第15話 それは、願いではなく

 走って、走って、走った先で見つけたのは。


「はい、ろ……くん…………?」


 とても小さくなった背中。

 迷子になった子供のように涙を流して、とても小さくなってしまった一人の女の子の背中だった。


「どうして、ここに……」


「……店の前に荷物を落としていった本人が何言ってんだ」


 真白の瞳は俺の手に持っている鞄に注がれた。それから、自分が鞄を落としたことに気づいたらしい。


「…………ありがとう、ございます」


 自分の手で涙を拭って、のろのろと鞄を受け取る真白。


「……ったく。いきなり飛び出しやがって。どうせなら行き先を連絡してからにしろ。お前好きだろ、そういうの。おかげで金髪少女の目撃証言を集める不審者になっちまった」


「……鞄なんて、明日でもよかったのに」


「家の鍵とか持ってるのか。そういうの、全部その中に入れてるんじゃなかったか」


「あ…………」


 そんなことすら頭の中から抜けていたらしい。

 本当に頭から色々と吹っ飛んでたんだな。


「シンデレラはガラスの靴なんて洒落たもんを落としてくが、お前は課題だの資料だのが詰まった鞄か。相変わらず残念なやつだな」


「だ、誰が残念ですかっ! 私だって、どうせ灰露くんに届けてもらうなら、もうちょっと素敵なものがよかったですけどっ……!」


「……その様子なら、少しは落ち着いたみたいだな」


「…………そこで優しいのは反則です」


 既に周囲は薄暗い。すっかり日も沈んでいる。


「送ってくよ。こんな時間だし」


「……はい」


 二人で肩を合わせて並び、来た道を戻る。

 その間、俺たちは互いに口を開くことはなかった。聞こえてくるのは近くの民家で飼われているであろう犬の鳴き声だったり、風の音。いつもより鮮明に、ハッキリと聞こえてくるのは、会話がないからだろう。


「……何かあったのか」


 思わず先に口を開いたのは俺の方だった。


「…………」


 真白は俯き、口を閉ざし続ける。

 濡れた瞳は微かに揺れていて、表情はどこか薄暗い。


「……母が、いたんです」


 それから僅かな間を経て、真白は俯いたまま、地面に向かって言葉を落とした。


「私が小学校の頃、家を出て行った母を見かけて……それで……追いかけました」


「話は出来たのか」


「いえ……見失ってしまって……」


「……そうか」


 母親。

 そうか……真白の場合は、母親・・か。


「……なあ、真白」


「……なんですか」


「俺たちは偽装カップルだ。わざわざ学園であんなことしてんのも、仕事だ」


「……そうですね」


「つまり……アレだ。俺たちは仕事仲間だ。同僚だ」


 探せ。

 なんでもいい。なんでもいいんだ。

 偽者で、借り物の立場でも――――今ここで、踏み出せるだけの理由たてまえを。


「灰露くん……?」


 首を傾げる真白。

 分かってるよ。俺が変なことを口走ってることぐらい。


「だから……話ぐらい、聞いてやるぞ」


 我ながら格好悪くて、不格好で。

 やっぱり俺は、シンデレラを追いかける王子様にはなれないとも改めて思う。せいぜい村人Aがお似合いだ。


 けれど。


 村人Aでも何でもいい。今はただ……この、どこかに行ってしまいそうになる少女を繋ぎ留めたいと思った。


 理由なんてそれだけで、それ以上のことなんて分からない。

 必要最低限の労力どころじゃない。必要以上に労力を使っているけれど。

 それでもこうしたいと思った。


 ――――それからどれぐらい経っただろう。


「………………亡くなった祖父は、とても厳しい人でした」


 ポツリ、と。

 真白は唐突に口を開き、言葉を零す。


「真白家の人間として、幼い頃から私に『完璧』で在るよう求めていました。勉強も、運動も、習い事も。全てにおいて、最高の結果を出すようにと」


 車のライトが横切り、僅かな時間だけ俺たちを照らす。

 刹那に見えた真白の顔は未だ俯いている。それはまるで、空で輝く月から目を背けているようにも見えた。


「確かに大変ではありましたけど……私は平気でした。頑張って結果を出せば、両親が喜んでくれたからです。両親は笑って、私を褒めてくれて……それだけで、私は嬉しかった」


