第8話 ちょっとした家庭事情

 初めて訪れた女子の家。


 だけども気付けば緊張もいつの間にか取れており、ソファーに埋もれながらぼんやりと切り替わっていくニュースを見続けていた時のことだった。




「料理、できましたよ」




「ん?ああ…」




 料理の完成を雪代が告げてきた。そういえばいつの間にか包丁の音も聞こえなくなっていた。


 ジャケットからスマホを取り出して見てみると、あれから結構な時間が経っていたらしい。


 ミスったな、くつろぎすぎた。オレは慌てて立ち上がる。




「悪い、皿を運ぶのくらいは手伝うよ」




「いえ、もう盛り付けも終わりましたし大丈夫です。そちらに持っていきますので座っていてください」




 ソファーの向こう側から見えるのは、トレイを掲げてこちらに歩いてくる雪代の姿。


 その上にはふたり分と思われる料理を盛り付けた皿とスープカップが置かれている。


 それらから湯気が立っているのを見て、渋々ながらソファーへと腰を下ろしていく。


 あれをひったくるわけにもいかないだろう。今日三度目となる柔らかさがオレを妙に優しく出迎えていた。




「気付くのが遅れてしまったな。もう少し気を回しておくべきだった」




「いいですよ、そんなの。有馬くんって結構気を遣う人なんですね。とてもいいことだと思いますが、こういう時は勝手に動かれるほうがむしろ困るものですよ」




 静かにテーブルへとトレイを置くと、諭すように雪代はそんなことを言ってくる。




「そういうものか?」




「そういうものです。有馬くんの家ではどうだったかは知りませんが、さっき言った通り、台所事情に関してはあまりタッチして欲しくないほうですね。少なくとも、私に関してはですけど」




「……なるほど、そこらへんは人や家によって違うのか」




 得心がいった。考えてみれば当たり前のことだ。


 オレの知見が狭いだけで、人の趣向というのは千差万別なのだから。


 ひとつ頷き、礼を言うことにする。




「ありがとう、勉強になった。助かるよ」




「いえ、別にいいんですが…なんか有馬くんって、やたら素直な人ですね。聞き分けがいいというか」




 首をかしげる雪代。


 なにやら不思議がっているようだったが、オレからすれば当たり前のことをしただけなんだが。




「世話になったら礼をしろとじいさんから言われてきたんだ。それでさっきの続きなんだが、オレの家に関しては知らない。そもそも本家にはほとんど立ち入った事がないから、判断材料が少なかったというのがある」




「そうなんですか?ご飯はどうしていたんです?」




 目を丸くして聞いてくる雪代。なんだか意外そうな顔だった。


 こちらのプライベートに関することはあまり知らないのかもしれない。




「お手伝いさんが離れまで運んでくれていたんだ。時間も決められていたから、基本遅れることはできなかった」




「お手伝いさん、ですか。やっぱりそちらの家でもそういう方を雇っているんですね」




「ああ。オレにも気を遣ってくれていたいい人達だったんだけど、雇い主は本家だったからな。向こうに逆らうこともできないのは分かっているからいいんだが、遅れると飯抜きだったし、その関係もあって部活もやれなかった」




 じいさんが生きていた時はまだマシだったんだけどな。


 あの人が亡くなって以降はますます厳しくなっていたことを思い出す。




 生前はふたりで顔を合わせて食べていたものだが、去年は毎日毎日本邸から離れまで運ばれる一人分のご飯を受け取ることの繰り返しだった。


 オレのところに訪れる度に、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべるお手伝いさん達を手伝おうと思ったのもその頃だ。


 気まずさからくる行動であったが、実家から離れ、こうしてひとり暮らしを始められたことは、互いにとって良いことだったと思う。




「でもまぁ、それくらいだな。他はそこまで縛りはきつくなかったし、どっちかというと向こうに住んでた兄妹のほうが面倒事は多かったと思う。あっちは色々習うことも多かったみたいだし」




 実際にはオレのほうにも面倒事はあったし、じいさんの「道楽」に散々付き合わされたからやることはかなりあったんだが。まぁこれは言う必要もないことだろう。




 どのみち本家の食事風景は知らないし、台所にも立ち入ったこともない。


 あの家に住み始めてから、祖父以外の家族との食事なんてものは記憶になかった。




「そう、ですか…すみません、聞くべきではないことを聞いてしまいましたね」




「いや、別にそんなことはないが…」




 雪代は神妙な顔をしているが、オレにとっては過ぎたことだったし、別に思うところもない。


 だから謝るとしたら、むしろ余計なことを言ってしまったこちらのほうだろう。




「でも、やっぱり似ているところがありますね。私達」




「え?」




「なんでもないです。それより早く食べましょう。このままだと冷めちゃいますし。あ、サラダ取ってきますね」




 一声かけようとしたところで、ポツリと彼女はなにかを呟いた。


 どうしたのかと問おうとする前に、雪代はサッと立ち上がり、再びキッチンへと向かっていく。


 タイミングを逃したオレの前には、暖かな湯気を立てているミートパスタとスープが綺麗に並べられていたのだった。


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