第13話 融和委員会委員長
「夜音ー。お客さんもいないし、おにーさん、ちょっと休憩してくるわー」
街の片隅でひっそりと営業している喫茶店『ウインドミル』は今日も閑古鳥が鳴いていた。
それを良いことに
「了解です。……っていうか、俺がバイトに入ってから、休憩の回数多くなってません?」
「そりゃあ、これまでは一人だったからな。布団に入ってゴロゴロしたり散歩したりしたくても出来なかったわけ。でも夜音がバイトに来てから、放課後の時間帯はサボりやすくなって助かるわー」
とうとう普通にサボりと明言してきたか。
「俺はマスターをサボらせるためにバイトしてるんじゃないんですけど……」
「いやいや。それがウチじゃ立派な業務内容なのだよ。それに、おにーさんがサボれるのは暇な証。貰える時給が同じなら、楽な方がいいだろー?」
「それは俺も同意見なんですけどね」
とても雇う側のセリフとは思えない。そもそも自分がサボるためだけにバイトを雇う店長がどこにいるのだろうか。ここにいるけど。
「そーいうわけだからさ、あとヨロシクー」
眠そうな声で裏へと引っ込んでいくマスター。
今日はお昼寝といったところだろうか。夜眠れなくなっても知らないぞ。
「昼寝となると、呼ぶのに手間取りそうだなぁ……」
お客さんが来たら呼んでくれていい、とのことだけれど。お客さんを待たせてしまうことにはなりそうだ。
(いや……今日に限っては、そっちの方が都合いいか)
俺が入口の扉に視線を送ったところで、ドアベルを鳴らしながら二人の学生が入店してきた。
「……いらっしゃいませ」
バイトとしての定型文を口にしつつ、お客様を迎え入れる。
「こんにちは、灰露くん」
一人は真白。そしてもう一人は、
「ふむふむ。ここが件の喫茶店か。中々に趣のあるところじゃないか」
と、店内を興味深そうに眺めているのは天上院学園の制服を身に着けた女子生徒だ。
身長は真白よりも一回り大きい。すらっと伸びた手足に、凛然とした顔立ち。顔を動かすたびに後ろで束ねた黒髪がふわりと揺れる。
「……おっと、これは失礼した。まずは挨拶が先だった」
その女子生徒は俺に、その白く美しい手を差し出してきた。
「私は三年A組の
「言われなくても知ってますよ。流石の俺でも、それぐらいは」
何しろ学園でも高い権力を持つ『融和委員会』。その親玉だ。
そうでなくとも俺と真白で偽の恋人を演じるとかいう荒唐無稽な作戦を立案した張本人である。
「たとえ互いに既知であろうと、初対面に挨拶はするものだろう? マナーは守っておく方が無難だからね。……ま、挨拶が遅れた私が言うことではないかもしれないけれど」
「…………」
差し出されたからには無視できない。その手を取り、握手を交わす。
「前から君には一度、挨拶をしておこうと思ったんだ。仮とはいえ、カワイイ後輩が選んだ彼氏役。気にならないというのが嘘だろう?」
「気になってくださってるのは光栄ですが、俺みたいな凡人じゃあ、ご期待に沿えないと思いますよ」
「凡人?」
牧瀬先輩は不思議そうに首を捻る。
「それは謙遜というものじゃないかな? 君が本当にただの凡人だったとしたら、全てのテストでわざと満点を取り逃すなんて手間、かけないだろう?」
くすっ、と。牧瀬先輩は何もかもを見透かしたような目で、笑ってみせた。
「かつて『神童』と謳われた君が、なぜわざわざそんなことをしているのか……非常に興味深くはあるけれど、今日の本題はそこじゃあないからね。突っ込まないでおいてあげるよ」
「……じゃあ最初から突っ込まず、さっさと本題に入ってください」
この会長……人の触れられたくない
確かに『融和委員会』の権力を行使すれば過去のテスト結果ぐらい、幾らでも閲覧できるだろうが……まさかあんな
(…………真白は知ってるのか?)
