第6話 お呼ばれ

「よし、と…」




 硬質な金属音が微かに響く。目の前ではこれから同じ学校に通うことになる女の子が、自分の住まいの鍵を開けているところだ。


 かざしたカードキーを入れ直し、ポーチをコートのポケットにしまいこむ。


彼女は手招きしながらオレを呼んだ。




「開きましたよ、お待たせしてすみません」




 そう言って開けたドアを押さえながら、先に家の中へと入るように促す雪代。


 さぁどうぞと言われても。ちょっと流れが唐突すぎた。




「今さらなんだが、いいのか?」




「構いませんよ。さぁ、入ってください」




 再度催促される。どうしてこんなことになったのかは分からないが、今さら断ることができない流れだということは理解できた。


 そもそも彼女が住んでいるのはオレの隣部屋。関係を悪化させるのはこちらとしても望むところじゃない。下手なことを言うのは悪手だろう。




(これもあるしな…)




 チラリと手元に視線を寄せると、そこにはオレが現在抱えている、雪代のボストンバッグがある。部屋の鍵を開けるから持っていて欲しいと、先ほど預けられたのだ。


 自然な動きで手渡されたために、言われるまま受け取っていたが、結果的に退路を絶たれた形となっている。




(してやられた感じだな。オレが押しに弱いのもあるんだろうが)




 狙ってかそうでないかは定かではないが、これがある以上やっぱりやめとく、等とも言えず。彼女の家で昼食を摂る以外の道はないのだろう。


 別に嫌というわけでもないのだが、なんとなく気が重いのはやはり彼女に抱いている印象が大きい。


 この子はイマイチなにを考えているのかわからないため、一緒にいると疲れるのだ。


 オレは密かに嘆息しながら、Uターンをするかのように、再びマンションの室内へと足を向けた。




「お邪魔します」




 礼儀として挨拶をしながらドアを潜ると、すぐに後ろからカチャンと閉まる音がする。これで本当にオレと雪代はふたりきりとなったわけだ。




「どうぞ。ゆっくりしていってくださいね」




 そんな声が耳元を横切ると、次の瞬間には暗かった室内にルームライトの灯りが点灯していく。雪代が電気を点けたらしい。


 オレより先に入居してるのもあってか、スムーズな動きだ。




(そういえば女子の家に入るなんて初めてか)




 部屋だけなら妹のそれには入ったことがあるのだが、他人の家に踏み入れたのは記憶になかった。


 開けた視界のなか、そんなことを思うのだが、唐突な女子の自宅へとお呼ばれする初めてのイベントに感慨にふける…なんてことは特にない。




「オレの家と一緒だな」




「まぁそこはマンションですから」




 硬質な土間に木製のシューズボックス。白い壁紙にブラウンの床。


 玄関から真っ直ぐ直線に続く廊下には両隣にいくつかの白塗りのドアがある。廊下の一番奥にはダークブラウンの扉があり、リビングに繋がっているはずだ。


 思わずデジャヴを感じるほどに、さっきまで片付けを進めていた家の間取りと一緒である。




「それはそうなんだが…」




 正直拍子抜けだった。ドアを潜ったらそこは自宅だったわけで、これでは感慨もなにもない。


 違いといえば可愛らしい猫の玄関マットが敷かれていることと、廊下にダンボール箱が転がっていないことくらいだろうか。


 リビングまで続く通路は綺麗なものだ。先に住んでいるというだけあって、もうほとんどの片付けは終わっているのかもしれない。




「まぁとりあえず靴を脱いで上がってください。あ、カバンは玄関脇に置いてもらって構いませんので」




 雪代は履いていたローファーを脱いで並べていく。膝をついてきっちりと揃えているあたり、やはり細かく躾られていたんだろうか。




「わかった」




 言われたとおりカバンを床へと静かに下ろし、玄関先へと上がるとそれに倣う。


 先に立ち上がる彼女のスカートがふわりと揺れるのを近くで感じながら、スニーカーを揃え終えたところで、上から声が降ってきた。




「私は少し着替えをしてから行きますので、先にリビングで待っていてください。ソファーがありますので、そこで座っていて貰えれば」




 振り返る間もなく、トントンと床を叩く足音が聞こえてくる。


 オレが膝に手を当て立ち上がった頃にはパタンとドアを閉じる音ととも、彼女は姿を消していた。




「……いや、場所はわかるからそれはいいんだが…」




 ひとり取り残された形になったわけだが、いいんだろうか。


 形の上では将来の結婚相手ではあるが、雪代と出会ったのは今日で二度目だ。


 互いのことなどなにも知らないも同然だし、そんな相手をあっさり家に上げるあたり、少しばかり警戒心が足りない気がする。




「それともこの前試されたときに多少信頼されたのか…?わからないな」




 どのみちオレは変な行動を起こすつもりなんて毛頭ない。言われたとおりに大人しくリビングへと向かうべきだろう。


 そう思い、真っ直ぐ廊下を進んでいく。途中横切った部屋から聞こえてきた衣擦れのような音は、聞こえなかったことにしておいた。






 オレの名誉のためにも、これだけは明言させてもらう。


 ……変な想像なんてしてないぞ。絶対。

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