縁を重ねる
寄席の番組は、十日ごとに切り替わり、奇数月と八月は一日余りが生じる。その余った一日を余一と称し、各寄席では特別興行を行い、前座にとっては数少ない休みの日となっている。涼丸も例に漏れず休みであり、一人浅草の街をふらついていた。
特に何か用があるわけではない。師匠から人間観察しておいで、と言われたのだ。ついでに甘酒でも飲んでくればいいと、小遣いまで渡されてしまえば、出かけないわけにもいかず。特に当てもなくぶらぶらと、浅草の街を徘徊していた。とはいっても、周囲の人を眺めるのはなかなか楽しい。同じような仕草や動作でも、性差や年齢、立場によっても違いがある。時折それを手帳に書きつけながら歩いてた涼丸は、ふと、小間物屋の前で足を止めた。
髪飾りや手巾など、女性向けの物を扱う店先にいたのは、そこに似つかわしくない男。大柄というほどではないが、体格が良く、熊の様なその男に、涼丸は覚えがあった。
「あの……」
「んァ……おめはこの前の」
「やっぱり。この前はありがとうございました」
「別さ、仕事のうぢだ」
振り返った男の顔を見て、涼丸はにこりと笑って頭を下げる。数週間前、涼丸を助け送っていった警官だった。制服ではない事から非番なのだろう、頭を下げる涼丸を無表情のまま、見下ろすようにしながら、ポリポリと無精ひげの生えた頬を掻く。
「それでもです。何をされていたんですか?」
「いや……偶には嫁さ何がど思って。十六になる嫁さ、何喜ぶがど」
「若い奥さんですね。僕の一つ上……こういうのとか、どうですか?」
小首をかしげて聞いてくる涼丸に、一瞬警官は口ごもる。しかし、ずっと悩んでいるのも思ったのか、もごもごと、店を見ていた理由を明かす。なお、この間も警官の無表情は動かない。理由を聞いて、うーん、と少し考えてから、涼丸は花の刺繍がされた手巾を指さす。
ふむ、と頷いた警官はそれを手に取ると、また少し考えてから五十銭銀貨と一緒にそれを涼丸へと差し出した。
「ぼず、悪ぇが」
「あ、はい。いいですよ。行ってきますね」
「すまねな……」
さすがに、店の中にまで入るのはなかなか、気が引けたらしい。僅かに申し訳ないさそうな表情になる警官に、こくりと頷いて涼丸は店の中へと入っていく。会計をすませ、ついでだからと贈り物用に包んでもらう。そうしてから外へと戻れば、警官は少し離れた所で、煙草をふかしていた。
カタカタ、チリン、と下駄と鈴を鳴らしながら近づけば、スッ、と警官の視線が涼丸の方へと向く。
「お巡りさん」
「……津軽でいい」
「津軽さん。あ、僕は涼丸と言います」
職業で呼べば、名前を告げられる。そう言えば、名前も名乗ってなかったと、涼丸も芸名を告げた。そうして買ってきたものを釣銭とともに差し出す。津軽は物の方は大切そうに懐へ仕舞ったが、釣銭は駄賃と言って受け取ろうとしない。だからと言って、涼丸としても貰うわけにはいかないと、首を横に振る。
暫く押し付け合いと、押し問答が続いたが、それならば、と津軽が一度釣銭を受け取る。
「もう少す付ぎ合え」
「あ、はい」
思わず、頷いて歩き出した津軽の後ろをついていく。暫く歩いて着いたのは浅草寺の仲見世通りから一本ずれた所にある甘味専門の喫茶。ぜんざいやあんみつを置くその店は、涼丸もまれに来る。もっとも兄弟子の涼太と一緒に、たまの贅沢と称して、一緒に一つを分け合う。そんな、前座一年目の身には少々値段のする店。思わず足が止まる涼丸だが、津軽はそんな彼の手を引いて店に入ると慣れた様子で餡蜜を二つ頼み、一番奥の小上がりを確保する。
「おめ、甘ぇものは好ぎが?」
「好き、です」
「そか」
それっきり、津軽は煙草に火をつけて黙ってしまったため、涼丸も所在なさげに黙り込む。
どのくらい無言でいたか。そんなところへ運ばれてきたのは餡蜜二つ。それが目の前に置かれると、好物を前にしてさすがに涼丸の表情がぱっと明るくなる。先に手を付けるのはと餡蜜を眺めていたが、津軽が食べ始めたのを見て、涼丸は自分の分のさじを取って手を合わせた。
「いただきます」
「ん」
一口食べれば、またふにゃっと表情を緩める。暫く黙々と食べていたが、ふと視線を感じて前を見れば、津軽がこちらを眺めていた。いやな感じではないのだが、少々気恥ずかしい。
「あの……」
「どうすた?」
「その、見られていると……」
「……すまね。めごぇはんでづい」
かわいい、と言われて複雑な反面、嫌かと言われればそうでもない。なんとも返事に困って、顔を隠すようにしながら餡蜜を口に運ぶ。
それ以上何も言ってこない津軽に、もしかして気を悪くさせただろうかと上目で伺えば、彼はまだ、涼丸の事を眺めていた。ついでに言えば、すでに津軽は餡蜜を食べ終えている。
これは食べている間ずっと見られるんだろうか。何となく、そうなりそうな気がして、それに待たせるのも申し訳ないと、自分ができる限りの早さで食べ進めていく。とはいえ普段から量を食べるわけでも、そこまで早食いが得意なわけでもない涼丸が、そんなことをしたらどうなるか。
「んぐっ!?」
「大丈夫が?」
変なところへ蜜が入り噎せた。
せき込む涼丸の背中を津軽がさすりながら、湯飲みを差し出す。茶を飲み暫く咳き込んでから、何とか落ち着きを取り戻す。大きく深呼吸を一つしてから、しゅん、と首を竦めた。
「すみません……」
「慌でねでい。ゆっくり食え」
「……はい」
さすがに、見られているのが気になるとは言えず、もそもそと再び食べ進める。
「すみません、途中まで送っていただいて」
「構わね。この前もしゃべったが最近物騒だ」
「ですよね……」
あの後、餡蜜を食べ終え一息ついてから津軽は涼丸の事を途中まで送り届けていた。話題に出たのは例の殺人事件。最近は被害者が出ておらず、かといって犯人が捕まったりというわけでもなく。物騒なことには変わりなかった。
少し不安げな表情をする涼丸の頭を、そっと津軽が撫でる。
「ちゃんと犯人は捕まえるはんで心配するな。あどはまっすぐ帰るんだぞ」
「はい、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、角を曲がるまで振り返りながら家路をたどる。
角を曲がる瞬間まで、津軽は涼丸の背中を見送っていた。
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