ふと、浮かんだのはその疑問。試しに視線を送ると、真白は特に気にした様子もない。
「さて。本題に入る前に、まずは注文でもさせて頂こうかな。お店に入った以上、何も頼まないというのは気が引ける」
「生憎と今はココアしか出せません」
「おや。このメニュー表は飾りなのかい?」
「マスターがサボり好きなんですよ。今は昼寝してます」
「なんと。年がら年中閑古鳥が鳴いているとは聞いていたが、それほどとは……私も卒業後は従業員側としてここで働きたいぐらいだ」
「それには同意しますが、やりがいとかが欲しいなら止めといた方がいいと思いますよ……真白も同じやつでいいよな? それしか出せないけど」
「はい。元からそのつもりですから」
「理解があって助かるよ」
鍋とバターを引っ張り出し、すっかり身体に染み付いた手順を進めていく。
最後に沸騰する前に火をとめて、二人分のカップに完成したココアを注いでいく。
「どうぞ」
「うん。確かに」
牧瀬先輩はココアを一口すすると、満足げに頷いた。
「ん。美味しいよ。体の隅々にまで温もりが染み渡るようだ」
「それはどうも」
横目で真白の反応を探ると、彼女もココアを堪能していた。
そのどこか優し気のある表情を見るに、満足してくれているらしい。
「では。客として最低限の義務を果たしたところで、サクッと本題に入り、単刀直入に申し上げよう」
カップを置き、牧瀬先輩は真っすぐな瞳で、こう告げた。
「灰露くん。ダブルデートしてほしい」
「先輩、彼氏いたんですか?」
「いや、居ない」
「……………………」
沈黙してしまったものの、「はァ?」という失礼極まりない言葉を吐かなかったことを誰か褒めてほしい。
「あの、委員長。もう少し説明した方がいいかと思いますよ。灰露くんも困ってますし」
「そうだな。うん。灰露くんが
サラッと人に責任転嫁するのやめろ。下手につつくと、藪からヤマタノオロチが出てきそうなので黙ってるが。
「ダブルデートとはいっても、勿論私ではない。いや、私も年頃の娘だから恋の一つでもしてみたいものだが、生憎と相手がいなくてね。困ったものだよ」
本当に困ったものだよ。もし彼氏の一人でもいたら、俺と真白がわざわざ偽の恋人なんて演じなくてもよかったかもしれないのに。
「順を追って話そう。『融和委員会』は以前から、恋愛相談を持ち掛けられていてね」
「はあ……そうなんですか。大変ですね」
融和委員会はそんなことまでしてるのか。手広くやりすぎだろ。
「うん。その相談者の一人は、私と同じ『内部生』の男子生徒だ。気になる相手がいるのにも関わらず、踏み込めず困っているらしい」
「……その男子生徒が気になってる相手とやらを誘って、俺と真白も参加してのダブルデートってわけですか?」
「そういうことだ。理解が速くて助かるよ」
「理解は出来ても意味は分かりません。なんで俺と真白がそんなことしなくちゃいけないんですか。関係ないでしょう」
ダブルデートということは休日を削られる可能性が高い。
休むべき日に無駄な労力を使うのはごめんだ。
「その男子生徒が気になってる女子生徒というのがね、『外部生』なんだよ」
つまり――――俺と真白が演じているものと同じ、『内部生』と『外部生』の組み合わせということ。だから『融和委員会』に相談したのか。
「君と真白のおかげで、今学園内において『内部生』と『外部生』のカップルが注目を浴びている状態だ。更にそこに、この二人をカップルにすることで、融和を推し進める追い風に仕立て上げたい」
「まあ、言わんとすることは分かりますが……」
俺と真白がどれだけ注目されているかは身に染みている。
だからこそ、ここで『内部生・外部生カップル』のムーヴメントを作りたいのだろう。
「けど、その二人がくっつかなきゃ意味ないでしょう? 逆に玉砕でもしたらマイナス効果ですよ。勝算でもあるんですか?」
「ある」
牧瀬先輩があまりにもきっぱりと言い切るものだから、思わず口を噤む。
「実はその『外部生』の女子生徒から、同じ相談を受けているんだよ」
「……え? それって、つまり…………」
「二人は既に、両想いってことだね」
なんだそのバカバカしい話は。じゃあ、後は好きにやってくれよ。
「ですが……まだ『学内融和』があまり進んでいないこともあって、二人は互いに最後の一歩を踏み出せずにいるんです」
「君も友人の虎居くんから聞いたことはあると思うが、『内部生』と『外部生』のカップルは破局率が高くてね。周りの目もあるし、そこが彼ら彼女らにとって足かせになっているようなんだ」
私も自分の力不足を痛感していたところだ、と言いながら牧瀬先輩はココアを口にした。
「だから、ダブルデートで背中を押してやりたい。君たちという学園でも注目の集まってるカップルなら、それが可能かと思ってね」
「……仮にその人たちが恋人関係になったとしても、その後に苦労するのは当人たちですよ?」
「『内部生』と『外部生』という立場が
それはそうだが、かといってそれを堂々と言い切れるのも凄いな。それぐらいの胆力がなければ、『融和委員会』のボスなんて務められないのだろうが。
「大まかな説明は以上だ。細かいことは真白が資料化してくれているから、それを読むといい。くれぐれも外部に流出させないでくれよ?」
それで、と。牧瀬先輩は最後の一口を飲み干し、問うた。
「やってくれるかい? ダブルデート」
「……どうせ断る選択肢なんて用意してないんでしょう?」
「その通り。断れば契約違反とみなして特別推薦の話は煙と消える。けれど、是非とも君の承諾をこの耳で聞いておきたくてね」
二択だと謳いながら、事実上一択しかない問題を突き付ける。この悪質な手腕は、まさに『融和委員会委員長』の座に相応しい。
そして俺は牧瀬先輩を、心の中で『苦手な先輩』の枠に放り込んだ。
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