あたたかいおもいで

 パチパチと薪の燃える音が部屋に響く。


 一年中融けることのない雪が作る冷気は十一の月に入ったことでさらに冷たくなり、何かを羽織ってないと凍えそうなほどだ。


 俺は温かみのある大きなソファに体を委ね、お腹が膨れて少しぼんやりとしてきた目で暖炉の炎を見つめる。しだいにまぶたが落ちてきた。

 (そろそろ寝室に行かないと院長先生に怒られるかな)

 そう思ってはいるものの、身体はぼーっと溶けたかのように動かない。トットッと軽やかに木を叩き歩く音が聞こえたが、足音から院長先生では無いことだけ意識の片隅で確認する。

 (もうこのまま寝ちゃおうかな…)

 後で院長先生には怒られるかもだけど院長先生は優しいからきっと許してくれるから。身体を動かしたくないからか、それともこの心地よい眠気が覚めるのが嫌なのかは自分でも分からないくらいには、体が動かない。


 ドンッと後ろから体に何かがぶつかってきた。


 その衝撃でぼんやりとしていた視界が一気に明瞭になった。

 左右に頭を後ろに向けるが、視界には青みがかった黒い髪の束しか映らない。

 グルンと体ごと回転して後ろを見ると、顔を隠した絵本からぴょんと大きなくせ毛がはみ出していた。絵本の上部を手で押さえてグッと軽く力を入れて下げると、いたずらっぽい笑みが姿を現す。

 「ノアどうした?そろそろベッド行かないと怒られるでしょ。」

 「それはハルも同じだろ?」

 笑顔で絵本をお腹にブスブスと刺しながら答えてくる。

 開かれた目の色は珍しい紅色で、俺はこの目を持つのを色々な色彩を持った子が集まるこの孤児院でさえも、ノア以外には知らない。

 暖炉の炎がキラキラと目に映り光っていた。

 それがとても綺麗で、何百回と見てきているのにじっと見つめてしまう。


 (いや、これは違うな)


 十四年余の付き合いから違和感をつかみ取る。この輝きは俺に伝えたいことがあってうずうずしている時のだ。

 こういう状態は俺から話しかけない限りノアは何も言わないし、かといって放置しておくと機嫌が悪くなって少なくとも半日はまともに話してくれない。孤児院にはたくさんの子供がいるが、同い年は中々いない。貴重な同い年で幼馴染のノアと半日も話せないのはさすがに精神にくる。


 拗ねっぽい、というのだろうか。

 一個上の兄さん姉さん達が成人して孤児院からいなくなって俺達二人が一番上になったのだから、こういうところは直してもらわない困る。

 (もし皆に見られた時には、年長者の威厳というものが消え失せてしまいそうなのだけどなぁ…)

 まぁ、一応俺に対してにしかこういうことはないから大丈夫、なはずだ。

 それに俺だけに見せてくれる態度だと思えば、誰よりも気を許してくれているってことで少し、いや、かなり嬉しい。


 とにかく、お互いに顔を向けたままのこの状態を抜け出すには俺から声をかけなくてはいけないということだ。

 「それで?何か用?」

 ノアの顔がぱあっと明るくなる。

 よく年下の子たちには「ノア兄さんは表情が乏しいから怒っているのか笑っているのか分からない」って言われているけれど、表情に出ないだけで雰囲気とかが大きく変わるから俺はかなり分かりやすいと思っている。それを言ったら皆にはバケモノを見たかのように引かれたり全力で抗議されたりと三者三葉の反応はされたが、誰一人にも理解はされなかった。


 ノアは喜んでいる雰囲気がだだ洩れで本題を始めた。

 「ハル、『ブラックサンタ』って知ってるか?」

 「何それ?知らない。」

 別に意地を張ることでもないし首を軽く横にふりながら答えると、とても満足そうに微笑みながらも若干呆れ気味に返答された。

 「そうだよな。知ってた。」

 「どういうこと?」

 「せっかく昨日院長先生が俺らに話してくれてたのに、ハル、お前は気持ちよさそうに熟睡してたからな。」

 「マジでか⁉」

 「うん、それはもうぐっすりと。寝言といびきがうるさすぎて院長先生がわざわざベッドに運ぶくらいには。」

 「そっか・・・」


 「わざわざ」がやたらと強調して聞こえたが気のせいだと信じよう。まぁとりあえず後で院長先生にはお礼とか諸々言っておこうと決心して話を聞き続ける。

 ノアは話が脱線したことに気づいたのか思い出したように手に持った本を顔に勢いよく見せつけてきた。


 その表紙には『新ニコス童話』と刻まれている。


 ニコス童話は兄:二コラ・ニコス、弟:ラウス・ニコス、通称ニコス兄弟が251年に世界中各地に伝わる昔話や伝説を脚色・編纂したという子供向けの話である。しかし童話にするにあたって残酷な描写等を削除や変更したことによって、元の話とはかなり変わってしまった部分が多くあるらしい。その変更、脚色、削除した部分と原作を比較した本がノアの持っている『新ニコス童話』だ。

