第3話 試し

 見合いの日は待ち望んだわけでもないのに、随分と早くやってきた。

 いつも通りの時間に起きたオレはいつも通りの日課をこなし、いつもと違う服を着て、どことも知れぬ料亭の廊下を歩いている。


 今頃同級生達は机にかじりつきながら、目的の学校に入るために追い込みをかけていることだろう。

 そんななかで自分がこうして面識のない婚約相手との顔合わせのために休日を潰しているというのは、なんだか妙な気分というか。あまり現実感が湧いてこない。


 なんとなくガラス窓の向こうに見える中庭へと目を向けていた時、父が話しかけてきた。


「彼女の詳細は頭に入れてきたか?」


 そう言いながらも彼は足を止めることも振り返ることもしない。

 後ろをついて歩くオレに見えているのは背中だけだ。感情を読み取ることもできなかった。


「ああ。とりあえず目は通した」


「そうか。後は粗相のないようにしろ。お前なら問題はないだろうが、念の為だ」


 そこで会話は打ち切られた。

 興味がないのか信頼されているのか、微妙なところだな。

 まぁオレからすればどちらでもいい。


 そもそもこんな話を持ち込んだ時点でこちらからの信頼なんてものは地の底だ。

 それから互いに言葉を発することなく、オレ達は目的の部屋へとたどり着いた。


(……参ったな)


 ここに至っても、オレの心境に変化はなかった。興奮も緊張も特にない。

 あるとすれば、やはり申し訳なさくらいだろうか。

 美少女との婚約でも浮き足立つことのない自分。

 彼女とちゃんと接することができるかという、そんな不安が少なからずある。


 とはいえこれを口にしたところで、何の意味もないことも理解していた。

 結局、会話を交わさない限りは相手のことを理解出来るはずもない。

 後は出たとこ勝負になるだろう。オレは襖の戸が開かれるのを、ただ待つことにした。





「―――初めまして、雪代朔夜と申します」


 正直に言うと、オレは侮っていたかもしれない。

 間近で見る雪代朔夜という少女は、写真よりもおよそ優れた美貌の持ち主だったからだ。


 実際に接した彼女の雰囲気も柔らかく、礼儀も行き届いているように感じる。

 正座をして座る姿が綺麗だ。随分と姿勢がいい。

 それだけで印象とはよくなるもので、その装いはさしずめ清楚な大和撫子といったところだろうか。


 鮮やかな紅色に染め抜かれ、蝶の文様が施された着物を完璧に着こなしており、結い上げた髪の色と相まってどこか幻想的な美しさを醸し出していた。

 妖精か夢の世界の住人と言われたら、納得する者もいるだろう。


「こちらこそ。有馬志貴です」


 釣られるようにオレも頭を下げる。

 見とれていたというわけではないが、少しだけ惚けてはいたかもしれない。

 雪代のように上手く挨拶ができていたかは、正直自信がなかった。


(まぁあまり気にする必要もないと言えばないんだが)


 互いの親は既に退席済みのため、作法を気にしても大して意味はないかもしれない。咎める者はいないのだ。


 入室早々、彼女の父親に頭を挨拶こそされたものの、早々に「これから話し合いがある」とだけ言い残され、オレ達ふたりだけがこの場に取り残されていた。


 本来のお見合いがどんなものかは詳しくないが、少なくともここまでおざなりということはないだろう。オレ達の扱いから、この顔合わせの意味も察せられるというものだ。


 こういう場は当人同士で話を咲かせるのが通例らしいが、互いに初対面の子供同士。どう話を弾ませろというのやら。無茶ぶりにも程がある。


「―――あの、有馬さん」


 そう思っていると、先に切り出してきたのは彼女――雪代朔夜だった。


 薄桃色の唇を小さく開くと、オレの名前を呼んでいた。気を遣わせてしまったかもしれない。向こうに話をする気があるというのなら、それに応えることにしよう。


「なんでしょうか、雪代さん」


「もっと気軽な呼び方でいいですよ、堅苦しいのは私も好きでないので。どうせ父はしばらく戻ってくることはないでしょうから、互いに楽にいきましょう」


 こちらにそう告げてきた後、雪代は言葉通り楽に―――というか、自らの姿勢を大いに崩した。


 正座の体勢から片膝を立てると、そのまま額を擦りつけるように座り直したのだ。

 立て膝の姿勢となるのだが、そうなると自然と着物がめくり上がってしまい、彼女の白い肌も顕になっていく。声をかける隙もない早業だった。


「……おい、それは」


「あー、もう。疲れましたよほんと…」


 それを見てさすがにまずいとオレは眉を顰めるのだが、雪代は聞いていないようだった。それどころか、ぼやきのようなうめき声まで聞こえてくる。


(なんだこれは)


 その様はオレが抱きつつあった彼女に対する幻想のようなものを打ち砕くには十分であり、正直戸惑いを隠せない。

 だが同時に、思ったより人間味がありそうだとも、心のどこかで考えていた。


「とりあえず姿勢を正してくれないか、雪代さん。その格好だと、オレにとっては楽になるどころじゃない」


 とはいえ注意する必要はあるだろう。

 ほぼ初対面でこんな姿を見せられても正直困る。

 いや、初対面でなければいいというわけでもないんだが。

 どちらにせよ、会話をするには支障があることに変わりはない。


「この姿勢が楽なんですよ。私が今日何時に起こされたか知ってます?4時ですよ、4時。そこから着付けをして、髪をセットされて車に乗って。ここまでくるのに気を抜く暇もなかったんです。ちょっと休ませてくださいよ…」


「そっちの事情には素直に同情するが、それとこれとは別だ」


 女子の準備には時間がかかるというし、早起きして支度をすることになったというのは可哀想ではあったが、オレの前でそんな格好をしていいことにはならない。

 少し強めに言ったことが効いたのか、ここで雪代はようやく顔をあげてオレを見た。


「……真面目なんですね」


「常識的な話をしているだけだ」


 特別なことはなにも言っていないつもりだったが、何故か彼女はゆっくりと頭を振った。そうじゃないとでもいいたげだ。


「いいえ、有馬くんは真面目ですよ。貴方はさっきからずっと私の髪の方を見ていました。それ以外には目を向けないよう、気をつけてくれましたよね。それに顔を赤らめたり恥ずかしがったりもしない、結構な堅物とも見受けしました。個人的には好印象です」


 雪代はそう言うと、もう一度膝を抱えながら顔を隠し、上目遣いでこちらを覗いた。それを見て、オレは彼女の意図をようやく察する。


「オレを試したのか」


「別にそういうわけでもありませんよ。どんな人なのか探るには手っ取り早かったのは事実ですけど。どうせ結果は変わりませんから」


 自分をどういう目で見るのかを知りたかった故の行動というのなら、随分と強かな性格だと思ったが、そうではないと彼女は言う。


「結果?」


「ええ、私と有馬くんが結婚する結果。確定している未来の話です」


 雪代は一度言葉を区切り、息を吸う。


「家の都合のいい道具として切り捨てられる、そんなどうしようもなく惨めな結果の話ですよ」


 どこか諦めを含んだ口調。遠くを見るように視線を宙へと彷徨わせる彼女の目には見覚えがある。


 写真に映っていた雪代の瞳と同じ諦観の色を、今の彼女も宿していた。

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