第7話 放課後のエンカウント

「全身筋肉痛になったみたいだ……」


 帰宅した途端、いつもとは比にならない疲労感がどっと身体を襲った。


 今日は一日中、人の視線にさらされっぱなしだった。自分の一挙一動が常に監視されているような感覚。ミスの許されない、綱渡りのような時間。


 家にたどり着くまで心休まる時がなかった。『真白桜月の彼氏』というのは想像以上に大変らしい。だがこの疲労感と同時に『真白桜月』という少女がいかに注目されているかも分かる。そして、この常に人の視線にさらされるプレッシャーを、彼女はいつも一人で感じていたことも。


「……物好きな奴もいたもんだ」


 俺ならすぐに投げ出してしまうだろう。いや、もう投げ出しているといった方が正しいか。

 最低限度の生活を心がけている身としては、真白桜月は必要以上の労力を使っていると言わざるを得ない。


「……ま、明日はせっかくの休日だ。リフレッシュさせてもらうとするか」


 今日、母さんは取材で泊り。紫音も友人の家に泊まるとかで家にいるのは俺だけだ。

 入れていたバイトも、店長の都合で今日は店を閉めることになったのでキャンセルされたし。このまま何か余った食材で炒め物でも作るか。


「……って、悲しいほど何にもないな」


 リサイクルショップでの出会いから使い続けてきた、我が家のお古の冷蔵庫に入っているのはもやしの欠片が少々。育ち盛りの男子高校生にとって、これはあまりにも酷だ。


「仕方がない……ついでに買い出しだ」


 誰もいないなら簡単に済ませてしまおうと思ったけど、カップ麺の一つもないとなると動かざるを得ない。最低限度の労力を捻出してエコバッグを掴み、近くのスーパーに向かう。


「そういえばこの時間帯に買い出しに来るのも久しぶりだな……」


 高校に入ってからは何だかんだと紫音がこまめに買い出しをしてくれていた気がする。おそらく、進学してた俺が環境になれるまで、学園生活に集中できるようにという紫音の配慮だろう。今日いきなり友達に家に泊まりに行ったのだって、俺に彼女が出来た(と思っている)から配慮したといったところだろうか。気遣いの出来る妹だ。


 ……いや、そうなってしまったのも俺のせいか。俺が原因で両親が離婚してから、紫音は家のことも率先して手伝うようになったし、周りに対する気配りも少しずつ覚えていった。気遣いのできる妹になったのも、そうした積み重ねがあったからだろう。


「ちょっと、奮発してやるか」


 馴染みのスーパーの中でも普段は滅多に立ち寄ることのないスイーツコーナーへと足を向ける。紫音の好物であるプリンアラモードはちょうど最後の一つが残っていた。

 無駄遣いだよ、と怒られそうではあるが、そこはそれ。家計ではなく俺のお小遣いから出しているので問題ないと言い張ってやろう。


 何しろこのスーパー、近年のコンビニスイーツに対抗しているのか、スイーツ関係にかなり力を入れている。そのかいあってか味の評判も良く、特にこのプリンアラモードは絶品で紫音のお気に入りだ。


 言いくるめられた妹が好物を食べる光景を想像しながら、ラスト一個のプリンアラモードへと手を伸ばすと――――、


「「――――あ」」


 ちょうど、まったく同じタイミングで伸びてきた手と触れ合った。

 抱く違和感。過ぎる姿。……だけどそれは、錯覚だろう。


 どうやら不幸にも、同じものを目当てとしている人と、かち合ってしまったらしい。

 これが自分のなら譲っていたところだが、今回は愛する妹の笑顔がかかっている。何とかして譲ってもらおうと、隣を見た瞬間。


「…………灰露くん?」


「えっ……?」


 聞き慣れた声と、触れた指先の違和感……否。抱いた既視感の正体が鮮明になる。


「真白……?」


 一瞬、己の眼を疑った。幻覚とさえ思った。

 何しろあの真白桜月が、こんな庶民的なスーパーに居るとは思えなかったからだ。


 なので改めて、隣で呆気に取られているように棒立ちしている女の子の姿をじっくりと観察する。


 こんな庶民的な場にはいっそ不釣り合いとさえ思えるような、気品ある金色に彩られた長い髪。いつもはツーサイドアップにしているそれを、今は後ろで一つに束ねている。


 服装は制服ではなく、明らかに『楽であること』を優先したような白いTシャツ。主張する豊満な胸が押し上げて形が少しばかり歪んでいるが、シャツには力強い文字で「十全十美」と書かれてある(地味にダサいな)。更にその上からはパーカーを羽織っており、下はショートパンツにサンダル。


