルの3人だけという設定だったな」


 やはりレオンとヒロインを除いて、このクラスに特筆すべき実力者はいなさそうだ。仮にも実力トップのAクラスだというのに嘆かわしいことである。

 となると、今後行動を共にする仲間は学園の外で探したほうがいいのかもしれない。下手な相手と組んでしまえば、足手まといになり、かえって行動が阻害されてしまうだろう。


 魔物を倒しながらサクサクと進んで行くと、3人のメインヒロインの1人であるエアリス・セントレアを見かけた。

 ヒーラーであるエアリスの周囲には10人以上のクラスメイトが集まっており、魔法による治療を受けている。


「はい、順番に並んでくださいね。ちゃんと治しますから」


「ああ、なんて素晴らしい治癒魔法……」


「流石はセントレアの聖女だ。これだけの人間を治療して魔力が尽きないなんて……」


 エアリスは穏やかな表情でクラスメイトを治療していた。治癒魔法を受けた者達は男女を問わず、まるで神を崇めるような熱い眼差しでエアリスのことを見ている。

 メインヒロインだけあって、クラスメイトに治癒魔法をかける横顔はさすがの美貌だった。天使のように慈悲深くも整った神々しい表情には、魂を引き抜かれるような魅力がある。


「チッ……俺としたことが惚れるところだった」


 エアリスに見惚れている自分に気がつき、慌てて自分の頬を叩く。

 やばかった。あと少し見つめていたら恋に落ちていたかもしれない。

 エアリスをレオンから奪い取るため、寝取り主人公に目覚めていたかもしれない。それでは魔王復活のバッドエンド一直線だ。

 俺はエアリスから視線を強引に引き剥がして、足早に先に進もうとする。


「あら……貴方はバスカヴィル様、ですよね?」


「む……」


 無言のまま通り過ぎようとする俺であったが、エアリスのほうから声をかけてきた。

 ここで無視をするのも不自然だ。俺は仕方がなしにエアリスの方を振り返る。


「そうだが……君は学年3位のセントレアさんだったね?」


「はい、その通りです。学年次席のバスカヴィル様?」


 エアリスはおっとりとした笑みを浮かべながら首を傾げる。

 周囲にいるクラスメイトは突然登場した悪役キャラにビクリと肩をすくめているが、エアリスには怯えている様子はない。

 他のクラスメイトに向けるのと変わらない、慈悲深い瞳で俺の頭からつま先まで視線を巡らせる。


「バスカヴィル様には治癒魔法は必要なさそうですね。たった1人でここまでたどり着くとは、流石でございます」


「……所詮は練習用のダンジョンだからな。ところで、そちらはさっきから何をしているのかな?」


「もちろん、皆様の治療ですわ。ケガをしているクラスメイトを放っては置けませんもの」


 エアリスは当然だとばかりに背筋を伸ばし、手の平を胸に当てる。

 ポヨンと巨大な双丘が揺れて男子生徒の視線を釘付けにしてしまうが、本人に気にした様子はない。


「……慈悲深いことだな。先に進まなくてもいいのかよ?」


「パーティーを組んでいる仲間の許可はもらっております。私達のパーティーがゴールするよりも、ここにいる皆さんが1歩ずつ前進したほうが価値のあることかと思いましたので」


「ふんっ……仲良しこよし。結構なことじゃないか」


 エアリス・セントレアという女性は、献身と自己犠牲の化身のような人間なのだ。

 誰かを助けるために自分を平然と犠牲にする。ゲーム内では、時に自分の命を投げ出して困っている人を救おうとする場面もあった。

 まさに聖女のごとき在りようは立派だと思うが……同時に、ゲームをプレイしながらヤキモキさせられたものである。


(相変わらずイライラする奴だな。悪い娘でないことは間違いないんだが……)


 エアリスのように献身的な女性に憧れる人間は少なくないだろう。

 だが、俺には自分を犠牲にしてまで人助けをしようとする人間には、どちらかというと苛立ちを覚えてしまう。

 人間は誰にだって幸せになる権利がある。他人の幸せのために自分を犠牲にして、幸せになる権利を放棄するなど馬鹿げた話ではないか。


「まあ……それを言ってやるのは俺の仕事じゃないな。聖女様への説教は主人公に任せるとしよう」


「どうかされましたか?」


「いや……俺は先に進ませてもらう。人助けもほどほどにしておけよ」


 俺は捨て台詞のように言い残して、背中を向けてダンジョンの奥へと進んで行く。

 傷だらけの聖女エアリス・セントレアを救うのは俺じゃない。エアリスを救い、自己犠牲という鎖から解き放ってやるのは主人公であるレオンの仕事だ。

 少なくとも、悪役キャラの出る幕ではあるまい。


「バスカヴィルはクールに去るぜ……なんてな」


 エアリスから別れて進んで行くと、すぐに下の階層につながる階段を見つけた。

 これで4階層。最下層である5階層はもうすぐである。

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