四
清涼殿前の庭には舞台が整えられ、色とりどりの衣装を着けた少女が雅楽に合わせて舞始めていた。その脇では近衛府の衛士達が本番に向けて警備の最終調整を行っている。
新嘗祭前日に行われる、舞姫の
帝より一段低く設えられた席で朔はうんざりとした気持ちで
「どうです、今年の舞姫は」
左大臣
だが、薄布で顔を隠した少女達の顔立ちは遠目からは判別できない。近くで見ようともきっと同じような濃い化粧をしているだろうし、区別を付けられる自信はないが。
朔は扇の影でため息をつくと、後ろの暁を窺い見た。
今日の暁は暁であって暁ではない。
上手く化けたと梨壷の女房たちは誉めたが、化けたわけではなく、本来の姿に戻っただけだと知るのはおそらくは朔、是近、朱利そして――もしかしたらではあるが――父である帝だけではないかと思える。
朔にはずらりと並ぶ女房の顔は全部同じに見えていた。だが暁の顔だけは見分けがついた。それは母が見分けられた理由と似ているものの、何かが違うのはわかった。
暁を見ていると穏やかで楽しい気持ちにもなるが、時折急に息苦しくなる。息を詰めて見つめていることに気が付き、慌てて目を逸らす。このところそんなことが何度もある。
朔は今もまた暁を気にしている自分を知り、周囲に悟られないように気を付けながら、ゆっくりと四人の舞姫達に視線を移した。
彼女たちは舞を終え、頭の布を取り払い、代わりに扇で顔を隠している。
「前方左が私の娘、椿でございます。その隣が大納言の娘、菫。そして後ろは右から〈
説明に従って朔は目をゆっくりと動かした。左大臣の自慢の娘は父親と同じ黒に近い栗色の髪をした少女。朔より一つ年上だ。
美しく重ねた袿の上に華やかな紫色の
大納言の娘は軽く癖のある鳶色の髪をしている。こちらも紫の表着。線は細く、一見すると控えめな印象。朔より年下のはず。しかし、左大臣の娘に遠慮しながらもこちらにちらちらと視線を飛ばしてくる。隙あらば――と言ったところだろうか。
受領の娘二人は育ちの違いなのか、気圧された様子で後ろで俯いているため、顔は確認できない。
揃えたように遠慮がちに青の表着を身に付けている。淡い茶色の髪は大陸の血を感じさせた。そしてそれを引け目に思っているのもおどおどとした態度から読み取れた。前二人と比べるとあからさまに引き立て役だった。
無言の圧力に朔は黙り込む。去年よりも舞姫の格が上がっていることの意味――つまりここに並べられた少女達が自分の将来の妃であることは承知している。子孫を残すことは、皇家の重要な役目だとも理解している。だが彼女達を目にしても、心には嫌悪感しか残らない。
確かによく見れば少女達は皆美しかった。だが朔の嫌いな〝女〟だった。
豪奢な作り物の花より、野に自生するしなやかな花の方が美しい。そんなことを考えながら、後ろの女房を気にしている自分はどうかしているのかもしれない。ただ、あの言葉を聞いてからどうしても心の奥底がざわめくのだ。
『おひさまが輝くきらきらした国になるって、ずっと信じているのです』
あれはなんだったのだろうと、朔は不思議でならない。どこかで聞いたような懐かしい言葉の数々だった。
それに触発されて目の前に美しい野原が見えた気がした。萌える若葉に紛れてひっそりと咲く黄色の花達。冷たく清々しい雪解け水の匂い。美しい景色の中には小さな人の影がぽつんとあった。影は向こうを向いていて顔はわからない。
あれは一体どこだったのか。そして誰だったのか。夢で見た景色だとずっと思っていたのに。
「綺麗な人がたくさんですね」
ふいに暁がそう呟きながら、ほうとため息をついた。
「暁も綺麗だよ」
何気なくそう言うと暁は目を丸くして、慌てたように顔を伏せた。それを見て、まるで朱利のようなことを口走ってしまったと朔はカッと頭に血が上ったのがわかった。
「あぁ、え、っと〝男〟だとは思えないくらいにね」
朔が焦って補足すると、暁はほっとしたようにくすりと笑みを浮かべた。
「似合っていないのはよくわかっているのです。それに、衣が重くて体が上手く動かせません」
蚊の鳴くような声だ。真っ赤な耳から朔は目を離せなかった。
淡い金色の髪の隙間、肌に薄く乗せられたおしろいのせいで頬の赤みが薄まって、桜色になっている。それがひどく艶かしく思えて、朔は思わず体の位置をずらし彼女を背に隠した。簀子縁にいる朱利や、他の公達の目を気にしたのだ。
庭には朔と同じ年頃の若者が大勢いて、舞台の上の舞姫の品定めをしている。だが、時折女房にちょっかいをかける輩も舞姫に見とれる者と同じくらいにはいたのだ。
御簾がかけられているため内部は見えないというのに、誰かに覗き見られるのを朔はひどく恐れた。
(見られたら、さらわれそうな気がする)
小葵の文様の入った灰色の表着の下は、紫と白の袿を重ねてある。落ち着いた色目で目に留まらないはずのものだった。
表の舞姫達は皆明るい色合いの衣で目立つというのに、朔の目に入るのは暁の地味な女房姿だけだった。新嘗祭のための変装。終われば見ることが叶わなくなる――そんな思いがあるからなのかもしれない。
(暁にはきっと青や萌黄が似合う)
彼女に似合う衣で華やかに着飾れば、金の髪や翡翠の瞳がさぞかし鮮やかに見えるだろうな――ぼんやり考える朔の耳に、わずかに苛立った声が割入った。
「殿下。聞いていらっしゃいますか」
舞姫に対して――特に自分の娘に対してだろうが――感想のない朔に、紹介を行っていた左大臣が御簾の向こうで眉をひそめたのがわかった。
「――そろそろ
暁が息を潜めて会話を聞いているのがわかり、その話を今ここでするなと朔は苛立つ。
「…………興味がない」
「ご冗談を。それではいつまでも御元服が済まぬではございませんか」
左大臣は朔の拒絶を笑い飛ばして続けた。
「とにかく娘にも家族にも心積もりというものもありますし、なにとぞお早めにお願いいたします」
朔には彼らの言い分もわかっている。
娘の入内となれば、準備も多くあるだろう。だが、理解できても心は受け入れない。よく知らぬ娘と二人きりで一晩過ごせと言われても、興味よりも恐ろしさが勝った。
「主上は自分でゆっくり選べとおっしゃった。添臥がすぐに正妃となる訳でもないのだし、そなたらが焦ることもあるまい。じっくり構えればよいではないか」
「ですが、主上は御元服に際して我が妹――中宮紫苑様を娶られましたし、過去に遡ってもそれが常でございます」
(だが、愛もないのに娶ってどうなる。過去というが、父の寵は母上に移った。そして母上は身分に釣り合わぬ寵愛を得たあげく――)
朔は未だに襲いかかる胸の痛みと反論をぐっと飲み込むと、努めて冷静に答えようとする。しかし、声に刺が混じるのは抑えられなかった。
「主上は主上、僕は僕だ。その件に関しては僕のしたいようにさせてもらう」
視界の端で暁が震えたように見えて、そして、彼女の翡翠の瞳が彼を責めているような気がして――朔はひどく怯えていた。
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