第14話 走り出す人形姫
「頑張りましょうね、ダブルデート」
牧瀬先輩が店を去った後、真白だけは店に残った。
このままついでに課題を済ませていくつもりらしく、課題用のプリントと教科書を広げている。
ちなみに牧瀬先輩はというと、去り際に「おっと。ここは私に奢らせてくれたまえ。なに、カワイイ後輩のためにお茶を奢るということを一度やってみたかったのでね」と言って、真白の分の会計も済ませていった。
「頑張るわけないだろ。必要最低限の労力で済むならそうするさ」
「はあ……まったく。灰露くんは中学時代でだらけ癖がついてしまったようですね」
「ほっとけ。……むしろ俺からすれば、何事にも全力を尽くすお前の方が不思議だよ。どうせまた今回も、念入りに資料を用意してくるんだろ?」
「勿論です。念入りに準備して、完璧な状態で仕事にあたらなければ」
さも当然ですと言わんばかりのどや顔を見せる真白。
それでいて、手は課題を終わらせるべくテキパキと動いている。
「……完璧に、か」
あんな資料をわざわざ用意したりするのも、何事にも全力で挑むのも。
結局のところ、真白が『完璧』に在りたいという願いによるものだと、今なら分かる。
……だがそれが分かったからこそ、分かっているからこそ。
傍から見ている分には危なっかしい。バイトもして、夜にはあんな資料も作って。準備して。
「お前、睡眠時間とれてるの?」
何気なく口にしてみると、なぜか真白はきょとん、とした顔をしていて。
「……もしかして、心配してくれてるんですか?」
「ばっ……! べ、別にそんなんじゃねーよ……」
「えへへ……嬉しいです。頬が緩んじゃいます」
にへーっとした顔で頬に手をあてて緩みまくっている。……おい。さっさと課題を終わらせろ。手が止まってるぞ。さっさと動かせ。
「ふふっ。灰露くんは優しいですね」
「……これぐらいの心配は誰だってするだろ。ささいなもんだ」
「その『ささいな優しさ』が、私は嬉しかったんです」
何が嬉しいのか俺にはさっぱりだが、本人が満足してるならよしとしよう。
これ以上この話を続けても俺が損をするだけだ。
「…………」
「…………」
客も来ない。微かに聞こえてくるのは、たまに外を走る自転車の音や、通行人の会話。店内には真白がシャープペンシルを走らせる音だけが響いている。
いたって平和で、穏やかな時間。気づけば窓の外は鮮やかな紅が染み渡るように世界を濡らしている。
こうして真白と一緒にいると、思い出すのはやはりあの日のことだ。
この店で、たった独り涙を流して。俺と真白が偽物の恋人なんてものを演じるきっかけとなったあの日。
何度も何度も自分に踏み込むなと言い聞かせてはいるが、どうしても頭から離れない。
あの時流した、真白の涙が。
(くそっ……どうしろってんだよ)
気にならないといえば嘘になる。けれど、
そうして、頭の中で永遠に答えの出ない考え事を巡らせていると、
「じゃあ、私はそろそろ帰りますね」
真白は既に課題を終わらせていたらしい。
「ん? ああ。そうか。会計は……牧瀬先輩が済ませてくれたんだったな」
どうせ店内に客もいない。カウンターの奥から、店の前に出て真白を見送る。
「ダブルデート用に、また資料を作っておきますね」
「……もうそれは止めないから程々にな」
「いえっ! 全力で頑張りますっ!」
にこやかにそう宣言して、真白が帰路につこうとしたその時だった。
「――――お母さん……?」
はっとしたような、何かに縋りたくなっているような。
そんな真白の声が零れてきたかと思うと、
「――――っ……!」
真白は済ませた課題の入った荷物をそのまま地面に落とし、走り出した。
「おい、真白っ!」
俺の静止の言葉も届いてないとばかりに、彼女の背中は遠ざかっていく。
……追いかける必要なんてない。荷物ぐらい、後で取りに戻ってくるだろう。仮に戻ってこなかったとしても、あいつの家の場所は分かってるんだ。届けてやることも出来る。それがいい。
「それがいいって、分かってるのにな……」
頭では分かっていても、この身体が動きたがっている。
必要最低限以上の労力を払えと。
俺は鞄を拾い、店の扉に『closed』の看板を下げてから彼女の後を追いかけた。
☆
「はっ……はっ……はっ……」
走る。
走る。
走る。
息が荒れる。呼吸が乱れる。苦しくなって、今にも立ち止まりたいけれど。
真白桜月は、ひたすらに走り続けた。
追いかけていた人物は既にタクシーへと乗り込んでおり、その姿は彼方にある。どこに向かったかもわからない。手がかりがあるわけでもない。
それでも……それでも、彼女は走り続けた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
思いは止まらずとも肉体には限界が訪れる。
日も沈み始めた路上の端で、真白は呼吸を整えつつも無数の車体が横切る道路の先を見つめる。
「はぁ……はぁ……」
見つめた先には何もない。ただ、すっかり闇に食われてしまった世界が広がっているだけ。
しばらくの間、真白は立ち尽くし、日の沈んだ道をぼうっと眺めていた。
それで何かが変わるわけではない。ただ……今動き出そうとすれば、蓋をしていたものが溢れてきてしまいそうだった。
「…………やっぱり……戻ってきて、くれないんですか……?」
――――ああ、ダメだ。
「でもっ、私はっ…………」
――――零れてしまう。溢れてしまう。今までずっと蓋をしていたものが。
分かっていても止められない。抑えきれない。
それは涙となってぼろぼろと零れ落ちてきて、後悔と無力さに押しつぶされていく。
あの背中にまた追いつけない。手を伸ばしても届かない。
「私はもう『完璧』なのに……がんばってるのに……どうして……!」
崩れていく。壊れていく。自分を形作る何かが。
甘い夢が横切って、浅ましく追いかけて。それでもやっぱりすり抜けて。
(だめ……ああ、もうっ……違う。こんなところで、泣いてちゃ……!)
また頑張ればいい。また走り続ければいい。また願い続ければいい。
……そう自分に言い聞かせるも、涙は止まらない。止まってくれない。
どんどん溢れて、アスファルトに染みを作っていく。
泣いてはいけない。人形は涙を流さない。完璧な人間は、泣くことはないのだから。
だから――――
「お前はホント、泣いてばかりだな」
振り返る。
滲んだ視界。涙の雨の最中でも、彼の姿だけははっきりと見えた。
「はい、ろ……くん…………?」
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