Episode.6 白い宮殿







僕は、花畑で目覚め、目の前にローブを着た老人なんかが現れたから、てっきりその人を神様だと思ってしまった。だってそうだろう。屋上から飛び降りて、訳の分からない世界で光に包まれ、着いたのは花畑だったんだぞ?


老人は、長く伸ばした髪の毛は真っ白で、額や口元、指先にも多くの皺が寄っていたから、かなりの年齢のようだった。でも体つきは充分がっしりとしていて、背も曲がっていない。ローブの短い袖口から覗く腕は、筋肉で盛り上がっている。彼は、多くの年寄りと同じように瞼が垂れ下がっていたけど、その下には鷹を思わせる鋭い目を持っていて、その目の前では何もかもがつまびらかとなってしまうような気さえした。


若者の僕が刃向かってもすぐに突き倒されてしまいそうで、彼に向かって嘘を吐けばすぐそれとわかってしまう、本当に神のような人に見えたのだ。


でもその老人は僕の前に突然かしずき、「わたくしは神などではございません。それは貴方様の弟様です」と言った。


「……は?」


僕が言われた言葉を飲み込めないでいると、老人はゆるゆると首を振った。それからもう一度立ち上がって後ろを向き、半身で僕を振り返ってから、遠く向こうにある丘を指差した。


「すべては、あの丘でお話し致します。どうぞおいで下さい」







僕たちは、一面に海のように広がる花畑で、僕が寝そべっていた場所を外れて少し歩き、人の手でならされているような道に入った。僕はそれを見て、“天国にも道があるのか”と、少し変な気分だった。足をつけても、よくたとえられるような雲の上を歩くような感覚はなく、地上の土そのものを踏んだ感触だった。


それから、その道が真っ直ぐ続いている、小高い丘の上を目指して歩いて行った。途中でちらっと後ろを振り返ってみると、丘の傾斜から見える広い広い花畑よりも遥か下に、街のような景色が見えた。遠目でよく見えないけど、蟻のように小さく見える人々が、確かに街の中を行き交っている。また僕はちょっと、“変だな”と思った。


“ここは天国ではないのだろうか?そして、僕の弟が神だという理由は一体なんだろう?あの街は一体なんなんだろう?”


僕は老人に聞きたいことがたくさんあったけど、迷いなくずしずしと丘の上に登って行く大きな背中を見て気後れして、そこでは聞けなかった。






丘を登り切ると、目の前には小さな宮殿のようなものがあった。見たこともないほど美しく、でも決して派手なわけではない。黒い鉄柵で隙間なく囲まれた中に、大理石か何かのような白い石で出来た、ほんの小さな東屋ほどの大きさの建物が見えた。でもそれはとても神聖な輝きを放っていて、屋根の上には青くて大きい水晶のような石が乗せられている。よく見ると、入り口の二枚の扉も石で出来ているようだった。僕たちが歩いていた道は、真っ直ぐにこの建物の門に続いていたらしい。老人が重そうな鉄の門を引いて僕を迎え入れ、それから門を閉めた。


小さな建物に近寄ってみると、全体を造っている白い石は貝殻を散りばめたようにところどころに反射する光の色が違うことに僕は気づいた。あるところは桃色に、またあるところはエメラルドグリーンにと、ひとときも同じ色を持たずに、それでいて淡く落ち着いた輝きを放っている。


僕たちが石壁にしか見えない扉の前に向かって立つと、ひとりでに扉は中に向かって開いた。


「えっ…!」


僕が勝手に開いた扉に驚いていると、老人は僕に向かって振り向いて、「さあ、お入り下さい」と促した。







白い壁の向こうには、白い空間があった。その建物は六角形に白い石で組まれていて、床も同じくつるつるに磨き上げられた大きな一枚の白い石を切り出して造られている。その上には白い絨毯が敷かれて、部屋の中央に大きなベッドがあった。



そこには、春喜が眠っていた。




「はるき…春喜!…こんなところに…」




僕は歓喜した。弟はここに居た。今は眠っている。早く起こして、元の世界に帰ろう!




僕がそう思って春喜に駆け寄ろうとすると、急に老人は僕の腕を掴み、僕がびくともしないほどの力で引き留めた。


「なっ…何をするんです!」


「おやめになった方がよろしいでしょう」



老人は僕に「そこから動かないでいて下さい」と言って、つかつかとベッドの近くまで歩み寄り、ベッドに眠っている春喜に向かってゆっくり手を伸ばした。すると、あるところで老人の手は止まって、老人の手のひらのあたりで火花が散るような光が見えた。



もう一度老人が僕のところまで戻って来て、春喜に向かって差し出していた片手のひらをひっくり返して僕に見せる。


「あっ…!」


老人の手のひらは、真っ赤に血が滴っていた。


「ど…どういうことですか…!?なぜ…!」


僕が混乱して取り乱していると、老人は自分のもう片方の手のひらを、真っ赤に焼けただれた手のひらに重ねる。ああ、痛そうだ。僕は目を背けていた。すると老人が「ご覧ください」と言うので、見たくはないけど、僕はもう一度そちらを向いた。


老人が僕に差し出した両手は、もう元通りにすべらかで、傷跡すら残っていなかった。


「えっ!?な、なんで!?」


「手品ではございません。とにかく、ハルキ様のお近くには行かない方がよろしいかと存じます」


僕は、老人が春喜に近寄って怪我を負ったり、その怪我が一瞬にして治ったことも究明したかったけど、その前に、もちろん聞きたいことが山ほどあった。そうだ。さっきこの老人は、春喜を「神」だと言った。ずっと名前の後に「様」と付けて呼んでいるし、こんな仰々しい神殿のような場所に春喜を寝かせて、満足そうな顔をしている。



でも、春喜は普通の小学一年生の男の子のはずだ。神になんかなれるわけがない。それが一体どうしてこんなことになっているんだ?とにかくこの老人から全部からくりを聞き出して、春喜と一緒に元の世界に戻れるようにしなくちゃ。




「聞きたいことは、たくさんあります…」


僕はいくらか挑むような気持ちで、老人を見つめた。老人は少しだけ渋い顔をするように目を細めたけど、「なんでございましても、お答え致しましょう」と言って、僕に恭しく一礼した。






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