第5話 長い一日のはじまり

 行動計画表という御大層な(前半のラブラブなんたらという文字は見なかったことにする)ものを作ってもらった手前、無視するのも目覚めが悪い。


 健康で文化的な最低限度の生活を営むことを信条としている俺としては甚だ遺憾ではあるが、今日はわざわざ早起きをして朝の六時なんていう時間に近所の公園まで呼び出されてやったのだ。


 いつもこの時間帯、惰眠を貪っている俺にしてはこの時点で既に良くやった方だろう。まだ今日という日が始まったばかりだというのに、いきなり最低限度どころじゃない労力を使ったのだから。


「……マジか」


 件の公園は、夏休みになると近所の子供たちがせっせと朝のラジオ体操に励むことが出来るぐらいの広さはあるものの、簡素なベンチや鉄棒、ブランコがあるだけ。公園にしては飾り気が無い。俺が小学生の頃にはあったジャングルジムは時代の流れと共に撤去されていて、ここを訪れるたびにノスタルジックな気持ちに包まれる。


 そんな時代の流れに押されつつある地味で素朴な公園に、一輪の花が咲いていた。

 花、といっても植物ではない。見目麗しい女の子だ。

 彼女はベンチに座りながら、カバーのかかってタイトルの隠蔽された本を読んでいる。


 言うまでもなく、真白桜月である。まさか先に訪れていたとは……しかもあの様子を見るに、それなりに前から居たらしい。


「悪い。待たせたか」


「いえ。時間ピッタリです」


「……ちなみにお前、いつからいた」


「ちょうど……十五分前ですかね」


 ピッタリ十五分前行動か。完璧と称される真白らしい。最低限度の生活を送るよう心掛けている俺からすれば眩しいぐらいだな。


「よくやるなぁ。ちょっと遅れたって誰も文句は言わんぞ。早起きなんて辛くないか? ちなみに俺は辛い」


「早起きは三文の徳と言いますから。むしろ灰露くんは、いつも教室に入るのが遅いですよ? 遅刻寸前じゃないですか」


「いいんだよ。俺は遅刻しないようなギリギリのラインを見極めて登校してるんだ」


「少し早く起きるだけで、その労力を使わずに済むんですけどね」


 くすくすと笑って見せる真白の顔は愛嬌があり、一切の嫌味がない。

 容姿端麗で、成績優秀で、十五分前行動をしてくるような真面目さんともなると、普通は近寄りがたくなるようなもんだが、真白桜月は皆に愛されている。


 談笑するぐらいの人付き合いは出来るし、教師からの信頼も厚く、それでいて嫌味なところがない。

 程よく人と付き合って、叩き出す結果は常に最高。

 周りが完璧だのなんだのと口にするのも良く分かる。


 ――――それが俺には、どうにも好きになれない。


「それで? 俺の貴重な睡眠時間を削ってまで呼び出した理由はなんだ」


 行動予定表には『打ち合わせ』としか書いていなかった。


「昨日は契約を結んで終わってしまったので、改めて口裏を合わせておこうかと」


「ああ、なるほどな。そりゃ確かに大事だ」


 そうだよな。周りに俺たちの(仮の)関係をアピールしないといけないんだもんな。


 ……あー。今から嫌になってきた。


「時間がなくて昨日は行動予定表しか添付できなかったのですが……ちょうど今、私たちの『なれそめ』の作成が完了しました。ご確認ください」


「は? なれそめ?」


 いきなり飛び出してきた聞き慣れぬワードに虚を突かれていると、ポケットの中のスマホが軽快な通知音を鳴らした。

 真白からのメッセージ。『設定表』という名前の添付ファイルを開く。


「…………おい。なんだこれ」


「見ての通り、私たちの『なれそめ』です」


 にこりとした完璧な表情を張り付けたまま、真白は淡々と言葉を続けていく。


「付き合うに至った経緯や、お互いのどこをどう好きになったか……そうした『恋人』としての『設定』を資料化して、私なりにまとめてみました」


 資料のタイトルは『ラブラブカップル大作戦 恋人設定』というふざけているのか真面目なのか判断がしかねるもの。中身はご丁寧に絵や図解を駆使しつつ、覚えるのに無理のない分量・かつ分かりやすく俺と真白桜月という偽者カップルの『設定』が記載されている。


「口頭で概要を説明しますと、私たちが付き合うことになったのは昨日。喫茶店で、私の方から告白した、ということにしてあります。あの場に虎井くんも居たということもありますが、一から全て嘘をつくよりは、ある程度の事実を織り交ぜた方がバレにくくなりますし。……続けて私が告白した理由ですが、以前から灰露くんのことが気になっていたことにしようかと。具体的にですが――――」


「いや。ちょっと待て。ストップ。俺を置き去りにしないでくれ」


 思っていたより斜め上すぎるものが藪から飛び出してきて眩暈がしてきた。


「資料にどこか、分かりにくいところでも?」


「いや、この資料自体は分かりやすいんだけど」


 うん。資料は良いと思う。どこの会社員だよと突っ込みたくなるが、朝で頭が回らない今の俺でもすらすらと読めるほどだ。


「…………お前さ。昨日は行動予定表とやらも作ってなかったか?」


「はい。作ってましたが……あっ、もしかしてそちらの資料に何か不備があったとか?」


「いや不備はなかったけれども」


 そうじゃなくて。


「その後に、これを作ったのか? わざわざ?」


「はい。途中で仮眠はとりましたが、何とか間に合いました」


「………………………………悪い。ちょっと引いてる」


「えぇっ!?」


 がーん、という擬音が俺の眼にも浮かぶほどに、真白はショックを受けていた。


「ど、どうしてそうなるんですか!? せっかく頑張って作ったのにっ!」


「『打ち合わせ』っていうから、ちょっと話し合って口裏合わせるだけかと思ってのに、ここまで本気ガチ過ぎる資料ものが来るとは思わんだろ! そりゃ引きもするわ! お前は複雑な設定を作りこむだけ作りこんで本編をストーリー付き設定資料集にするラノベ作家か!」


「酷いです灰露くん、いくらなんでもあんまりです! 最近作った物の中じゃ一番の出来栄えになって、朝からちょっと嬉しかったのに……! 私のハッピーを返してください!」


「知るか! むしろこんなもん日頃から作ってんのかよ!? そっちの方が驚きだわ!」


 どうりでやけに作り慣れてるなと思ったよ!


 ……その後、ちょっぴり涙目になっている真白とやいのやいのと言い合いつつ、俺は『設定』を頭に叩き込んだ。


「ぐすっ……そろそろ学園に向かいましょう。今から行けば、学園に着く頃には最大のアピール効果を見込める時間帯になってるはずです」


「あー……なんか今の段階で先が不安なんだけど」


「大丈夫です。私が立てた計画は完璧ですから」


 有象無象の凡夫が言えばこれほど信用できない言葉もないが、真白桜月が言うとどこか頼もしい……のか? もう分からなくなってきた……。


「では参りましょう。『カップル登校でアピール作戦』です!」


「はいはい……」



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