第9話 思いがけないご対面

「…………あ」


 そのことに気づいたのは、止まぬ雨の中を傘をさして真白と共に歩いている時であった。


「悪い。お前の荷物……俺ん家に置きっぱなしだった」


「そういえばそうでしたね。私もうっかりしていました」


 家に着替えを取りに行く前に、真白の分の荷物もついでに俺の家に避難させていたんだった。戻ってくる時に持ってくるつもりが、慌てていたために完全に忘れていた。


「仕方がない……取りに行くか。お前は近くの店とかで待ってろ」


「私もご一緒させてください。元々、私のためにしてくれたことですし」


 ここで譲り合いをしていても時間の無駄だ。素直にその申し出に甘えることにした。


「それに興味あるんです。灰露くんのおうち」


「別に面白いもんじゃねーぞ。お前の実家に比べたら犬小屋だ」


「彼氏のお部屋にお邪魔してみたいというのは、彼女として普通の気持ちだと思いますけど」


「そりゃ普通の場合だろ。俺らの場合は『仮の』だろうが」


 路地裏から徒歩数分で辿り着いたボロアパート。

 学園のアイドル。外部生が誇る『人形姫』を招くにはあまりにも不釣り合いだ。


「お邪魔します」


 礼儀正しく一礼してから、朝は妹と順番待ちをすることになる狭い玄関を上がる真白。


「どーぞ。……つーか、荷物引き取ったらさっさと帰れ」


「せっかく彼女が来たのにその反応は如何なものかと思いますよ」


「だァから『仮の』だろ。……ほれ、お前の荷物」


 真白が普段から愛用しているであろう、緑色のエコバッグを手渡してやったその瞬間、


「ただいまー」


 ――――紫音が、扉を開けて帰宅した。


「にぃに帰ってたんだ。わたし忘れ物しちゃってさー。慌てて取りに帰ったら急に雨が降ってきて……って、あれ?」


 ばっちりと。紫音と真白の視線が、見事に合ってしまった。


 ……愛する妹の帰宅はいつだって歓迎してきた俺だが、それでも今だけは帰ってきてほしくなかった。


 いや、とはいえ今の真白は制服姿じゃない。髪もおろしているし、服だって俺のシャツを着ているから……写真でしか知らない紫音は気づかないかもしれない。


 頼む神よ、俺に奇跡を見せてくれ!


「…………真白桜月さん?」


 神は死んだ!


「あ、えっと。はい。真白桜月です。お邪魔してます」


 玄関から入ってきた時のような礼儀正しさとは違い、ぺこりという音が聞こえてきそうなぎこちない一礼をする真白。

 対する紫音はというと、目の前の光景を受け入れようと必死に脳をフル回転させているのだろう。口から言葉を紡ぐことなく、僅かな沈黙を経て――――、


「え、うっそ! にぃにの彼女さんって、真白桜月さんだったの!?」


 うちの妹は相変わらず察しが良いなぁ……。


「えー! うそうそうそっ! どういうこと!?」


「…………色々と事情があるんだよ」


「色々ってなに!? どういう事情!? 何をどうやったら、にぃにが真白さんと付き合えるようになるのさ!?」


「灰露くんがアルバイトをしている喫茶店で、私の方から告白させていただきました」


 出た『恋人設定なれそめ』。しかも面にいつもの完璧な笑顔を張り付けているときた。


 それから紫音はひとしきりの質問をしたものの、真白は『恋人設定なれそめ』を用いて全てを完璧に迎撃してみせた。

 傍から俺が聞いてても矛盾や気になるようなところは一つもなく、改めてこいつの『完璧さ』には舌を巻く。


「へぇー。神様っているもんなんだねぇ。こんな奇跡をお目にかかれるとは思わなかったよー」


「そうかな……俺はもう死んでると思うけど」


 神はなぜ妹のもとに現れ兄のもとには現れないのか。もしかすると神様というやつは妹属性が好きなのかもしれない。それには大いに同意する。


「でもやるね~にぃに。付き合って間もないのに、いきなり彼シャツなんてさ」


「ちょっと待て。どこでそんな言葉覚えてきた。お兄ちゃんに教えなさい」


「なんでさ。別に普通でしょこれぐらい。……っていうか、そーいう過保護してると、嫌いになっちゃうよ」


きらっ……!?」


 想像しただけで心が粉々に砕けて日本海の潮風に乗って彼方まで流れてしまいそうだ。

 人間とはこれほどまでに脆く儚い生き物だったのか。


「あ、そーだ真白さん。せっかくですし、うちでゆっくりしてってくださいよ」


「お前、何言ってんだ」


「いーじゃん別に。雨で洗濯物も洗い直しになっちゃったからさ。ついでに真白さんの服も洗ったげなよ。その服で帰れっていうのも酷でしょ」


「う…………」


 確かに。今の真白は俺が貸した服を着ている状態で、当然サイズも合ってない。

 それだけに目立つし、そうした視線にさらされたまま帰らせるというのも、真白に悪い。特に今日は、注目されてる状態で過ごすことがどれだけ精神的負担になるかを実感しただけに。


「…………分かったよ。洗って、服を乾かすまでの間だぞ」


「彼シャツ姿の彼女と二人きりで過ごせるというのに、乗り気じゃないなぁ……にぃに、本当に男の子?」


「そりゃ男だよ……って、二人きり?」


「うん。言ったでしょ。わたし、忘れ物取りに来ただけだし」


 そういえばそうだった。その忘れ物のせいでこうなってるということも思い出した。


「あ、真白さん! 良かったら連絡先、交換してくれませんか! あと写真もっ!」


 真白桜月の連絡先と写真までゲットするか。それを欲しがる人間が天上院学園にはどれだけいることやら。


 我が妹ながら、ちゃっかりしてるな。……いつか男を手玉に取りまくってコレクションするような悪女に育たないことを祈っておこう。


     ☆


「そういうわけなんで、あとは恋人同士ごゆっくり~」


 真白の服を洗濯機に放り込んで、忘れ物と俺が買ってきたプリンアラモードを回収してご満悦になった紫音は、機嫌よくお泊り会に戻った。


 部屋に残されたのは妹曰く『彼シャツ』姿の真白と、くたびれた俺の二人だけになって。


「…………」


「…………」


 仄かな気まずさ。原因は分かってる。紫音のせいだ。

 あいつが『二人きり』だの『彼シャツ』だの、意識してなかったことを意識させたからだ。

 いくら仮の恋人で、契約関係にあるとはいえ――――真白だって気まずいに決まってる。ぶかぶかの頼りない服を着ている状態で男子と二人きり。


「……なんだか今日は、思っていた以上に色々とありましたね」


「……そうだな。朝早くから呼び出されて、おかしな資料を見せられて、質問責めに合って、スーパーでばったりと出くわして、銭湯に入って……」


 一日の密度じゃないだろこれ。


「これが一日目か……先が思いやられるな」


「ふふっ。頑張っていきましょう。お互い、目的があるわけですし」


 沈黙が途切れ、空気も和らいできた。気まずさはもうどこにもなく、話しやすい雰囲気が形作られていたその瞬間――――。


「――――ひゃっ!?」


 雷鳴が閃き、近くから轟音が響いてきた。そしてテレビの画面は消え失せ、部屋を照らしていた明かりまでもが漆黒に落ちた。


「…………て、停電?」



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