Episode.22 残酷な夢







戦場から帰り、僕らはその日のうちにすぐ、兵士たちの遺体を家族に渡した。僕が背中に背負っていたのは、アルベリッヒだった。彼は闘いの終わる前日、僕たちからはぐれた隙に侵入者たちモンスターに殺された。アルベリッヒの家は横並びの一棟を区切った木造のフラットで、門も無かった。玄関口のベルを鳴らすと、部屋の奥から玄関まで走って来る音がした。ドアを開けたのは彼のお母さんらしい、六十代後半くらいの人だった。そのお母さんは僕の背中に背負われていた自分の息子を見て、一瞬ほっとしたような顔をしたけど、すぐにその表情は凍りついた。お母さんの後ろからは十七、八歳くらいの娘さんも出てきて、その場で泣き崩れるお母さんを支えていた。


彼、アルベリッヒの父親は病気で、彼の家ではアルベリッヒの軍での給料だけが頼みの綱だった。それでも日々の暮らしに困っていたのか、一間しか無い家の中にほとんど物は無く、寒くて小さな家で、家族の人たちの服は擦り切れていた。彼の家族は、僕がアルベリッヒを彼のベッドに寝かせると、お母さんと娘さんは取り縋って泣き、床に就いたままの彼の父親も、アルベリッヒへと届かない手を必死に伸ばして泣いていた。僕はその痛切な泣き声も胸に刻み、また歩き出した。



僕たちはその後、一班からアイモを除いた、僕とロジャーとジョン、それから兵長の四人で、兵長室に集まっていた。僕たち三人の耳には、まだ遺族の泣き声がこだましている。ロジャーさえも暗く沈んだ面持ちで、自分の膝に肘をもたせかけてソファに掛けていた。


しばらくは、誰も何も喋らなかった。兵長は掛ける言葉も無かったのか、僕たちを部屋に迎え入れた時も、何も言わなかった。ティーポットには湯が注がれてもう十分は経ったのに、誰も手をつけない。そのうちに兵長はこう言った。


「ハルキ様が現れるのは、我々が危機的状況に陥った時だ。それは間違いない」


その言葉に、僕たちは一斉に兵長の方を見た。僕たちは一瞬、なぜ兵長が春喜の話を始めたのか考えられないくらいに落ち込んでいた。でも、少ししてジョンが思い出したようにつぶやく。


「…確かに。シャーロットの時もそうでした」


それからロジャーが身を乗り出した。


「この間の闘いもそうだった」


兵長はそれらを聴いて頷きながら、ティーポットに手を伸ばし、全員分の濃く出たお茶をカップに注ぐ。みんな気が進まないながらも、お茶に口をつけた。兵長は僕たち三人の目を代わる代わる見て、さらに続ける。


「どうやら、“防ぎ切れない”とハルキ様が目した時だろうというのは感じていた。しかしそうだとするなら、なぜ今回は現れなかったのか。それから、確かに危機を救えば民衆の心を寄せ集められるが、それが目的なら、初めから全部彼がやってしまえば、信仰はもっと堅いものとなるはずだ。なぜハルキ様はそうしないのか。私はずっと疑問だった」


兵長はそう言って僕たちに意見を促すように、一人一人目を見つめた。


「そうですね、それはあんちゃんも言ってたよな?」


ロジャーはそう言って僕を振り返る。


「はい。ずっと思っていたんです」


兵長は頷く。


「ヴィヴィアンからそれを相談されたことがある。彼女は、「我々に課せられた運命は手に余るもので、それは我々の手で塗り替えることが出来る」と信じていた。そして、それを私に強く促した。私はその時は彼女に答えを与えてやれなかったが、彼女は最後まで闘い続け、我々にその力を遺していった。だからこそ今、我々はその答えに辿り着くために、探し始めなければいけない」


僕たち三人はそれを黙って聴き、兵長がひと口お茶を飲むのに倣った。


「今は宮殿の扉すら封じられ、ハルキ様は戦場にも現れなくなった。それが何を意味するのか分からないが、このままではこの世界はすぐにも混沌として、街の治安の維持すら難しくなるだろう。それに、次にいつ奴らが襲い来るとも限らない」


その時、僕たちは全員こう思ったはずだ。


“日を追うごとに奴らは強く、多くなっている。次は防ぎ切れないかもしれない”、と…。


兵長はその全員の緊張を表情から感じ取って、僕らが自分の言ったことをはっきり受け止めたと分かったのか、最後にこう言った。


「明日…この全員で宮殿まで行ってみよう」




オズワルドさんはアイモを守って戦死した。議長の突然の死に議会は混乱を極め、「後継者を自分に」と自薦する者、それから派閥同士の争いが起きた。


新聞の号外の表には、「多数の戦死者を出しながらもこの土地が守られた」という事実が長々と書かれている。そしてその左下には、「オズワルド議長死去」とも書かれて、今後の議会を危ぶむ文章があった。そして号外の裏面には、五十人にも上る戦死者の名前と、哀悼の意が綴られている。


