第10話 地雷源
「そういえば雪代は高校に入学したら、なにかやりたいこととかあるのか?」
そろそろ帰ろうと思ったところで、ふと気になったことを尋ねてみた。
去り際の駄賃というわけでもないが、雪代との関わりが少なくなるというなら聞いてみたい気持ちが湧いてきたのだ。
「いえ、特には。本当に、普通に過ごすことができればそれでいいんです。高校で友達を新しく作りたいし、どこかに遊びに行ったりもできたら…やり直しというわけではないんですが、そんな当たり前の高校生活を三年間過ごせたら、私はそれだけでいいんですよ」
雪代はまだ頬を赤らめていたが、どうやら答えてくれるようだった。
だけど引っかかるところがあったため、オレは質問を続けることにする。
「やり直し、か。中学の頃は楽しくなかったのか。送別会をやってくれたんなら、友達はいたんだろ?」
「いましたよ。だけど、向こうでは色々とありましたし…それに習い事も色々やらされたりしたので、自由な時間は思い返せば、あまりなかったかもしれません」
なんだか歯切れも悪い。あまりいい思い出がないのだろうか。
「礼儀作法に関してはまぁいいんですが、お茶だのピアノだの、どこで使うのかわからないことも多くて。おまけで合気道みたいな護身術までやらされましたね。ギチギチにスケジュールを詰め込まれた上に拘束時間も長いものだから、おかげで当時の部活を辞めざるを得ませんでした。こうして家から離れて、ようやくそれもなくなりましたけどね」
「…それはなんとも。御愁傷様といえばいいのかわからないが、大変だったな」
「ええ、本当に。なんなら腕前を見せてあげましょうか?道具を一から揃える必要がありますけど」
そう言って雪代は以前見せた皮肉げな笑みを作る。
それを見て、オレは即座に首を振った。
「やめとく。一度やってもらったらもう使う機会もなさそうだ」
あまり茶道には詳しくないが、道具を揃えるだけでもそれなりの値段がかかるだろう。
ピアノはそもそも論外だ。一度きりの演奏に対し、必要経費が割に合わなすぎる。
雪代がオレの許嫁である限り、中学時代の努力の成果が発揮されることはないだろう。
「そうですか…あ、武道なら今すぐでも大丈夫ですよ」
「それこそノーセンキューだ。この後まだ引越しの片付けが残ってるんでな。怪我なんてしたくない」
「むぅ、残念です。まぁこれは冗談だからいいんですけどねー」
「本当か…?」
とてもそうは見えない顔をしてるんだが。
もちろん指摘するなんてことはしない。
どこか自慢げに口にする以上、腕に覚えがあるのかもれないが、それはこちらとしても同じこと。
だけどそのことを話す必要もないだろう。怪我だってしたくもないし、させたくもない。
「高校では部活はやらないのか?今なら制限はないんだろ?」
だから微妙に話題の矛先をずらすことにする。そのほうがお互いのためだ。
「今のところは考えていません。ひとり暮らしはやることが多そうですから。慣れるまでに、それなりの時間が過ぎそうですしね。有馬くんは?」
「オレは中学の頃もやっていなかったから、入るつもりはないな」
「勿体ないですね。運動部に入れば、有馬くんだったらさぞかしモテるでしょうに」
雪代もオレの意を汲んでくれたのか、話に乗ってくれたのはいいんだが、そんなことを言ってくる。
「それはどうだかな。見ての通り、オレは愛想が悪いほうだ」
「でも見た目はすごくいいじゃないですか。初めて見た時、どこかのモデルさんかと思いましたよ」
「茶化さないでくれ。おだてられても困る」
「本心から言ってるつもりですけどね」
やけにこちらを褒めてくるが、さっきの意趣返しのつもりなのだろうか。
どこか楽しそうにしているあたり、なんとも意地の悪いことだ。
「別に顔はどうでもいい。大体、オレはもう雪代と婚約しているんだし、モテようが意味ないだろ」
オレはひとつため息をつくと、また話を切り替えることにした。
「……有馬くんも私との婚約は受け入れているわけですね」
「断ることも今さらできないのはわかってるしな。籍自体は入れるしかないだろうし…ああ、そうだ雪代。オレからも提案があるんだが、聞いてもらってもいいか?」
ここでひとつ思いついたことがある。
それは疎遠になるというのなら、彼女にとって悪くない提案だと思ったのだ。
「はい、なんでしょう」
