Episode.21 護る者
それからしばらく「ハルキ様」の声は民衆には伝えられず、おかしいと感じ始めた人たちが議会に集団で詰め寄ったりしていた。「あと少しでうちにも来るんだろうな」と考えているうちに、そろそろ一週間になる。僕はその日、彼女と夜を共に過ごしていた。
「不思議ですね」
白いシーツを花嫁のヴェールのようにかぶって体を包み、僕の隣に寝転ぶ彼女が、そう囁く。
「なにが?」
僕がそう聞くと、彼女はふふふと笑って、シーツの中から素肌の腕を出し、僕の頬を撫でた。その手の優しさを、僕はいつまでも感じていたい。
「こうしてこの世界に来なければ、多分、私とあなた、知り合うこともなかったから」
その時彼女は変わった。僕を真っすぐ見て、そして心をほどいてくれた。僕は彼女の手を取り、自分の頬に擦りつけた。嬉しくて。
闇の中に灯るロウソクの灯りだけがほのかに彼女の輪郭を照らしている。それは儚くて、すぐに消えてしまうのではないかと思ったから、僕は彼女に近寄って、その体を片腕で抱き締めた。
「…きっと、会ってたよ」
「え…?」
僕は胸がドキドキと高鳴って、今この時のために自分が生まれていたのだと思った。そんなことは初めてだった。
「会ったら、必ず好きになってた」
彼女が切なそうに眉を寄せ、僕の胸に顔を埋める。素肌に感じる彼女のくすぐったい細い髪が、彼女の何もかもが、愛おしかった。
「…わたしも」
次の朝、僕たちは同じ食卓で朝食を取っていた。ゆるやかに、もどかしく時間は流れ、愛の満ちた部屋は暖かかった。ダイニングには、彼女が作った美味しそうな朝食が並んでいる。
そこへ、突然僕が胸元に下げていた「子の石」がひときわ強く光り出した。彼女は慌てふためくような顔を一瞬見せたけど、僕は立ち上がる。
「見送りに…」
「戸口まででいいよ。必ず戻る」
僕は、精一杯不安そうな顔をした彼女を一瞬抱き締め、兵舎へと走った。でもその途中、道の向こうからロジャーが現れて、僕を見つけて叫ぶ。
「馬車に乗れ!こっちだ!」
煉瓦道を僕が走り抜けてロジャーについていき、目の前の路地を曲がると、ちょうど走っていた馬車に追いついた。街の人たちは兵士たちの乗った馬車を慌てて避けてから、「ご無事で!」と叫んだり、「頼んだぜ!」と励ましてくれたりした。ロジャーと僕は急いで馬車の荷台を掴んで、中に乗り込む。
「どういうこと!?僕を置いて行くつもりだったの!?」
僕がロジャーに聞こうとすると、馬を操る御者の隣で兵長が振り返って叫んだ。
「大群だ!大群が恐ろしい速さで迫ってる!お前を待っている暇がなかった!」
僕はぞっとして、それから下腹あたりが震えだすのを感じた。でも、そんなことは言ってられない。僕が諦めれば、全員が死ぬかもしれないんだ。僕は馬車の上で、防具だけを体に身に着けた。それはアイモが持って来て、僕に渡してくれた。
戦場が目の前に迫っているのを、地響きが足元まで伝わっていることで感じる。街では人々が避難を始めているらしい。監視者のギフトを持った者がモンスターの大群を捉えたのは、ついさっきだ。門を開く前、兵長は全員に言い渡した。
「死ぬ気で闘え!我々軍人は人々を護る者だ!私は死んでもお前たちのことは忘れない!」
門を開くと、隙間から一気に舞い上がった砂埃が噴き出し、すぐそこに居たモンスターが鼻先で門をこじ開けようとした。僕は「消えろ」と念じ、右手をかざした。
消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。何回この言葉を繰り返したのか。もう分からない。僕は全身が傷だらけで、立っていることももう不可能に思えてくる苦痛を背負っていた。それでも僕が倒れるわけにはいかなかった。
モンスターは消しても消しても、水が湧くように次々現れた。僕の右手で間に合わない分をロジャーが、アイモが、ジョンが葬る。それで足りない分を銃撃部隊が仕留める。それなのに、もうこれ以上は無理だと思うような数が攻め入り続けていた。
