第5話 春先の再会

 時は三月。オレと雪代のお見合いから、早くも二ヵ月が過ぎていた。

 その間、高校受験に合格発表、卒業式と、イベントといえるものはあったが、記憶に強く残るほどのものかと言われるとそうでもない。


 名残惜しさは確かにあるが、別れはいつか必ず訪れるものだということを、オレはよく知っている。

結局早いか遅いかの違いでしかないのだ。

日程もわかっているとあれば、それは予定調和であり、特筆すべきことではない。


 そんな中でイレギュラーと言えるのは、彼女との邂逅くらいのものだった。

 逆にいえば、それだけ彼女との出会いが鮮烈だったとも言える。

 オレの中に着物姿で笑う雪代朔夜が、まだ色濃く残っていた。





「っと…これで最後か」


 余計なことが脳裏をよぎりつつも、オレは手に持った最後の一冊を本棚へと押し込んだ。

 今は引越しの最中であり、ちょうど自室の整理が終わったところだ。

 あらかじめほとんどの荷物は送っていたため、そこまで手間取ることがなかったのは幸いだった。

 元々持ってきた荷物が少なかったのもあるのだろう。

日常雑貨などの必要なものは、その都度購入すればいいだけだ。


「後はダンボールを片付けて…ダイニングや風呂場は午後からだな」


 越してきたばかりの引越し二日目。やらなくてはいけないことはまだまだある。

 入学までの春休み期間はそれなりに長くはあるが、こういうことは一気に済ませないとグダつく可能性があるので手早く片付けていきたいところだ。

 それを踏まえるとあまり休んでいる暇はないのだが、大きく体を伸ばしたところで、急に腹の虫が鳴り出した。


(そういえばもう昼か。結構経ったな…)


