第12話 人形姫のお弁当
刃の如き視線に全身を裂かれながら過ごし、長いんだか短いんだか分からない午前も終わり。昼休みを告げるチャイムの音が鳴ってきっかり三十秒。
真白は二つのお弁当袋を片手に近づいてくると、
「約束通り、灰露くんの分も作ってきました。今日は天気も良いですし……中庭で食べませんか?」
いつ何時も変わらぬ、『人形姫』の名に相応しい完璧な笑顔を以てお誘いをしてきた。
よく見ると本当に凄いな。『笑顔』の表情パーツでも付属してるのかと突っ込みたくなるぐらい、変わりない笑顔を向けている。
「お、おぉ……そうだな」
このお弁当も事前に予定されていたもので、恐らく今のセリフだって事前に用意してきたものだろう。何しろ予定表には、ご丁寧に『雨天の場合は中庭から教室に変更』と書いてあったし。
「「「――――……ッッッ!」」」
……血涙を流して弁当を掻き込んでいる男子共など、俺の視界には一切映っていない。そうだ。そういうことにしておこう。
「悪い京介。そういうことだから」
「ん? ああ、気にせずさっさと行け。この幸せ者」
「…………あー……そうだな」
幸せ。確かに今の俺は、周囲には幸せ者に映るのだろうが、実際はただの
日差しを受けて輝く芝生を景色に、俺たちが座ったのは、日差しを遮る真っ白なパラソルが覆うテラス席だ。
同じようなテラス席がいくつかあるものの、俺たちの周囲に限って今は無人状態である。
「皆さん、遠慮しているのか近くには来ませんね」
「空気の読める連中が多いんだよ。何よりじゃないか。……どうせならじろじろと無遠慮に視線を向けてくるのも、遠慮してほしかったところだけど」
「何言ってるんですか。むしろ、もっと注目してもらわないと困ります」
「そりゃ確かにそうだけど……」
傍から見て、俺たちは付き合いたての初々しいカップルにでも映っているのだろうか。
まあ、少なくとも……
「では灰露くん。これから実食というわけですが、しっかりと味を覚えてくださいね。周りの方に感想を聞かれる可能性がありますから。一応、事前に私が味見をして、感想をテキストベースにまとめていますが、それだとボロが出る可能性がありますし……何より無用な嘘が増えることになります。ここは灰露くんが実際に食べてみて、その味を覚えて頂いた方がよいかと。あ、それとお弁当の感想を周囲に人たちに伝える際には、出来るだけ私たちの仲が良好であるものだとアピールしていただけると……」
……ここまで打算と計画性に満ちた会話をしているようには映るまい。
しかも恐ろしいことに、この『人形姫』。談笑しているような雰囲気を出すための鉄壁の笑顔を一切崩すことなくペラペラと喋っている。
「分かった分かった。じゃ、食べていいか。健全な男子高校生の胃袋が、さっきから空腹を訴えて仕方がないんだ」
「そうですね。では、どうぞ」
真白の側に置いてある、角の丸い弁当箱とは別に、恐らく俺用なのだろう。真白のそれよりも大きめのサイズの弁当箱の蓋が開かれる。
卵焼きにミニハンバーグといった定番のものから、ブロッコリーやプチトマトなどの野菜で彩りが加えられている。他のおかずも見てみるに、栄養バランスもきちんと考えられているようだ。実に真白らしい。
料理も出来るとは思っていたが、まさかここまでとは。
「へぇー。美味しそうだな」
「気に入っていただけて何よりです。……あ、感想は後で文章にまとめて送ってください。灰露くんの好みに合わせて調整していきますので」
「いやそこまでしなくてもいいけど……」
弁当一つにここまで本気にならんでも。
……いや、弁当だけじゃないな。こいつはいつだって、何にだって、恐らく全力で取り組んでいるのだ。『完璧』な自分になれるように、願いをこめて。
最低限度の生活を心がけている俺とは、まさに真逆と言えよう。
「じゃあ……いただきます」
「はい。いただきます」
二人で手を合わせて、さっそく一口。最初に選んだのはミニハンバーグ。
弁当というものはたいてい朝に作るので冷めてしまうが、冷めることすら計算の内と言わんばかりの肉のうま味が、口の中に広がっていく。
「どうですか?」
「…………美味いよ」
一口食べた瞬間に「これからしばらくずっと、これを食べれるのは幸せだなー」とか思ってしまった。それを素直に口にするのは恥ずかしく、そっけない感想しか出てこない。