僕たちはとにかく街からモンスターを引き離すため、少しずつ先頭の僕から、大群の中をかき分けて戦場を遠くへ移した。僕は眠らずに闇の中でも闘いを続けることが出来た。三班のアルベリッヒは、光を灯せる能力を持っている。彼は兵長の命令で、ずっと僕の後についてきて、戦場を照らし続けてくれていた。
「アルベリッヒ!伏せて!」
巨大な亀のようなモンスターが素早く走り寄って来て、腹の中から石の塊のようなものをいくつも吐き出す。それを消している間にも、巨大な亀は恐ろしい速さでこちらに迫る。地面が揺れ、僕たちは一瞬足を取られそうになった。
「待ちなドンガメ!そんな速さで俺に勝てると思うなよ!」
脇から出てきたロジャーがそう叫んで、亀をあっという間に消し炭にした。
「ありがとう、ロジャー」
「そうも言ってられないぜ、まだまだお待ちかねだ」
彼が顎をしゃくった先には、大空を滑空してこちらへ突っ込んで来る龍が見えた。その体に生えたうろこの最後の一枚まで、余すことなく僕は消し去った。
「やるねえ大将!でも向こうもやる気だ!」
「アルベリッヒ!ついてきて!」
ロジャーは僕の前に飛び出し、僕はその後から駆け出して、二人で背中を分け合い、位置につく。僕たちの傍らには、アルベリッヒが光る両手を差し上げて辺り一帯を照らしてくれていた。モンスター達は僕ら三人を囲い込んで、満足そうに鼻息を鳴らす。
「いくぞ!ぶっ放せ!」
「吹雪!吹雪は居ないか!」
闘いの中、消えかけたモンスターの尾が僕の腹を削り、僕はその場に倒れた。出血は激しかったようで、僕は一瞬意識を失った。ロジャーが残りの敵を急いで殲滅し、遠くにまた大群が見えるだけになってから、僕はロジャーに背負われて回復のためにテントへやってきたのだ。
でも、僕たちを迎えたのは、吹雪じゃなかった。
「オズワルド様!?あんた、駆り出されたのかい!?」
僕を背負ったまま、ロジャーが素っ頓狂な声で叫ぶ。オズワルドさんは「急いで治療を」と言って、僕を二人でむしろの上に寝かせてくれた。
「ああっ…!」
腹に走る激痛に、僕は声を上げ、体をねじる。痛い。痛い。痛い。
気づくと、テントの中は満員になっていて、治癒者はオズワルドさんと、顔も知らない若い女性一人だった。周りを見ると、その場は傷ついた兵士たちで埋め尽くされ、女性はおろおろと泣きそうな顔で、一人の兵士の上に蹲って必死に胸のあたりに手を当てていた。
「ロザリーナ、もうよしなさい」
ロザリーナと呼ばれた女性は首を振った。彼女が癒そうとしていた兵士は、すでにこと切れていたんだろう。オズワルドさんはしくしくと泣き出した彼女に、さらにこう言う。
「今苦しんでいる者を、救うのです」
女性はまた首を振ろうとしたけど、名残惜しそうに死んだ兵士の傍を離れて、すぐ隣に寝そべって苦しそうな声を上げている兵士に向かって治療を始めた。彼女の涙は止まらなかった。
「…彼女は、二週間前にギフトを授かったのです。私が教えながらですが、手が足りない今、それは仕方ありません。さあ、治療を…」
その時、ロジャーが言った。
「吹雪は…どこに居るんですかい。オズワルド様」
僕の朦朧とした意識に、吹雪さんの控えめな笑顔が浮かぶ。僕を癒してくれた時の、切羽詰まった表情が浮かぶ。そしてそれは、消えていった。
オズワルドさんは、黙ったまま僕の治療に掛かった。すると、ロジャーがテントの入口まで出て行き、外に向かって「ちくしょう!」と大声で叫ぶ。僕はそれを聴きながら、涙を流した。
「オズワルドさん、出来るだけ早くお願いします」
「承知しております。あまり喋らないで下さい」
しばらく僕は、おなかを温められるような感覚に包まれ、眠ってしまわないようにだけ気をつけていた。