 先ほど壁に設置したばかりの掛け時計を見てみると、時計の針は既に12時を過ぎていた。

 あまり気にしていなかったが、この時間ともなるとやはり腹は減るのだろう。

それなりに動いていたのもあるが、体は正直というやつか。


「コンビニでも行くか」


 クローゼットからジャケットを取り出すと、部屋を出て玄関へと向かう。

ここに来るまでに通った道に、コンビニが一軒あったはずだ。

そこで弁当と、ついでに小物類をいくつか調達しようと頭の中で目算する。

少し出てくるだけなので、部屋着のままでも問題はないだろう。


 そう判断し、オレは自室のカードキーを忘れないようにしながら玄関の扉を開けたのだが、


「あ…」


「お…」


 視界にいきなり、透き通る銀の色が飛び込んできた。

 見覚えのある銀。風を受けて揺れる髪。オレは咄嗟に手を止める。


「雪代…?」


 半ば無意識の内に、その名前を呟いていた。

 釣られたわけでもないだろうが、彼女も足を止めている。


「あ、はい…有馬くん、ですよね。お久しぶりです」


 そう言うと雪代は玄関先で固まるオレにペコリと頭を下げてきた。

 久しぶりに聞いたが、相変わらず綺麗な声色だ。


一瞬聞き入りそうになりながら、このままでは邪魔だと思い直し、家を出て後ろ手でドアを閉める。

 オートロックでカチャリと響く音を背にしながら、改めて彼女に向き直った。


「ああ、久しぶりだな。2ヶ月ぶりか」


「そうなりますね。その節は色々ご迷惑をお掛けしました。お元気そうで何よりです」


 さすがお嬢様というべきか。

中学を卒業したばかりとは思えない、丁寧な挨拶だ。

 同学年だというのにえらくかしこまっている。見合いの席でも思ったものだが、他の家でもこんなものなんだろうか。

 まぁオレ達の関係を考えればこういう他人行儀が普通なのかもしれないが、堅苦しいのは苦手だった。


「雪代も元気そうだな。ただ、そんなかしこまらなくていい。今さらだろ」


「ああ、そうですか。じゃあ普通にさせて頂きますね」


 オレの言葉に、ケロリと態度を変える雪代。


 …なんというか、変わり身が早いな。

これが彼女の性格故か、女子そのものがこういうものなのかは、判断に困るところだ。


「雪代がここにいるってことは、そっちも卒業式は終わったのか。入学試験はどうだった?」


「ご心配なく。滞りなく合格しました。もちろん有馬くんもそうですよね」


「さすがにな。落ちてたら洒落にならない」


「ですよね。安心しましたよ、入学して有馬くんがいなかったなんてなったら、私としても笑えませんし」


 取り留めのない会話を交わしながら、オレは彼女の装いを見る。

 春先ということもあってか、そこまで厚手の格好というわけではないが、それでも防寒対策はしているようだ。


白のコートを羽織った黒のフレアスカート姿。

 以前より少し大人っぽく見えるのは、髪を下ろしているからだろう。

 長い髪を後ろでバレッタでまとめているようだ。 

 背中まで伸ばした髪が、絹のような光沢を帯びているのは陽の光に当てられているのも大きい。

オレが先ほど一瞬見とれたのもそれだったからだ。


 肩には少し大きめのボストンバッグが掛けられており、タイミングを考えてもおそらく引越し用の小物類が詰め込まれているのではないだろうか。

 無遠慮かもしれないと思いつつ、オレは尋ねてみることにした。


「そのバッグを見るに、雪代も越してきたばかりなのか?」


「え?ああ、違いますよ。私は五日ほど前から先に来ています。昨日は中学の友人達に送別会をしてもらってそのまま実家に泊まったので、ついでに残りの荷物を持ってきた形ですね」


 バッグを軽く撫でる雪代。

その仕草には、なんとなく名残惜しさのようなものを感じられる。

 送別会をしてもらえる友人がいたということは、彼女の中学時代はおそらく充実したものだったのだろう。

まぁ孤立するような性格でもないのは分かる。

先日のやり取りだけで、人を手玉に取るのが得意そうなのはなんとなく把握できたしな。


「そうなのか。オレは昨日越してきたばかりだから、顔を見なかったのは当たり前か。しかし、オレのところより随分早く終わったんだな。雪代の中学は確か私立だったか」


「はい。うちは中高一貫だったので、そのまま上に進学する生徒が多いんです。そのせいか、卒業式自体は割と早いし、あっさりしたものでしたよ。友達も皆エスカレーター式に上がる子ばかりだったので、私が外部進学すると周りに報告したときは驚かれて大変でした」


 その時のことを思い出したのか、雪代は苦笑した。

 オレも軽く想像してみたが、それはそうだろうとしか言えない。

 彼女ほど飛び抜けた容姿の持ち主なら、男女問わず好意を持っていた生徒は多いはずだ。

特に男子生徒の心情は想像して余りある。

おそらくかなりショックを受けたんじゃないだろうか。


「まぁ当然だろうな、雪代は美人だ。離れたくないという生徒は多かっただろ。随分別れを惜しまれたんじゃないか」


 

