七
瑠璃と是近が話し込んでいるうちに、朱利と朔は表で馬に鞍をつけていた。馬小屋から出てきた瑠璃は、馬を大人しくさせるのに苦戦する朔に、朱利がからかい混じりの言葉を投げているのを見つけた。
「なーんもできないと思っていたら、道理でねぇ。そりゃ、国一番の坊々だもんなぁ」
相変わらずのくだけた口調に驚いて、しんみりした気分も吹き飛ぶ。思わず瑠璃は二人に駆け寄って怒鳴った。
「な、なんでそんな気安い口調で話せるわけ!?」
朱利は呆れた様子で瑠璃の耳元で囁く。
「だって、まだここは〈壇〉だし。ここで身分がばれちゃまずいわけでしょ。俺は揖夜の上司ってことだから、当然じゃない?」
「う」
あまりにもっともな意見。気が付かない自分の無能さに瑠璃は肩を落とした。
「まあまあ気を落とさずに。出発するから、荷物を積んで」
朱利に促されて瑠璃は荷物を載せようとしてはっとする。
「馬が三頭しかないんだけど」
「予算の都合だって。第一揖夜は馬に上手く乗れないんだからさ、あっても無駄だろ」
「じゃあ、揖夜はどうするんだよ?」
「暁ちゃんと相乗り。いいなあ、代われるもんなら代わりたいのにさー、ちょーかんが駄目だって。なんで俺は駄目で揖夜はいいんだろ」
ひどく残念そうな顔で朱利は瑠璃の胸と腰をじろじろ見る。
(ど、どう考えても駄々漏れの下心のせいだと思うけど!)
そう思いながら、瑠璃は文句を言う。
「もう! 妙な目で見るなよ!」
瑠璃が荷物を抱きかかえて朱利を睨んでいると、朔の冷ややかな声がぽつりと響いた。
「暁って、朱利と仲が良いね」
瑠璃は思わず飛び跳ねた。
「ど、どこが!? 仲良くないですって!」
一気に頭に血が上り、耳が熱くなる。
「喧嘩するほど仲が良いって言うだろう。僕とは喧嘩したことないのに、朱利とはよくしている。僕には遠慮するくせに、朱利にはしないんだな」
朔の冷たい横顔に瑠璃は焦った。
「そうそう、俺たち、仲が良いんだ。俺、暁ちゃんのこと好きだしー、暁ちゃんだってそうだろ?」
朱利がからかうように瑠璃の肩に手を回し、瑠璃はその手をぺしりと叩いた。
「だ、誰がっ!! これ以上変なこと言うなよ!」
きぃっとむきになる瑠璃の頭に、是近の大きな手が乗り、瑠璃の言い分は受け入れられることなくその場は収まった。
「そのくらいにしておけ。出発だ」
結局、是近の思惑はその後すぐに知れた。二人乗りの馬は前を行く馬に大きく遅れた。それも当然で、二人合わせると大きな男一人分よりも重いから、馬も速度を上げられないのだ。これで是近と朔、朱利と朔となれば、余計に馬は遅れてしまう。
それを知って、わずかに是近を疑っていた瑠璃は反省する。
(父さんがあたしを本格的に追い出しにかかったのかと思ったわ……)
馬で相乗りとなると、それなりに密着することとなる。つまり瑠璃の性別をそうやって朔にばらして、約束を破らせるのかと思った。卑怯な真似が嫌いな父だが、背に腹は代えられないのかと。
何だかんだで是近が靫負所を出ることを決断したのは、朔と瑠璃が一緒に寝ていたからのような気がするのだ。あれほど怒った父は初めて見たし、何より怒りの対象は瑠璃ではなく、どちらかと言うと朔に向けられていた。当の朔はどうして怒られたかわからないという顔はしていたが。
「そういえば、さっき、是近と何を話していたの」
朔に後ろから声をかけられて瑠璃は答えた。
「え、ああ。長官とは、今後の打ち合わせを」
「『あかね様を愛していらしたのですか』っていうのが今後の打ち合わせ? あかねって確か是近の妻の名だったよね」
軽く流そうとしたが、そう簡単に朔を誤魔化せるわけがなかった。
「あ、いや、あの、ちょっとした興味があったのです。素朴な疑問です。あかね様には良くしていただいたので」
思わずかしこまると、朔は背でくすりと笑う。
「僕も是近の話を聞きたかった」
「な、なぜ?」
「母上を悪く言う輩が決まって言うことがあったんだ。僕が母上の昔の男の子供なんじゃないかって。僕には父上の血は流れていないんじゃないかってね。だから僕も是近に同じことを問いたい」
「そんなことは絶対にない! と、いえ、長官は今でもあかね様を愛してるって言っていたから……」
是近にかけられた嫌疑は、朔側からすると思いのほか重たいものだった。父のために弁解しようとしたが、他人のはずの自分がむきになるのはおかしい。動揺する瑠璃の背中でくすくすと笑う声が聞こえた。
「それにしても、暁。君さ、気が付いている? 嘘を言うとき、言葉遣いがぎこちなくなって、耳が真っ赤になるって」
「え、うそ! そ、そんなことないです!」
瑠璃は思わず耳を押さえて、手綱を怪しくしかけた。慌てて馬を止めて、振り返ると、楽しげな声で笑っていたはずの朔は、目が笑っていなかった。
「最初からそうだったよね。是近とはただの隣人じゃないし、歳も十三歳じゃないんだなってすぐわかった。さっき『朱利と仲良くない』って言った時もだし、今だって」
「ですから、いや、だから、ちがうって――」
何から否定すればいいのかと焦る瑠璃は、自分の癖に今更気が付いて頭が真っ白になる。
「いいんだ、別に」
必死で否定しようとした瑠璃だが、朔の口元がふっと歪むのを見て口を固まらせた。
似合わない歪な笑み。誰も信じない。心の中には踏み込ませない、そう突き放されたように思えた。
「話せないなら、別に話さなくてもいいよ。別に僕も興味はないし。嘘を吐くなら吐けばいい。嘘を吐かない人間なんてどこにもいないし、僕だって君に隠していることがたくさんあるしね。騙し騙されは、お互い様だろう?」
それ以降、朔は無表情で沈黙を突き通し、瑠璃は泣きそうになりながらも黙って馬を走らせるしかなかった。
(今本当のことを言えば……朔を守ってあげられない。でも――)
彼を騙しているのはまぎれもない事実。そんな状態で彼の信頼を本当に得ることができるのだろうか。
広い広い夜空を眺める。しかし燦然と輝くはずの星は雲に隠れて、見ることはできない。
(あたしじゃ、無理なのかもしれない。でも、だれか。だれか彼の心を温めてあげて)
それができるのがたとえ自分ではないとしても、あんな歪んだ笑顔をもう二度と見たくないと瑠璃は願うのだった。
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