第1話 悪役転生⁉

「……知らない天井だ」


 などとお決まりのセリフを吐いて、俺はベッドから起き上がった。

 頭がガンガンする。身体の節々に筋肉痛のような痛みが走っている。いったい、自分はどうしてしまったというのだろう。


「…………いや、そもそも何処だよ、ここは。俺の部屋じゃないよな?」


 部屋の中をキョロキョロと見回して、思わず独り言ちてしまう。

 目を覚ました部屋は高級ホテルのような洋室である。ベッドは余裕で5,6人が横になれるほど広く、洋服ダンスやテーブルなどはいかにも高級感のあるデザインをしていた。

 視線を落とせば、目に入ってくるのは自分の格好。いつも寝間着として使っている高校ジャージではない。パンツを履いただけで上半身は裸である。


「む……?」


 いや、俺はいつからこんな細マッチョになったのだ。

 細身ながらも無駄のない筋肉がしっかりと付いており、腹筋などは6つに割れている。


「まさか……いや、冗談だろ?」


 さすがにこの段階になると、自分に起こった事態に気がついてくる。

 これはいわゆるアレだ。ライトノベルやネット小説でお決まりのアレではないだろうか?

 部屋の壁に鏡が掛けられているのを見つけた。俺はベッドから立ちあがり、ズキズキと痛む身体に鞭を打って鏡の前に立つ。


「…………!」


 鏡の中に映っていたのは、黒髪の青年である。

 スラリと鼻筋が通った西洋風のイケメンだったが、目つきが異常なほど鋭く、瞳の色は血のように赤い。その相貌はまるで映画に出てくる吸血鬼。『格好いい』というよりも『怖い』、『恐ろしい』という印象が強い顔立ちだった。


 こんな顔は知らない。

 そもそも、俺は日本で生まれ育った平凡な会社員なのだ。こんなマフィアの後継ぎのような悪人面では決してない。


「いや……マフィアの後継ぎ?」


 心の中で思った何気ない単語に鏡に映った顔に見覚えがあることに気がついた。必死に記憶の海を探っていくと、連鎖的に自分の経歴が甦ってくる。

 自分が日本にいたこと。30代前半ほどの年齢で会社員であったこと。趣味がゲームであったこと。

 思い出せる最後の記憶は……仕事が終わって、疲れ果てた身体で深夜に帰宅したことである。残業続きで身体は鉛のよう。会社に泊まり込む日々が続いていて、自宅に帰ってきたのも1週間ぶりだった。

 久しぶりに風呂に浸かり、どうしてあんなブラック企業に就職してしまったんだと嘆きながらビールを一気飲みして……そこでプツリと記憶は途切れている。


 おそらく、俺はあれから死んでしまったのだろう。

 脳卒中か心筋梗塞。あるいは過労か。俺も成人病が気になる年頃だった。仕事の激務も続いており、いつ身体を壊してもおかしくないと思っていた。

 あのまま独り暮らしの自宅で死んでしまい、ライトノベルでお馴染みのアレ……すなわち、『転生』してしまったのではないだろうか?


「おいおい……マジかよ。俺は、いや……この顔はもしかして……!?」


 そのまましばらく記憶を探っていくと、ようやく鏡に映っている人物の正体に気がついた。


「この世間の悪意を全部混ぜ合わせたような悪人面……ひょっとして、ゼノン・バスカヴィルに転生したのか!?」


 ゼノン・バスカヴィル。

 それは前世の自分にとって忌まわしい存在。最も憎むべき相手。俺が愛してやまない神ゲーム『ダンジョン・ブレイブソウル』を汚した悪役の名前である。

 どうしてすぐに気がつかなかったのだ。こんな悪そうな顔は世界中探したって2人といないだろうに。

 ひょっとしたら、この男によって植え付けられたトラウマを思い出さないように、記憶に鍵をかけていたのだろうか。


「何で……どうして、よりにもよってこいつに転生してるんだよ……!」


 俺は激しい怒りに襲われて、拳を握り締めた。

 どうしてよりにもよってゼノン・バスカヴィルなのだ。いったい前世でどんな悪行を行えば、自分が最も憎む男に生まれ変わるのだ。

 怒りと苛立ちがマグマのように湧き上がってきて、鏡の中のゼノンの顔面も鬼のように歪んでいく。


 どうせ転生するならば、主人公のレオン・ブレイブがよかった!

 大勢のヒロインと愛を育んでハーレムを築きたかった!