 だから御伽話要素の強いニコス童話と比べて、かなり正確に情報が得られるのだ。ニコス童話は役に立つ教訓も多く含めて編纂されているから、院長先生が昨日皆に読み聞かせをしたのはニコス童話の方なのだろう。


 賢いノアのことだから図書室から新ニコス童話を探し出してきたのだろう。もしくは院長先生から借りてきたのかもしれない。

 「あ、ちなみにな、これは院長先生に頼み込んで借りてきた。ハルにも教えてあげたいって言ったら思ってた以上に簡単に借りられた。」

 どうやら後者の方だったらしい。


 予想が的中して少し面食らっていると、ノアはニッと笑った。

 「お前が考えてることなんてお見通しなんだよ。」

 (そういうものか・・・?)

 いまいちピンと思い当たらない状態でいると、ノアから一番分かりやすい理由が伝えられた。

 「だって、お前もそうだろ?俺の考えてることとか思ってることとか機嫌とか、全部全部分かっててくれてるじゃんか。」

 「たしかに。」

 何か可笑しくて二人で向かい合って笑う。

 しばらくしてお互いに笑いが治まってくるとノアが本を開く。それに合わせて二人とも暖炉に顔を向けふかふかのソファに体を委ねる。


 「大丈夫か?」

 「何が?」

 「お前、怖いの苦手だろ?」

 「え、そういう系なの?」

 (っていうか気づいてたのか?)


 色々と混乱しているといきなりノアが吹き出した。

 「いつも院長先生とかセイカ姉さんが怖い話してる時、面白いくらいビビってるだろうが。」

 「それは…」

 「セイカ姉さんなんてわざとやってるから。」

 「だからか⁉いつも俺にだけなのって・・・そういうことだったのか。」

 「大丈夫。全然怖くないからさ。」

 「ホントか・・・?」

 怖いものが好きな人が言う「怖くない」は世界で絶対に信じてはいけない言葉の中に確実に入っていると思っている。


 疑心暗鬼になるが何も進展がないと判断してノアの脚を軽く叩くと、はいはいと返事されそのまま二人の脚に乗せてきた。


 革で作られた表紙を開くと細かい字がたくさん並んでいて、無くなったはずの眠気が復活しそうになった。大きめの本は二人のピッタリと合わせた両脚に乗せてもまだはみ出してしまう。

 本、というよりは図鑑と言った方がしっくりするような大きさだ。


 ニコス童話は大小問わず百余の物語が集録されて毎年加えられているが、その中でも代表作のように扱われているのが『灰雪姫』と『七糸伝説』、『黒い聖夜』の三つだ。読んだことはないが、この点はおそらく新ニコス童話も同じなのだと思う。


 ノアがペラペラと探し、開いた物語のタイトルは三つ目の『黒い聖夜』だった。


 そして男子としては未だ声変わりの済んでいない心地良い声が昔話の決まり文句を切り口に、暖炉の音と混じり部屋を満たしていった。


「むかしむかし・・・」




―むかしむかし、この世界のどこかにとても寒い“ゆきのくに”というところがありました。

 そこには雪と同じくらいに白い服をきた“さんた”とよばれる人たちと、黒いローブとぼうしを身につけた“ぶらっくさんた”という人がいました。

 “ぶらっくさんた”は“わるい子”を見つけては“ぷれぜんと”を使って“ゆきのくに”にさらってきてひどいことをするので、“さんた”からはきらわれているのでした。

 そんなある日、“ぶらっくさんた”がこれまでしてきた“わるいこと”のしょうこが見つかり“さんた”によって世界のすべての人に知られてしまいました。

 ”ぶらっくさんた”は必死にかくれましたが、けっきょく“ぶらっくさんた”はつかまってしまい、しょけいされることが決定しました。そして“ぶらっくさんた”は“さんた”によって銃でうたれてしんでしまうのでした。

 ”ぶらっくさんた”がしんでからはさらわれる子どもはいなくなり世界はへいわになりました。めでたしめでたし。―  (くろいせいや:ニコス童話より)




要するにニコス童話では「悪いことをするとブラックサンタに捕まってひどいことをされるよ」という子供に対する警告というか脅しのような話で、院長先生が読み聞かせをしたのはそういう意図があるのだろう。

 皆やたらと今日は素直だと思ったらそういうことだったのか。


 ニコス童話を読んだ後、続いて改編前の話を読む。

 『黒い聖夜』は比較的最近に加えられたからか、他の話に比べて解説のページが少なかった。

 例えば、ブラックサンタが攫ってきた子供に対して行ったという悪いことの詳細だったり、真っ黒なコートを羽織って同じく真っ黒な帽子をかぶっているという見た目くらいだった。ああ、後、ブラックサンタは処刑されたが後継者がいて現在でも密かに悪い子たちを攫っているということも載っていた。