僕は家に帰り、新聞を手にして、暖炉の前でソファに腰を下ろしていた。


涙を流すまいと必死に努力したが、無駄だった。オズワルドさんの優しい顔や、アルベリッヒが仲間を思って流した涙、ヴィヴィアンの最期の言葉、兵士たちが倒れて動かなくなる前に何度も母親を呼んだ声、それらが頭の中を回り続けていた。


あと少しだったのに、オズワルドさんを守れなかった。一緒に居たアルベリッヒを、見失って死なせてしまった。隣に居たヴィヴィアンも。兵士一人一人の命も。僕はみんな。みんなを。




気が付くと僕は、自分の右腕を暖炉の縁に思い切りぶつけていた。何度も、何度も、何度も。


「もうやめて!」


はっとして我に返ると、理子さんが正気を失った僕を止めようとして僕に抱き着き、必死に僕の腕を押さえていた。呆然として僕が振り向くと、彼女は悲しみに暮れ、一生懸命首を振り、小さく絞り出すような声で繰り返した。


「あなたのせいじゃない…あなたのせいじゃない…!」


僕は泣いた。彼女を抱きしめて、嗚咽し、むせ込んでも涙は止まらず、理子さんはその間、ずっと僕を抱きしめてくれていた。




僕はその夜、一人で眠った。僕のためにずっと傍にいて憔悴してしまった彼女をベッドに寝かせ、眠ったのを見届けてから自分のベッドに戻った。なぜ眠れたのか不思議だった。それほどに悲しみは深く、僕はもう居なくなってしまった人たちの面影を必死に胸に留めようと追いかけながら、そのうちに、深い深い眠りへと落ち込んでいった。




目を開けると、真っ白い空間だった。僕はその空間に立っている。それはすぐに夢と分かり、その時僕は少し嬉しかった。そして同時に、怯えていた。夢ならば、彼らに会えるのではないか。会って謝れるのではないかと思った。でも、周りを見回しても、少し前に白い石造りの椅子が向こう向きに置いてあるだけで、他に何も無い場所だった。真っ白い光の中なのに、僕は光だけがある空間にどこか行き場の無さを感じて、誰かの名前を呼ぼうとした。その時、石造りの椅子から誰かが立ち上がった。


一見するとそれはオズワルドさんのような恰好をした老人で、僕は一瞬彼と見まごうほどだった。でも、その人はオズワルドさんではなかった。白い髪に白い髭、垂れ下がった瞼の下から鋭い瞳が覗いているのは変わらないのに、その表情は言いようのない厳しさを感じた。その人は立ち上がってから、僕に手招きをする。僕は少し怖かったけど、その人からは、従うしかないような威厳を感じた。


その人の傍に行くと、僕は自然と前屈みになって、おそるおそるその顔色を窺った。まるでその瞳が瞬くだけで、僕の存在は消し飛びそうだった。


「人の子よ、お前は私をなんと称する」


僕は驚いた。それは、僕が「ギフト」を授かる時に春喜の口から出たのと同じ、神の声だった。思わず僕は小さく声を上げる。でもすぐに落ち着きを取り戻そうと頑張り、なんとか質問に答えた。


「…か、神様です…」


その人は一度頷いた。それから、こう続ける。


「では、私がお前達に何を望むか分かるか」


僕はすぐには答えられなかった。神が人間に何を望むか、だって?そんなの僕が分かるわけがない。でも、ここで答えなくては、もしかしたら僕たち全員の運命が絶たれるようで、恐ろしくて堪らなかった。


「…申し訳ありません。僕には分かりません」


そう言った時、僕の背中にさっと寒気が通って、僕は下げた頭を上げられなかった。


「顔を上げなさい」


僕はそう言われて、またおそるおそる、神の顔を見る。その目は、今度こそ僕を厳しく責めて、怒っているように見えた。僕はそれに戦慄したのに、叫ぶことも、逃げ出すことも出来なかったし、指一本動かせなかった。僕の意志は、神の目がちょっと細められただけで死んでしまった。それから神はこう言った。


「私は明日、お前たちを滅ぼそう」


神ははっきりとそう言った。神が嘘を吐くわけが無い。冗談を言うはずも無い。そして…神に出来ないことは無い。僕は一瞬の内に絶望の淵から叩き落とされた。


「お前たちは前に居た世を思うがままに汚し、そして不毛な争いばかりに血道を上げていた。私は自分が創り出したものとして今までお前たちを赦し、愛してきた。しかしお前たちは変わらなかった」