 そうやって魂の叫びを上げていると、部屋の扉がひかえめにノックされた。俺が応えるよりも先にガチャリと扉が開かれる。


「失礼します…………え?」


「あ?」


 入ってきたのはメイド服を着た若い女性である。年齢はおそらく20代半ばほど。紫がかった髪を頭の上で結っており、顔立ちは非常に整っている。

 メイドは鏡の前に立っている俺に目を丸くして固まり……見る見るうちに顔を蒼白にした。


「失礼いたしました! 許可なく部屋に入ってしまって申し訳ありません!」


 バッと勢いよく頭を下げる。腰を90度に曲げた深々としたお辞儀だった。


「いつもは部屋の外からノックをしても起きないので、ついつい無断で中に入ってしまいました! どうかお許しくださいませ!」


「あ、えっと……」


 必死に謝罪をしてくるメイドに、俺は困惑して顔をひきつらせた。

 どうやらゼノンは相当に使用人から恐れられているようである。さすがは稀代の悪役。ゲーム業界を震撼させた寝取り男だ。

 突然、部屋に入ってきたメイドに戸惑った俺は思わず言葉を失ってしまう。そんな俺の反応を悪いように受け取ったらしい。女性は覚悟を決めた表情で顔を上げた。


「……ご無礼をしました罰を頂戴いたします。お目汚しを」


「うおっ!?」


 メイドは意を決したようにエプロンを脱ぎ捨て、ブラウスのボタンを外していく。突然のストリップに固まっている俺の目の前で、メイドは上半身をはだけて両手を壁についた。


「っ……!」


「……どうぞ。いつものように折檻をしてくださいませ。覚悟はできております」


「お前、その傷は……!」


 半裸になったメイドの背中には無数の青アザがついていた。まるで鞭で打ったような傷跡で、痛々しいミミズ腫れが白い肌のあちこちを這っている。


「『いつものように』……だと?」


 まさかとは思うが、ゼノンはこのメイドに日常的に暴力を振るっているのか。

 服を脱がして背中を剥き出しにして、鞭で叩いているというのか。


 俺は激しい怒りに叫びそうになるが……すんでのところで激情を堪えた。ここで騒いだら不審に思われてしまう。

 ゆっくりと呼吸を繰り返して荒ぶる感情を抑え込み、椅子に掛けてあったガウンを取ってメイドの背中にかぶせる。


「……ゼノン様?」


 不安そうな声を漏らしながらメイドが振り返る。俺は顔を見られないように目を伏せて、ぶっきらぼうな口調で言う。


「……折檻はしない。さっさと服を着ろ」


「え? ですが、いつもだったら最低でも10回は……」


「二度言わせるな! そんなことでお前を叩いたりしないから、服を着ろ!」


「ひっ……か、かしこまりました! すぐに服を着ます!」


 メイドは怯えたようにこちらの顔を窺いながら服を着ていく。

 俺はスタイルの良い身体つきから目を逸らしつつ、今のうちに自分の服を着ておく。幸い、脱ぎ捨てられた男性物の服が床に落ちていた。黒を基調にした衣装はゲームでも見た『ゼノン』のコスチュームそのものである。


「お待たせいたしました。服を着ましたけど……これから、私は何をすればよろしいでしょうか?」


 メイド服をキッチリと着た女性が訊ねてきた。

 改めて思うが、とんでもないレベルの美女である。ゲームにこんな美女が出てきた記憶がないが、これほどの女性がモブとして埋もれていたというのだろうか。


「あー……お前、今日は何年の何月何日だ?」


 女性がメイド服を着込んだのを見届けて、口を開く。

 本当は名前を尋ねたいところだったが、俺がゼノンではないとバレかねない。適当に言葉をぼかしながら今日の日付を尋ねた。


「えっと……今日はスレイヤー歴101年の4月5日ですけど……」


 メイドはわずかにきょとんとした顔になったが、すぐに俺の質問に答えてくれる。

 西暦でも令和でもなく、『スレイヤー歴』ときたか。やはりここは『ダンブレ』の世界で間違いないようである。


「101年の4月5日って、たしか……」


 それは俺にとっては忘れられない日付である。その日は『ダンブレ』の主人公であるレオン・ブレイブが王都にある王立剣魔学園に入学する日だからだ。

 メインシナリオはもちろん、ヒロイン達の個別エンド、後に追加シナリオとして配信されたサブヒロインルートも全てクリアしている俺にとって、入学式の時間まで思い出すことができる印象深い日付だった。


「ん……ということは、俺も今日から学園に通うのか?」


「はい。今日はゼノン様の入学式ですが……」


 思わずつぶやかれた独り言に、メイドが律儀に応えてくれた。

 ゼノン・バスカヴィルはレオンの同級生。当然、同じ日に学園に入学することになる。

 時計に目をやると、俺と同じ背丈の振り子時計の短針は6を指している。入学式は9時からなので、まだ時間には余裕はある。


「ゼノン様……ひょっとしたら今日は朝の鍛錬はお休みされるのでしょうか?」


「鍛錬?」


「はい、毎朝欠かさずになされているようなので、今日もいつも通りの時間に起こしたのですが……」


「毎朝欠かさず……俺が?」


 メイドの言葉に、俺は意外に思って瞬きを繰り返す。

 ゼノン・バスカヴィルにそんな努力家な一面があったとは思わなかった。

 確かに、『ダンブレ2』に登場するゼノンは学年次席の成績を誇る優等生だった。バトルパートにおいても高い性能を発揮する万能職のジョブについており、主人公と魔王を除けば敵無しという屈指の実力者である。

 その実力の陰にそんな努力の積み重ねがあったとは……『2』ではそんな描写はまるでなかったはずなのだが。


「どうされましたか? 鍛錬をお休みなさるのでしたら、すぐに朝食の準備をいたしますが?」


「いや……いつも通りに鍛錬はしよう。訓練場は……あー、先導してくれ」


「はあ? 承知いたしました」


 メイドは不思議そう首を傾げながらも、部屋を出て廊下を先導していく。

 俺は──ゼノン・バスカヴィルは緊張を隠しながら、メイドの背中を追いかけて屋敷の廊下を歩いていくのであった。


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