日々を重ねる
『聯續殺人事件、これで四件目。
寄席の近くで起こる事件はすでに四件目を數え、未だ犯人の姿は見えない。』
そんな見出しの踊る新聞を見ながら、
「お前たちも、気を付けるんだよ。巻き込まれないとも、限らないから」
「はぁい」
「はい」
「涼丸は、豊春君にもね」
「……はい」
家にいることから、やや気が抜けている涼太の額を弾いてから、視線を涼丸に向ける。ある事情から内弟子として面倒も見ている涼丸には、顔を合わせると、何かと当たりの強い真打ー六実家豊春というーがいる。きっかけは何だったか、彼の頬にある火傷痕が不気味とか、そう言った理由だったかもしれない。最近は、ちょろちょろしているのが鬱陶しいと、言いがかりにも近いものになってきている。数日前にも帰りがけに殴られて怪我をし、警官に背負われて帰ってきた。
涼篤がその事を苦笑いしつつ言えば、涼丸はしゅん、と小さくなった。
「まァ、マルはちょっと間が悪いことはあるよなァ。もうちょい、うまく立ち回れば良いのになァ」
「わかってはいるんですけれど……涼太アニさんみたいにはできませんて……」
「私は別だよ。むしろ、私の真似しようとしちゃだァめ」
「しようとも、思ってないです」
そんな朝のやり取りを思い出し、今日の仕事場である寄席へ向かいながら涼丸とその兄弟子の前座ー
「でも、私も豊春師匠は苦手よ。こう、下に当たりが強いんだよなァ」
「この席一緒ですよ……?」
「まァ、あんまり私の傍から離れないように。そしたら庇ってやれっから」
「はい」
そんな会話を交わしながら、たどり着いた寄席。立前座の指揮の元、てきぱきと準備が進んでいく。
「涼丸、お前もう太鼓叩けるか?」
「はい、できます」
「よし、じゃあ今日は太鼓頼むぞ。……んでもって、あんまり豊春師匠に近寄るな?」
「すみません…気を付けます……」
立前座が小声で囁いたことに、涼丸は小さくなって頷く。怒ってんじゃないから、と涼丸の背を軽く叩く。そうして、涼太を見つけると彼を手招く。
「涼太は、今日上がれるか?」
「できます。……たらちねで、いいですかね?」
「ああ、うちのアニさんとかからも言われてるんだ」
寄席において暗黙の了解に、同じ噺、同じ系統の噺をしないというのがある。泥棒が出てくる噺を自分より前の出番がやっていれば、泥棒の出てくる噺はできない。だからこそ、後半の出番を受け持つ噺家ほど、いろいろな噺ができるだけの、引き出しと稽古が必要となる。そうして、その暗黙の了解が時折、下の立ち位置の者からのささやかな意趣返しとなることがある。『たらちね』は豊春がよくやる演目の一つ。前座噺でもある為、涼太がやることは何もおかしくはなく。先に逃げ道をふさいでしまえという、思惑がある。
立前座の兄弟子たちが言い出した、という時点で豊春に対する周囲の目はそういう事であり、なおかつ二つ目や前座には、彼の被害にあっている者が多数いる。そういった意味で、対豊春に対しての結束は早かった。
寄席が開き、開口一番の涼太が宣言通りに『たらちね』を演じ、そのあとの二つ目も豊春がよくやる噺や、それに類する噺を演じていく。
仲入りの豊春が上がるころには、一通り誰かしらが彼の得意とする演目やそれに類する演目を演じてしまう。ささやかな仕返しは成功と言えるだろう。
「ちっ!!」
「ぅ、ぁ!?」
「マル!」
「豊春!何してんだ!!」
お仲入りの声がかかると同時に、高座から戻った豊春が涼丸の背中を蹴り飛ばす。全くの不意打ちに、小柄な涼丸は体勢を崩し柱に突っ込んだ。ぶつけた額から血が流れるのを見て、涼太が慌てて駆け寄り、主任を任されている重鎮が、声を荒げた。
「お言葉ですが水鯨師匠。きっとこいつが全部」
「前座に何ができるってんだ?それにな、俺が聞く限りじゃお前が、あの前座のこと目の敵にしているようにしか聞こえないが?」
「っ!失礼します!」
重鎮ー
「まぁ、『そういう事』をするな、とは言わないが、やるならうまくやんな」
独り言は終わり、と言うように彼が煙草を吹かし始めて、やっと楽屋が動き出す。その状況を見て立前座がくらくらと頭を揺らす涼丸と、額の手当てをする涼太の傍へと早足で寄っていく。
「涼丸、大丈夫か。悪かった…」
「いえ……大丈夫です……」
「まだ目回ってるな。休んでろって言いたいが…涼太、補佐を」
「おい、その額打った前座、ちょっとこっちきな」
「はい!」
「…無理するなよ。涼太、太鼓頼む。風児!そっちはしばらく頼むぞ」
水鯨に呼ばれて、少しふらつきながらも涼丸はそちらへと向かう。心配げに見送りつつ、立前座は残りの指示をてきぱきと出していく。
呼ばれた涼丸は、懐から出した紙に何か書きだした水鯨の前に正座する。そうして書き終わったのか水鯨はその紙を二つに折ると、涼丸に差し出した。
「お前、ここから二十分ぐらいの△△医院、しってるか?俺の掛かり付けなんだが、いつももらってる薬が切れてるの思い出した。ちょっと行ってきてくれ。この紙、見せればそれでいい」
「はい、わかりました」
頭を下げて楽屋を出ていく涼丸を見送り、水鯨が今度は立前座を手招いた。二言三言伝えると返事をしたうえで、立前座は仕事の割り振りを決めなおす。涼丸の抜けた穴を埋める必要があった。
水鯨の使いで外へ出た涼丸だが、△△医院は彼にとってもかかりつけの医者である。たまたま一緒だった、というわけではない。水鯨と涼丸は実の親子である。もっとも、涼丸が親の七光りを嫌い、父の弟弟子である涼篤のもとへ弟子入りし、周囲に親子関係は伏せていた。
そう言うわけで、行った先の医院で水鯨の書付けと、青白い顔をしていたこともあり四半刻程ほど半ば強制的に休まされ、多少先ほどよりもしっかりした足取りで、寄席へと戻る道をたどる。戻るころには膝代わりの色物が上がったところだった。楽屋の人数はだいぶ減り、前座のほかには数人の真打と、その弟子ぐらいだ。
定位置の火鉢傍で水鯨が煙草をふかしているのを見て、涼丸はそのそばに寄る。
「失礼いたします」
「あぁ、もどったか」
「はい。行ってまいりました」
「ん。そしたら釣りは小遣いにしていい」
「ありがとうございます」
預かってきた薬を渡し、頭を下げてその前を辞した涼丸は仕事に戻る。
その後は何事もなく色物が終わり、水鯨が高座にトリとして上がり、前座たちは急いで着替え片づけを始めた。
「マル、大丈夫そうか?」
「はい」
「ならよかった。とりェず、帰ったら休めよ。師匠には言ってやっから」
「あ、はい」
傍で片づけを行う涼太が、そっと涼丸に声を掛けた。このあと二人とも帰る先は一緒である。コクリと頷いた涼丸の背を軽く叩いて、てきぱきと仕事を終わらせる。幕が下りるのに合わせて、追い出し太鼓を最後涼丸が叩き、この日の昼席が終わった。
二人で連れだって来た時と同じ道順で帰る。別の寄席に出ていた師匠涼篤と玄関先で鉢合わせ、額に包帯を巻いたままの涼丸に彼が驚くことになるのだが、また後の話である。
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