 長距離を移動できるような服装じゃない。何度見ても、『女子高生が近所のスーパーに買い物に来た』ようにしか見えないけれど。


「ど、どうしてここに……今日は、喫茶店のアルバイトが入ってたはずでは……?」


「え? あ、ああ……店長の都合でさ、今日は店を閉めるって言われて、急に暇になったんだ……」


「そうだったんですか!?」


 真白は驚き、自分の服装と俺とを改めて何度も視線を巡らせて。


「……ど、どうしてそれを教えてくれなかったんですかぁ~!」


 顔を真っ赤にして、今にも泣きそうになりながら怒り出した。

 かと思うと、その小さく柔らかい手でぽかぽかと俺の胸を叩いてくる。

 別に痛くはないが、絵面的に俺が意地悪をしているみたいで居心地が悪い。


「事前に教えてくれないなんて反則ですっ! この時間は灰露くんがアルバイトをしているというから、楽な服装をしてたのに……! 言ってくれたら、もう少しマシな格好をして出歩いたのにぃっ……!」


「ちょっ、分かった、分かったから! なんか知らんが、落ち着け!」


 いやほんとなんか知らんけど落ち着いてほしい。

 俺だってまだ頭がついていかないのだから。


「こんなの予定にありません! うぅぅうううううう~~~~……!」


 しかし、真白は止まることなく、ぽかすかと俺の胸を叩いてくるばかりで。

 どうにかしてこの『人形姫』様を落ち着かせる方法は無いものか。


「え~っと……」


 周りにこの状況を打破できる何かがないかと見渡すものの、あるのは俺に対して白い眼を向ける連中と、このスーパー自慢のスイーツばかりで……。


「……プリンアラモードは貰ってくが…………欲しいのがあるなら、奢るぞ?」


「……………………いちごのショートケーキでお願いします……」


 余計な出費が出た気もするが、女子を泣かせた男に拒否権などあるはずもない。

 俺は余計な口は出さず粛々と会計を済ませると、当初の予定にはなかったスイーツ一つ分の重みが加わったエコバッグを掴んで、恥ずかしさのあまりか黙りこくった真白と共に店を出て、二人で帰路についた。彼氏役として、真白の分のエコバッグも俺が持って。


「…………」


「…………」


 会話は無い。いや、どう切り出せばいいのか、そのタイミングを逸してしまったというのが正しいか。


「……ん?」


 頬に冷たい何かが落ちた。かと思うと、すぐに空から無数の雫が徐々に降り注ぎ――――、


「うわっ」


 いつの間にか、どしゃぶりの雨が降り始めた。


 どうやら天気予報が盛大に外れたらしい。周りの人々は傘を持っていない人が大半で、手持ちの荷物を傘代わりにして雨道を駆け出していく。俺たちもそれに紛れて、近くにある屋根の下まで非難した。


 荷物が濡れるのは嫌だが、ここからなら家まで近いので走れば何とかなりそうだ。


「真白。家は近いのか?」


「元々スーパーまで徒歩で来たので、遠くはありませんが……」


 それ以上、真白は特に言葉は発さなかったものの、様子を見た感じでは雨の中を帰るには遠い、といったところか。


「くちゅっ」


 やけに可愛らしいその声が、くしゃみだと分かるのに数秒ほどかかった。

 真白は微かに震えている。雨でべったりと張り付いた服が体から熱を奪っているのだろう。


(さっさと風呂に放り込まないと、風邪でも引きそうな勢いだな……)


 俺の家なら近いので、案内して風呂に入れるか。……いやいや。紫音がいるならともかく、家に俺しかいない状況で風呂に入れるのは色々と問題があるか。


 ……ん? いや、待てよ。家は無理でも、あそこなら…………。


「おい真白。もう少し走れるか」


「はい。それは勿論」


「ならついてこい。良いところに連れてってやる」

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