「俺、もう行くぜ。俺が出来る分はやってくる。ここも安全にしておかなきゃいけないしな」
ロジャーがそう言ってテントを出ようとした時、オズワルドさんは立ち上がって彼を引き留めた。
「なりません。貴方お一人の力で収まる闘いではない、お兄様をお待ちなさい」
「そうも言ってられないでしょうが!こうしてる間にも仲間が死んでるんだ!」
「落ち着いて下さい!とにかく、あと少しですから、その間だけここに居て下さい!」
二人がそう押し問答しているのを僕は聴きながら、大きな血管からの出血は止まって、あとは裂けた肉を繋ぎ合わせればいいだけになったのを感じていたので、右腕でなんとか起き上がってロジャーに声を掛けようとした。テントの入口に顔を向けた時、オズワルドさんの姿は無く、ロジャーも入口から外へとすっ飛んでいった。何が起こったのか分からない中、外からロジャーの叫び声が聴こえてくる。
「あんちゃん!動けるなら後から来てくれ!」
僕はそれを聴き、「近くまでモンスターが来ている」と分かったので、痛みなど即座に無視して立ち上がる。それでも、テントの入口までのたった五歩が辛かった。
「あああっ…!!」
痛みをうめきに逃がして入口に立つと、今まさに、目の前に居る大きなドラゴンのようなモンスターが火炎を吐こうと胸を大きく膨らませたところだった。
間に合え!
僕はそう心で叫び右腕を掲げる。迫る炎を僕は片っ端から消し、それでも勢い強く炎を吐き続けるドラゴンによって、僕の右腕より数メートル先がすべて焼き尽くされた。
僕が右腕を下げた時、ロジャーは僕の足元に居た。僕たちは近くにオズワルドさんが居ないか探す。
「オズワルド様!それからあんちゃん!アイモがこっちに走ってきたんだ!必ず居る!」
「オズワルドさん!アイモ!」
僕たちは焼け焦げた地面に向かって叫ぶ。返事は無い。ロジャーは一度だけ地面を足で踏み潰した。
すると、僕は目の前の黒い土が盛り上がっていることに気づいた。それが何かもぞもぞと動いている。
「オズワルドさん!?」
僕がその場に蹲って土のように焼け焦げたオズワルドさんの体をひっくり返すと、彼の半分焼け爛れた顔が現れた。
「オズワルドさん…」
彼はすでに、息が無かった。ロジャーはその光景に言葉を失くし、僕たちは一瞬「それ」に気づくのが遅れた。でも、オズワルドさんは腕の中にアイモを抱えて、ずっと炎の中で守り続けていたのだ。
「う‥うう…」
「アイモ!」
「無事だったのか!」
僕は少し火傷をしていたアイモを抱え上げてテントへ連れて行き、ロジャーはオズワルドさんの物言わぬ体を背負った。
僕がロザリーナさんに傷を癒してもらってから、僕たちは兵長と合流した。彼が持っていたのは、亡くなったシャーロットと同じ「対象者の時を止める能力」だった。彼のその能力も合わせて、ジョン、ロジャー、アイモの残る僕らでなんとか闘った。僕は最前で敵を消し、討ち漏らしたモンスターは兵長が止めるまでロジャーが引きつけて炎熱を食らわせ、アイモはモンスターを持ち上げて地面に叩きつけ、ジョンは片っ端から切り刻んだ。
終わりは、その二日後に訪れた。その時、地平線から朝日が昇るのを僕たちは見た。
「気に食わねえ。昨日と同じ顔してやがるぜ」
ロジャーは昇る朝日を見ながら一言、そう言った。兵士たちは半数が死に、僕たちは皆それぞれにその亡骸を背負って街へ帰った。兵長はオズワルドさんの焼け焦げた体を背負い、僕たちにこう言った。
「戻ったら、兵長室に集まれ。お前たちと話し合いたいことがある」
「えっ…こんな時にですかい兵長?」
ロジャーがそう聞いても、兵長は振り向かず、「そうだ。おそらく、今しかないだろう」と言った。
僕たちは何か言い知れない不安を抱えて、疲れた足を引きずっていた。
Continue.
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