「これからオレ達は互いに高校では関わらないことにして、卒業後には結婚するこことになる。これはいいな?」
「……ええ。そうですね」
まずは前提条件の確認。雪代が頷くのを確認し、オレは切り出した。
だが、ここで気づくべきだった。もっと注意深く観察していれば、きっとわかったことだろう。
「だけどこれはあくまでも家の都合によるものだ。オレはそこに頓着するつもりはない。雪代が高校で好きなやつが出来たとしたら、そのまま付き合ってもらっても構わないと思ってる」
「――――――」
オレの言葉を受けた雪代の目が、次第に色をなくしていくことを。
この時既に、彼女の地雷を踏み抜いていたのだ。
「邪魔するつもりもないからそこは安心して欲しい。元が無理矢理な話だし、最悪別れ―――」
だが、気付くことは出来なかった。
「なに言ってるんですか、有馬くん」
そこまで話したところで、止められた。
いや、それ以上話すことは出来なかった。
雪代の声が、怒りに満ちたものになっていたからだ。
「付き合う?邪魔しない?なにを勝手に話を進めているんですか。私はそんなことをしませんよ、絶対に」
なにか口にすることすら許さない、そんな強い力を感じる口調。
先ほどまでの楽しげな様子は一変し、オレをまるで恨むかのような目で睨みつけている。
宝石のような青の瞳も、どこか澱んだほの暗い色を孕んでいた。
「貴方と私は親に無理矢理引き合わされたとはいえ、現在は許嫁という関係です。将来結婚することになるというのに他の誰かと付き合うなんて、それは浮気に他なりません。私は、そんなことは絶対にしない…!」
「ゆき、しろ…………」
「その結果がどうなるか。それは他でもない貴方が、いいえ、私達が!誰よりもよく知っているんじゃないですか!!」
それは紛れもなく、雪代の心からの叫びだった。
オレはようやく言ってはいけないことを言ってしまったのだと気付く。
だけどそれはもう遅く。今さら取り消せるはずもない。
「……悪い」
ただ一言、こうして謝ることくらいしかできなかった。
「……いえ、すみません。私こそ感情的になってしまいました。有馬くんの言いたいことは、わかります。わかるんです。だけど…!」
下を向き、肩を震わせる雪代。そこに含まれているのは怒りだろうか。
そうであればぶつけてもらって良かったのだが、彼女はそうしなかった。
やがてゆっくり、だけど大きく息を吐くと、雪代は呟くように言った。
「ごめんなさい、今日はもう帰ってください…少し、時間をください」
その言葉を聞いて、オレはなにも言わず席を立つ。
柔らかさを感じていたはずのソファーが、妙に冷たく感じられた。
踏み出す足も重い。それでも止めるわけにもいかず、鉛を引きずるような後暗さを感じながら、やがてドアにたどり着く。
開けようと取っ手へと手を伸ばしたところで、オレは口を開いた。
「悪い、本当にそんなつもりじゃなかったんだ。オレは…」
そこで一度口を紡ぐ。
最後になにか言わなくてはいけないと、そんな義務感に襲われて話しかけたが、ここから先はただの言い訳でしかない。
「雪代とのことは話さない。他言しない。学校が始まったら、そのときはただの他人だ。オレも彼女を作ったり、雪代を裏切るようなことは絶対にしないと誓うよ」
だから彼女にとって必要な言葉だけを送ることにした。
もとよりそのつもりではあったことを告げるだけだが、これを最初に言っておけば良かったと、少しだけ後悔しながら。
「それだけだ。帰るよ…ご飯、美味かった。ありがとう」
返事を待つことなく、ドアを開ける。
くぐり抜け、閉めようとした瞬間、なにか声が聞こえた気がしたが、それは聞かなかったことにしておいた。
バタンと小さく音がして、オレはひとつ息を吐く。
「やってしまったな…」
あんなつもりじゃなかった。
本当に、ただ雪代のことを考えての発言だったのだが、彼女にとってそれは地雷だったらしい。
軽率だったと思う。桐生にこのことを話したら、きっと鼻で笑われることだろう。
こういうところがオレの欠点だ。これでこの先、上手くやっていけるんだろうか。
「本当に参った…」
少なくとも当面は雪代と顔を合わせるたびに気まずい思いをしそうで憂鬱になる。
オレは再度ため息をつくと、自宅へと帰るべく、足を引きずるのだった。
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