第9話 雪代への興味

 カチャカチャと食器とフォークの擦れる音が微かに響く。


 あれから互いに必要以上の会話を交わすこともなく、オレ達は食事をとっていた。




 あの会話から生まれた少しの気まずさ。


 それが尾を引いているのかもしれない。


 向かい合っても視線は俯きがちで、料理のほうへと目が移る。




 よくよく考えれば、今日で雪代に会うのは二回目だ。


 実質初対面に近いわけだから、むしろこれが本来あるべき距離感に近いのだろう。




 ただフォークの動きだけが早まっていく。


 クルクルとパスタを巻きつけ、口の中へ運ぶと、暖かな感触が伝わってくる。スープも同様だ。




 やがて出された料理を全て食べ終わると、オレは静かに手を合わせた。




「ごちそうさまでした」




 昔教えられて以来、食事を終えると必ず礼をすることが、身体へと染み付いていた。


 感謝の気持ちを忘れてはいけないと、よく言われていたことだからだ。


 他人が作ってくれたものなら尚更だろう。




「こちらこそお粗末さまでした」




 オレが言い終えると、雪代もまた頭を下げてくる。


 丁寧な仕草は実に堂に入ったもので、長年教え込まれてきたものだと確信を深めることを後押しするものだった。




「もてなしてくれてありがとう。本当に助かった」




「いえ、どのみち料理は作るつもりでしたので、ふたり分になってもそこまで手間に差はありませんので…あの、それでですね…」




 チラリと上目遣いでこちらを覗き込むように見てくる雪代。なにか言いたいことがあるのだろうか。


 なんだろうと首をかしげそうになったところで、オレは気付く。


 彼女の視線はオレの顔だけでなく、空になった皿へもチラチラと泳いでいるのだと。




(そういうことか)




 得心のいったオレは、雪代の欲しているだろう言葉を口にすることにした。




「パスタ美味かったよ。雪代は料理上手なんだな」




「!…いえ、そんなことは…」




 オレなりに誠意を込めて褒めたつもりだったが、それは届いたようだった。


 雪代は目をそらすと、僅かに顔を赤くしている。意外なほどの反応に、先ほどの玄関でのやり取りをふと思い出す。




(もしかして、あまり褒められ慣れていないのか?)




 彼女の容姿について触れたとき、明らかなオーバーアクションを取っていたし、今回もそうだ。


 最初に見せた警戒心から、もっと面倒な性格の持ち主かと思っていたが、案外そうではないのかもしれない。


 明らかに素直なリアクションを返されては、疑えというほうが無理な話だ。






 だが、それはそれで疑問が浮かぶ。


 雪代ほどの美少女なら、いくらでも褒められていそうなものだし、こうも過敏な反応を見せるのはなんだかおかしい気がする。


 それにこうして料理ができるのも、考えてみれば不自然だ。




 オレと強引に婚約を結ばされたとはいえ、元は私立に通っていたお嬢様。


 そんな子がそうおいそれと料理なんてできるものだろうか。




 ひとり暮らしを強制されることになったここ数ヶ月の間に覚えたにしては、えらく手際が良かったように思える。


 なんの戸惑いもなく料理の準備に入っていたし、明らかに慣れた者の動きだった。


 少なくとも一朝一夕で身に付いたものではないだろう。




(……少し気になるな)




 芽生えたのは雪代朔夜という許嫁の少女に対する好奇心。


 二度目の遭遇から、オレは雪代に抱いていた感情に変化が起こっていることを、この時はまだ自覚していなかった。










「えへへ……あ、いけないいけない…」




 照れたように頬を緩ませていた雪代だったが、やがて我に返ったのか、ぶんぶんと首を振る。


 どこか子供っぽさのある仕草だ。オレとしてはもう少し観察していたかっただけに、少しだけ残念に思う。




「あの、有馬くん。少しいいですか?」




「ああ、大丈夫だ。料理のお礼もしたいし、なんでも言ってくれ」




 とはいえ雪代が真面目な顔でこちらを見据えているのだ。


 料理の恩もあるし、下手なことを言うつもりはない。そのまま頷くことにした。




「それでは…実はですね、今後に関わる話をしたいんです。こういってはなんですが、そのこともあって家に招待したのもありまして」




 少し気まずそうに雪代はそう話す。


 こちらとしてはむしろなにかしら考えがあっての誘いのほうが納得できるので、むしろ助かるくらいなんだが。




「そうだったのか。いや、別にそれはいいんだ。話ってなんだ?」




「……私達、紛いなりにも許嫁の関係じゃないですか。そして学校も一緒。もしかしたら、クラスも一緒になるかもしれません」




「まぁそうだな。あの人がそこまで根回しするとも思えないが、確率としては普通に有り得ることだろうし」




 オレ達の入学する私立青蘭柊高校は、ここらへんではそれなりの進学校で通っている。


 それでも風紀が緩く、成績に問題なければとの注釈こそつくもの、自由な校風から人気も高い学校だ。


 そのために希望者も多く、生徒数も結構なものらしい。




 クラスの数までは把握していないが、同クラスになる可能性は決してゼロじゃないだろう。


 なんとなく彼女の言いたいことが見えてきた気がした。




「ええ。それでなんですが…私達、高校では他人のフリをしませんか?」




 意を決したように話す雪代の目は先ほどのように、オレの顔を真っ直ぐに捉えている。


 本題は、やはり予想した通りのものであるらしい。




「他人のフリか。オレ達が許嫁であることを誰かに話したくない。雪代はそう考えていると?」




「……はい。そう思ってもらって構いません。有馬くんはいい気分はしないかもしれませんが…」




「いや、大丈夫だ。そこは気にしないでいい。雪代の考えは当然のことだろうしな」




 見合い当日の雪代は諦観しきった様子で、現状をそのまま受け入れていたように見えた。


 家の考えに縛られているかと思っていただけに、こうして自分の考えを主張してくれたことに、むしろ安心しているくらいである。




「普通オレ達の年でいきなり許嫁ができたとか、受け入れられないのは当たり前だ。むしろそう言ってくれて助かる。雪代がそう望むなら、オレも誰かに話すつもりはない」




 元々誰かに雪代という許嫁ができたことを話すつもりはなかった、なんて野暮なことは言わない。




 彼女が欲しいのは安心だ。ロクに知らない人間からの格好つけた言葉じゃないだろう。




「いいんですか?本当に…」




「問題ない。そもそも言いふらしなんてしたら、むしろ被害のほうが大きそうだ。雪代は可愛いから、男子からのやっかみが凄そうだしな」




 雪代が提案し、オレがその要求を呑む。


 このプロセスが大事なのだ。




 料理を食べさせ、一方的に頷かせてしまったことへの罪悪感が生まれるかもしれないが、そのことは必要経費として割り切ってもらうほかないだろう。メンタルケアはそもそも不得手だ。




「う…だ、だからなんで、そうやって真っ直ぐな目で…」




「?どうした?」




「なんでもないですっ!」




 むくれるように雪代は目をそらす。


 不覚にもその姿が、可愛いと思ってしまった。




(まぁ何はともあれ…)




 問題なくこのままお暇できそうだ。


 この時のオレは呑気にもそんなことを考えていた。

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