「う~ん……もう少し彼女に微笑みかける感じがベストだったのですが……でも、これはこれで灰露くんらしさが出て素敵だと思います」
……おかしいな。一瞬で冷めたぞ。弁当じゃなくて、主に俺の心が、だが。
それでも悔しいことに味は一級品なので、夢中で食べ進められる。
「では、次の段階ですね」
真白はそう告げると、自分の弁当箱の中に在る卵焼きを小さくカットして箸でつまむ。
それから、いっそ優雅な手つきで、箸で挟んだ卵焼きを俺の口元に向けてきた。
「どうぞ、灰露くん」
「ちょっ、はっ……!? なんだ急に……!?」
「何事も基本が大事ですよ? それにこういった定番イベントは、注目されているうちにこなした方が効果的ですから」
確かに定番っちゃ定番だが……こんな知識、一体どこで学んでるんだ。
……何にしても。俺に退路はない。ここで恋人からの『あーん』を断ると俺たちの仲を疑う者が出ないとも限らないし。
そう。衆人環視の中であろうと、俺はやらねばならないのだ。
「はい、あーん」
「あ、あ――――……」
相手に元より引き下がるつもりはなし。俺はしぶしぶ、口を開けて真白に与えられるがまま甘い卵焼きを迎え、咀嚼した。
「美味しいですか?」
「……ああ。美味しいよ」
味はやはり一級品だ。これで不味ければ悪態の一つでもついてやったところだが、真白桜月が作るものである。美味いに決まってる。
「……良かった。味見はしたんですけど、灰露くんの好みに合ってるかまでは分かりませんでしたから」
はにかむ真白は、そのまま自分の食事を再開する。……ああ、くそっ。なんだか俺だけ一方的に負けた気分だ。
(こうなったら……)
俺も自分の弁当箱からミニハンバーグを小さくカットし、箸でつまむ。
「おい、真白」
「はい?」
「あーん」
先ほどのお返し。
俺もまた、箸でつまんだハンバーグを真白の口元に向ける。
「えっ……!? えっと、あのっ……」
真白は一瞬だけ固まったように硬直したが、たちまち頬を赤く染めてその表情を崩した。
俺が『あーん』をしてくるなど考えもしなかっただろうし、予定もしてなかったのだろう。突発的な襲撃にどうすればいいのか分からず、俄かにあわてふためき始めた。
「は、灰露くん……? えとえと……これって……」
「……演技には必要だろ」
「そ、それはそうですけど……でも、こんなに大勢に見られてるのに……」
「さっき俺にしたのはどこのどいつだよ」
「だ、だってさっきのは……家で何度も練習して、頭の中ではイメージトレーニングもしてましたしっ!」
まさかそんな舞台裏があったとは……白鳥は優雅に泳いでるように見えて足は忙しなく動いてるとか、そんな感じだろうか。
「こ、こんなこと……予定外です……」
「とにかく早くしろ。腕も疲れるし、何より怪しまれる」
「は、はい…………」
真白は髪をすくいあげながら、ゆっくりと口を開き、近づける。
その可愛らしい小さな口にドキッと心臓の鼓動が甘く跳ねた。それを無視するように、俺はさっさとハンバーグを真白の口の中に運んでやる。
「はむっ……」
「…………俺の気持ちが少しは分かったか」
「…………」
真白は言葉を発さず、こくん、と小さく頷いた。
その姿を見て、少しばかり留飲も下がる。少なくともやられっぱなしじゃなくなったのだから。
(…………ん?)
俺も再び食事を再開しようとしたところで、ある事実に気づく。
……いや。これ…………もしかして。
「灰露くん……? どうしたんですか、お箸をじっと眺めて……」
当の真白は気づいていないらしい。彼女もまた、改めて食事を再開していた。
「いや、あのさ……今、気づいたんだけど……」
俺たちは互いの箸を使って、互いの口におかずを運んでたわけで。
それって、つまり。
「今のって……か、間接……その……」
つい言葉を濁してしまうが、それでも真白には伝わったようで。
「…………っ!?」
真白の方はというと、はっとしたように両手で口を覆った。
その顔は恥ずかしそうに、真っ赤に染まっている。
「そ、そういえば……そうでした、ね……?」
「今気づいたのかよ……」
「うぅ……すみません。とにかく定番イベントをこなすことしか頭にありませんでした……」
とはいえ。この衆人環視の中、大っぴらに箸を交換するわけにもいかない。
それから俺たちは互いに気まずくなりながらも、食事を最後までやり遂げたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます