第16話 真白桜月に関わる理由

 翌日も。


 真白桜月はいつも通り、真白桜月という完璧にんぎょうを演じていた。

 朝も普通に一緒に登校して、お昼も一緒に食べて。

 そんな日がしばらく続いた。昨日のことなど、まるで何もなかったかのように。


 母親のことなど、欠片ほども顔に出さずに。


 ――――真白桜月は、変わらず『完璧』だった。


「…………なぁ、京介」


「んー。なんだ?」


「お前ってさ。真白のこと、どれぐらい知ってる?」


「コンクリ詰めにして海に落とすぞ」


「殺意が高いな!?」


「惚気にしか聞こえん話題を振るお前が悪い」


 昼休み、友人に対して何気なく話題を振ったらコンクリ詰めにされて海に落とされそうになることがあるだろうか。それはあまりにもあんまりだ。


「オレより彼氏であるお前の方がよく知ってるだろう?」


 本当の彼氏だったらそうかもしれないけど、俺はそうじゃない。

 とはいえそれを口にするわけにもいかず。


「……今のことじゃなくて。もっと昔のことだよ」


「もっと昔ぃ? いつ頃のだ」


 ここで「もっと知るか」じゃなくて「いつ頃の」と来る辺り、京介の情報収集能力の高さには驚かされる。


「えーっと……たとえば、そうだな。小学生の頃とか」


 なぜここで小学生を指定したのかといえば、それは無意識の内に自分を重ねたからだろう。思うに、俺と真白は似ている。致命的に違う部分があるけれど、似ているところがある。だからかもしれない。俺もまた、小学生の頃に家族が壊れてしまったから。


「小学生か……中学ならともかく、流石にその時期の情報はあまりないな」


「『あまり』ってことは、何か知ってるのか?」


「といっても、大した情報ものじゃないぞ。せいぜいが、牧瀬先輩とその頃から交流があったということぐらいだ」


「牧瀬先輩? それって……牧瀬真希絵先輩か?」


「そう。この天上院学園生なら誰もがご存知の、天下の融和委員長様だ。そもそも牧瀬家と真白家は古くから交流があるらしくてな。真白も牧瀬先輩も互いに、幼い頃からの顔見知りというわけだ」


 真白が融和委員会に入っているのも、牧瀬先輩から誘われたりしたということがあったのかもしれない。


 ……牧瀬先輩の連絡先なら、前に『ウインドミル』を訪れた時に交換させられたから接触は出来るはずだ。


「なんだ。今度は浮気でもするのか? 『人形姫』のお次は融和委員会の親玉とは、お前も随分な自信家になったもんだ」


「人聞きの悪いこと言うな。ちょっと訊きたいことがあるだけだ」


「ふーん……訊きたいこと、ねぇ」


「……なんだよ」


「いや? ちょっと珍しいなと思っただけだ」


 京介は肩を竦める。


「お前は何でもかんでも全力は出さずに手を抜く癖があるからな。そんなお前が、自分から何かしようとしてる。それが珍しいと思っただけだ」


 ……言われてみればそうだ。

 こんなふうに誰かのことを考えて、誰かのために何かしようなんてこと、なかったな。

 いや、違うな。厳密にいえば、昔はそうだったと思う。ただ今はそうじゃないだけで。


 でも……じゃあ、どうして。俺は自分の主義を曲げてまで動こうとしているんだろう。


「なるほど。恋ってやつは人を変えるらしい。なんだか知らんが、面白そうだから応援してやるよ」


     ☆


 未だ答えの出せぬまま。

 俺は牧瀬先輩と連絡をとって、二人だけで会う約束をこぎつけた。

 とはいえ、俺と牧瀬先輩が人前で堂々と会うことは出来ない。何しろ融和委員会委員長と二人でいるところを見られれば、偽装恋人作戦の件に気づくきっかけになるかもしれないからだ。


 そういうわけで今度もまた、『ウインドミル』に集合することになった。


 わざわざ俺がバイトの時間に合わせてもらい、俺は店員として、彼女は客としての立場で顔を合わせる。


 こうすればもしも学園の誰かに見られても言い訳がたつし、何より、


「そんじゃ、あとヨロシクー」


 ……マスターもサボりたがりなので、聞かれたくない話をするにも仕事をサボってお喋りに集中するにも都合が良かった。


「いやはや、驚いたよ。まさか君の方から連絡をくれるとはね。てっきり私は嫌われてるのかと思ったが」


「嫌ってるんじゃなくて、苦手なんです」


 言いながら、温かいココアの注がれたカップを置く。


「それは失礼した。……で? その苦手な私に連絡をとってまで、何の御用かな。もしかして、浮気でも考えてるのかい? 君がその気なら私もやぶさかではないが、カワイイ後輩が泣く姿を見るのも忍びない。ここはお互い涙を呑んで、茨の道を諦めようじゃないか」


