第2章 反転する願い

第11話 絆(?)

 真白との恋人役を演じた初日。

 長い長い一日を終えたあとの休日は、あっという間に過ぎていった。とても同じ二十四時間とは思えない。


 昼だったはずなのに、ちょっと二度寝してるだけで夕方になってるなんて絶対におかしい。きっと誰かが細工したに違いない。


 俺の偉いところは、「昼を無駄に過ごしてしまった。夜更かしして取り戻そう」とはならないところだ。何しろこれでも、健康で文化的な最低限度の生活を営むことを心に決めている身である。『夜更かし』などという、『最低限度』とは真逆の行いはしないのだ。


 そんなわけで、休日にたっぷりと睡眠時間をとった俺は、健康であることは間違いない。

 文化的かどうかは議論の余地アリだとしても、日本国憲法に沿った生活を経て、俺は休み明けの学園に登校すべく、待ち合わせ場所の公園を訪れた。とはいえそれは――――


「灰露くん。今日は、最初から手を繋いで歩きましょう」


 ――――偽の恋人生活の続きを意味するのだが。


「……また学園に近づいてからでいいだろ」


 最低限度の生活を送りたい俺としては無駄だと思いつつ抵抗を試みてみるも、


「今日は時間帯が違いますし、何より他人の目がないところでもキャラを貫き通すのがプロというものですよ」


 真白が得意とする完璧な外面笑顔パーフェクトスマイル却下ブロックされてしまった。いや理不尽すぎるだろ。なんだよプロって。俺に変なキャラをつけるな。訴えるぞ。……仮に訴えたとしても惨敗しそうだ。


「……分かったよ。これも『仕事』だしな」


「はい。『仕事』ですから」


 まあ、こうなることは分かってはいたことだし、これ以上の抵抗はそれこそ無駄だ。

 俺たちは互いに手を繋ぎ、指を絡める。


「「――――っ……」」


 触れて、絡めた瞬間。

 伝わる温もりに、どうしても反応してしまう。いや、正確には……思い出してしまう。

 あの停電の時。こうして手を繋ぎ続けていた時間のことを。


 真白は今日も何事も無いように、長い一日のことなんて覚えてないように見えたけれど――――どうやら、そうでもないらしい。


 ……そしてそれは、俺も同じだった。


    ☆


「あれれー? おかしいなぁ。俺、まだ夢の世界に居るみたいだぜ」

「HAHAHA。奇遇だなマイフレンド。俺も起きてるはずなのに悪夢を見てるんだ」

「いや、これは一種の集団幻覚ってやつだろ。だよな?」

「現代医学が言うんだから間違いない。でなければ…………」


 その男子生徒は、渾身の力を込めたであろう拳を、机に叩きつけた。


「――――真白さんと灰露が付き合ってるなんてことが、現実に起きてるわけないだろ!」


 それはまさに、男子という名の獣共の咆哮であり、悲鳴だった。


「ちくしょぉおおおお! あんなの、週末に溜まった疲れが見せた幻覚だと思ってたのにぃいいい!」

「せっかく願いの叶う壺を買って、団体にも入会したのに全然効果ねぇじゃねぇか! 詐欺だなちくしょう!」

「バカ、諦めるな! 世界がどれだけ闇に包まれても、希望ってやつは捨てちゃあいけないんだよ!」

「幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚……嘘だそんなの羨ましい幻覚幻覚幻覚……」


 怨嗟の渦と殺意の籠った視線。サラッと詐欺師に騙されてるやつもいれば、ぶつぶつと呪詛を吐きながら机に頭をぶつけ続けている野郎もいる。

 俺からしたら、自分の席に座りながらこの光景を見せられている方が悪夢だ。夢なら早く覚めてくれ。怖すぎて泣いちゃう。


「よぉ、大人気だな。妖怪鬼畜大魔王」


「なにその不名誉なあだ名!?」


 登校してきた京介の口から出てきたのは、我が耳を疑うほどに不名誉なネーミング。

 これこそ現実にあっていいものじゃない。


「ちょっ、どういうことだ、教えてくれ! そんな不名誉なあだ名が、もう広まってるのか!?」


「妖怪鬼畜大魔王。天上院学園高等部に出没する鬼畜な妖怪。学園のアイドルを独り占めにして、冴えない高校生活を送る男子生徒たちから唯一の癒しを奪いさる恐ろしい妖怪だ」


「誰が妖怪の解説をしろといったよ!?」


「ちなみに鳴き声は『きーちくちく』らしい」


ざっつ!!」


 やるならせめてもう少し凝れよ!