 有益なのはその三点ぐらいで、思った以上に情報が無かったからか、ノアは凄く不満そうに黙っている。

 声をかけるか迷っている間に気を持ち直したのか、本をパタンと閉じるとそれでもまだ納得のいかない声が混じりながら話を進めてきた。


 「なぁ、サンタって分かるだろ?」

 「もちろん、今年はセイカ姉さんだったよな。」

 「そうそう、そのサンタの仕事って分かるか?」

 何だか小馬鹿にされている気がする。

 「サンタの仕事は、世界中の子供にプレゼントを配ること、だろ?…それでプレゼントを配る子の条件が三つ。成人の済んでいないこと、いい子であること、あと、えっと…」

 「サンタの正体が、子供達と同じ人間だと分かっていないこと、な。」

 「ああ、それだ。その三つの条件を満たしている子に十二の月の日の二十五日のクリスマスにプレゼントを配る。その準備だったり当日の実行だったりをするのが主な仕事なん、だよな?」

 若干最後不安になってノアの顔を覗き込むように尋ねるとノアは首を縦に振って肯定すると話し始めた。


 「院長先生に聞いたこととか色々集めたのをまとめるとな。いい子にプレゼントを配るのがサンタの仕事で、いい子の逆のわるい子を攫ってくるのがブラックサンタの仕事。サンタが白い服を身に着けてるのに対して、ブラックサンタは、黒いコートと帽子を。だから、」

 「ブラックサンタはサンタの真逆の存在、ってことか。」

 「一番大切なとこ取られた…」

 「ごめんって。」


 拗ねているノアの顔を軽く覗き込む様にして謝るとノアは首を縦に振り、そしてぽつりと一言を宙に溶かした。

 「いい子、わるい子、って何だろうな。」

 ノアがいつもとは違う不思議な雰囲気になる。

 彼の紅い目は目の前にある暖炉ではなく、もっと遠い“どこか”を見ているように思える。ノアがその“どこか”に自分から向かって、連れ去られて、いなくなってしまいそうに思えた。

 それが怖くて、俺はノアの手をギュッと握ってとぼけて笑った。

 「お前に分からないことが俺に分かること無いだろ?」

 「そっか、たしかにそうだな。」

 「否定しろよ。」

 ノアが“どこか”からここの孤児院に、ノアの眼が虚空から俺に、ちゃんと戻ってきてくれたことを確かめてホッと心の中で一息つく。

 いつの間にかノアを上目遣いで見るような体勢になっていることに俺が気付くのとほぼ同時にいつも通りの茶目っ気と冷静さの混ざった声で端的に言った。

 「来年だな。」

 何が、と言われなくても分かる。

 「ああ、そうだな。」


 十五歳。

 

その歳を過ぎると成人を迎え、孤児院から独り立ちしてサンタになる。

 孤児院にいた人の中でサンタにならなかった人はいない。

 別に強制されている訳では無いが俺たちは皆、サンタになる以外の道を知らない。それが当たり前だし昔から当然のようにその将来を迎えると思っている。むしろ世界中を廻れるから早くサンタになりたいと言う子も多い。

 確かではないが、昔は俺もノアも言っていた気がする。


 「怖い?」

 「いや、楽しみ。」


 俺らは今年で十五歳になる。

 今年のクリスマスが終わって次の年になると、成人を迎えてサンタになる。

 そうなるとこの孤児院を出て、慣例的には一人暮らしを始めなければいけない。

 これまでの生活が一気に変わるだろうから怖いといえば怖いけれども、それを上回って、生活を自由に出来ることとか世界中を廻れれることとかが凄く楽しみだ。

 こういう所は昔から変わっていないのかもしれない。


 「ノアは?」

 「俺も楽しみ。」


 いつもならとっくに寝ている時間を過ぎて、二人共やや夢見心地のような雰囲気が出来上がっているのかもしれない。


 「なぁハル、約束しようぜ。」


 暖炉に向いていた脚をジャンプするようにソファに正座で乗り、それに合わせてくせ毛がぴょんと跳ねた。

 そして俺の前に左手の小指を差し出して笑顔で言った。


 「何を?」


 いまいちよく分からないまま同じように小指を差し出すと、ノアは立てた小指を俺の小指に絡めると笑顔のまま答えた。


 「お互いさ、いいサンタになろうぜ。」

 「いいサンタって?」

 「引退するまでちゃんとサンタの仕事を続けて子供達に夢を与える、どう?」


 ノアの言葉を時間差で飲み込むと、思わず笑いがこぼれた。

 

 「いいな、それ。ちゃんと二人で、いいサンタになろうな。」


 返事すると同時に小指をノアの小指をしっかり絡ませて握る。


 ノアが首を縦に振ったことを確認すると、お互いに小指を握り、声が重ね合って「約束な」と誓った。

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