 京介と同じようなことを言ってるはずなのに、この人はどうしてこうも言葉が多いのか。


「そのカワイイ後輩……というより、真白のことについて、先輩に訊きたいことがあるんです」


「ほう。確かにここ最近、君の様子が少しおかしくはあったが」


 別にそこまで露骨に顔には出していなかったと思うが……というか、見てたのかよ。

 融和委員に監視でもされているのか。


「何を訊きたいのかな? スリーサイズなら答えてあげられるが」


「答えなくていいです」


「なるほど。既に把握してるぐらいには仲が進展したと。やるじゃないか」


 俺もうこの人と会話するのやめていい? 疲れたんですけど。


 ……が、そういうわけにもいかないので、ここは本題をねじ込んでおこう。


「真白の母親について、何かご存知ありませんか」


 差し出した本題。てっきりまたお喋りな口が何かを紡ぎだしてくるのかと思ったが、今度はいっそ不気味なほどに……心なしか、威圧感さえ感じるほどに。


 牧瀬先輩は、黙り込んだ。


「……ここ最近、君の様子がおかしかったのはそういうことか」


 ココアを口にした後、先輩は俺の目をじっと見つめる。


「真白の家の事情を、多少なりとも訊いたんだね。……周りから漏れるとは考えづらい。君の友人であるところの虎居君でも掴み切れていないはず……となると、真白本人が話したのかな?」


「……はい。先日、この近くで母親を見かけたみたいで。その時に、ちょっと」


「そうか……で、君はどこまで把握している?」


 それから俺は牧瀬先輩に、真白から聞いた内容を話した。


 厳しい祖父がいたこと。

 幼少の頃から『完璧』を求められてきたこと。

 母親が心を壊してし、家を出て行ってしまったこと。


「……なるほど。それで?」


 先ほどまでは必要のないことをペラペラと喋っていた先輩の口は、まるで門でも閉ざしてしまったかのように固く、重くなる。親しみやすさは完全に失せ、こちらを試すような目だけが残った。


「これ以上、私に何を訊きたいのかな? 言っておくが、その件に関しての大筋は君が話した通りだ。そこから先のことで、君が知りたい情報は出てこないと思うよ」


「俺が訊きたいのは一つです」


 確かに大筋はその通りなのだろう。


「――――真白の母親は、アイツに一体何をしたんですか?」


 大筋は・・・、だ。


「…………」


 牧瀬先輩は答えない。ただ俺が入れた甘いココアを口にするだけ。


「確かに真白の話に嘘はないのでしょう。大筋も話した通りなのでしょう。だけどアイツの話には、意図的に省いた箇所があった」


「どうしてそう思った?」


「アイツが言ったんです。父親は『完璧な人間なんていない』『桜月のせいじゃないよ』『もう頑張る必要はないんだよ』と言ってくれたって」


 俺が聞いたのはそれだけだ。


 両親・・ではなく、父親・・の言葉だけだった。


 あの話には、重要なピースが一つ欠けている。


「でも――――肝心の母親・・が何を言ったのかは、話さなかった」


 牧瀬先輩はそれからしばらく、カップの中に残ったココアを見つめていた。


 店内にある時計の秒針がたっぷり一周した頃。


「……『神童』は健在、といったところかな」


「茶化さないでください」


「いや。本気だよ。……うん。確かに、真白の母親について、君の知らないことがある」


 そう言って牧瀬先輩はカップから視線を外し、


「だけど、今の君にそれを話すつもりはない」


「……俺が偽物かりそめの恋人だからですか」


「そういうわけじゃない。それ以前……君自身のことだよ」


「俺自身の……?」


「君は勉強でも運動でも、常に意図的に一歩足りない結果を出すようにしている。まるで『完璧』というものを嫌悪しているかのように」


 彼女は、俺の瞳を射抜くように見つめる。


「それ自体は構わない。君が必要最低限の労力で生活していようと、それは君自身の信条だからね。いかに融和委員会委員長といえど、一個人の生徒の生き方までは曲げられないし、そんな権利も権限もない。だけど……」


 その眼はまるで放たれた矢。


「そんな中途半端な気持ちで、君は真白に踏み込むつもりなのかい?」


「……っ…………!」


 俺の心を、彼女の矢が容赦なく貫いた。


「必要最低限というのなら、今まで通り恋人役に専念してもらえばいい。ダブルデートのこともあるしね。それでいいじゃないか。生憎と私は、半端者に人様の事情を語るほど薄情でもないよ」


 それは、俺が考えていたこと。それでいて、答えが出せずにいたこと。

 答えが出せないまま。曖昧なままだったそれを――――牧瀬先輩は見抜き、容赦なく穿った。


「これ以上は真白桜月という個人にんげんの問題だ。そこに必要以上に関わる理由が、君に在るというのなら」


 逃げることなど許さない、と。彼女は言外に語る。


「聞かせてもらおう。君が、真白桜月に関わる理由を」

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