その晩、瑠璃は是近に呼び出され、小さな器を手渡された。


「くすねてきた。例の証拠品だ」

「珍しい器ね」


 瑠璃は観察しながら呟いた。拳くらいの大きさで意外に重い。茶色で、光に翳すと向こうが透けて見える。蓋の付いた美しい器だった。


玻璃はりだそうだ。薬入れによく使われるが、異国製で、かなり高価なものらしい」

「じゃあ、犯人はそれなりに裕福な家の人なのかしら? 確か中身は南方のもので、使った人間は北部の人間なのよね?」


 裕福と聞くとどうしても南部を想像する。だが実際に捕まったのは北部の人間だった。瑠璃はどこに焦点を当てればいいのか悩んで項垂れた。


「疑わしい人間はそう多くないから……もしかしたらかく乱を狙っているのかもしれん。俺は槙野政孝周囲の人間に聞き込みをすることになっているんだが、何しろ本人が既に死んでいるからなぁ」

「多くないって――父さん、もしかして心当たりがあるの?」


 是近は一瞬ためらった。


「ああ。主上も〝ある人物〟を疑っておられる。だが決め手に欠けていて、尻尾をつかめない」

「じゃあ――」


 どうして教えてくれないのかと瑠璃が顔を上げると、是近は首を横に振る。


「力が使えるかわからない状態だ。今はおまえに余計な考えを植え付けたくない」


 先入観を持たせずに試すという事だろうか。瑠璃は納得して頷いた。


「わかった。やってみる――やり方なんてわからないけど」

「無理はするな。あくまで試しているだけなんだからな。他にも方法はあるんだ」


 是近は言ったが、瑠璃は嘘だと思った。事件は一度解決したことになっている。その上、月日が経ち人々の記憶も曖昧だ。調査のやり直しは事件発生時より大変で、行き詰まっているのが目に見えた。きっと藁にもすがりたいはず。だからこそ瑠璃はここに連れて来られたのだ。


(――あたしが何とかしなきゃ)



 宿直から外してもらった瑠璃は、自分の局に戻ると褥に横になる。右手と左手を組み合わせ、冷たく固い薬瓶をぎゅっと握りしめる。


(お願い。何でもいいから、手がかりをちょうだい。朔を助けたいの)


 強く願いながら目を瞑るが、普段寝付きのいいはずの瑠璃も、不思議なもので眠ろうとすれば眠れなくなるのだった。しかも定期的に是近が様子を見に来るしで気が散った。結局瑠璃がその日眠ったのは東の空が焼け始めた頃だった。



 気が付くと瑠璃は起き上がっていた。見たことのない場所だが、上等な調度を見てすぐに宮のどこかだと察した。人の気配を感じて奥を見ると、御簾越しに見下ろしてくる女が居た。彼女はひどく妖艶で、しかし恐ろしい雰囲気を放っている。


『…………で、……いを』


 女は瑠璃に向かって何か指示を出す。だが、なんと言っているかはわんわんと大きく響く耳鳴りのせいでわからない。

 御簾の向こうでニタリとその真っ赤な唇が歪み、瑠璃は戦慄し、目をかっと見開く。

 と――瑠璃の局の天井が見え、今まで見えていた光景がぱっと朝の光に溶け散った。


(ゆ、夢――――?)


 瑠璃は今しがた掴みかけた夢の欠片を追って慌てて目を瞑る。なんとしてもあの女の言葉を聞きたくて、そして顔を見たくて、薬瓶を握りしめる。


(お願い、お願い――もう一度――!)


 願い通りに瑠璃は再び夢の中に落ちる。だが、次は見たい場面に辿り着く前にあっけなく意識を失った。――つまり普通の眠りに落ちてしまったのだ。




 次に目を開けた時にはもう既に昼が近かった。盛大に寝坊した瑠璃は是近の落としたげんこつで目覚めた。是近は結果を聞くのも無駄と言った様子で、瑠璃の手からいつの間にか転がり落ちた薬瓶だけを回収して行った。こっそり持ち出したからすぐに戻さなければならないそうだ。

 瑠璃は慌てて追いすがって報告しようとしたけれど、目が完全に覚めたとたん、昨晩見た夢は夜露のように消えてしまっていた。


(ああ――――あたしのバカ!!)


 しかし是近は寝坊については怒っていたが、瑠璃の力が使えなかったことに対してはほっとしているように見えた。親心というのは瑠璃にはよく理解できないが、是近ははっきり『力が使えない』と知りたかったのかもしれない。瑠璃も身の内に得体の知れない力があると言われると気味が悪いし、そんなものはないと知れば安心する。その気持ちならばよくわかった。


 だが――役に立たないとなれば、朔を助ける方法がないということ。沸き上がる焦燥に触発され、ふと昨晩掴み損なった夢の欠片が気になった。もしかしたら慣れが必要なだけなのではないか? もう一度見れば、今度は何か掴めるかもしれない。


(でも、父さんはもう、あたしに頼まないわよね……)


 好機というのはなかなかやってこないものだ。そして一度掴み損なうと、二度とやってこ

ないかもしれない。

 瑠璃はその日、帯刀の任務を欝欝とこなしながら、自分と力についてずっと考え続けた。

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