 くそっ。誰だ? こんな暇潰しに二秒で考えたような、雑なあだ名と設定を作ったのは。


「……ちなみに、これはさっきオレが、暇潰しに二秒で考えたあだ名と設定だ」


「犯人はお前か!」


 まさか目の前にいるとは思わなかった。もう誰も信じられない。


「安心しろ。別にこんなの広まっちゃいないし、広めるつもりもない。恋人が出来て間もない親友に水を差すほど、オレも野暮じゃないさ」


「京介……」


 そうか。そうだよな。いくらなんでもこんな不名誉なあだ名をこいつが広めるわけがない。

 もう少し、親友ってやつを信じてやらなきゃな。


「妖怪鬼畜大魔王……?」

「確かにそうだな……奴は鬼畜極まりない」

「ググってみたんだが、鬼畜って『残酷で恥知らずな者』という意味があるらしいぞ」

「そりゃピッタリだ。これからは奴を鬼畜大魔王と呼ぶことにしよう」


 …………。


「おいコラ。一瞬で広まってくんだが?」


「すまん。悪気はなかった」


「あってたまるか!」


「気にするな夜音。人の噂もなんとやらだ」


「それは元凶が吐くセリフじゃないからな!?」


 この親友は欠片も信頼できないようだ。俺の学園生活どうなってるの? 妖怪になって畏怖でも集めちゃうの? そもそもなんだよ。鬼畜大魔王って。せめて妖怪なのか魔族なのかハッキリしてくれ。


「でもまー……こうやってバカみたいに騒いでくれてる奴らは、大丈夫だよ」


 鞄から教科書を取り出しつつ、京介は零す。

 その言葉に俺は首を傾げた。


「……どういうことだ?」


 京介は周りに聞こえないようにするためか、声のボリュームを落とし、


「『内部生』は、なまじ権力があるせいかプライドの高い連中が多い。お前みたいな『外部生』に真白桜月という『華』を取られたことは、腹の底じゃ面白く思ってないはずだ」


 ……言われた通り、教室にいる『内部生』の生徒からそうした視線を感じることはある。

 このバカ騒ぎに紛れて気にならなくなってるけど。


「奴らのやり口はごく普通だが陰湿だぞ~? これは実際にあったことらしいが……たとえば陰口を聞こえるようにしたり、露骨に嘲笑ったり、物を隠したりとかな。もしうちのクラスの大半が『内部生』だったら、教室の空気は今頃、昼ドラも真っ青のドロッドロになってたところだ」


 そして京介は、呪詛を吐きまくってる野郎共に視線を送る。


「ああやってバカ騒ぎしてくれてるおかげで、教室の雰囲気もどこか明るいだろ?」


「……確かに。注目されて疲れることはあるけど、不快感はないな」


「あいつらは全員、オレやお前と同じ『外部生』だ。あれでも気を使ってくれてるんだろうぜ。お前を『内部生』の悪意から守るためにな」


 そうか……そうだったのか。『内部生』とか『外部生』とか、そういう派閥の問題は今まで関係ないかと思ってたけど、そうじゃなかったんだな。

 いつの間にか、派閥の絆というものに俺は守られていたらしい。


 京介があだ名なんてものを作ったのも、そうした気遣い故なのだろう。良い仲間を持ったことに、感謝しないとな……。


「……ん?」


 スマホのメッセージアプリからの通知。

 差出人は真白だ。


 ――――委員長から、灰露くんと私に相談したいことがあるそうです。お仕事中にはなってしまい恐縮ですが、放課後、喫茶店にお邪魔させていただきますね。


 委員長というのは……融和委員会の委員長か。

 この偽者の恋人などという荒唐無稽な作戦を立案した張本人。

 嫌な予感がするな。でも俺は今日、『ウインドミル』でバイトがある。そこに自ら赴いてくる以上、避けようがない。


 ――――分かった。


 スタンプすら添えない、そっけない一文を返信する。

 まるで業務連絡だ。いや、実際のところ業務連絡か。

 そうして、やり取りが終わったと思ったところで……スマホに再び、通知が入った。


 ――――予定通り、お弁当を作ってきました。お昼休みに、一緒に食べましょうね。


 これもまた業務連絡に過ぎない。それにこんな念押しされずとも、そういう予定であることは予定表の段階で示されているし、今朝の段階でリマインドもされている。


 そんなに信用ならないってことかと思い、何気なく真白の席に向けると……、


「――――っ……」


 真白と、目が合った。

 時間にして数秒ほど。そうして真白は照れくさそうに、小さく微笑んで。


 ……今送られてきた、昼休みに一緒に弁当を食べるというメッセージが、ただの業務連絡ではなく……私的プライベートなものであったのだと、そんなことを思った。思ってしまった。証拠なんてないし、根拠があるわけでもないのだけれど。


「――――」


 真白の口が動く。声を出さず、桜色の唇がゆっくりと、口パクで言葉を紡ぐ。


 ――――たのしみにしてますから。


 たったそれだけ。それだけのことなのに。

 どうしてか、不覚にも……胸が高鳴ってしまった。


(……なんか、返事してやるか)


 真白との密やかなやり取り。再び起動させたスマホのメッセージアプリに、何を打ち込むべきか。たった一言、たった一つの文章で良いはずなのに、俺の指はピタリと止まって動かない。業務連絡で返事する時とはまるで違う、仄かな緊張感が全身を包み込む。


 一瞬だけ、深呼吸。そうして、俺は返事を――――


「…………おい。なんだあれ。見つめあってたぞ」

「俺、進路決めたわ。妖怪ハンターになる」

「奇遇だな。俺もだ。一緒に諸悪の根源、妖怪鬼畜大魔王を狩ろうぜ」

「幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚幻覚げんげんげんげんげんげげげげげげげげ」


 ……………………。


「……京介。『外部生みうち』から、気遣いどころか本気の殺意を感じるんだが……」


「男の絆は、儚く脆いってことだな」


 うんうんと一人頷く京介に、俺の肩はがくりと落ちた。


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