か さ ね

蘭歌

出会いを重ねる

「ぁ…っ!」

「またかよ涼丸!邪魔だ!」

「す、すみませ、きゃんっ!」

 追い出し太鼓のなる寄席。その楽屋で幼さの残る前座ー鶴家涼丸つるのやすずまるーが、障子の桟に躓いて転ぶ。手にした空の湯飲みこそ落さず割らずだったが、ゴツン、と板間に額をぶつけた。その様に苛ついたように、真打の一人が彼を蹴り飛ばしながら、外へと出ていく。

「大丈夫かい?」

「す、すみません。ありがとうございます、衣笠師匠」

「気を付けてね」

「はい…」

 助け起こした別の真打ー田浦亭衣笠たうらていきぬがさーに、涼丸は頭を下げて立ち上がる。くつくつと笑う衣笠に、しゅん、と小さくなった。

 急いで残りの片づけを済ませ、他の先輩前座達と外へ出る。彼が歩くたびに、ちりん、と腰の根付に付けられた鈴が控えめに音を立てた。

「そういや、さっき豊春師匠に蹴り飛ばされたけれど、大丈夫か?」

「あ、はい。もうだいぶ慣れましたし…」

「慣れたらダメだろう。もう少し足元には気を付けろよ」

「にしても、豊春師匠って怖いですよねぇ。すぐに手が出るし」

「すみません……」

「あ、いや、涼丸の事責めてるわけじゃないんだ。ただ、まぁ、うん。なんかあの師匠、涼丸のこと目の敵にしてるのか、巻き込まれることはあるなぁとは……」

「……すみません……」

「市助、あんま涼丸を虐めんなよ。早く帰ろうぜ。最近物騒だからな」

 一番年長の前座がそういうのは、この一か月下町を騒がせている連続殺人事件。寄席の近くで十日に一度、計三件、殺人事件が起こっている。いずれも寄席の近くという以外に共通点がなく、犯人の手がかりもないという。

 楽屋の師匠連中の雑談も必ずその話題が上がり、協会からも気を付けるようにとの通達が下りていた。

 とはいえ、それ以上のことはなく、いつも通りの日常を過ごしていた。

「あ」

「あ?おい、先輩に対して、あ、とはなんだぁ?」

「すみません、まさかここでお会いすると思ってなかったので」

 曲がり角を曲がった先に居たのは、話題に上がり先ほど涼丸を蹴り飛ばした、六実家豊春むつみやとよはる。この短時間で一杯引っ掻けたのか、上気したその顔をまさか見ると思っておらず、声を漏らしたのは誰だったか。

 今にも絡んできそうなのを見て、年長の前座があとの二人を庇うように前にたち、丁重に頭を下げた。噺家の世界は香盤の序列が全てである。上が言うことが絶対の世界故に、前座はとても立ち位置が低く弱い。

 豊春は頭を下げる前座を無視してその横を通りすぎ。

「っ!?」

「本当にテメェは気に食わねえんだよ!」

「涼丸!やめてください豊春師匠!うわっ!?」

「うるせぇんだよ!」 

 涼丸に近づくなり、右腕を振り抜く。半ば不意打ちのように殴られ、小さな体が地面に転がった。慌てて市助が助け起こして抗議すれば、代わりに蹴りが飛んでくる。なおも気が収まらないといった様子の豊春を抑えようと、年長の前座が後ろから羽交い絞めにするが、それを振り払い、再び市助と涼丸へ蹴りが飛ぶ。

「そごで何すちゅ」

「っ……ちっ!!」

 もみ合う中、不意にかけられた声は、酷く訛っていた。おそらく東北方面の訛りだろうか。全員がそちらを見れば、携帯電灯を手にした警官の姿。大柄というほど背があるわけではないが、体格の良さから熊のようにも見るその警官に、豊春は忌々しそうに顔をしかめる。舌打ちを一つして足早にその場を立ち去って行った。

「大丈夫が?」

「すみません、ありがとうございます」

「あ、いつも、寄席で見かけるお巡りさん」

「……んァ」

「あぁ!」

「そう言えば」

 去って行く豊春を一瞥して、警官が三人のほうを見る。頭を下げる年長の前座の後ろで、市助に土を払ってもらっていた涼丸が、思わずといった様子で声をあげた。そう言われて、警官はバツが悪そうに少し視線をそらし、あとの二人も思い当たったように声を漏らす。

 時折、寄席の客席で揉め事や置き引きなどが起こるとこの警官がしょっ引いている。ほぼ毎日のようにどこかしらの寄席で見かけるので、芸人たちの間でもよく見かける警官として、認識されていた。

「そのぼずは、怪我どがは大丈夫が?」

「涼丸、立てるか?」

「はい、立てま、痛っ……」

 話を変えるように、涼丸の方に警官は視線を移す。それにつられ、彼のほうを見た年長の前座に頷いて立ち上がろうとした涼丸だが、すぐにペタン、と座り込み足首を抑えた。殴られ転んだ時に、ひねったのだろう。その様子を見て、警官が涼丸の前にしゃがみ込む。

「送っていぐ」

「え、いや、でも……」

「そうですよ。俺たちの方で、何とかしますから」

「最近、物騒だはんで、おめんども遅ぐなね方がいい」

「それは、そうですが……」

 送っていくという警官に対し、申し訳ないから自分たちで、という三人。暫く問答を繰り返し、少し後。涼丸は警官に背負われ帰路をたどっていた。先輩二人が途中から逆方向になるというものあって、二人が折れた形だ。

 警官に背負われたまま、時折曲がる場所などを伝えるだけで、特に会話はない。それでも、なんとなく涼丸はその沈黙が嫌いではなかった。

 結局、面倒を見てもらっている師匠の家まで送ってもらい、応対に出た兄弟子とあとから出てきた師匠が何事かと慌てることになるのは、もう間もなくの事。

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