 嬉しかった。

 そう語る真白の声は、本当に嬉しそうで。


「たとえ辛くても、苦しくても、自由がなくても、友達と遊べなくても。父と母が喜んでくれるなら、私はいくらでも頑張ることが出来ました」


 幼い頃の真白。きっと可愛らしい子供だったのだろう。

 小さな体で、精いっぱい頑張っていたのだろう。

 俺にはそんなことを想像することしか出来ないけど。


「でも……頑張ったからといって、常に結果が出るとは限りません」


 声に影が差す。先に広がる暗がりのように。


「私は才能はあったようですが、天才ではありませんでした。得意もあって、不得意もあって。真白家の人間として、全てにおいて『完璧』で在れという祖父を、満足させる結果は出せませんでした」


 真白は一瞬の間を置いた。その一瞬に、果たして彼女は何を思っていたのだろう。何を思い出していたのだろう。


「私が結果を出せないたびに。些細なミス一つでもあれば、祖父は母を厳しく叱責しました。……元々、母は真白家に嫁いできた人間。それも、周囲の反対を押し切っての恋愛結婚でしたから。祖父からすれば、母は邪魔な存在でしかなかったんです。だからでしょう……何度も、何度も、何度も……祖父は、母を追い詰めました。そして……」


 真白は、不意に自分の首へ手をあてる。どうやら無意識の仕草だったようで、目は遠くを見ているまま。


「……そして母は心を壊し、真白家を去りました」


 不自然な間。何かをしまい込んだかのような。そんな、間があって。


 俺は真白がいつか言っていた、あの言葉を思い出した。


 ――――……それでも、私は願い続けます。だって…………私が『完璧』ではなかったせいで、家族が壊れたんですから。


 そうか……だから。


「だから私は願いました。『完璧』で在りたいと――――『完璧な人間・・・・・』になりたいと」


 それが、願いの始まり。


「私が『完璧』であったなら、母は心を壊さずに済みました。私が『完璧』であったなら、父は悲しまなくて済みました。私が『完璧』であったなら、家族は壊れなくて済みました」


 真白桜月が、願う理由わけ


「……なのに父は、『完璧な人間なんていない』って言うんです。不完全な私を、温かく愛してくれるんです。『桜月のせいじゃないよ』『もう頑張る必要はないんだよ』って言いながら、抱きしめてくれるんです。……私、その時に思ったんです」


 真白は語る。父の温もりを。愛を。


「――――『この人、何を言ってるんだろう』って」


 とても、無意味なものだとでもいうように。


「そんなわけないじゃないですか。私のせいじゃないとか、そんなの嘘に決まってるじゃないですか。不完全な人間である、私が悪いに決まってるんですから。温もりとか、愛とか……そんな空虚なものが、いったい何の役に立つんですか? 何の役にも立たなかったじゃないですか」


 言葉を一つ紡ぐたび、言葉を一つ語るたび。

 真白は自分の身を切り裂かれたような顔をする。


「その『愛』が、お母さんを不幸にしたのに」


 周囲の反対を押し切って、恋愛結婚をした母親。

 その結果、心を壊してしまった。


「私は願います。『完璧』を。そのためなら幾らでも、何でもできます。私は天才じゃない。それは身に染みました。思い知りました。だから努力します。『完璧』で在れるまで。全てにおいて全力で、全てにおいて『完璧』になれるまで」


 全てのバランスが調和のとれた芸術品さながらの美貌と、お人形のような愛らしさを兼ね備えている『完璧』なる少女。誰が呼んだか、『人形姫』。


 ……本当に、誰が呼んだか知らないけど。


 確かに真白桜月は人形だ。

 人形という、『完璧な人間』を目指しているんだ。


 だから……愛も、温もりも。人形には必要ない。


 ただひたすら、『完璧』を願い続けるだけの存在。


 ……何が、願いだ。


 違う。そんな綺麗なもんじゃない。


 それは、願い・・ではなく――――呪い・・だ。


 真白桜月にとって『完璧』とは『願い』ではなく、自分を縛り付ける『呪い』だった。


「…………灰露くん」


 語った後、真白は顔を上げる。

 そこに映るのは美しき満月。一切の綻びも欠落もない、真円。


「今夜は、月が綺麗ですね」


 俺にはその言葉が、とても空虚なものに聞こえた。


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