僕はそれを聴きながら、尚も最後の一本の糸に縋るようにこう言った。わけもなく頬に涙が流れる。


「なぜですか…あなたは戦場の僕たちを助けて下さっていたではないですか…?」


そうだ。神は春喜を通じて、危ういところを救ってくれたはずだ。


「あれは私の意志ではない。私の力をあの少年が使おうとしたまでだ。だから私はそれ以後、少年の力を封じた。しかし明日、私はそれを解放してお前たちを消し去ろう」


「そんな…春喜が…」


知らなかった。あれは春喜が望んだだけのことだったのか。僕たちは初めからほとんど神に見捨てられていたのか。僕はこの世の終わりに打ちひしがれ、膝の力が抜けてその場にがっくりと倒れた。


「なぜ…なぜ僕の弟なんだよ…」


僕は絶望のまま、それでも弟のためを思う気持ちが忘れられず、我知らず口からは悔しさがこぼれた。すると、なんとそれには答えが与えられたのだ。


「お前の弟を選んだのではない、お前しかいなかったのだ」


はっと顔を上げると、神はまだ威厳を崩すことなく、確かに僕を見つめていた。


「僕を…選んだ…?何にでしょうか…?」


そこで神は自分の右手に目を落とす。そこにはバラの花がぱっと現れ、そしてすぐに跡形もなく消えた。


「不完全ながらも、この力を使いながら、なお、多くの眠りを必要としない魂を探した。なるべく近い、神としての導き手も」


まさか。そんな。じゃあ僕は…。


僕はそう思って、すでに「結局僕のせいだったんだ」と思いながら、涙を流す理子さんの顔を思い浮かべていた。


「そして、お前を見つけた」


僕は床に手を突っ張って泣き、神はそれを無視した。


「お前がもし逃れたいと望むなら、明日、川辺にある杉の木を探してその下に立つがよい」


それを聴いて僕は顔を上げたが、その時にはもう神の姿は無く、白い椅子も消えていた。


「待って…待って!待ってください!神様!」




目を覚ました僕の全身はびっしょりと汗に濡れ、がくがくと震えていた。心臓が痛い。それから僕は震え続ける体を起こして、「どうかただの夢であってくれ、僕だけの想像であってくれ」と願いながらも、寝巻から外出着に急いで着替え、外に飛び出した。


でも、杉の木なんか僕はこの世界に来てから見ていなかった。そうだ、あれは僕たちが元居た地球にあった木じゃないか。でも僕は街を通る川辺を走り、必死に杉らしき木を探して回った。それは確かに川辺に立っていた。


大きな一本杉は、宮殿に近い街の門の傍をくぐって、門の外へと流れ出る川辺に生えていた。僕は杉の木を触ってみてから、確かにそこにあることを確認して、街に戻って人々を連れて来るために林の中を抜けようとした。でもその時、背後で宮殿に近い街の門がギイイ…という音を立て、開く。


僕の体を途端に恐怖が電流のように走り抜け、心臓や血管が一斉にドクドクと脈打って、「振り返ってはいけない」とわけもなく知らせる。それでも僕は、抗いようのない思いに振り向いた。


僕の目の先にある小道に、春喜は居た。春喜はまるで眠っているように表情の無い顔で、青い光を纏っている。その光は炎のように春喜の周りに揺らめいて、爆発を待つ火花のようなパチパチとした輝きが、時々春喜の周りに飛び交った。


春喜は足元の草や苔を一足一足踏んで、迷いなくゆっくりと街へと向かっている。そして僕のことなど見えていないように、春喜は僕の傍を通り過ぎようとした。



僕が止めなくちゃいけない。何が何でも。そう思った時、僕の心に底知れぬ力が生まれ、僕は春喜にしがみつく。


「春喜!」


僕が春喜を抱きしめて引き留めると、僕の体は青い炎にじりじりと焼けた。でも、そんな痛みには構っていられなかった。春喜は僕を引きずっていく。すごい力だ。


「春喜…目を覚ませ!春喜!僕だよ!お兄ちゃんだよ!」


そう言ってみても無駄かもしれない。でも僕はそれだけに望みを懸けた。


ふと春喜は立ち止まる。青い光に僕の体は焦がされ続けていたけど、僕は少しほっとして春喜の顔を覗き込み、その時春喜も、僕を振り向いた。


振り返った春喜は元通り、春喜の顔をしていた。子供らしく、不安げで、でもとても悲しそうだった。そのうちにその顔が悔しそうに怯えて、春喜は声も無く涙を流す。僕はもう一度春喜をぎゅっと抱き締めた。


「大丈夫だ。大丈夫だ…お兄ちゃんがなんとかする。だから…」


僕がそう言い掛けた時、僕の腕は急に空を切って、今まで抱きしめていた春喜は、青い光を連れて居なくなった。


「え…?春喜…?春喜!どこに居るんだ!待ってくれ!」



まさか、もう街に。そう思った時、僕の体を悪寒が走り、僕は街に向かって駆け出していた。







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