 彼らの気持ちを代弁するわけではないが、素直に思ったことを口にした。

 特に他意はなく、純粋にそう感じたことを言っただけだったのだが…


「え?……へぁ?」


 何故か彼女は、驚いたように固まっていた。


「…………雪代?」


「な、なに言うんですかいきなり。びっくりするじゃないですか…」


 オレは雪代のこの反応をどう受け止めればいいのだろう。

 意外な戸惑いを見せる彼女に、対処する方法が見つからない。

とりあえず謝ることにした。


「悪い、なんか変なことを言ってしまったみたいだな」


「ほんとですよ、まったく…」


 そう言うと彼女は顔を赤らめながら、垂れた髪を摘んでくるくる回す。

 オレの目には本気で照れているように見えるのだが、先日のことを考えると演技ではないとも言い難い。


 ここでそんなことをする意味があるとも思えないのだが、オレは雪代についてほとんどなにも知らないのだ。

 知っていることといえば見合い前に手渡された冊子に書かれていた、軽い経歴と成績に関することくらいである。


 彼女の中学時代の成績は非常に優秀なものだったが、そこから得られる情報なんて微々たるものだ。内面を読み取ることは出来はしない。


 そうなると必然、会話を続けることで彼女を知っていくしかないのだが、この話を続けていいものなのだろうか。判断に悩むところだった。


「ところで、有馬くんはどこかに出かけるつもりだったんですか?」


 しばし逡巡していると、雪代のほうが先に話しかけてきた。

 彼女からすれば続けたくない話だったのかもしれないな。

ひとまず乗ってみることにする。


「そうだな、コンビニに行くところだった。もう昼だし、適当に弁当を買ってこようかと思っていたんだ。ついでに夜用にカップ麺とか必要なものとか、まぁ色々あるな」


「コンビニ弁当、ですか。それにインスタントラーメンも…むぅ…」


 オレが答えると、雪代は怪訝そうな顔を見せる。


「また変なことを言ったか?」


「いえ、そういうわけではないんですが…引越し初日からそういう食生活に慣れるのは、体にあまり良くないですよ」


 話す彼女の声はどこかこちらを気遣うような色がある。

 どうやら心配してくれているらしい。だが、それは不要な心遣いというものだ。

 雪代を安心させるべく、オレは頷いてみせた。


「大丈夫だ。生活費は毎食外食でも問題ないくらいには振り込まれているし、友人にほぼコンビニ弁当か外食で過ごしてるやつがいるが、そいつは今もピンピンして…」


「問題しかないですよ。それでいいと本気で思ってるんですか」


 まだ話の途中だったのだが、雪代は強引に言葉を被せて遮ってきた。

 今後のひとり暮らしに問題のないことを説明しているつもりだったのだが、なにやら呆れ返っているらしい。


「え、ダメなのか?」


「ダメに決まってます。というか、いいと思った基準が完全にダメなやつですよそれ」


 雪代のオレを見る目がやけに冷たい。凄まじく冷ややかだ。

 なにいってるんだコイツと、その青い瞳が物語っている。


(……どうも良くないことを言ったらしいな)


 正直これ以上なにかを口にしたところで即反論が飛んできそうだが、なにも言わないわけにはいかないだろう。半ば諦めながら口を開いた。


「……体のことなら昔から頑丈なほうだし、風邪も引いたことにないぞ。それにサプリメントも摂るつもりだし、栄養面にも問題は…」


「病気知らずなのは大変結構なことだと思います。丈夫なのもいいことです」


うん、想定通りだった。知ってた。

オレの言い訳じみた取り繕いを無視するように、一字一句重みをつけるように話す雪代。


「ですが」


 そこまで言い切ったところで、一呼吸置いてさらに語気を強めた。


「友達がそういう生活をしているからといって、自分もやって大丈夫と思うのは間違いです。そういう過信が体を壊すんですよ。今が良くても先のことを考えたら、決していい生活だとは言えません」


 そんな強い口調で断言してくる。

 こちらの今後の生活を案じてくれているのか、もっともな説教を次々と投じてくれていた。


「特に私達はこれからひとり暮らしです。倒れでもしたら、頼れる相手もいないし、最悪気付かれずにそのままってことすら有り得るんですから」


 存外彼女は世話焼きな子なのかもしれない。

それを素直にありがたいと思って生活の改善を図るか、知ったことかと無視するか。受け取り方は人それぞれであることだろう。


「あー…悪い。気を付けるよ」


 とりあえず頭を下げることにする。

彼女の忠告が反映される機会があるかはわからないが、覚えておくかと思いながら。


……別にひとり寂しく死んだところで、特に問題はないんだけどな。

もちろん心配してくれている相手の手前、口に出すことはしないが。


「そうしてください。しょうがないですね…」


 そんなオレを見ながら、雪代は大きくため息をつくとこう言った。


「とりあえず私の家に来てください。お昼ご飯くらいなら出しますから」

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